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ネパール国際先住民映画祭に選ばれました [2012年06月23日(Sat)]

*JAPANESE ONLY

過日、「小川のように続けーローバー・ハスース・デ・グアチェタの遺志ー」
ネパール国際先住民映画祭に選ばれました。



写真;生前のローバーさん

本来は6月7日〜10日に行われる予定だったのですが、今、ネパールは
政情が不安定な為に、プロテストが活発になっています。
2008年5月に240年続いた王制が廃止され、憲法制定が始まりましたが
未だに混乱状態です。
今回のプロテストも、憲法制定に関連するものです。
ネパールには、61の先住民族が暮らしており、
彼らも自分たちの権利の為にプロテストに加わっており、
大きな影響を受けています。
世界のメディアは殆どこれを伝えていません。

そのため、映画祭も約1ヶ月延期して、7月12日〜15日の開催となりました。
今回の映画祭では、25ヵ国の180の映画が上映される予定です。
私達は、映画祭に参加するのも然ることながら、
歴史的なムーブメントの最中にある、先住民の声を
伝えたい、そしてビデオ制作に興味のある地元の人とつながりたいと
考えています。

そうすることで、将来・・・。
ビデオワークショップをする→機材提供する→地元からの発信が
継続的に可能になる→マスコミが伝えない事柄を世界に発信する。
というような、コロンビアでもやってきたようなモデルが
可能になれば、最高の成果です。

ということで、行く努力をしようと考えました。
映画祭は、地元での宿泊料は出してくれるようですが
航空チケットまではカバーしてくれないので
最近、流行っているCrowd Founding =クラウドファンディン(少額を多くの人から集める)に
初挑戦する事にしました。

「クラウドファンディング」は、日本にもありますが
まだ、日常的ではないかもしれませんので、簡単に説明します。
目標額は1人分のチケット2000ドル(約16万円 6/23/12現在)。
これを20日以内に集めます。
寄附したい人 (Backer)は1ドルでも200ドルでも好きな額を決められます。
寄附を募る側は、金額に応じてプレゼント(お礼)を設定します。
集まったら、8%〜10%は、そのウェブサイトとクレジットカードの手数料などが
引かれ、私達に入ります。
もし集まらなかったら、寄附してくれた人には全額が返るというシステムです。

↓これが、今回の KickStarterキャンペーンのビデオです。
(英語ですが、カルロスがしゃべっています)


ということで、皆様、この企画のチームの一員になりませんか?
下記が寄附のリンクです。
http://www.kickstarter.com/projects/610988975/help-us-get-to-kathmandu


私達のお礼は、全ての人に、今回作るビデオにエンドクレジット(名前)を入れる他、
値段に応じて、以下を設定しました。
10ドル以上:完成ビデオの無料ダウンロード(デジタルビデオ映像)
30ドル以上:「小川のように続け」の手作りスタンプカバー5カ国語版DVD
90ドル以上;「小川のように続け」のDVDに加え、シネミンガがコロンビアで製作した作品2本のDVD
200ドル以上:ご希望のネパール土産

Kickstarter (キックスターター)の使い方が分からない人、
クレジットカードに抵抗がある人は、郵便振替(このブログの左上)でも構いませんし、
このブログの"Donate"ボタンは、日本のクレジットカードが使えます。
結果報告をしたいので、必ず連絡先を書いて下さいね。

それから、ネパールの政治情勢について、詳しく知りたい方は、こちらの外務省のリンクをご参照下さい。
(下記、抜粋)
2008年5月に連邦民主共和制への移行が宣言され、240年近く続いた王制が廃止されたネパール。新たな国づくりに向けて動き出した一方で、マオイスト(共産党毛沢東主義派)兵(PLA兵)の国軍への統合や新憲法制定などの課題も抱えており、民主化と平和構築の行方に国際社会の注目が集まっています。
編集の合間にワークショップ [2011年07月16日(Sat)]

「少年の夢」の編集をやっている時に、3日間、ティエラデントロで暮らす若者にワークショップをしました。
あちこちのコミュニティから、バスでシネミンガのオフィスがあるポパヤンにやってきてくれました。
バス代は、コミュニティ持ち、食事はシネミンが持ち、という条件で、数十人いる全生徒の中から、
8人ほどが集まりました。

