命日 [2009年11月03日(Tue)]
11月1日 サイレンススズカの命日
今回、 プライベートの趣味に関する内容を お伝えすることをお許しください。 11月1日(日)は、 私が大好きな競走馬 サイレンススズカの命日でした。 1998年11月1日(日)、 東京競馬場で開催された 秋の天皇賞(GT)レース中に 左前足膝骨を粉砕骨折し、 その日のうちに安楽死させざるを得なかった 希代の快速馬サイレンススズカの墓碑に 花束を手向けに平取町にある稲原牧場へ行ってきました。 【11/1 サイレンススズカの墓碑】 昨年は10周忌であったことから、 墓碑は大変多くの献花で埋め尽くされていました。 今年は正直献花はそんなに多くないのでは? と思いながら墓碑に向かいましたが、 何と今年も昨年に負けない位の献花で墓碑が埋め尽くされていました。 没後10年以上経ってもこれほどのファンに愛され続けている競走馬も珍しいのではないでしょうか 【1998/11/1 沈黙の日曜日】 希代の快速馬は、 この日も並み居る強豪を置き去りに、 東京競馬場を1頭、一陣の風のように駆け抜けていました。 そして3コーナーを回り、最後の4コーナーへ向かう途中の大欅を通過した時、彼は突然スピードを緩め足をかばいながら外枠の方へ移動していきました。 幸い、彼は転倒することなく、さらに2番手の馬を10馬身以上引き離していたことから、後続を巻き込んだ大惨事にはなりませんでしたが、彼の姿をその後見ることは出来なくなってしまいました。 その頃の私は競馬を趣味にしていませんでしたが、たまたまテレビでそのレースの実況を観ていました。 その瞬間に実況していたアナウンサーは「沈黙の日曜日」と叫んでいました。 【スピードの向こう側】 希代の快速馬サイレンススズカはこうしてこの世を去りましたが、後から調べてみると、大変魅力的なサラブレッドだったことが分かり、すっかりファンになってしまいました。 一つは、天皇賞の前に行われた毎日王冠(GU)で、無敗の外国産馬エルコンドルパサーとグラスワンダーを負かしたことです。 特にエルコンドルパサーは、国内で唯一負けたレースがサイレンススズカに2馬身半引き離されて2着に負けた毎日王冠のみでした。 同馬はその後、ジャパンカップ(GT)を優勝し、フランスに渡り凱旋門賞(GT)で2着となった日本競馬所属では最強の馬でしたが、ジャパンカップ優勝後(サイレンススズカ没後)に同馬に騎乗していた蝦名騎手は、「本当に強い馬はうちの馬じゃないんです。うちの馬はサイレンススズカに影すら踏ませてもらえなかったんですから。」とレース後に語ったそうです。 二つ目は、デビュー2年目、現在で言えば4歳から騎乗し、毎日王冠優勝まで6戦全勝を飾った武豊騎手が、「他の馬より前を走っていて、最後の直線で後ろの馬よりいい足を使えば負ける訳がないんですから、競走馬として理想です。」と回顧録(DVD)で語っていたことです。 とかく、何をやるにも思い入れの強い私は、 (タイガとココアプロジェクトもそうですが) 叶わぬ夢をジャングルポケット産駒(子供たち)に託しています。 語ると長いのでジャングルポケットがなぜ好きなのかは語りません ここまでお付き合いありがとうございました。 <平取町稲原牧場:彼はここで生まれ、育ちました。> 【11/3 大雪】 11月3日、 札幌市(正確には隣町の当別町)から釧路市に戻ってきましたが、当別町は今朝、ご覧のような大雪でした。 とは言っても、10cm程度の積雪で、この時期の雪は2、3日後には消えてなくなります。 根雪になるのは今月下旬頃からです。 ただ、朝晩は溶けた雪が凍ったりしますので車の運転などは要注意です。 ちなみにこの日、旭川市のすぐ横に位置する朱鞠内では、積雪60cmを超えたそうです 【11/3 満月】 当別町を車で朝出発し、途中帯広市で仕事の打合せをした後、午後6時頃釧路市に着きましたが、ご覧のような満月で景色が良かったので、釧路市の手前の白糠町恋問浜(太平洋に面して道の駅があります。)で車を止め、釧路市と太平洋と満月を撮影してみました。 この日釧路方面は、快晴だったようです。 |