子どもについ怒っていまう不思議(上)
[2015年12月10日(Thu)]
〇子どもについ怒ってしまう不思議(上)
世の中に広まっている「子育て論」や「指導技術」のほとんどは、子どもの特性や心情についての理解とそれに基づいた方法について述べられています。これは、教える側の特性や心情については触れられていないので、保護者や先生は何の問題もない100点満点の大人であることが必要になります。
でも、私たち大人も振り返ってみればいろいろ欠点があるわけで、本来は教える側の様々な特性や心情面も理解しておくことが必要だと思います。
もっとも、自分のことを深く見つめることが好きな人はいませんから、あまり触れたくないことかもしれませんね。子どもたちのためにも知っておくべきことかと思いテーマにしてみましたが、無理のない範囲で読み進めていただければと思います。
子どもに勉強を教えるとき、私たちがもっとも気をつけなければならないのは「怒り」の感情です。思い通りに子どもがならない(教えてもわからない)場面に直面すると、カッとなってしまうこと、多くの方が経験しているのではないでしょうか。
ついカッとなって叱る場面でも、「お手伝いをしない」とか「人に意地悪をした」といった、子どもが次は「ちゃんとできそう」と見通しが立つときは問題ありません。でも子ども自身がどうしてよいのかわからない場面で叱るのは、その失敗体験を強く印象付けるだけで良いことはありません。
失敗体験が多い子どもは、毎日のようにその「怒り」を受け止めていますから、事前に察して何とかその場から逃れようとします。ところが、その方法が幼稚であればあるほど、私たちは逃れようとするその態度にますます「怒り」が増幅します。
「お母さん、これはやらなくて良いって先生が言ってた」とか「わかったからもう大丈夫(ぜんぜん大丈夫ではないのですが)」など。中には泣いたりふてくされたりといった態度を取る子どももいますね。
お母さんは「怒り」を抱えたまま何とかしようとしますから、あれこれ褒めてみたり脅かしてみたりする。一方で子どもも何とかその場を回避しようと適当な理由を持ち出す。こうなってしまうとほとんど感情的な応酬になっていますから勉強することの意味も怪しくなりますね。
そして子どもに対する「怒り」が長期化すると、その「怒り」の矛先が身近な大人に移っていきます。怒っているお母さんにとって、その矛先は担任の先生に移ったりします。「もうあの担任は教師のくせに何をやっているの!(何で私が苦労しなければならないの)」となります。あるいはもっと身近なお父さんに向けられることもあるでしょう。「少しは子どもの面倒をみてよ!(私ばっかりに押し付けないで)」となります。
そして身近な大人への「怒り」が長期化すると、最終的に自分自身に「怒り」や「虚しさ」として戻ってきます。「私は母親失格なのでは」とか「子どもなんて産まなければ良かった」などです。
「怒り」などの感情が子どもに向かい、身近な大人に移り、最終的に自分に戻ってくるというパターンを、多くの方が体験しているに違いありません。
実は園や学校の先生も同じです。できない子どもがいると、その態度を見るや否や「怒り」がこみ上げます。感情的になって追い込むような言動になることもあるでしょう。
こうした感情が長期化すると、今度は同僚の先生やその子どもの保護者に矛先が移ります。たとえば保護者に「怒り」を向けたまま(中にはお腹の中で抱えたまま)、電話などでやり取りしてしまうので、保護者を萎縮させたり怒らせたりしてしまいます。
保護者や同僚への「怒り」が長期化すると、最終的に自分自身に「怒り」や「虚しさ」として戻ってきてしまいます。「私は先生として向いていないのでは」とか「教員になんてなるんじゃなかった」となります。
ではこうした感情をどうしたら無くすことができるのでしょうか。
実は怒らないようにすることは不可能だと思ってください。詳しくは次の機会で触れるとして、でももう少し穏やかな対応ができる方法があります。
それは、深呼吸をしながら、心の中で自分自身をもうひとりの自分が観察することです。
うまく教えられずに子どもに向かって怒っている自分をモニタリングすることで、一度は「怒り」がこみ上げたとしても、まもなく冷静になることができるかもしれません。
冷静になったところで、どうしたら勉強がわかるようになるのかが浮かんでくるとは限りません。でも「怒り」の感情をいろいろな理屈で子どもにぶつけてみても、解決するわけではありませんね。
自己モニタリングができるようになると、感情を子どもにぶつけることに意味がないことに気がつきます。
そしてまもなく、感情をぶつけられた子どもは「自分はダメな子」「自分はお母さん(先生)に嫌われているのかも」と思い込んでいることにも気がつくはずです。
