クールビズにおけるドレスコード [2009年07月03日(Fri)]
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クールビズにおけるドレスコードの基本的な考え方を検証する。
日本クールビズ協会が提唱する「クールビズ」は従来の環境への配慮という視点のみに偏らない新しい概念に基づいている。 その概念におけるドレスコードは、「社会との対話によって形成されるあなたのアイデンティティをどう定義するか」、に外ならない。 つまり、一人一人に個々のドレスコードが存在していいことになる。 しかしながら、そうは言っても「何でもあり」になるはずがないのは自明である。 例えば、いくら自分のクールビズとは言っても、葬儀に参加する際にノーネクタイで行く人はあるまい。これは、日本の場合宗教上の理由とは全く関係ないが、故人に対する礼儀として社会的ドレスコードが厳然として決まっている。 それはさておき、自分のアイデンティティをどう定義するかという点において、考えておくべきことは、奇抜なファッションやTシャツにジーンズなど、フリースタイル性の高いファッションは社会との接点づくりにスーツ&ネクタイの数倍の気を遣う必要があるということだ。 クールビズが、あなた自身のブランディングであり、会社のブランディングであるなら、それは「自分自身が広告塔である」ということである。 そこで、あなたが服装という点で先方に不快に思われてしまったら、あなたのクールビズスタイルは大失敗である。 実際には、人は服装の第一印象だけでその人とのビジネスをどうするかを決めたりしない。 その人が信頼できる人なのか、この人とのビジネスをすべきかを検討するのは、その後の交渉のテーブル上でされるものである。 あなたがラッパーのようなフリースタイルでビジネスに臨もうとするなら、その勘違いされるリスクを負っているということを強く意識した上で、それを乗り越えて成功させるだけの意志を持つ必要があり、服装が自由な分、態度や言葉などで相手に誠意を伝えなければならない。 自由であるということは、すべての責任を自分が追うことである。 どういう状態でそれが定義されるのか、今後の検証が必要であるが、自由なクールビズのためにあなたがビジネスに失敗し、会社に損失を出してしまったら、あなたはそれによる責任を取らねばならない。 自由というのは決して楽で安易な生き方ではない。 クールビズスタイルの自由性は、これを実践し、社会から認められることができる人にのみ許される特権である。 これを目指すからこそ、子ども達のあこがれの存在になれるのである。 |





