練習問題の落とし穴
[2016年09月30日(Fri)]
〇練習問題の落とし穴
子どもに勉強を教える際、必ずといってよいほどドリルや練習問題をさせています。できていれば○で、できていなければ×で採点します。時には×のところを直させることもあるでしょう。
ところが、このドリルや練習問題、よく考えると何となくさせてしまっていることはないでしょうか。
子どもの状態や勉強の過程によって、実際に解いてみることの意味や効果は異なります。ところが、学校の先生でも、これまでの習慣などから何となくやらせてしまっている授業を目にすることがあります。
今回は、子どもの状態や勉強の過程に応じた、ドリルや練習問題の意味や効果、そして問題の出し方について考えてみたいと思います。
まずは、子どもがやる気をなくしてしまう間違えたやりかたを挙げ、その理由を土台に効果的な方法を探っていきたいと思います。
やる気をなくすパターンで一番多いのは、教える側の説明がわかっているかどうかを確認しないまま、たくさんの問題を解かせてしまうケースです。説明がわかっていないのに解けるはずはありませんね。
「わかっているのかどうか確認するため」に問題を解かせる方法がありますが、そのために20問もあるドリルを全部やらせる必要はありません。仮に20問のドリルをやらせてみて、子どもが最初のほうでつまずいたり、途中でわからなくなったときのことを考えてみてください。勉強が苦手な子どもにとって、苦手なものを補うことが目的だった勉強が、失敗体験を積み重ねることに目的が変わってしまいます。
二番目に多いのは、(教えた内容に加えて)ひとひねりした問題も盛り込んでやらせてしまうケースです。今教えてもらった内容ができるかどうかというときに、ひとひねりした問題を入れてしまうと、子どもが混乱してしまいます。
「習ったことを活用したり応用したりする力も大切」というのは間違いありませんが、今その子どもに必要なのかどうかの判断もしなければなりません。教えてもらったことがわかっているのか、自分でもできるのかがわからないのに、ハードルを上げた問題で混乱してしまうときのことを考えてみてください。ハードルを上げた問題で混乱してしまうと、多くの子どもはリセットできないので、最初に教えてもらった内容もわからなくなります。
これもまた、苦手を補うはずだった目的が、いつのまにか変わってしまうことになりますね。
以上のふたつのケースを合わせた問題練習の悪い例が下記のようなプリントです。二年生の繰下がりのあるひき算(ひっ算)を使ってみました。
このような構成の練習問題をさせると、教えたことがわからない子どもは長い時間プリントに向き合うだけになってしまいます。実際は、わからないまま向き合うことができる子どもは少ないので、多くはあれこれ策を練ってごまかそうとします。
大人は「わからなければ質問すれば良い」と思いがちですが、何がわからないかわからないので質問できません。「言っていることがわからない」のが本音ですが、そんなこと言おうものなら怒られるだけなので黙っています。
また、書くことが苦手な子どもは、プリントの式をひっ算の式に書きなおす必要があるため、計算の前に書き間違いをしてしまうことがあります。間違いを直しているうちに、計算の方法がわからなくなってしまうという展開になりがちです。
教科書では、子どもが混乱してできなくなってしまうことを想定していて、一時間目は繰下がりのないひっ算の学習から始めて、二時間目から繰下がりに入るようになっています。
しかも、二時間目では、「一の位のひき算ができないので十の位から借りる」というシンプルな計算の学習をして、三時間目では混乱しやすい計算を中心に学習します。
例えば、引かれる数の一の位が「0」になる計算と、繰下がりの結果引かれる数と引く数の十の位が同じ数になる計算などです。一の位が「0」であっても、十の位同士が同じ数でも(ひき算をすると「0」になっても)計算の考え方は変わりありませんが、子どもが混乱してしまうことが多いことから、同じ繰下がりの計算でも、別にあつかって少しずつ進むことができるようにしているわけです。
それでは、この二年生の繰下がりのあるひき算を例に、子どもが混乱しない練習問題を考えてみましょう。
まず、教科書の展開に合わせながら、混乱させずにスモールステップで進めていくには、「リハーサル問題」と「習熟問題」のふたつの構成にするのが良いと思います。
「リハーサル問題」とは、教えたことがわかっているかどうかを確認するためだけの問題です。「習熟問題」とは、一般的な量をこなして身に着ける問題です。
「リハーサル問題」は確認するためだけですから、下のように二問だけやってみます。
二問やって、できない(間違えた)問題がある場合は、教え方に問題があり、わかりにくかったりするなど子どもが理解できていないことを意味しています。教え方の何が悪かったのかを把握したうえで再度説明し、次の二問をやってみるようになっています。このプリントでは三回チャレンジできるようになっています。
