【ファンドレイジングスーパースター列伝】Vol.32 山室軍平(日本) [2018年02月01日(Thu)]
山室 軍平
![]() 山室 軍平(やまむろ ぐんぺい、1872年9月1日(明治5年7月29日戸籍上は8月20日) - 1940年(昭和15年)3月13日)は日本の宗教家。説教者。日本人初の救世軍士官[2](=牧師)で日本人初の日本軍国司令官(「日本軍国初代司令官」ではない[3])。最終階級は中将[4][5]。岡山県阿哲郡哲多町(現在の新見市)生まれ。石井十次、アリス・ペティ・アダムス、留岡幸助とともに「岡山四聖人」と呼ばれる。 (Wikipediaより) 昨日ご紹介したウィリアム・ブースからのつながりです。 日本の救世軍の発展を支えた人物が、山室 軍平です。 今回の一連の記事を書くまで、「救世軍」のことをほとんど知りませんでした。 救世軍のWebサイトからの引用です。 『イギリスに本部を置き、現在、世界128の国と地域で活動する国際的なキリスト教(プロテスタント)の団体です。』 『日本での活動は1895(明治28)年に始まりました。12人のイギリス人士官が横浜に上陸して活動を始めました。日本人最初の救世軍士官は山室軍平で、名説教家、また福音を平易に説いた『平民の福音』の著者として知られています。彼は、遊郭から婦人を解放した廃娼運動や、結核療養所の設立などにも力を注ぎました。 現在は、44の小隊(教会にあたる)での伝道活動、2つの病院(ホスピス併設)、保育所、児童養護施設、婦人保護施設、特別養護老人ホーム、老人保健施設、酒害者リハビリテーション施設などを通して働きを進めています。』 http://www.salvationarmy.or.jp/ 救世軍といえば、歳末募金を行う「社会鍋」が有名です。 この「社会鍋」に、山室軍平が大きく関わっていました。 『1909年(明治42)当時日本の救世軍では山室軍平中将が少佐の時代で「失業者救済対策」として街頭集金をする事となりました。募金の方法はアメリカの'Christmas Kettle'のアイデアを取り入れ、スープ壺の代わりに、年越し雑煮というつもりで鉄鍋をつるす事になったのです。東京市中の主な角々に集金用に鍋をつるし、そのわきに士官・兵士が立って寄付を仰ぐ事になりました。』 『アピールは「通りがかりに出来る慈善」とうたい、鍋に集金する事から「集金鍋」と私を呼んだのが日本で最初の事です。これが歳末助け合いの 街頭募金の元祖となりました。しかし誰彼となく「慰問かごの鍋」「三脚鍋」「三脚の慈善鍋」と呼ばれるようになり、大正時代になって「慈善三脚鍋」さらに「慈善鍋」と呼ぶようになりました。』 『1921年(大正10年)12月には「社会鍋」と改称されました。それは“「慈善鍋」という名は救世軍でつけた名ではなく、自然にその名で通ってしまったものです。しかしその当時と今日とでは社会状態なり、慈善に関する社会一般の思想が変わってきている”というものでありました。』 『大正10年12月15日号『ときのこえ』紙上で、救世軍本営の立場を明確にしました。そして社会鍋で集められたお金の用途も慰問かご配布から、冬期無料宿泊所、冬期給食活動、また、他の慰問活動へと拡がっていったのです。また、暮れ以外にも、災害、救済など、必要なときには社会鍋を立てて街頭募金をしました。』 詳しくは、ぜひ、こちらをご覧ください。 http://www.salvationarmy.or.jp/index.php?%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E9%8D%8B%E7%89%A9%E8%AA%9E Wikipedia:山室軍平 救世軍 By Salvation Army - http://yokohama.salvationarmy.or.jp/about/japanarmy.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8324111 |