【ファンドレイジングスーパースター列伝】Vol.66 あゆみの箱(日本) [2018年03月07日(Wed)]
公益社団法人あゆみの箱
公益社団法人あゆみの箱(あゆみのはこ)とは、映画や演劇など文化活動を通じた福祉の増進や、社会福祉事業の発展への貢献[1]を目的とする、日本の公益社団法人。所在地は東京都渋谷区恵比寿南[2]。芸能人による募金活動の草分け的存在として知られ、東京都募金許可第一号の団体でもある[3]。現在の会長は俳優の久保明[4]。 ーーーーーーーーーーーーーーー (Wikipediaより) 飲食店等でよみ見かける「あゆみの箱」。 芸能人が中心としたチャリティ活動とは、全く知りませんでした。 さらに衝撃的なことは、2017年5月に団体が解散していました。 法人番号のデータベースを見たら、こんな状況になっていました。 −−−−−−−−−−−−−−−− 登記記録の閉鎖等(清算の結了等) 事由発生年月日:平成29年5月17日 ーーーーーーーーーーーーーーーーー http://www.houjin-bangou.nta.go.jp/henkorireki-johoto.html?selHouzinNo=7011005003641 その歴史を見ていきましょう。 Wikipediaからの引用です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー ワクチン不足から全国的に小児麻痺が大流行した1963年、映画監督の川島雄三が同病の後遺症により他界[1]。川島と親交の深かった俳優の伴淳三郎が、川島に教えられた心身障害者施設を訪問し、小児麻痺に苦しむ入所者の境遇を目の当たりにすることとなる[1]。「小児麻痺で苦しむ子供たちに光を当ててあげよう」と、川島の墓前で誓いを立てた[1]。 一方同じ頃、俳優の森繁久彌も家族で募金活動を続けており、両者は同じ仕事先で意気投合し奉仕活動を始める[1]。「あゆみの会」が社団法人として発足したのは、同年12月23日のことであった[1]。創設に関わった伴や森繁の他、水谷八重子および秋山ちえ子を加えた4名が常任理事に選任[1]。撮影現場の残り木から募金箱を作成、役者仲間と共に劇場や街頭、ロケーションに行く列車の中で募金を呼びかけてゆく[1]。 1965年2月6日には、伴と森繁の他、坂本九、フランキー堺や淡島千景ら多くの芸能人が参加した、第1回チャリティーショー(東京都、厚生省、日本医師会後援[5])を新宿厚生年金会館にて開催[6]。以後都内のみで22回(うちフジテレビ系列での中継20回)開催、名古屋市や福岡市、札幌市などの他、海外(ハワイ、サンパウロ、サンフランシスコ、ロサンゼルス各2回、リマ1回)でもチャリティーショーが行われた[7]。 ーーーーーーーーーーーー まさに、芸能人のチャリティのグッド・プラクティスですね。 ただ、2107年で終了してしまったのが、本当に残念です。 Wikipedia:公益社団法人あゆみの箱 |