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新展開の可能性 [2009年01月06日(Tue)]

朝9時、快適に目覚め気分爽快で首都のボゴタに移動しました。
今日、ひょっとしたらシネミンガとしての初仕事になるかも!?という新展開がありました。
















空港の税関の人をつないでくれたカルロスの従姉妹の旦那様・エンジェル(男性)は、考古学が専門です。コロンビアでは、遺跡を発掘して国外に持ち出し、高く売りつける国内外の人がいて問題になっています。
エンジェルは、歴史にとって貴重な発見がそんな形で失われる事に大きな危惧を抱いています。
(その関連でエンジェルは税関の人を知っていたんですね)
今日、そのエンジェルが日本でいう文化庁の考古学担当者を私たちに紹介してくれました。

コロンビアの南東に位置する「ティアラデントロ」という国立遺跡公園は、考古学的に重要な場所として知られています。(ここは私たちがこれから訪れるカウカ州にあります)
文化庁の担当者は、私たちの活動に非常に興味を示してくれました。
というのも、ちょうど今、ビデオを使って考古学の教育に役立てていこうとするプロジェクトがあり
それを、外部のプロダクションに頼むのではなく、「地元の手で作りたい」と考えていたからなんです。
「地域の人が、自らの手で地域の為の活動をする」というシネミンガのコンセプトはぴったり!
というわけです。
そして、1ヶ月後、ボゴタに戻って来たら上司も囲んで、詳しいミーティングをしようという事になりました。
他にも、先住民族に焦点を絞った助成金の可能性を紹介して下さり、申請したらどうかと
薦めて下さいました。ボゴタに戻って来てからの展開が楽しみです。


文化庁のミーティングの後、カルロスと私はマルタ・ロドリゲスさんという映像作家を訪ねました。
彼女はコロンビアの社会派ドキュメンタリーのパイオニアとして有名な方です。
マルタさんは1960年代後半から、先住民族を始めとする社会問題をテーマに映画を撮り続けており、コロンビアで初めて先住民族の大量殺人事件をドキュメンタリーとして世に発表しました。
更に1975年には、先住民族を単なる被写体としてではなく、恊働で作品制作を行いました。
これは、南米で初めての試みだったそうです。
















2007年にカルロスは、長年先住民族の映画を作ってきたマルタさんに連絡し、
これから始めようとしているシネミンガの活動を伝えました。
マルタさんはシネミンガの活動を自分の跡継ぎのように感じて下さり、
快く、公認アドバイザーになってくださったそうです。

マルタさんは、先住民族をテーマに3作の16mm,白黒映画、4作のビデオ作品を発表しましたが
その総決算とも言える長編映画を、現在編集中です。
このプロジェクトにシネミンガは共同制作として関わる事になり、カルロスが去年の10月からメインの編集マンとして働いています。

マルタさんの部屋には、数多くの写真やポスター、16ミリカメラ、使い込まれたスタインベック(フィルム編集機)、そしてたくさんのフィルム缶があり、彼女の功績を物語っていました。

カメラマンでもあった夫は、20年前に亡くなりましたが、その後も精力的に制作を続けるマルタさんに
女性として、そして映像制作の大先輩としてパワーをもらいました。
この日は、早く失礼しようと言ってたのに話がはずみ、結局深夜0時までお邪魔してしまいました。
無事到着 [2009年01月05日(Mon)]

1月4日午前8時に伊丹を出発。成田で8時間、ヒューストンで9時間待ちも含め、合計35時間かけてコロンビアの首都ボゴタに到着しました。これまでで一番の長旅です。スーツケース2つに、カメラとパソコンをつめこんだバックパック、そして自分の手荷物。合計すると50キロは軽く超えてるな・・・という大荷物でした。更に、二の腕がたくましくなったような気がします。

心配していたアメリカとコロンビアでの入国審査は、すんなり通過。コロンビアの税関の人は、カルロスが事前に言ってくれたおかげか、少々びくつきながら正直に書いていた申告リストを、「今、ちらっと見た?ひょっとして見てなかった?」と思う位のチェックで、通してくれました。
こうして、自分の機材も含めてカメラ6台、パソコン3台、3脚1台、全ての機材を手に、現地の1月5日早朝5時に入国しました。

まずは、コロンビアの基本情報を少しだけ・・・
ボゴタは、北緯5度 ですが標高2600メートル に位置します。
高山病にならないかしらと心配でしたが、坂道を歩くと息が普段よりしんどいかな?そういえば・・・というぐらいで、体調は快調です。
日本との時間差は−14時間。1年を通すと雨が多いのですが、12月ー3月は乾期です。気温は、昼間は15―20度ぐらいで暖かく感じますが、朝晩は5度前後まで下がる事もあるので、重ね着作戦での体温調節が必要です。

カルロスは、コロンビアに家族や親戚が居ます。初日は、市内から車で40分の郊外にある「スバチョケ(Suba Choque)」村にある、カルロスのお母さんの家で疲れを取り除く事も兼ねて、ゆったりと打ち合わせや機材のチェックをしました。念入りにパッキングしたので、機材は全て問題なし。カルロスはサポーターさんにすごく感謝しています。









