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カヌーで、いざバメノへ! [2013年03月05日(Tue)]

アマゾンから、戻ってきましたが、タイムスリップして、滞在中に書いた
日記を、少しずつアップしていこうと思います。

1月13日午前8時30分、コカのホテルを出発、いよいよアマゾンへ向かいます。

ペンティは、ピックアップトラック式のタクシーを調達。
一緒に向かうのは、ペンティの息子たちと娘さん、親類の青年2人と女性1人、ニューヨークに住む弁護士のジュディス、それにカルロスと私、というメンツ。
バメノでは、5つのコミュニティが集まる大きなミーティングがあるので、ペンティたちは、たくさんの食材などを調達していました。

tankpipe.png

10時にピックアップトラック型のタクシーがコカを出発しました。
私はコカ市内のナポ川から出発するものと思っていたのですが、そうではありませんでした。
道中、石油パイプが蛇のように道沿いを通り、柵で頑丈に囲まれた大きな石油タンクのある工場を見ました。
道はアスファルトでした。石油会社が土の道をアスファルトにしたのだそうです。
ほんの10数年前までは、道など無く、森林地帯だったといいます。
外部の人間が、ここに住んでいた様々な生き物や自然環境を瞬く間に作り変えてしまいました。

fire.png

タクシーに乗って3時間、ようやく乗船場に着きました。
ここにには、軍と法務省が管轄するチェックポイントがあり、アマゾンへ入ってくる人たち(ツーリストを含む)を入国管理局のようにチェックしていました。国立ヤスニ自然公園だからです

piperiver.png

午後3時、荷物をボートに積み込み、私たちはシリプノ川 (Rio Shiripuno) を西へ、
13人で、バメノコミュニティへとカヌーで向かいました。
早速、私たちはコミュニティの為に持ってきたビデオカメラで撮影を始めました。
(写真は、ペンティの兄弟・マルティンです)
canoetrip.jpeg

ペンティは船旅の道中、アマゾン開発がどう起こったのか、彼の経験を話してくれました。
石油の調査が始まったのは、息子のテペーニャが生まれた1988年だと、ペンティははっきり覚えています。
同時期に、森林伐採も始まり、それは今も続いています。

canoetrip.jpg

そして翌年の89年、ヤスニ自然公園が作られました。
しかし、住人であるワオラニ民族に何がおこっているかは説明されませんでした。
その後も土地調査は続きますが、99年、石油掘削や森林伐採を禁止するインタンジャブルゾーン(不可侵領域)が、エクアドル政府によって設定されました。
ここには、タゲリとタロメナネという、UNCONTACT(アンコンタクト=外部と触れた事のない人たち)のワオラニ民族が暮らしています。
タゲリは、ウォリアー(戦士)で、ペンティたちCONTACT(コンタクト=外部と触れている人たち)とは全く違う生活をしています。
森のあちこちを動き周っているという話を聞いて、森の守衛みたいだなと感じました。

house.jpg

ペンティは話の最中に、「あそこに亀が居る!こんな鳥が居る」と、生き物を見つけるたびに、教えてくれました。
亀・鳥・きれいなエメラルドブルーの蝶蝶など、様々な生き物をみました。
そして!ワニも!!
(写真は鶴です)
crane.jpg

夜7時半、ペンティはカヌーを止めました。
そこは、観光客用のロッジでした。私たちの為に、シャワーもベッドも整っている心地よい場所を提供してくれたのです。
普段、ペンティたちはカヌーで寝るか、どこかの浜でテントを張って寝るという事でした。
ベッドで寝られるとは思ってもみませんでしたが、おかげでぐっすり眠ることができました。

smiles.jpg
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