No.126【ファンドレイジングスーパースター列伝】佐々木 五三郎(日本) [2018年05月06日(Sun)]
佐々木 五三郎
青森に、石井十次の影響を受けた社会事業家がいました。 それが、佐々木 五三郎(ササキ ゴサブロウ)です。 コトバンクからの引用です。 ーーーーーーーー 生年慶応4年6月10日(1868年) 没年昭和20(1945)年4月27日 出生地青森県弘前市 経歴幼時に母と父を相次いで失い、10歳で成田家の里子となる。東奥義塾に学んだのち上京して英学を志すが、病気のために帰郷。26歳で実家に復籍、傾きつつあった家業の薬種商を継ぎ、その再建に成功。明治35年の大凶作に際し、孤児の保護を企図して数人の孤児を自宅に引き取り、38年有志から寄付を募って東北育児院を開設した。はじめちり紙・蠟燭の行商で育児院の経営安定をはかるが、のち孤児による楽団を編成して活動写真の巡回を開始、大正3年には弘前で初の常設映画館となる慈善館を建てた。昭和6年育児院を弘前愛成園に改称し、7年には身寄りのない高齢者のために弘前養老救護院(のち弘前養老院・弘前温清園に改称)を設立。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 ーーーーーーーーーーーー https://kotobank.jp/word/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8+%E4%BA%94%E4%B8%89%E9%83%8E-1645843 福祉新聞のWebサイトに詳しい物語が掲載されていました。 社会福祉法人風土記<12>弘前愛成園 上 石井十次の講演に感動し、孤児を世話 http://www.fukushishimbun.co.jp/fudoki/13059 佐々木 五三郎のすごいのは、東北育児院の運営のために、「慈善館」という映画館をつくって資金調達をしていたことです。 こちらも、福祉新聞のWebサイトに詳しいことが掲載されています。 社会福祉法人風土記〈12〉弘前愛成園 中 孤児のリーダーが後継者に http://www.fukushishimbun.co.jp/fudoki/13135 ーーーーーーーーーーーー 涙ぐましい資金集めのリーダーが施設の孤児、太田寅次郎だった。開設直後8歳で入所した寅次郎は、営業活動にまい進して五三郎の右腕となった。やがて五三郎の養子となり長女と結婚。後継者となった佐々木寅次郎(1894〜1979年)は一生を弘前愛成園にささげた。 いい金儲けの口は偶然やってきた。1908(明治41)年、全国を巡回していた活動写真班の会社が、弘前市で突然解散、映写機と楽器一式が売りに出された。「自働自営」精神がここで発揮された。当時各地で人気を博していたのに目を付けた五三郎は、300円で一式を購入、営利事業を始めた。その中心が地元の中学(東奥義塾)に通っていた寅次郎だった。 ーーーーーーーーーーー 東北孤児院に入所していた子どもが運営費を稼ぐために、営業していくという姿も心打たれます。 こちらに、東北孤児院の資金調達の実績額が掲載されていました。 【佐々木五三郎と東北育児院の創設】 http://hrr.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10634/5933/1/HiroGakuShakaiFukushi_3_R1.pdf 現在は、社会福祉法人愛成会という名称で、事業を行っています。 |