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「クールビズ実施について」の張り紙はやめよう [2010年06月01日(Tue)]
今年も6月1日を過ぎ、世の中では、環境問題に配慮するという意味での「クールビズ」が始まった。

政権も変わってしまい、鳩山さんが何も考えずに世界に高らかに宣言した「チャレンジ25」がどうなるのか、正直、興味本位ながら、とても興味深い。

それはさておき、この時期になると、毎年のように「弊社ではクールビズを実施しています。軽装について、ご理解・ご協力を賜りますようお願い申し上げます。」という不思議な断り書きを見ることになる。

何をご理解して欲しいのか? 何の協力を求められているのかさっぱりわからない。

「ちょっと着崩してるけど許してね」と正々堂々と言われているようで気分が悪い。

さらにひどいところになると、「皆さまも軽装でお越しください。」という文言を出しているところまである。

はっきり言って大きなお世話だ。どんな服を着ていくかは自分が決めるべきで強制されるものではない。

以前のコラムでも書いたように、ビジネススタイルにプライベート的な発想を持ちこむべきではない。

、「■クールビズはどこまで着崩していいのか?■
https://blog.canpan.info/coolbiz/archive/5

夏は暑いのだからそれにふさわしいビジネススタイルをすればいい。さすがに真夏に真っ黒のスーツを着てこられると暑苦しいだけでなく、威圧的ですらあるだろう。

皆が生きていく地球のため、環境のためを思ってクールビズを実施するのにこんな断り書きをする必要がどこにあるというのか?

ネクタイが無いと誠意が無いと見られるというのは、言い訳に過ぎない。そのエクスキューズを張り紙一枚でチャラにしようというどうしようもない「事なかれ主義」が垣間見える。

こんな、他者にとにかく配慮してます的な断り書きはもうやめよう。単なる偽善者でしかない。

それよりも、会社として意を用いるべきは、社員がいかにエアコンが少々高め設定でも快適に仕事ができる環境を整えられるか、お客様に不快感を与えない環境が作れるか、である。

それは、実は「CSR」の一環でもあるのだ。
ネクタイ業界のクールビズ「やめて」陳情 [2010年01月14日(Thu)]
ネクタイ業界が小沢環境相に対して、「クールビズをやめて」と陳情した、というニュースが流れ、「とくだね!」で小倉智昭さんもコメントをしている。

、「■小倉智昭 公式ブログ「OG's Diary」■
http://www.og-land.com/blog/index.php?act=date&day=20100114


、「■クールビズ:ネクタイ業界「やめて」 「売り上げが激減」小沢環境相に要請■
http://mainichi.jp/life/ecology/news/20100114ddm012040162000c.html

この陳情をしたのは、「日本ネクタイ組合連合会」という組織で、ウェブサイトが見つからなかったが、その下部組織に「東京ネクタイ協同組合」という組織があり、この組織はウェブサイトを持っていて、サイトを見るとチームマイナス6%にも参加している組織だということがわかる。

、「■東京ネクタイ協同組合■
http://www.tokyonecktie.or.jp/

このウェブサイトを見ると、平成20年4月に当時の福田総理大臣あてに具申書を提出している。

、「■「COOL BIZ」運動以後についての具申書■
http://www.tokyonecktie.or.jp/neck20080421.html

この具申書の中では、チームマイナス6%の掲げるクールビズキャンペーンがノーネクタイと同一視、または同義語のように解釈されているのはおかしいということを指摘されている。
これは確かにその通りである。

チームマイナス6%の掲げる「クールビズ」と、日本クールビズ協会が掲げる「クールビズ」とは少し違っていて、我々が考えるクールビズの有り様の中にはCO2削減も含まれるが、本質的なところでは差異がある。その意味ではむしろ、この具申書で言わんとする「コミュニケーションツールとしてのネクタイ」ということに近い。

