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No.230【ファンドレイジングスーパースター列伝】ピエタ慈善院(イタリア) [2018年08月18日(Sat)]

ピエタ慈善院

119px-Ospedale_della_Pietà.jpg
Ospedale della Pietà

イタリアのファンドレイジングスーパースター列伝を取り上げるのは、初めてですね。

ピエタ慈善院(Ospedale della Pietà、オスペダーレ・デッラ・ピエタ)は、ヴェネツィア共和国の救貧院、孤児院、音楽院。
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(Wikipediaより)


以下、Wikipediaからの引用です。

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ここは1346年に孤児や棄て児を養育するために設立された慈善機関であった。

女子は結婚しない限り、生涯をここで過ごした。女子は音楽的才能を発芽させれば、8歳から10歳にかけて集中的に訓練を始め、慈善院付属音楽院の「合奏・合唱の娘たち」の一員に育て上げられた。

共和国の法的保護の下にあったピエタ慈善院は、貴族や裕福な市民からの寄付と遺贈、音楽の才能のない「手工芸の娘たち」の収入だけでは十分まかなえず、付属音楽院のコンサートによる収入がピエタの運営を大きく支えた。

特にヴィヴァルディが「協奏曲長」に就任してからは、その指導の下に合奏・合唱団の技量が飛躍的に伸び、多くの女性ヴィルトゥオーソや名歌手を輩出した。

アントニオ・ヴィヴァルディは1703年から1740年までに断続的にヴァイオリン教師、作曲家を務めた。ヴィヴァルディの器楽曲の多くがここの女性たちのために作曲された。高度な技術を求められる楽曲も含まれており、当時のこのオーケストラのレベルの高さを示しているとも言われる。

ともすれば、「娘たち」という名前から、少女だけからなる女性オーケストラや合唱団が想像されるが、構成メンバーの実際の平均年齢は40歳に近かった。演奏や歌唱は音楽院内のホールまたは教会で行なわれた。教会の聖歌隊席は祭壇の反対側に一箇所、側壁に向かい合うように二箇所あったが、下の観客から「娘たち」の姿かたちがはっきり見えないように、美しい飾りをちりばめた鉄製の格子に囲まれていた。ジャン=ジャック・ルソーも聴衆としてこれを記録している。

教会付きの慈善院はその後取り壊され、現在はホテル(Hotel Metropole)となっている。現在、ピエタ慈善院は存在せず、その後身として「県立慈悲の聖母マリア児童施設」Santa Maria della Pieta Istituto Provinciale d'Infanziaが、教会の後方およびホテルの後方の敷地と建物を使って設置され(二つは空中廊下でつながっている)、出産と幼児養育の両面で若い母親たちを支援している。
ーーー

音楽でのファンドレイジング、面白いですね〜。


もう一方で、アントニオ・ヴィヴァルディの面から、見ていきます。
ヴィヴァルディといえば、「四季」で有名ですね。

Wikipedia:アントニオ・ヴィヴァルディ

アントニオ[1]・ルーチョ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678年3月4日 - 1741年7月28日)は、ヴェネツィア出身のバロック後期の作曲家で、ヴァイオリニスト。カトリック教会の司祭。

116px-Antonio_Vivaldi.jpg

Wikipediaによれば
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音楽院の教師としての活動(1703年から1713年)
在俗司祭となった9月、1346年設立という由緒あるピエタ慈善院付属音楽院 でヴァイオリンの教師として教鞭を執り始めた。 キリスト教会が行う慈善事業の一環として、捨て子の養育を目的に建てられた慈善院は、才能のある女子に対して音楽教育も盛んで、ヴェネツィア共和国にはピエタをはじめ、インクラービリ、メンディカンティ、オスペダレットの4つがあり、附属の音楽院が併設されていた。 また1704年にはヴィオラ・アッリングレーゼも教えている。1703年以降から1740年にかけて、教師として、また作曲家として器楽曲から声楽にいたる幅広い分野の作品を提供し、そのリハーサルを行なう雇用関係を断続的に持った。

ピエタ音楽院で作曲と合奏の指導を任されたヴィヴァルディは、全12曲からなる『トリオ・ソナタ集』を作曲し、1705年にこれらを「作品1」として出版する。トリオ・ソナタの先駆者として有名なアルカンジェロ・コレッリの影響が色濃く見られるこの作品群は、ヴェネツィアの貴族アンニーバレ=ガンバーラ伯に献呈されている。

1709年の2月にピエタ音楽院との契約が更新されなかったが、その理由のひとつに、当時のピエタの経営状況が思わしくなかったことがあげられる。この年に12曲の『ヴァイオリンソナタ集』を「作品2」として出版する。1711年の9月にピエタ音楽院との契約を更新する。「作品3」として『調和の霊感』が出版される。1713年にピエタ音楽院の合奏長であるフランチェスコ・ガスパリーニ(Francesco Gasparini,1668-1727)が職を辞す。後任が決まるまで、音楽院はヴィヴァルディに宗教曲の作曲も依頼する。同年にオペラの処女作『オルランド・フリオーソ(怒りのオルランド)』がヴェネツィアのサンタンジェロ劇場で初演される。

この時期、基本的に音楽院の音楽教師という立場にいながら、作曲家としてのヴィヴァルディの名はヨーロッパ中に広がり始めていた。これは、生命力のほとばしりを感じさせる瑞々しい曲想のみならず、合奏協奏曲から更に進んだ独奏協奏曲のスタイルを確立していったためと考えられる。同時代のドイツ人音楽家ヨハン・ゼバスティアン・バッハも少なくとも筆写譜の形でヴィヴァルディの楽譜を入手していた。各地で公演されたオペラも次第に彼の名を高めて行った。
ーーー
ということでした。


こんな小説もあります。

『ピエタ』著/大島 真寿美(ポプラ社)
ヴィヴァルディはピエタ慈善院で〈合奏・合唱の娘たち〉を指導していた。ある日、教え子のもとに恩師の訃報が届く。一枚の楽譜の謎に導かれ物語の扉が開かれる。
https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/8000718.html

ほんとうに、ほんとうに、
わたしたちは、幸せな捨て子だった。

18世紀、爛熟の時を迎えた水の都ヴェネツィア。
『四季』の作曲家ヴィヴァルディは、孤児を養育するピエタ慈善院で
音楽的な才能に秀でた女性だけで構成される〈合奏・合唱の娘たち〉を指導していた。
ある日、教え子のエミーリアのもとに、恩師の訃報が届く。
一枚の楽譜の謎に導かれ、物語の扉が開かれる――

聖と俗、生と死、男と女、真実と虚構、絶望と希望、名声と孤独……
あらゆる対比がたくみに溶け合った、これぞまさに“調和の霊感”!
今最も注目すべき書き手が、史実を基に豊かに紡ぎだした傑作長編。
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Wikipedia:ピエタ慈善院


パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2458274

By François Morellon la Cave - http://portrait.kaar.at/Musikgeschichte%2018.Jhd/image13.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=388263
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