放っておけない食料・医療・教育問題 [2009年02月01日(Sun)]
WFP, World Food Program から食料援助のトラックが2台、タフヌにやってきました。申請が通り、1年前から支援が始まったそうです。
ちなみに日本もWFPに支援しています。 早朝、アナウンス(村内放送のようなもの)があり、子どもから大人まで、みんなで清掃して、WFPの訪問に備えていました。普段、ここで暮らしている人々は殆ど肉を食べませんが、この日は、飼っている鶏でチキンスープを作り、ごちそうを作っていました。 WFPからの食料は、米・レンズ豆・食料油・塩・砂糖、合わせて16トンです。 トラックがやってくるのは3ヶ月に1度。3ヶ月後には殆どの食料が無くなるそうです。人々は大きな釜で一度にたくさんのご飯を炊き、村の人に賄う形で食料を節約していると言っていました。 今、コミュニティが必要としているのは、食料もさることながら、自活していく為の「野菜の種」だそうです。今は、 野菜を耕すだけの土地が十分ではないので小さな畑にネギを植えているだけなのですが、もっと自分たちで野菜を作り、自給自足をしていきたいと考えています。これまで土石流で、 元々所有していた畑を失った人は数知れません。幸運に残っていたとしても、火山に近い為、危険が伴うだけでなく、既に火山灰によって食料が育たなくなってしまっているそうです。更に、「新たな噴火」というリスクも抱えています。安全に自活していく為の土地を手に入れる事は喫緊の課題なのです。 日々の食事は、ご飯に少量のネギを入れて炊いただけのもの・揚げパン・おじやに近いスープなど、炭水化物が多く、栄養的にも偏っています。特に子ども達はビタミン不足から、皮膚病や下痢にかかりやすくなっているそうです。確かに私も滞在中、色とりどりの野菜やフレッシュな果物が欲しくなりました。 食料に加えて、深刻なのは医療と教育の問題です。 今、タフヌには、医者も看護婦も居ません。火山灰が原因で流産した妊婦、肺に問題を抱える人も少なくありません。先日、たまたま儀式の為にお酒が必要だったので、避難所近くでお酒を作っている人の家にお邪魔した所、右側の耳からあごが、ひどく腫れている男性に会いました。もう二ヶ月になるといいます。 病院があるのは、橋が壊れた川向こう。歩いて5時間近くかかります。その上、健康保険もなく、治療代を払えない事がわかっているので、彼は病院に行こうとしませんでした。患者さんは、見た目から放っておくと良くない事は明らかだったので、なんとかならないか手段を探った所、避難所の近くに常駐している軍に看護士が居る事がわかりました。 軍が常駐しているのは、ゲリラ対策の為です。避難所にも毎日のように、訪れているので、何人かとは顔見知りになっていました。軍の看護士は、快く患者の男性を診てくれました。彼の診断によると、病院に行く必要があるとの事でしたが、応急処置として、抗生物質の注射と、薬を彼に与えていました。 教育問題も深刻です。1年前にカルロスが来た時には、テントで出来た臨時学校がありました。でも今は、学校として使われていたテントは無くなっていて、椅子や机の山が一ヶ所に積み上げられているだけ。私たちは、制作中の映画のストーリーに学校のシーンを入れていたので、撮影するつもりでいたのですが、学校が始まるはずの1月後半が過ぎても、一向に始まる気配がありません。 事情を聞くと、政府は1年前には、教師をコミュニティに派遣していたのですが、火山噴火の危険性が高まった為に、派遣をストップしていました。危険度が高くなったので、規定により教師を送る事ができないという事です。ここで、2年も新しい土地を待ちながら、危険と隣り合わせで暮らしている国民が大勢いるというのに、教師だけ引き上げるというのは、理不尽な話です。 子ども達は、殆どナサ語で暮らしているので、スペイン語の習得にも支障をきたしています。また、家事を手伝っている子どもも多いので、教育の遅れは深刻な問題です。不十分な教育は将来の仕事に支障を来たし、貧困や諸問題の悪循環をもたらします。加えて、先住民族である事の偏見・差別問題も加わります。大人達は、これまで運動に取り組んでいますが、ゲリラと政府軍との間で続く内戦をはじめ、コロンビアの複雑な政治状況を見ていると、問題解決が遠い道のりである事をいやでも感じさせられました。 |