そこまではいいが、具申書提出について高邁なことを冒頭に書きつつも、全体を通して、業界のことしか考えていないのが見通せてしまう点に難がある。

正直、具申の内容があまりに薄っぺらいものと言わざるを得ない。今回の陳情がこれをベースにしているとすれば、かなり辛い。

日本伝統の武士道精神を表現できるアイテム」としてのネクタイのくだりなどは、あまりに飛躍し過ぎであって、そこまで言わないといけないのかという業界の窮状は理解するが、肯定できない。

日本の伝統と武士道精神を表現するアイテムを西洋文化の象徴ともいうべきネクタイに強引に結び付けるのはいくらなんでも無理だろう。むしろそれを言うなら「羽織袴姿」ではないのか?

日本の繊維業の窮状は目を覆うばかりであり、絹織物などの伝統的産業の危機は日本人一人一人が大切に守っていかなければならない産業である。
ネクタイ業界がそれを支えている一つのキーであるならば、これはとても重要なことだ。

今回の陳情でそれについても言及されいるのであればこそ、このようなちぐはぐなロジックの展開は、自らを貶める内容と言わざるを得ない。

さらに言えば、「ネクタイは国の文化のバロメーター」ということも書かれているが、日本文化をネクタイというツール一つでバロメーターとして判断されたくはないし、そこまで西洋文化に迎合しなければならない理由もない。

さらには「ノータイのだらしない社会が犯罪や不祥事の多発につながっている」という部分は、もう言及に値しない。

この具申書が、少なくとも日本の首相に宛て、業界を挙げての具申書として提出しているということだったので、このような言葉厳しい指摘となった。

他にも指摘したいことはあるが、66%も売り上げが下がってしまったことを思えば、そのくらい業界としては大変だということも理解できるので、これ以上は書かない。

今、ネクタイ業界が行うべきは、このような陳情ではなく、もっと別の、新しい発想によるネクタイファッションのブランディングやマーケット層(消費層)の拡大だ。

その中にこそ、新しいネクタイの価値を創出する種があり、業界の窮状を救うビジネスチャンスが存在している。

鳩山さんのチャレンジ25%の妥当性は置いておくとしても、地球環境を皆でなんとかしようという時に、自分の業界のことだけを考えてクールビズ廃止を訴えるというのは、本当の趣旨はよくわからないが、社会に対すして業界全体のマイナスイメージを植え付けることにしかつながらないであろう。
クールビズで規則を増やす愚 [2009年08月10日(Mon)]
クールビズ導入にあたり、まずは「規則」を定める企業が多い。

これには正直閉口してしまう。そこまで自社の社員を信頼できないのかと思うのである。

山岸俊男氏の書いた「日本の安全はなぜ消えたのか?」という今の日本を鋭く分析した本がある。

この本では、日本人のほうがアメリカ人よりも「個人主義」であるという。
私達が漠然と感じている、日本人は「集団主義」や「和を尊ぶ精神」を持っているということが錯覚でしかないという論を調査に基づき書いている非常に面白い本である。

この本を読んでハッとした。

クールビズは、「地球環境への配慮」と「従業員の労働環境の配慮」のために導入する意味が強いにも関わらず、まず規則の制定が前提になるという発想が、まさにこの本でいうところの日本の個人主義に立脚した発想だからである。

つまり、日本は規則を作らないと安心できない、他者を信頼できない社会であるが故に、新しい取り組みにまず決まりを作るという発想になるということである。

これでは、自由な発想や前向きな取り組みへの意思、そして広がりなども期待ができない。

今の日本を元気にし、地球環境を守るきっかけの一つとして各組織がクールビズを導入するのであれば、それらはもっと前向きな発想で導入してもらいたい。

少なくとも「クールビズに関する規則」などというものを仰々しく定めてから展開するのは、社員が最初から萎えてしまうのでやめたほうがよい。
しかも、せっかくの経営者側の気持ちがマイナス面でとらえられてしまってもったいない。

