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ネクタイ業界のクールビズ「やめて」陳情 [2010年01月14日(Thu)]
ネクタイ業界が小沢環境相に対して、「クールビズをやめて」と陳情した、というニュースが流れ、「とくだね!」で小倉智昭さんもコメントをしている。

、「■小倉智昭 公式ブログ「OG's Diary」■
http://www.og-land.com/blog/index.php?act=date&day=20100114


、「■クールビズ:ネクタイ業界「やめて」 「売り上げが激減」小沢環境相に要請■
http://mainichi.jp/life/ecology/news/20100114ddm012040162000c.html

この陳情をしたのは、「日本ネクタイ組合連合会」という組織で、ウェブサイトが見つからなかったが、その下部組織に「東京ネクタイ協同組合」という組織があり、この組織はウェブサイトを持っていて、サイトを見るとチームマイナス6%にも参加している組織だということがわかる。

、「■東京ネクタイ協同組合■
http://www.tokyonecktie.or.jp/

このウェブサイトを見ると、平成20年4月に当時の福田総理大臣あてに具申書を提出している。

、「■「COOL BIZ」運動以後についての具申書■
http://www.tokyonecktie.or.jp/neck20080421.html

この具申書の中では、チームマイナス6%の掲げるクールビズキャンペーンがノーネクタイと同一視、または同義語のように解釈されているのはおかしいということを指摘されている。
これは確かにその通りである。

チームマイナス6%の掲げる「クールビズ」と、日本クールビズ協会が掲げる「クールビズ」とは少し違っていて、我々が考えるクールビズの有り様の中にはCO2削減も含まれるが、本質的なところでは差異がある。その意味ではむしろ、この具申書で言わんとする「コミュニケーションツールとしてのネクタイ」ということに近い。

そこまではいいが、具申書提出について高邁なことを冒頭に書きつつも、全体を通して、業界のことしか考えていないのが見通せてしまう点に難がある。

正直、具申の内容があまりに薄っぺらいものと言わざるを得ない。今回の陳情がこれをベースにしているとすれば、かなり辛い。

日本伝統の武士道精神を表現できるアイテム」としてのネクタイのくだりなどは、あまりに飛躍し過ぎであって、そこまで言わないといけないのかという業界の窮状は理解するが、肯定できない。

日本の伝統と武士道精神を表現するアイテムを西洋文化の象徴ともいうべきネクタイに強引に結び付けるのはいくらなんでも無理だろう。むしろそれを言うなら「羽織袴姿」ではないのか?

日本の繊維業の窮状は目を覆うばかりであり、絹織物などの伝統的産業の危機は日本人一人一人が大切に守っていかなければならない産業である。
ネクタイ業界がそれを支えている一つのキーであるならば、これはとても重要なことだ。

今回の陳情でそれについても言及されいるのであればこそ、このようなちぐはぐなロジックの展開は、自らを貶める内容と言わざるを得ない。

さらに言えば、「ネクタイは国の文化のバロメーター」ということも書かれているが、日本文化をネクタイというツール一つでバロメーターとして判断されたくはないし、そこまで西洋文化に迎合しなければならない理由もない。

さらには「ノータイのだらしない社会が犯罪や不祥事の多発につながっている」という部分は、もう言及に値しない。

この具申書が、少なくとも日本の首相に宛て、業界を挙げての具申書として提出しているということだったので、このような言葉厳しい指摘となった。

他にも指摘したいことはあるが、66%も売り上げが下がってしまったことを思えば、そのくらい業界としては大変だということも理解できるので、これ以上は書かない。

今、ネクタイ業界が行うべきは、このような陳情ではなく、もっと別の、新しい発想によるネクタイファッションのブランディングやマーケット層(消費層)の拡大だ。

その中にこそ、新しいネクタイの価値を創出する種があり、業界の窮状を救うビジネスチャンスが存在している。

鳩山さんのチャレンジ25%の妥当性は置いておくとしても、地球環境を皆でなんとかしようという時に、自分の業界のことだけを考えてクールビズ廃止を訴えるというのは、本当の趣旨はよくわからないが、社会に対すして業界全体のマイナスイメージを植え付けることにしかつながらないであろう。
ベルトと靴の色は合わせるべきか? [2009年07月15日(Wed)]
ビジネスシーンにおけるファッションスタイルで、よく言われるのが「ベルトと靴の色を合わせる」というコンビネーションスタイルである。

これは、主にメンズスタイルで言われていることで、女性の場合は少し違う。

メンズの場合、たしかにベルトと靴の色が違うとちぐはぐな印象を受けがちであるが、これはアイテムの少なさが一因である。

スーツにシャツ、ネクタイにベルト、それに靴、細かいところでは靴下もそうであるが、基本この6つ。この中で色を合わせて統一感を無難に出そうとするとベルトと靴は同じ革製品の場合が多いこともあり、親和性が高いため合わせやすいのである。(身体の部位としてのバランスも良い)

そのようなわけで、ベルトと靴の色を合わせると締まって見えたり、足が長く見えたりするというのは間違いないものの、クールビズスタイルの場合、そんなにこだわらなくても良いと思う。

それよりもむしろ考えるべきは、その靴やベルトが自分らしいか、であろう。
靴はもとより、ベルトもよく見ると千差万別である。わずか数センチ幅、長さ1m弱の一本の紐に、よくこれだけのバリエーションが作りだせるものだと感心するほどだ。

