No.254【ファンドレイジングスーパースター列伝】マーサ・B・エカード(熊本) [2018年09月11日(Tue)]
マーサ・B・エカード
マーサ・B・エカード(Martha Bushong Akard, 1887年4月17日 - 1969年5月30日)は、米国のルーテル教会の宣教師。1914年、26歳の時に日本伝道に派遣された。1924年、熊本の九州女学院のちの九州女学院短期大学(現ルーテル学院中学校・高等学校及び九州ルーテル学院大学)の院長に選任される。ウィッテンバーク大学大学院で教育学を学んで就任したのは1926年。1940年、戦時体制で一時帰国したが、戦後に再来日した。九州女学院名誉院長(1947年 - 1955年)。 ーーーーーーーーーーーーーーー (Wikipediaより) マーサ・B・エカードが設立した「九州ルーテル学院大学」のWebサイトに学校創設のファンドレイジングの事例が掲載されていました。 http://www.klc.ac.jp/profile/history.html ーーーーーーーーーーー 明治41年 米国ペンシルバニア州のインマヌエル・ルーテル教会で、「日本に女子学校を作るために」5ドルが献金された。 大正10年9月 北米一致ルーテル教会婦人伝道局総会で、日本に女子学校建設を決議。 大正11年 日本のルーテル教会第3回総会で、女子学校設立を決議。 大正12年1月 米国婦人伝道局が17万5千ドルを目標に募金運動開始。2年間で延べ30万人から25万6182ドルを募金。特に、オハイオ州のジェームズ夫妻は、日本への宣教師を夢みて8歳で夭折した娘ジャニスのために特別多額を寄付。新しくできる学校は「Janice James School」と呼ばれることになった ーーーーーーーーーーー こちらのページに掲載されているコピーがいいですね。 『80年前5ドルに託された夢。 そして今も受け継がれる「ココロ」』 このエピソードが詳しく紹介されていました。 理念・創立 http://www.klc.ac.jp/profile/rinen.html 100年前、5ドルの献金に託された夢 〜本学院設立のエピソード〜 1908年(明治41年)、北米ペンシルベニアのルーテル教会において、「日本に女子の学校を」と5ドルの献金がなされた。 このことは、多くの人々の関心を呼び、日本で活動していた女性宣教師や女性信徒たちの祈りと要望によって、女子教育の場を設ける運動へと大きくふくらんでいった。 そして1926年(大正15年)、この献金に託された夢が実現する形で、本学院の前身である九州女学院が誕生した。 JANICE JAMES SCHOOL JANICE JAMES この運動の話を聞いたジェームズ夫妻は、これこそ亡き娘の望みに沿う神の定めた計画にちがいないと信じ、多額の寄付を申し出る。 本学院が誕生するにあたって、一少女にまつわるエピソードがある。 1914年(大正3)、北米オハイオ州に住むJ・ウォーレン・ジェームズ夫妻に、ジャニスというひとりの娘がいた。 ジャニスは幼くして信仰と愛に富み、ある時、日本で行なわれている伝道の話を聞いた。 ジャニスはその時から、大きくなったら日本へ行って、日本の人々のために自分の一生をささげたいと希望していた。 しかし不幸なことに、8歳の時、ジャニスは突然昇天してしまう。 ちょうどその頃、日本に女学校を建てるための募金運動が正式に始められていた。 ◎建築費及び設備費のため、 10,000ドル(1億円相当) ◎女子学校の校長への給料(年次) 1,500ドル(1千5百万円相当) ◎遺産のなかから学校長基金としての寄付 25,000ドル(2億5千万円相当) ジャニス・ジェームズという少女の心に宿していた希望こそ、学校のめざすものと同じであるところから、この新しい学校の名称を「ジャニス・ジェームズ・スクール」と仮称するにいたった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 各学校にこういうエピソードがきっとあるんですね。 Wikipedia:マーサ・B・エカード |