スポーツがルール無しに成立し得ないように、その場合の「規則」は、義務というよりは効果的なクールビズのためのルールブックとしての役割を果たすものであるべきである。

そもそもスポーツが義務なら、こんなにスポーツ人口が多いはずがない。このあたりをクールビズ導入の視点として考えていくとわかりやすいであろう。

ステップとしては、まず、なぜ導入するのかを明らかにし、その趣旨を理解してもらった上で「ここだけは守ってほしい」というものがあるなら、それを社員との前向きな議論の上で共有することが大切である。
Posted by 会長 町井 則雄 at 17:07 | クールビズ概論 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
クールビズに対する世論調査 [2009年07月21日(Tue)]
内閣府政府広報室による「クール・ビズに関する特別世論調査」によれば、クールビズに対する賛同は81.5%にのぼる。

また、オフィスなど職場でのクールビズの実践については57.0%が実施しているということである。

この調査結果で少し気になるのは、平成19年度の調査時点では賛同者が83.5%だったのに対し、今回の21年度調査では81.5%に減っている点である。

わずか2%ではあるが、これだけ地球温暖化がトレンドとして言われるようになり、エコはもはや日常的な言葉になった。にも関わらず、賛同できる人の数が減るというのはどうなっているのか? 

環境省があれだけの予算をかけてクールビズ普及に取り組んで、結果のこの数字をどのようにとらえているのか?

クールビズを本格的に普及させ、オフィスのエアコンの設定値を下げようと本気で取り組む気があるなら、この数値の減少の理由はもっと掘り下げられていてしかるべきである。

そして、賛同者と職場での実践の24.5%の差異にも注目したい。
ここには、なにがしかの壁が存在しているはずである。

それは社会的慣習だったり、経営者方針だったり、客層の理解だったり、色々と原因があるだろう。それがわからないとなぜ世の中にクールビズが普及していかないのかの理由が判明しない。

そういう意味において、この調査は設定項目等々がかなり中途半端である。
今後の施策の参考にするために行っているというが、これがどんな施策に結びつくのか甚だ疑問と言わざるを得ない。

実際のクールビズを行っている環境省ではなく内閣府が調査をやっているということで少し納得はできるものの、納税者としてはたまらない無駄な調査である。

これを使って、環境省がクールビズを広報しても投資に見合うだけの効果は期待できないだろう。
Posted by 会長 町井 則雄 at 13:28 | クールビズ概論 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
トレンドとクールビズスタイル [2009年07月17日(Fri)]
ファッションにおけるトレンド、これが形成されるプロセスは結果から辿るととてもシンプルだが、これを意図的に生み出そうとすると非常に難しい。

「今年は『』」とか「この夏は○○がお洒落」等々、「そんなの誰が決めているんだ?」と思っている人もたくさんいらっしゃるであろう。

その疑問は全く正しい。
誤解を恐れずに言えば、トレンドは幻想にすぎない。

流行色については、国際流行色委員会という国際間で流行色を調整する機関が存在する。
世界では13ヶ国がこの委員会に所属していて、日本では財団法人の「日本ファッション協会」の中に「流行色情報センター」という組織があるようで、そのセンターが参加しているようだ。

ここで二年後のトレンドカラーをどうするかの話し合いがなされ、合意されたその色をベースにしたアイテムが二年後に流通するというタイムラインになっている。
(ちなみにこのトレンドカラーは、ファッションだけに限らないようである。)

このような経緯で生み出されたトレンドカラーが少なくとも13ヶ国では出回るが、それ以外の国では、むしろトレンドカラーは独自に生み出される形になる。

細かく見ると、この13ヶ国には世界の巨大トレンド発信国アメリカが入っていない。また、カナダやメキシコ、ブラジルなどの南北アメリカ大陸諸国、ロシアやインド、オセアニア圏なども入っておらず、EU圏中心の感は否めない。(なぜか中国が入っていて、間接的ながら格差社会のすごさを思い知らされる。)

トレンドというのはそもそもの発生形態として「他人の欲求のうねり」に「自分も巻き込まれたい心理」によって生まれる。平たく言うと「他人と同じ中にいて自分も安心したい」という心理である。