これは、シネミンガが去年から行っているワークショップの一連で、生徒たちは、カルロスもヘオディエルとも顔なじみ。殆どは20代の若者です。

今回、初めてファイナル・カットを使って、編集を教えました。
ずっと、撮影を教えてきていたので、今まで撮った素材を使って、編集の練習をしました。

私とヘオディエルは、同じ部屋で、ひたすら「少年の夢」を編集していました。
一通り、カルロスが説明を終えると、グループに分かれ、それぞれ作業をしていました。
途中、私達がやっている編集も見学、ただし締め切りが迫っていたので、「話しかけない事!」を条件に・・・。

それでも編集の合間に、ヘオディエルが時々、ナサ語で教えていました。
ファイナルカットをちゃんと使いだして、まだ1年にも満たないのに、
堂々と教えている彼の姿を見ながら、
「もうこんなに教えられるようになったんだ」と感心し、そして嬉しい気持ちになりました。

ティエラデントロは、広く、同じ民族とは言っても、彼らが住んでいる場所は
バスで数時間かかるぐらい、散り散りです。
気軽に、しょっちゅう会う訳にもいきません。

ワークショップの後、「コミュニティで学校の様子を撮影したい」という生徒に
ヘオディエルがずっと使っていたビクターのビデオカメラを預ける事にし、
新しいテープとビデオカメラを持って、彼はコミュニティに戻って行きました。
映画祭に選出されました! [2010年09月23日(Thu)]

南米コロンビアの先住民族リーダー、ローバー・グアチェタさんの殺害事件に関するドキュメンタリー「Rober de Jesus Guacheta, The Work Goes On (英語タイトル)」が、カナダの imagineNATIVEという
映画祭
に選出されました。

シネミンガのメンバーのイノセンシオが、日本から寄附を受けたカメラを使って、カルロスや私が居ない間に撮影し、カルロスがコロンビアに戻ってから、他のメンバーも加わって、一緒に編集・追加撮影して制作したものです。
シネミンガとして完成した初の作品でもあり、今回の選出に、みんな喜んでいます。
上映は、10月22日。
短編でもあるので、残念ながら、招待は受けられませんでしたが、今、どこかから助成を受けて
カナダに行けないか、可能性を探しています。

また改めて、発表しますが、11月14日に東京ーパリーニューヨークーポパヤンで、時差を利用した同日上映会+Skypeを使った制作者とのQ&Aを企画中です。
私達は、直接会場に行く事が出来ないんですが、インターネットを通じて(映像付きで)
地球の裏側とライブで話をしてもらいます。
何を上映するか、今、準備中ですが、上記のローバーさんのドキュメンタリーと最新作であるキンティン・ラメの2本をシネミンガから、これに加えて、他の先住民族が制作した作品も上映するかもしれません。

会場や時間など、詳細を9月中に決定し、10月にはお知らせしたいと思います。
みなさん、カレンダーに印をお願いします!
コミュニティ上映会(コロンビア便り) [2010年03月08日(Mon)]

マニュエル・キンティン・ラメのビデオが完成し、先住民族のコミュニティで上映会をしたと、コロンビアから便りがありました。

場所は2ヶ所。先住民族団体のオフィスもあるポパヤンと、インタビュー撮影もした、
キンティンの孫が暮らしているDelicias(デリシアス)コミュニティです。

上映会のチラシも作りました。ポパヤンでは、30人ぐらいの人が集まりました。
下の写真は、イノセンシオがプレゼンテーションしている様子です。

デリシアスでは80人ぐらい集まったそうです。下の写真でもわかりますが、子どもたちもいっぱい来てくれました。(犬も)

デリシアスは、黒人も暮らしている珍しいナサ民族コミュニティで、ナサ語の他に、黒人の人たち独自の言葉もあるのだそうです。
先住民族のコミュニティには「Cabildo (カビルド)」と呼ばれる独自の町議会のようなものがあり、デリシアスのカビルドには、黒人も加わっているそうです。ちなみに、キンティンのお孫さんは前の会長も務めていたそうです。

シネミンガからは、イノセンシオ・ヘオディエル・カルロスの3人が行き、ビデオを上映して意見交換会をしました。
地元の人から、3時間ぐらいの長編が見たい!との意見も出たらしく、「やっぱり、キンティンは先住民族界の坂本龍馬なんだなぁ(私的解釈)」と思いました。
また学校で、子ども達への教育用に使いたいので300枚ぐらいDVDが欲しい!という声も出たそうです。どうなるかまだわかりませんが・・・。

