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活火山の避難所・タフヌでナサ民族と会う [2009年01月17日(Sat)]

1月16日、ポパヤンからバスで6時間。Tafynu (タフヌ)という地域へ移動しました。ここは、シネミンガの原点であり、カルロスが最初のメディアセンターを作った所です。
壊れていた橋は、修復されていたので、バスで行く事ができました(馬に乗らずにすみました)。
ただ、途中、道に大きな穴があいていて、しばらく立ち往生しました。

2007年2月、活火山であるウイラ山が少なくとも400年ぶりに活動を始めました。
ウイラ山はナサ民族が暮らすウイラ居留区の中にあります。活火山がいつ噴火するかわからないので、人々は避難生活を始めました。適切な場所だったのが周りを山々に囲まれた台地・タフヌでした。タフヌは大昔、伝統的な儀式を行う所で、生活の為の場所ではなかったそうです。
そしてブルーテントの仮設住宅での暮らしが始まりました。


下の写真は、「MINGA」の語源のもとでもありますが
コミュニティの人々が協力して、次に引っ越してくる人の為に家を作っている様子です。


水は、タンクが6個と、山から雨水をフィルターで濾過したパイプを使っています。この水は時々断水します。
電気は通っていますが、しょっちゅう停電します。ウイラ居留区には1600人の住人が居ますが、2009年1月現在、タフヌで避難生活を送っている人は約300人です。



2008年12月20日に初めての噴火が起こり、土石流によって6人が犠牲となりました。 噴火直後は、橋が流され、1週間は食料困難な状態が続いたそうです。赤十字のサポート体制は一応あるのですが、事務所は車で約半日かかるような所にあります。 ヘリコプターは、ひどい灰の為に、2日間、来る事ができませんでした。無線で臭いなどの異常を伝えても、すぐには信じてくれないという声も聞きました。

400年ぶりに活動し始めた活火山。いつまで火山活動が続くかは予想がつきません。タフヌはあくまでも仮の住まいであり、水や食料、インフラ、教育、医療・・・全てにおいて、長く暮らすには適切ではありません。ウイラ居留区の人々は火山の予兆とも言える地震が起こり始めた2年前から、政府に対し、安全に住む事が出来る新しい土地を求めてきました。ところが政府はこの要求を無視し続けているそうです。

カルロスが何度か私に強調しました。「これはコロンビアだけでなく、ラテンアメリカ全般に言える事だけど、政府や世間は先住民族を人間とは思っていない。むしろ動物だと思ってる」と・・・。
一例として、先住民族が陳情のために市役所などの官庁に行った時の事を話してくれました。彼らは最初に、消毒室に入れられ、その後、6時間待たされたあげく「あなたの言いたい事はわかりました。半年後にもう一度来て下さい」と言われ、半年後に行くと、担当者が変わっていて、また最初からやり直しというようなケースがあったそうです。
先住民族の人権蹂躙に対して運動を行っているCRICが、力を増してくると、警察が冤罪で刑務所に入れたり、暴行を加えたり、最悪のケースは殺人まで起こっています。はっきり言えば、「あのインディアンどもは目障りだから消してしまえ」という構造なのです。先住民族への偏見と差別の根深さ・深刻さが、私の中で日に日に実感となってきています。 事実、わずか10日間の滞在ですが、私は既に警察官の暴行によって片目を失った人、怪我をした人、冤罪で刑務所に入れられた人、夫を殺された人に会いました。

先住民族の人口は、コロンビアの約1%だそうです。私の中で「なぜ人々は、貧乏なうえに、人口も少ない先住民族を、わざわざ殺す必要があるんだろう?」という疑問が湧いていました。その答えの1つが「先住民族は人間以下だから、人権を訴えたりするなど目障り。邪魔な動物は消滅しまえ」なのです。
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