「人と同じものを着たくない」、「友だちとカブらない格好をしたい」という「個性の発露」とこの制約を好む傾向とは、矛盾するようであるが、人間は「制限された自由」を好む。

「なんでもいいからアイディアを出せ」と言われても出せないが「○○について自由にアイディアを出せ」という縛りを設けると次々とアイディアが出せることは科学的に証明されているそうだが、トレンドもこれに似ている。

この制限された自由を作り出す装置の一つがトレンドカラーの選定であり、これは業界としても拠り所ができるのでビジネスのリスクを減らせるというメリットもある。

このバックグラウンドをベースに、トレンドは各業界側が色々なことを仕掛けていく中で社会との自然合意によって生み出される。これはニーズを創り出すという行為でもある。

衣類を持っていない人はいない。その人たちに新しい服を買わせるためには、ニーズを待っていてもマーケットは拡大ぜす、ニーズを創り出さなければならない。

きっかけは雑誌などによって作られる場合、同じくメディアとして人気番組などによって作られる場合、今ならブログなどのウェブ系でも作られる場合がある。

これらを考えていくと、トレンドは幻想でしかないという意味がわかってもらえると思うが、重要なポイントは、トレンドアイテムには優秀なデザイナーが力を入れるため、デザイン性に優れた物が登場するという点だ。

これが消費者の購買意欲を高め、またはニーズを創出し、マーケットが形成され、経済が回っていく。

こう考えると、自分自身のクールビズスタイルを形成していく上でトレンドに振り回される必要は全くない。むしろ時として個性を奪うトレンドは邪魔ですらある。

しかし、トレンドという「制約(またはルール)」の中で「個性という自由」を楽しむ余裕を持つことは自分のスタイルに幅と深みを生むであろうことは間違いなく、それは人生を楽しむことにもつながるものである。
ベルトと靴の色は合わせるべきか? [2009年07月15日(Wed)]
ビジネスシーンにおけるファッションスタイルで、よく言われるのが「ベルトと靴の色を合わせる」というコンビネーションスタイルである。

これは、主にメンズスタイルで言われていることで、女性の場合は少し違う。

メンズの場合、たしかにベルトと靴の色が違うとちぐはぐな印象を受けがちであるが、これはアイテムの少なさが一因である。

スーツにシャツ、ネクタイにベルト、それに靴、細かいところでは靴下もそうであるが、基本この6つ。この中で色を合わせて統一感を無難に出そうとするとベルトと靴は同じ革製品の場合が多いこともあり、親和性が高いため合わせやすいのである。(身体の部位としてのバランスも良い)

そのようなわけで、ベルトと靴の色を合わせると締まって見えたり、足が長く見えたりするというのは間違いないものの、クールビズスタイルの場合、そんなにこだわらなくても良いと思う。

それよりもむしろ考えるべきは、その靴やベルトが自分らしいか、であろう。
靴はもとより、ベルトもよく見ると千差万別である。わずか数センチ幅、長さ1m弱の一本の紐に、よくこれだけのバリエーションが作りだせるものだと感心するほどだ。

それらの中から無難なものを選ぶのではなく、自分が好きなものを選んで身に付けてみる、まずはここからはじめたい。それはあなたの個性の発露なのである。

それに、靴を買ったら揃いでベルトも買わないと・・・ではいくらお金があっても足りない落ち込み
個性を引き出すクールビズが会社を元気にする [2009年07月13日(Mon)]
日本クールビズ協会が提唱するクールビズスタイルは、単なる地球温暖化防止のためエアコンの温度を下げるという目的にとどまらず、様々なビジネスシーンにおける「自分自身のブランディング」という広義のスタイルを提唱するものである。

結果、かなりフリースタイルなクールビズ、その人らしいクールビズ、その場所や気候に合ったクールビズといった様々なスタイルが広い沃野となって広がる。
この概念の総称を「クールビズ」としている。