「リハーサル問題」では、字を書くことが苦手な子どもにも配慮します。書き写しの段階でつまずかないようあらかじめ式が書いてあり、(教えてもらった)計算に集中できるようにしています。また、問題のレベルはすべて同じで、つまずきやすかったり不安になったりする問題は入れていません。
この「リハーサル問題」ができるようなったのであれば、子どもは教えたことを理解しできるようになったことを意味しています。
このことを押さえたうえで次の「習熟問題」に移ります。ここでは、一般的な練習問題と同じように、量をこなして自然にできるようにすることが目的です。
ここで初めて、間違えやすい問題や不安になるような式が出てきます。また字を書くことが苦手な子どもを想定していて、書くことの負担を少しずつ増やす構成になっています。なお、習熟問題の例を二枚しか出していませんが、特に二枚目のようなプリントはもう何枚かやる必要があります。
今回は、教えたことがわかったのか、教えたとおりできるのかを確認するための練習問題と、できていることを押さえたうえで自然にできるようにする(学力として身に着くようにする)練習問題を紹介しました。
これまであまり意識することなく、場合によっては既成のものを疑問なくやらせていた練習問題ですが、その構成や量によって、いろいろな意味や効果を期待した問題があるわけです。
ところで、今回紹介したプリントを見てみると、習熟問題は「量をこなす」と言いながら、四問ずつになっています。一度に20問くらいやらなければならないドリルがある中で、ちょっと少ないと思われる方もいるかもしれません。
量をこなすといっても、私は一度に何十問もやり続けることはあまりお勧めしません。集中を持続することが苦手な子どもは、(できるようになっても)必ずどこかで間違いをしてしまいます。また採点をする際にも時間がかかり過ぎ、子どもが飽きてしまいます。実は教室でも同じことが言えます。何十問もあると、早い子どもと遅い子どもの時間の差が大きくなります。
一度に何十問も連続して解くことは苦痛をともなうので、修練や鍛錬といった言葉でイメージできる精神的な成長に効果がありそうな気がします。しかし、算数の問題量を増やしても、我慢強くなったり壁を乗り越える力がつくといった精神的な成長は望めません。
終わってからの満足感は、実は教える側の大人だけであり、算数嫌いになるなどのデメリットのほうが多く、子どもの立場で考えると避けたほうが良いと思います。
むしろ自分でわかった実感がもてることや、自分の力でできた体験のほうが、本人の精神的な満足につながります。またその積み重ねが、次も自分でできるのではないかという自信になり、我慢強さや壁を乗り越える力につながると思っていただいて良いと思います。
子どもに勉強を教える際、必ずといってよいほどドリルや練習問題をさせています。できていれば○で、できていなければ×で採点します。時には×のところを直させることもあるでしょう。
ところが、このドリルや練習問題、よく考えると何となくさせてしまっていることはないでしょうか。
子どもの状態や勉強の過程によって、実際に解いてみることの意味や効果は異なります。ところが、学校の先生でも、これまでの習慣などから何となくやらせてしまっている授業を目にすることがあります。
今回は、子どもの状態や勉強の過程に応じた、ドリルや練習問題の意味や効果、そして問題の出し方について考えてみたいと思います。
まずは、子どもがやる気をなくしてしまう間違えたやりかたを挙げ、その理由を土台に効果的な方法を探っていきたいと思います。
やる気をなくすパターンで一番多いのは、教える側の説明がわかっているかどうかを確認しないまま、たくさんの問題を解かせてしまうケースです。説明がわかっていないのに解けるはずはありませんね。
「わかっているのかどうか確認するため」に問題を解かせる方法がありますが、そのために20問もあるドリルを全部やらせる必要はありません。仮に20問のドリルをやらせてみて、子どもが最初のほうでつまずいたり、途中でわからなくなったときのことを考えてみてください。勉強が苦手な子どもにとって、苦手なものを補うことが目的だった勉強が、失敗体験を積み重ねることに目的が変わってしまいます。
二番目に多いのは、(教えた内容に加えて)ひとひねりした問題も盛り込んでやらせてしまうケースです。今教えてもらった内容ができるかどうかというときに、ひとひねりした問題を入れてしまうと、子どもが混乱してしまいます。
「習ったことを活用したり応用したりする力も大切」というのは間違いありませんが、今その子どもに必要なのかどうかの判断もしなければなりません。教えてもらったことがわかっているのか、自分でもできるのかがわからないのに、ハードルを上げた問題で混乱してしまうときのことを考えてみてください。ハードルを上げた問題で混乱してしまうと、多くの子どもはリセットできないので、最初に教えてもらった内容もわからなくなります。
これもまた、苦手を補うはずだった目的が、いつのまにか変わってしまうことになりますね。
以上のふたつのケースを合わせた問題練習の悪い例が下記のようなプリントです。二年生の繰下がりのあるひき算(ひっ算)を使ってみました。
