ココのいえのビジョンは
「人と人とがつながる多世代交流の拠点をつくる」
様々な技術が目まぐるしく進歩するこの時代。
スマホを開いて数秒後には、地球の裏側の人とだってつながることができます。
一方で、自宅から数歩の場所に住む人と、一切の会話なく生きていくこともできます。
画面を通したつながりは、言うまでもなくとても便利で、魅力的です。
いつでもどこでもつながれる。この利便性が私たちに与えた恩恵は計り知れません。
しかしそれだけでは心は満たさせないということを、私たちはコロナウイルスによって思い知らされました。
スマホやパソコン1台あればいつでも顔を見て話すことができるのに、それだけでは寂しい。会って話したい。
ウイルスそのものに対する恐怖に加え、引きこもって暮らすことのストレスに心を病む人が増え「コロナうつ」という言葉まで生まれました。
高齢者を中心に「画面越し」の術を持たない人々の不安や孤独は、更に計り知れないものだったでしょう。
世界中の人々が「直接会うことによる安心感」を求め生きてきたのです。
しかし、この安心感を多くの人が求めているにも関わらず、現代において私たちが身近な人々との間に持つつながりは年々小さく、狭く、希薄になっていっているように感じられます。
サザエさんやちびまるこちゃん、映画「ALWAYS三丁目の夕日」などに見られる、町中に家族がいるかのような光景は、なかなか見られなくなってきました。
利便性の向上や生活スタイルの変化によって「人と人とがつながる機会が減ったこと」が大きな原因のひとつだと思います。
そしてそれは非常に勿体なく、残念なことだな、と感じます。
色々な知恵や経験を持つおじいちゃんおばあちゃん。
平成を駆け抜け、令和をつくっていく若者。
元気と好奇心に溢れた子どもたち。
一緒に過ごす機会さえあれば、そんな機会を気軽に持てる場所さえあれば、
それだけで生まれる喜びや安心感があるのではないか。
互いが持つものを与え合い、日々の楽しみや生き甲斐をつくり出すことができるのではないか。
そんなつながりが、人々の暮らしを少し豊かにするのではないか。
コロナウイルスとの共存を経験した今、ほとんど確信に近い気持ちで、こういった機会・場所の必要性を感じています。
人と喋るのが好きな人が、家でひとり孤独を感じる。
親友になれたかもしれない人と、同じ町にいながら言葉を交わすこともなく生きる。
そんな寂しいことが起こらないように
誰もが立ち寄れて、小さなつながりを紡ぎ続ける、
そんな拠点をつくりたい。
コミュニティカフェの意義について考える中で、コロナ禍にいるからこそ強く抱いたこの思いは、きっと今後ココのいえを作り上げていく中で忘れてはならないものだから
未来の自分に向けてここに書き留めます。