No.076【ファンドレイジングスーパースター列伝】石井 亮一・筆子(日本) [2018年03月17日(Sat)]
石井 亮一・筆子
![]() (石井亮一・筆子記念館) 石井 亮一(いしい りょういち、慶応3年5月25日(1867年6月27日) - 昭和12年(1937年)6月14日)は、明治時代から昭和時代初期にかけての心理学者・教育学者・社会事業家。 日本における知的障害者福祉・教育の創始者であり、社会福祉法人滝乃川学園、公益財団法人日本知的障害者福祉協会の創設者。 夫人は同じく近代女子教育の先駆者の一人であり、石井筆子。石井の業績は、日本における知的障害者福祉・教育の嚆矢として現代に至るまで極めて高い評価を受けている。 ーーーーーーーーーーーー 石井 筆子(いしい ふでこ、文久元年4月27日(1861年4月27日) - 昭和19年(1944年)1月24日)は、日本の近代女子教育者の1人である。日本初の知的障害者福祉の創始者の一人。 ーーーーーーーーーーー (Wikipediaより) 日本初の知的障害児施設を創設した石井 亮一・筆子。 これまでにも、何人かの社会事業家を紹介してきましたが、その中でも、一、二を争うくらいの大変な物語がありますね。 滝乃川学園のWikipediaをぜひ読んでみてください。 最後に、石井亮一のWikipediaから、ファンドレイザーとしての矜持を感じるエピソードを抜粋します。 ◎亮一は、あるとき財閥家から寄付をもらえるというので出かけて行った。学園は運営資金のやりくりに苦労し、少しでも多くの資金が必要であった。しかし、亮一はなんと手ぶらで帰宅する始末であった。理由を尋ねると、「不浄のお金はもらえないから断ってきた」という。それをみた妻の筆子は「よくお断りになられましたね」ととても嬉しそうであったという。 ◎あるとき、篤志家から学園内に亮一夫妻の居宅を寄付で建てたいとの申し出があったが、亮一は「私たちの生活などどうにでもなる」といって固辞し、亮一夫妻は学園内の寮の片隅に畳を敷いて、居間としたという。 Wikipedia:石井亮一 石井筆子 By Rekiken - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20666728 |