このような構成の練習問題をさせると、教えたことがわからない子どもは長い時間プリントに向き合うだけになってしまいます。実際は、わからないまま向き合うことができる子どもは少ないので、多くはあれこれ策を練ってごまかそうとします。
大人は「わからなければ質問すれば良い」と思いがちですが、何がわからないかわからないので質問できません。「言っていることがわからない」のが本音ですが、そんなこと言おうものなら怒られるだけなので黙っています。
また、書くことが苦手な子どもは、プリントの式をひっ算の式に書きなおす必要があるため、計算の前に書き間違いをしてしまうことがあります。間違いを直しているうちに、計算の方法がわからなくなってしまうという展開になりがちです。
教科書では、子どもが混乱してできなくなってしまうことを想定していて、一時間目は繰下がりのないひっ算の学習から始めて、二時間目から繰下がりに入るようになっています。
しかも、二時間目では、「一の位のひき算ができないので十の位から借りる」というシンプルな計算の学習をして、三時間目では混乱しやすい計算を中心に学習します。
例えば、引かれる数の一の位が「0」になる計算と、繰下がりの結果引かれる数と引く数の十の位が同じ数になる計算などです。一の位が「0」であっても、十の位同士が同じ数でも(ひき算をすると「0」になっても)計算の考え方は変わりありませんが、子どもが混乱してしまうことが多いことから、同じ繰下がりの計算でも、別にあつかって少しずつ進むことができるようにしているわけです。
それでは、この二年生の繰下がりのあるひき算を例に、子どもが混乱しない練習問題を考えてみましょう。
まず、教科書の展開に合わせながら、混乱させずにスモールステップで進めていくには、「リハーサル問題」と「習熟問題」のふたつの構成にするのが良いと思います。
「リハーサル問題」とは、教えたことがわかっているかどうかを確認するためだけの問題です。「習熟問題」とは、一般的な量をこなして身に着ける問題です。
「リハーサル問題」は確認するためだけですから、下のように二問だけやってみます。
二問やって、できない(間違えた)問題がある場合は、教え方に問題があり、わかりにくかったりするなど子どもが理解できていないことを意味しています。教え方の何が悪かったのかを把握したうえで再度説明し、次の二問をやってみるようになっています。このプリントでは三回チャレンジできるようになっています。
「リハーサル問題」では、字を書くことが苦手な子どもにも配慮します。書き写しの段階でつまずかないようあらかじめ式が書いてあり、(教えてもらった)計算に集中できるようにしています。また、問題のレベルはすべて同じで、つまずきやすかったり不安になったりする問題は入れていません。
この「リハーサル問題」ができるようなったのであれば、子どもは教えたことを理解しできるようになったことを意味しています。
このことを押さえたうえで次の「習熟問題」に移ります。ここでは、一般的な練習問題と同じように、量をこなして自然にできるようにすることが目的です。
ここで初めて、間違えやすい問題や不安になるような式が出てきます。また字を書くことが苦手な子どもを想定していて、書くことの負担を少しずつ増やす構成になっています。なお、習熟問題の例を二枚しか出していませんが、特に二枚目のようなプリントはもう何枚かやる必要があります。
今回は、教えたことがわかったのか、教えたとおりできるのかを確認するための練習問題と、できていることを押さえたうえで自然にできるようにする(学力として身に着くようにする)練習問題を紹介しました。
これまであまり意識することなく、場合によっては既成のものを疑問なくやらせていた練習問題ですが、その構成や量によって、いろいろな意味や効果を期待した問題があるわけです。
ところで、今回紹介したプリントを見てみると、習熟問題は「量をこなす」と言いながら、四問ずつになっています。一度に20問くらいやらなければならないドリルがある中で、ちょっと少ないと思われる方もいるかもしれません。
量をこなすといっても、私は一度に何十問もやり続けることはあまりお勧めしません。集中を持続することが苦手な子どもは、(できるようになっても)必ずどこかで間違いをしてしまいます。また採点をする際にも時間がかかり過ぎ、子どもが飽きてしまいます。実は教室でも同じことが言えます。何十問もあると、早い子どもと遅い子どもの時間の差が大きくなります。
一度に何十問も連続して解くことは苦痛をともなうので、修練や鍛錬といった言葉でイメージできる精神的な成長に効果がありそうな気がします。しかし、算数の問題量を増やしても、我慢強くなったり壁を乗り越える力がつくといった精神的な成長は望めません。
終わってからの満足感は、実は教える側の大人だけであり、算数嫌いになるなどのデメリットのほうが多く、子どもの立場で考えると避けたほうが良いと思います。
むしろ自分でわかった実感がもてることや、自分の力でできた体験のほうが、本人の精神的な満足につながります。またその積み重ねが、次も自分でできるのではないかという自信になり、我慢強さや壁を乗り越える力につながると思っていただいて良いと思います。
【理論編の最新記事】