したがって、この場合の「COOL」は、「かっこいい」、「スマート」というような意味合いが強い。

単なる夏の就業スタイルにとどまらないので、冬の「ウォームビズ」も日本クールビズ協会にとっては「クールビズ」の延長線上にある。

加えて、せっかく環境省が年間80億円もの巨額な税金を投入して「チームマイナス6%運動」を展開しているのであるから、これを単なる環境問題だけにしてしまうのは、それこそMOTTAINAIであろう。

それはさておき、これだけ自由なクールビズスタイルをそれぞれのサラリーマンが行うと相当に個性が出てくる。

この個性の発露がこれからの日本の活性化に必要な発想の転換として重要だと思われるが、それはおいおい研究するべき領域として、まずはこの個性が発露した場合のクールビズについて考えてみたい。

個性が発露する場合、企業体としてのブランディングにも影響が出る。
それらはプラス面もあるがマイナス面もある。

プラス面は、大きく二つある。

一つは、「社員の個性が光ること」という点であり、もう一つは、「社員が活き活きすること」である。

つまり、社員一人一人の個性の集合体を組織とするなら、その個性一つ一つの輝きは、総体としての企業イメージとしてブランディングにつながる。

そして、光る個性一つ一つが輝きを増していくことは、その企業のバイオリズムを高揚させる。


一方のマイナス面は、「個性格差が広がる」という点である。

従来までも、仕事の手法や業績などにおいてもちろん個人差は存在し、それが出世の早さや会社での立場につながっていたわけであるが、これがさらに直接の見た目としてビジュアル的に尖ってくるとその差が明確になり過ぎる場合がある。

つまり「自分を魅せることの上手な人」と下手な人の差が開くということである。

ちなみに、工場のような画一化が必要な会社でフリースタイルのクールビズは想定しにくい。

そういう意味では、フリースタイルのクールビズは、どちらかというといわゆるスーツ族に合う考え方である。

経済が上向きの時には、会社の方針にしたがって言われたことをやれる社員が優秀であるとされるが、現在のように経済が成熟してしまうと、そこから先の領域は独自のアイディアで未来を切り拓ける人材が求められてくる。

そんな人材のあり様を考える際に、金太郎飴のようなスーツスタイル一辺倒ではなく、個性を光らせることができるビジネススタイルを積極的に推奨することは、それらの人材の個性と才能、そして場合によってはモチベーションそのものを引き出す舞台づくりとして効果があるわけである。

一方で、まだまだ社会通念的には「スーツスタイル=信頼できる人」という固定観念は残っているので、銀行など一部の業種では、フリースタイルがマイナスに働く場合もある。

ただ、考えなければならないのは、本当にスーツ姿でなければ、「社会的信頼を失ってしまうのか?」、「売り上げが落ちてしまうのか?」ということである。

今、世界は未曽有の不況の中にある。
モノがあふれ、製造業は出口を見いだせず、日本社会もかつて日本人が体験したことのない「少子高齢化」を含む難局への荒波を避けて通れない。

そんな変化が求められる時代においては、従来の殻を破る勇気を持てなければ、解決策は見えてこない。

クールビズもいまだに実行率が100%にならないのは、まだ地球環境に関して私達が希望的観測を持っているからだ。

これがこのままなら、一年後に地球が滅んでしまうとしたら、あと10年しか石油燃料がもたないことがわかったら、私たちはそれこそ死ぬ気でCO2削減や新しいエネルギー開発に取り組み、とんでもない速度での対応と技術革新でこの難局を乗り越えてしまうだろう。

話しがいささか逸れてしまったが、自由なクールビズスタイルの導入は、その導入方法さえ間違えなければ、確実に会社を元気にする起爆剤になる。

女性にとってのクールビズの現状 [2009年07月10日(Fri)]
環境省が中心となって進めている「チームマイナス6%」運動。

そこにこんなコンテンツがあるのをご存じだろうか?