どこでも眠る事ができる得意技を持ってる私は、時差ボケを経験した事が殆どなく、今回も普通に夜は眠たくなったのですが、積もる話をしてる内にあっという間に午前3時。
ここで私の勘違いが判明。3日後のワークショップはボゴタだと思ってたのですが、ボゴタは旅の終盤でした。
3日後は、ボゴタから南西へバスで10時間かかるカウカ州のポパヤン(Popayan)に行くとの事。
その後、 避難所 のあるタフヌ(Tafxnu) へ行くのですが、火山噴火と大雨の為に、決壊した数カ所の橋は、まだ修復されておらず、馬で行かないと辿り着かないかもしれないとの事。
「馬なんて乗った事ないよー!!しかも機材もあるのに・・・」といきなり不安材料が発生しました。
まぁ、いづれにせよ「向かうべし」という事で、この日のミーティングは終了しました。
火山噴火! [2008年12月21日(Sun)]

2009年1月、私たちは、去年、既にワークショップをやったウイラ居留区、
そして新たに、ボゴタ近辺の先住民族コミュニティの、2ヶ所でワークショップをやる予定ですが
昨日、カルロスの元に、ウイラ居留区の人から、「道路が寸断している」と
連絡がありました。

彼らは去年、ウイラ山に火山噴火の予兆があったので避難生活を送っていたのですが
その火山が今年11月、ついに噴火しました。(メディアセンターは避難所近くにあります)
何人か死者やケガ人も出たそうです。
居留区の人たちは、避難していたお陰で人的被害はなかったようですが
雨期の大雨で、橋が流れてしまったのだそうです。

つまり、私たちが避難所に辿り着けるかは、道路の復興次第という事なのです。
食料も困っているようなので、先週カルロスは、食料を送ったと言ってました。
(色んな話をしたので、どうやって送ったのかまでは、聞かなかったのですが・・・)

ちょうど12月から3月は、乾期になるので、復興工事が進む事を願うばかりです。
今の所、私の到着後は、避難所のある山へ向かい、様子を確かめに行く予定です。
その頃に、生活が普通の状態に戻っている事を、ただ願っていますが
ワークショップどころでなければ、なんとかして既にビデオ撮影の方法を
学んだ青年にビデオカメラを届け、出来るだけの事をやってきたいと
考えています。

食料と言えば・・・
ニューヨークでは、ミーティングはいつもみんなの仕事終わりだったので
休憩がてら、ご飯を作っていました。
一度、日本のカレーを作ったら、「こんな美味いもの初めて食べた」と
コロンビア出身のカルロスやチリ出身のアマリアにも大好評!
作り方も簡単なので、今回、カレーのルーを持って行こうと思っています。
「食」は、コミュニケーションの潤滑剤。
避難所生活の人が日本のカレーを気に入ってくれたらいいなぁと思いつつ・・・。
他に、こんなん持っていったらいいよ!というアイデアがあったら
是非教えて下さい。 
(文字が小さいですが、右下の(コメント)をクリックしたらコメントが書けます)

ブログスタート! [2008年12月09日(Tue)]

はじめまして。
シネミンガのブロクにおたちより頂き、ありがとうございます
ブロク初心者なので、最初はまとまりが悪く
モタモタするかもしれませんがご容赦下さい。

さて、私たちはニューヨークに拠点をおく任意団体です。
先住民族・および世界の情報格差の底辺にあるコミュニティで映像制作のワークショップを実施。
地域の人が自分たちで情報発信したり、ビデオを通じた国際交流を
協同してやろう!という目的で設立しました。
「ミンガ」はアンデス地方の言葉です。日本語では「結(ゆい)」。
沖縄の「ゆいまーる」にも通じますが
コミュニティの人が協力して、コミュニティの為に作業をする。そんな精神性を表しています

シネミンガの当面のプロジェクトテーマは「先住民族」
世界5大陸の先住民族コミュニティで、一般市民を対象にビデオワークショップを開き、
地域のメディアセンターおよび地域ディレクター(ミンガクルー)を作ろうとしています。

シネミンガの共同代表であるカルロスは、昨年、自費で
南米コロンビアのウイラ居留区で撮影のワークショップを開きました。
ウイラ山という火山に噴火の兆候がでて、先住民族のナサ民族が住む場所を
追われているという情報を得たのがきっかけです。

途中、ゲリラがやってきたり、様々な理由があって
昨年のワークショップは途中で終わってしまいました。
2009年1月に、私も参加し、撮影の残りと編集のワークショップをやる予定です。

さて、日本では殆ど伝えられていませんが、南米の先住民族の多くが土地を奪われ、
医療や教育面でも差別・迫害されています。
2008年8月。ウイラ居留区を支援している
「カウカ州先住民族地域会議」Cauca Regional Indigenous Council (CRIC)に
大量殺人を予告する脅迫状が届きました。
そして10月。本当に殺人事件が起こり、リーダーが殺されてしまいました。
統計では、2002年から1200人が殺されているといいます。

そして10月〜11月まで1ヶ月に亘りカウカ州を中心にした先住民族が
首都ボゴタへやって来て、
1万人規模の大きなデモ行進を行い、先住民族の人権と諸問題をアピール、
ウリベ大統領にも訴えました。
カウカ州からボゴタまでは直線距離にしても300キロ以上あります。

実は私、コロンビアはもちろん南米は未踏の地です。
1月から、約40日、ボゴタとカウカ州を中心に二ヵ所で
映像制作のワークショップをやります。
カウカ州は山間部の田舎のようなので
インターネットがどの程度、通じているのかわかりませんが
リポートを続けるつもりです。

宜しくお願いします。