また今回、やっぱり「映像」の意味があるなぁ、と再認識しました。
市街の人もそうですが、特に山岳地帯で暮らす先住民族のコミュニティには、各家庭にテレビもインターネットもないし、映画館も無いので、映像というメディアが果たす役割は大きいのです。
そして今更ながら、映像の良さは、インパクトの強さは然ることながら、読み書きが出来ない人にも伝えられるという事です。
事実、「毎月ビデオを持って来て、上映会をして欲しい」と、今回、デリシアスの人々から言われたようです。

私達は今後、このようなコミュニティ上映会を様々な地域でやりたいと思っており、映像を見るだけでなく、伝える手段として、先住民族の人たちが使いこなせるようにサポートして行きます。
ただし、今の課題は「移動手段(=車)とプロジェクター」で・・・両方持っていないので、現実は厳しいですが・・・ちょっとづつ頑張ります。

最後に。
キンティン・ラメのビデオは、今後、英語版と日本語版を作り、長編制作に向けた資金集めをしていく予定です。準備が出来次第、ウェブでもビデオを公開します!
悲しい知らせ [2010年02月16日(Tue)]

今日は、ちょっと悲しい話題を書きます。

このブログでも何度か紹介しているヘオディエルの話です。
ヘオディエルは、シネミンガの最初のメンバーであり、これまで一番、私達と深く関わって来ました。
その彼の子ども(1才)が、亡くなりました。実は、去年の夏の話です。
原因は政府軍が飲み水の水源近くで糞尿をするなど、汚れた水を、子どもが飲んだせいです。

ヘオディエル達は、ウイラ山の噴火の兆候があって以来、タフヌという避難所で約2年間、暮らしていました。避難所ですから、インフラも不十分で農地もなく、竹と土で作られた仮設住宅は寒く、生活には不便な場所です。
以前から、子ども達の皮膚病や下痢は、日常的な問題となっていました。(詳しい話はこちらにも書いています)
政府軍の一件は、あまりに子ども達が体調を壊すので、ある時、調べに行ってわかったことだそうです。

私も約1ヶ月程、タフヌに滞在したのでわかりますが、水はフィルターも通してあるので、目に見える程、汚くなかったのと、生水は飲まないので、体調を崩す事はありませんでした。
でも、1才の小さな身体は、バクテリアをやっつけられなかったのでしょう。ヘオディエルは高熱の出た子どもを抱いて、遠くの病院まで行き、あちこち回ったそうなのですが、助ける事は出来ませんでした。

その後、タフヌで暮らしていた人たちは、別な地域の先住民族の土地を借りる事が出来、引っ越しました。
この話題は、今回の旅で、ヘオディエルの家族と会ってからブログに書くかどうか決めようと思っていました。結局、撮影や編集に時間を取られ、子ども達とは再会できずに終わった事もあり、書きませんでした。

今日、書こうと思ったのは、今度は4才になる娘が、同じような症状で体調を崩して入院し、ヘオディエルがしばらく家に戻っていたと聞いたからです。ヘオディエルは、家族と離れてポパヤンのオフィスで単身赴任状態で仕事をしていました。女の子は退院して、命に別状はないそうです。
ここで強調したいのですが、コロンビアの先住民族にとって「病院に行く」という事は、すごく大変な事です。
健康保険のある日本人とは、全く感覚が異なります。そして、彼らにとっては莫大な出費です。

ヘオディエルは、私が言葉に不自由したり、何かに困っている事を察知すると、冗談を言ったり、「通訳してあげて」と気遣ってくれるような、普段は陽気で優しい好青年です。
でも、彼も妻も、家族や親戚の多くを地震や土石流災害で既に無くしており、私には想像もつかない心痛を乗り越えてきました。
そして、先住民族としてコロンビアで生きる事は、経済的にも社会的にも、理不尽な事がつきまといます。

私達は、彼らと一緒にシネミンガという団体を運営し、仕事を作り、経済的にも社会的にも安定して充実した暮らしが出来るようにしたいと思っています。
残念ながら、まだまだ、メンバーの生活を支えるだけの収入には至っていません。
シネミンガの映像制作は「文化や芸術を保存・創作する活動」である以前に、「命・人権・生活」を侵される事なく、「人間として、自活して生きていく事を実現させる活動」です。
今回の知らせを聞いて、悲しい気持ちになりつつも、しっかり頑張らなくちゃ!と、ひきしまった気持ちになりました。
音楽の録音をしました [2010年01月28日(Thu)]