MY COOL BIZ

ここに女性のクールビズスタイルの見本などが載っているので、ぜひご覧いただきたい。

ここではきちんと女性のクールビズスタイルについてもケアされているが、世の中の大勢は「クールビズ=男性の夏のスタイル」である。

そもそも、政府がクールビズの根拠としている研究の書き方に工夫が必要だ。

上着を脱ぎ、ネクタイを外すと体感温度が2度下がるとするデータ

この研究自体、誰がいつ行った研究成果なのかわからないのだが、この表現だと男のビジネスシーンを思い描いてしまうため、女性のクールビズというのがイメージしにくい。

結果として、多くの女性がエアコンが寒いが故に長そでなどを着ているという矛盾した状態が放置されることになる。

環境省のクールビズやウォームビズ運動自体は悪いことではないし批判することもないのではあるが、もう少し女性も巻き込んだ形で展開させていく必要性を感じる。

その意味で、2009年の「MY COOL BIZ」運動は、クールビズ運動の開始から5年あまり、視点としてこなれてきた感が評価できる。
【社会的企画】高級ブランドによる社会貢献セレブスカーフ [2009年07月07日(Tue)]
【高級ブランドによる社会貢献セレブスカーフ】

こんな企画を考えてみた。

セレブな方で、社会貢献なども生活の一部としてやってみたい人と、そんな人向けのアイテムを販売したい会社との社会を良くするコラボ企画である。

別にスカーフでなくても、ストールでも何でもいいのだが、仮にこのスカーフが5万円するとして、2万5千円が通常の価格だとすれば、プラス2万5千円は社会課題に対する寄付に回される値段となる。

そして、そのデザインは、そのスカーフにしか使われない。

例えば、皆さんは日本に小児がん専門の病院が存在しないことをご存じだろうか?

小児がんの子どもために夢の病院を」と活動している「チャイルド・ケモ・ハウス」という団体があるが、ここへの寄付に充てられるというように、特定の社会課題に対して寄付をしていることをアピールするファッションアイテムとしてこのスカーフを使うのである。

デザインもそれに親和性があるとなお良い。

つまり、そのスカーフをしているだけで、その人はその社会課題を解決することに協力していることがわかるというわけだ。

ホワイトバンドはまんまと大失敗して社会に社会貢献に対する禍根を残したが、あれのセレブ版と思ってもらってもいい。

ただ、ホワイトバンドと違うのは、そのブランド自身のビジネスモデルの中でその活動にコミットしている点だ。

これはこれまた最近トレンドの企業の社会貢献の一環としても見栄えがするし、持続可能な事業でもある。

どこか、このような活動にコミットしてくれる企業はないものだろうか・・・キラキラ


クールビズはどこまで着崩していいのか? [2009年07月07日(Tue)]
ある新聞のアンケートによれば、クールビズによるサラリーマンの一番の悩みは「どこまで崩していいのか?」という悩みだそうだ。

これは、いささか的外れな悩みである。

クールビズというのは、自分自身のビジネスにおいて必要な「ブランディングの一手法」である。
広く見れば個々の社員のブランディングがそのまま会社のブランディングにつながり、社会との良好な接点が生まれることがベストな展開である。

ということは、プライベートで着る服とはおのずと異なるものであって、クールビズによってビジネスシーンがプライベートシーンよりにシフトしていくというものではない。

この感違いがクールビズスタイルを誤った感覚に陥らせ、ドレスコードとしての悩みを生む土壌になっている。

したがって、クールビズを導入している多くの会社が規約のようなものを作ってクールビズのスタイルについて制約を加えているが、これは「ガラの悪い高校ほど校則が多い」という社会的事象と類似した無駄な行為である。

「クールビズは社員に制限をつけて行うものではなく、社員が自分の働く会社をブランディングすることに一役買うためにポジティブに参加するきっかけづくり」と位置づけないと、どこまでも個々の悩みは尽きないし、管理部門との無駄な軋轢を生むことになるであろう。
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