それらの中から無難なものを選ぶのではなく、自分が好きなものを選んで身に付けてみる、まずはここからはじめたい。それはあなたの個性の発露なのである。

それに、靴を買ったら揃いでベルトも買わないと・・・ではいくらお金があっても足りない落ち込み
クールビズはどこまで着崩していいのか? [2009年07月07日(Tue)]
ある新聞のアンケートによれば、クールビズによるサラリーマンの一番の悩みは「どこまで崩していいのか?」という悩みだそうだ。

これは、いささか的外れな悩みである。

クールビズというのは、自分自身のビジネスにおいて必要な「ブランディングの一手法」である。
広く見れば個々の社員のブランディングがそのまま会社のブランディングにつながり、社会との良好な接点が生まれることがベストな展開である。

ということは、プライベートで着る服とはおのずと異なるものであって、クールビズによってビジネスシーンがプライベートシーンよりにシフトしていくというものではない。

この感違いがクールビズスタイルを誤った感覚に陥らせ、ドレスコードとしての悩みを生む土壌になっている。

したがって、クールビズを導入している多くの会社が規約のようなものを作ってクールビズのスタイルについて制約を加えているが、これは「ガラの悪い高校ほど校則が多い」という社会的事象と類似した無駄な行為である。

「クールビズは社員に制限をつけて行うものではなく、社員が自分の働く会社をブランディングすることに一役買うためにポジティブに参加するきっかけづくり」と位置づけないと、どこまでも個々の悩みは尽きないし、管理部門との無駄な軋轢を生むことになるであろう。
靴を磨こう [2009年07月06日(Mon)]
足元を見られる」という諺がある。

昔の旅籠などで旅人の疲れ方を計るモノサシとして、足元の草鞋のくたびれ具合を見ていたことから由来する諺のようだ。

これを現代のビジネスマンにあてはめると、革靴などのくたびれ具合ということになる。

子どもの頃、あまり子供の教育には関心のなかった私の父がよく言っていたのが「靴だけはちゃんと磨いておけ」だった。

昔はその意味がよくわからなかったが、今はよくわかる。

高級な革靴でなくても、磨いてさえおけばきちんと見えるものなのだ。

そして、磨いている靴を履いている人というのはしっかりした人に見えるのである。

そして、なにより革はその素材の性質から、元々丈夫ではあるが、メンテナンスによって非常に長持ちするものであり、コストパフォーマンスにもすぐれているのである。

もちろん踵など時折メンテが必要なパーツもあるが、また新しい靴を買い替えるコストを考えると安いので早めにメンテすることが重要だ。

クールビズスタイルが「どうも着崩しているようで居心地が悪い」という人で、もし靴を磨く習慣がない人はぜひこれを試してもらいたい。

これだけで気持ちがシャッキリするものである。

そして別に新しい靴を買わずとも、今持っている靴を磨くだけであなたのファッションセンスは確実にアップする。

ちなみに・・・メジャー大リーガー松井秀喜選手は、道具には魂が宿っているという理由で道具を大切にするそうである。

サラリーマンにとって靴も大切な道具、大切にしてあげたい。
クールビズにおけるドレスコード [2009年07月03日(Fri)]
クールビズにおけるドレスコードの基本的な考え方を検証する。

日本クールビズ協会が提唱する「クールビズ」は従来の環境への配慮という視点のみに偏らない新しい概念に基づいている。

その概念におけるドレスコードは、「社会との対話によって形成されるあなたのアイデンティティをどう定義するか」、に外ならない。

つまり、一人一人に個々のドレスコードが存在していいことになる。

しかしながら、そうは言っても「何でもあり」になるはずがないのは自明である。

例えば、いくら自分のクールビズとは言っても、葬儀に参加する際にノーネクタイで行く人はあるまい。これは、日本の場合宗教上の理由とは全く関係ないが、故人に対する礼儀として社会的ドレスコードが厳然として決まっている。

それはさておき、自分のアイデンティティをどう定義するかという点において、考えておくべきことは、奇抜なファッションやTシャツにジーンズなど、フリースタイル性の高いファッションは社会との接点づくりにスーツ&ネクタイの数倍の気を遣う必要があるということだ。

クールビズが、あなた自身のブランディングであり、会社のブランディングであるなら、それは「自分自身が広告塔である」ということである。

そこで、あなたが服装という点で先方に不快に思われてしまったら、あなたのクールビズスタイルは大失敗である。

実際には、人は服装の第一印象だけでその人とのビジネスをどうするかを決めたりしない。

その人が信頼できる人なのか、この人とのビジネスをすべきかを検討するのは、その後の交渉のテーブル上でされるものである。

あなたがラッパーのようなフリースタイルでビジネスに臨もうとするなら、その勘違いされるリスクを負っているということを強く意識した上で、それを乗り越えて成功させるだけの意志を持つ必要があり、服装が自由な分、態度や言葉などで相手に誠意を伝えなければならない。

自由であるということは、すべての責任を自分が追うことである。
どういう状態でそれが定義されるのか、今後の検証が必要であるが、自由なクールビズのためにあなたがビジネスに失敗し、会社に損失を出してしまったら、あなたはそれによる責任を取らねばならない。

自由というのは決して楽で安易な生き方ではない。

クールビズスタイルの自由性は、これを実践し、社会から認められることができる人にのみ許される特権である。

これを目指すからこそ、子ども達のあこがれの存在になれるのである。