梶祐輔さん[2010年01月20日(Wed)]
今朝の新聞(20日)の「悼む」欄で、クリエーティブディレクター梶祐輔さんの弔文が掲載されていた。
梶さんは僕が「環境広告賞雑誌部門環境大臣賞」をいただいた時の審査委員長で、表彰式後に記念写真を撮っていただいた。環境配慮型商品に添付できるエコマークをテーマにした広告だったがその時、ずいぶんお褒めいただいた記憶がある。
コピーライター養成講座に1年間通学したがその職業につかなかった僕を励ましてくれたような・・、その後の自信につながり、環境ホームページ大企業部門優秀賞、産業映画コンクール教育部門賞などの受賞につながっていった。
その授賞式写真のカラーコピーを実家に送ったら、母は居間に飾ってくれた。その写真はまだそのままにしてある。
梶さんへの弔文(神谷幸之助さん記から引用)に、梶さんは、日本で初めてコンセプト(新しい売り方)を持ち込んだと。それが「いつかは白いクラウン」。
日本の広告の歴史をスタートさせ、牽引してきた梶さんは、制作者としてただけではなく、ジャーナリステッィクな視点で正確な日相ができる数少ない論客だった。
「それであなたは、最近新しいなにかをつくったの?」と常に問いかけられている。JRのロゴを見ながらその答えを推測する、と。
梶さんは僕が「環境広告賞雑誌部門環境大臣賞」をいただいた時の審査委員長で、表彰式後に記念写真を撮っていただいた。環境配慮型商品に添付できるエコマークをテーマにした広告だったがその時、ずいぶんお褒めいただいた記憶がある。
コピーライター養成講座に1年間通学したがその職業につかなかった僕を励ましてくれたような・・、その後の自信につながり、環境ホームページ大企業部門優秀賞、産業映画コンクール教育部門賞などの受賞につながっていった。
その授賞式写真のカラーコピーを実家に送ったら、母は居間に飾ってくれた。その写真はまだそのままにしてある。
梶さんへの弔文(神谷幸之助さん記から引用)に、梶さんは、日本で初めてコンセプト(新しい売り方)を持ち込んだと。それが「いつかは白いクラウン」。
日本の広告の歴史をスタートさせ、牽引してきた梶さんは、制作者としてただけではなく、ジャーナリステッィクな視点で正確な日相ができる数少ない論客だった。
「それであなたは、最近新しいなにかをつくったの?」と常に問いかけられている。JRのロゴを見ながらその答えを推測する、と。