世の中に広まっている「子育て論」や「指導技術」のほとんどは、子どもの特性や心情についての理解とそれに基づいた方法について述べられています。これは、教える側の特性や心情については触れられていないので、保護者や先生は何の問題もない100点満点の大人であることが必要になります。
でも、私たち大人も振り返ってみればいろいろ欠点があるわけで、本来は教える側の様々な特性や心情面も理解しておくことが必要だと思います。
もっとも、自分のことを深く見つめることが好きな人はいませんから、あまり触れたくないことかもしれませんね。子どもたちのためにも知っておくべきことかと思いテーマにしてみましたが、無理のない範囲で読み進めていただければと思います。
子どもに勉強を教えるとき、私たちがもっとも気をつけなければならないのは「怒り」の感情です。思い通りに子どもがならない(教えてもわからない)場面に直面すると、カッとなってしまうこと、多くの方が経験しているのではないでしょうか。
ついカッとなって叱る場面でも、「お手伝いをしない」とか「人に意地悪をした」といった、子どもが次は「ちゃんとできそう」と見通しが立つときは問題ありません。でも子ども自身がどうしてよいのかわからない場面で叱るのは、その失敗体験を強く印象付けるだけで良いことはありません。
失敗体験が多い子どもは、毎日のようにその「怒り」を受け止めていますから、事前に察して何とかその場から逃れようとします。ところが、その方法が幼稚であればあるほど、私たちは逃れようとするその態度にますます「怒り」が増幅します。
「お母さん、これはやらなくて良いって先生が言ってた」とか「わかったからもう大丈夫(ぜんぜん大丈夫ではないのですが)」など。中には泣いたりふてくされたりといった態度を取る子どももいますね。
お母さんは「怒り」を抱えたまま何とかしようとしますから、あれこれ褒めてみたり脅かしてみたりする。一方で子どもも何とかその場を回避しようと適当な理由を持ち出す。こうなってしまうとほとんど感情的な応酬になっていますから勉強することの意味も怪しくなりますね。
そして子どもに対する「怒り」が長期化すると、その「怒り」の矛先が身近な大人に移っていきます。怒っているお母さんにとって、その矛先は担任の先生に移ったりします。「もうあの担任は教師のくせに何をやっているの!(何で私が苦労しなければならないの)」となります。あるいはもっと身近なお父さんに向けられることもあるでしょう。「少しは子どもの面倒をみてよ!(私ばっかりに押し付けないで)」となります。
そして身近な大人への「怒り」が長期化すると、最終的に自分自身に「怒り」や「虚しさ」として戻ってきます。「私は母親失格なのでは」とか「子どもなんて産まなければ良かった」などです。
「怒り」などの感情が子どもに向かい、身近な大人に移り、最終的に自分に戻ってくるというパターンを、多くの方が体験しているに違いありません。
実は園や学校の先生も同じです。できない子どもがいると、その態度を見るや否や「怒り」がこみ上げます。感情的になって追い込むような言動になることもあるでしょう。
こうした感情が長期化すると、今度は同僚の先生やその子どもの保護者に矛先が移ります。たとえば保護者に「怒り」を向けたまま(中にはお腹の中で抱えたまま)、電話などでやり取りしてしまうので、保護者を萎縮させたり怒らせたりしてしまいます。
保護者や同僚への「怒り」が長期化すると、最終的に自分自身に「怒り」や「虚しさ」として戻ってきてしまいます。「私は先生として向いていないのでは」とか「教員になんてなるんじゃなかった」となります。
ではこうした感情をどうしたら無くすことができるのでしょうか。
実は怒らないようにすることは不可能だと思ってください。詳しくは次の機会で触れるとして、でももう少し穏やかな対応ができる方法があります。
それは、深呼吸をしながら、心の中で自分自身をもうひとりの自分が観察することです。
うまく教えられずに子どもに向かって怒っている自分をモニタリングすることで、一度は「怒り」がこみ上げたとしても、まもなく冷静になることができるかもしれません。
冷静になったところで、どうしたら勉強がわかるようになるのかが浮かんでくるとは限りません。でも「怒り」の感情をいろいろな理屈で子どもにぶつけてみても、解決するわけではありませんね。
自己モニタリングができるようになると、感情を子どもにぶつけることに意味がないことに気がつきます。
そしてまもなく、感情をぶつけられた子どもは「自分はダメな子」「自分はお母さん(先生)に嫌われているのかも」と思い込んでいることにも気がつくはずです。
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