音楽家であるイノセンシオ・弟のミンチョ、更にそれぞれの息子、4人の演奏でキンティン・ラメのビデオで使う音楽を録音。場所は、ポパヤン郊外の先住民族大学(現在、予算がなく建設工事がストップしているそうです)で行いました。

写真の4人が持っている楽器は、アコースティックギター・チャランゴ・アンデスの笛・太鼓ですが、
これに横笛・木製の棒の先にビーズをいっぱいつけた鳴りものも使いました。
「ティエラデントロ(山)に関する歌」「メディスンマンに関する歌」「カウカ州」に関する歌(←この歌詞の中には、キンティンの名前も出てきます)などを、収録しました。

防音設備の整ったスタジオではありませんが、程よい鳥の声、雷も自然に鳴り、自然と調和して生きる「先住民族らしさ」が出て、結果的に良かったような気がします。
4人の音楽は、情熱的で躍動感があり、ボーカルなしのバージョンも録音しましたが、
映像とどう絡めて行くか、映像とケンカさせない「さじ加減」が難しくもあり、楽しみでもあります。

この日は、私がポパヤンを去る日だったので、録音終了後、私のリクエストで、ポパヤン市内でも数少ない中華料理店で夕食。
ミンチョは、2008年の先住民族運動「MINGA=ミンガ」で、取り締まっていた警察の戦車から、「釘がたくさん出る鉄砲」のようなもので射たれた話をしてくれました。
なんとか一命を取り留めましたが、片目を失い、今も針が身体の中に残っているそうです。
(この話を詳しく書くのは、別の機会にします)

深夜、みんなに見送られて、長距離バスでボゴタに向かいました。
今までで一番たくさん、バス旅行をしたコロンビアでの数ヶ月でした。
キンティンラメの撮影がクランクアップ(その2) [2010年01月24日(Sun)]

メインのカメラはヘオディエルが担当しました。前日のミーティングで彼は、「撮影に失敗してメチャクチャにしたくない」と、不安気だったのですが、とんでもない!カメラマンとしてしっかりした仕事をしてくれて、感心しました。

別な機会に、彼が昨年1人で撮影した素材を見たのですが、カルロスも私も、びっくりするぐらい上手く、彼の撮影センスと上達の早さには目を見張る物があります。
不慣れだったパソコンでの編集技術も、この数日でメキメキと上達し、もう私がついていなくても問題ない程になりました。

ところで当初、地元の警察は高圧的でイヤミで感じ悪いの人たちなのかなぁ・・・なんていう偏見を持っていたのですが、とてもフレンドリーで協力的でした。
何度も撮影テイクを重ね、「もう1回、もう1回だけ」とお願いしても嫌な顔もせず、馬も警察官も、心良く悪役を演じてくれました。

最後に、みんなで記念写真を撮りました。ちなみに下記の写真は、キンティンが実際に警察に連行されたときの有名な写真をイメージして撮っています。大きく写真を見るにはこちら

拘留中のキンティンは、我がオフィスのパテオ(一応、中庭)で夜に撮影。
恥ずかしながら、照明機材がなく、いくつかの懐中電灯とろうそくで、手作りしました。
首都ボゴタでの、ジャーナリストから受けるインタビューシーンは、ポヤパン市内のホテルで撮影。このシーンを最後に、クランクアップ!これまで簡素な食事で済ましてきましたが、この日はイタリアンレストランで乾杯しました。乾杯

昨日、ヘオディエルは1人でカメラを持ってティエラデントロの山岳地帯に向かいました。
鳥や川、緑などの自然の映像がもう少し必要だったので、その撮影の役目を、ヘオディエルに任せる事にしたのです。
ティエラデントロは彼の故郷。自然を熟知し、撮影の腕も信用出来る彼には適任です。
後は、イノセンシオのバンドが奏でるオリジナル音楽を録音、いくつかのアーカイブを取り寄せて、まとめるのみです。
完成には、まだ時間が必要ですが、もう少し楽しみつつ、みんなで頑張りたいと思います。
キンティンラメの撮影がクランクアップ(その1) [2010年01月23日(Sat)]

マニュエル・キンティン・ラメの撮影が、一応、クランクアップしました。
今回は、文化庁用に25分程度の短編を作る予定ですが、キンティンは、とりわけ、カウカの先住民族にとっては、(正しい比較ではないかもしれませんが、日本だったら、坂本龍馬にも例えていい位くらいの・・・)歴史上の大人物。将来、私達は長編にする事を考えています。

最後の撮影は、ポパヤンの古い橋で行いました。ピオさん演じるキンティンが、馬につながれ、見せ物のように警察に連行されるシーンです。
地元の警察にも、正式に撮影許可を取り、警察官4人と馬1頭が、出演者として協力してくれました。

ピオさんには、暴行の痕跡を示すメイクアップをしました。
前夜、とっさに(日本からヘオディエルの子どもへのお土産用に持って来ていた)クレヨンがいいかも・・・と思って試したら、我ながらナカナカの出来映えになりました。

今回は、限られた時間に撮らなければならないという事と、街中の撮影でもあったので、カット割りを書いたストーリーボードを事前に用意しました。

これまで、その時に応じたドキュメンタリー撮影スタイルでやってきたので、ストーリーボードを作るのは、編集や構成の勉強にもなるし、みんながシーンを具体的にシェア出来ると考え、試してみましたが、うまく行きました。(その2に続く)

ただいま、編集中です [2010年01月11日(Mon)]

マニュエル・キンティン・ラメのビデオ制作は、いよいよ、中盤〜最終ステージに入りました。
山岳地帯での撮影は終わり、残るは、ポパヤン市内のシーンです。
1. キンティン・ラメが、警察につかまり、馬に引っ張られて街を歩くシーン
2. 拘留中のキンティン
3. 新聞記者がキンティンにインタビューするシーン(実際のインタビュー記事に基づく)
4. 女性の権利についても重要視していたキンティンが、先住民族の女性達の前でスピーチするシーン

11月の撮影が終了してすぐ、私達は編集に取りかかりました。
ポパヤン市内で、もろもろ込みの1DK・月25,000円ぐらいの部屋を見つけ、オフィス&編集ルームにする事にしました。(日本やアメリカの感覚だと安い!ですが、ここでは、安くも高くもない、まぁ普通という感じです。)
これから毎月の家賃をなんとかする為に、収入源を見つけなければいけません。今年の目標=オフィスをキープする事!仕事に張り合いができて、良い事です。働かざるもの食うべからず。
自炊をしながら、みんなで川の字になって眠り、合宿状態ですが、快適です。
中には、仕事や居留区での用事がある人も居るので、全員がオフィスに居るわけではありませんが
平均3−4人で、仕事をしています。

最初の作業は、コンピュータへ撮影素材を取り込み、ログノート(各テープのタイムコードと撮影した内容を記録するもの)を作る事、次は、主要なシーンのナサ語をスペイン語に翻訳する事でした。
結構な作業量で、これだけで12月の殆どを費やしました。

この数日、私はヘオディエルと一緒に編集をしています。
ヘオディエルは、タフヌでシネミンガがメディアセンターを開いたときからのメンバーで、
編集は初心者ですが、意欲は満々です。私の方が頻繁に休憩しています・・・。
カルロスは今、助成金申請の締め切りがあって、編集を見る状態ではなく、
挨拶程度しかスペイン語のできない私が担当する事になりました。

スペイン語の辞書を片手にコミュニケーションに悪戦苦闘、普段の3倍ほど疲れました。
繋ぐのは、ヘオディエルの役目。私はあくまでも困ったときの技術指導に徹し、繋ぎに関しての口出しは、極力押さえなければならない立場です。
しかも、撮影中しゃべってるのはナサ語。内容はヘオディエルにしか理解出来ません。

「どの言葉が良い?」「ここは要らない?」「ここは映像はダメだけど音声はいいから残そう」
次は、「順番に並べ替えよう」などなど、殆ど単語だけで伝えました。
コミュニケーションに困ったら、絵を書いたり、得意のボディーランゲージ。
なんとかなるものです。
想いが伝わった時、お互い気があった時は、2人共盛り上がりました。
ちなみに、8割がた使っていた単語は、「cortar(コルタル)=切る」と「borrar(ボラル)=削除する」でした。

なんとか、3分強のシーンを、5時間ほどかけて繋ぐ事ができました。
今後は1月中に残りの撮影を終え、1月末には、形にする予定(コロンビアタイム)で作業を進めています。
儀式と撮影の日々 写真いろいろ [2009年12月01日(Tue)]


トゥンビチュクエにて、ヒゼラとピオさんのシーン。カメラはヘオディエル。


フアンタマ湖へ向かう道中のパラモで、天候の為にピオさんが儀式。結果=雨には濡れませんでした。


オープニングシーン。


同じくオープニングシーン。ヘオディエルは木の上から撮影。


Cinemingaの Two Roses (2人のバラ)=RosauraとRossana, パラモにて。
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