「多読」という言葉をご存知だろうか。これは辞書を引かずに本をたくさん読むことで、語学を習得するという学習方法。近年、英語教育の場では「英語多読」なる言葉も登場し、ちょっとした「多読ブーム」が起こっている。そして日本語教育の場でも、「多読」を取り入れようと、コツコツと多読教材を作ってきた団体がある。それが「日本語多読研究会」だ。「多読」のための教材はどのように作られているのか、活動現場を取材した。
「多読」のための4つのルール
「日本語多読研究会」代表の粟野真紀子さんを訪ねたのは、四谷にあるマンションの一室。「以前はメンバーの家を持ちまわりで作業場にしていたのですが、今はメンバーの一人が借りている部屋を使わせてもらっています。私の自宅が法人事務所なのですが、集まりやすい都内に事務所があるといいんですけど……」。
そうつぶやく粟野さんから、「こんな本を知っていますか?」と英語の薄い本を見せられる。「日本語多読の取材に来たのに英語の本?」と疑問に思っていると、栗野さんが丁寧に説明してくれた。
「これは英語の多読のためのテキストです。大きな書店にいくと専用の棚があってたくさん売られています(※1)。でも日本語多読のものとなると、全く無いに等しいんです。私たちがテキストづくりを始めた2002年と、現在の状況はほとんど変わっていません」
日本ではまだあまり知られていないが、「多読」とは語学習得のための方法のひとつ。@やさしいレベルのものから読んでいく、A辞書は引かないで読む、Bわからないところは飛ばして読む、C内容が進まなくなったら他の本を読む、という4つのルールに従って、習得したい語学の本をどんどん読み進めていく。
「日本語を話すことはできるのに、読めない外国人ってたくさんいるんです。そういう人たちに日本語を読む楽しさを知ってもらいたい。それが日本語上達にもつながるんです」と粟野さん。
代表の粟野さん。静かな語り口で、「日本語多読」への熱い想いを語ってくれた 真面目気質の日本人にとっては、辞書を引かない、わからないところは飛ばして読む、というのは驚きの方法かもしれない。しかし実際はとても効果があるそうで、メンバーの一人である松田さんも、その効果を実感するために英語の「多読」をしてみたという。
「ルールに従ってわからない単語は飛ばしてどんどん読んでいました。ところがある日、わからない単語があった本に戻ってみると、意味がわかるようになっていました!」
「多読」という手法は、英語が苦手な日本人にとっても有効な方法だといえそうだ。
テキストづくりの現場
粟野さんの話を聞いているうちに、メンバーが1人、2人と集まってきた。集まったのは全部で5人。この日は、いったんできあがった日本語のテキストをさらに練り上げる予定だ。
日本語多読のテキストのレベルは、語いの数が350程度のレベル1から1300程度のレベル4まで4つのレベルに分かれている。「日本語多読研究会」が監修した『レベル別日本語多読ライブラリー』(アスク出版)もレベル別になっており、現在はレベル1から4までのテキスト(レベル1:Vol.1〜3,レベル2:Vol.1〜3,レベル3:Vol.1〜2, レベル4:Vol.1〜2)が発売中で、どれも薄い小冊子5冊がセットになっている。
アスク出版から出版された「レベル別日本語多読ライブラリー」は、どれもCD付きだ 取材時は『レベル別日本語多読ライブラリー』の中でまもなく発売になるレベル3:Vol.3のためのテキストを制作中だった。現在、週に1,2回はメンバーが集まり、新しいテキストづくりに励んでいるそうだ。
「日本語多読研究会」が今までに作ったテキストも、図書館や外国人学校で購入されたり、日本語教師や日本語を教えるボランティアの人たちによって徐々に活用されるようになってきているそうで、「多読ですから、テキストはいくらあってもいいんです」と粟野さん。
手作り版の多読用テキスト。挿絵もボランティアの手による この日は、一度作り上げたお話を、イラストと合わせながら再度みんなで考えた。あらかじめ粟野さんが用意したたたき台(文章とイラストを紙にプリントしたもの)を見ながら、助詞の使い方や話の流れなど、読みやすい作りになっているかを細かく話し合っていく。
試行錯誤の連続のテキストづくり
メンバーの手元にはレベルごとに使える語句のリストがあり、リストから外れていないかチェックしながら、テキストづくりが進められていく。テキストでは文章だけでなくイラストも重要な役割を担っている。
「わからない語句は飛ばしてしまうので、文章を理解するのにイラストは大切なヒントになります。ですから、イラストと文章がきちんと合っていなくてはならない。文章が多いと読みにくいので、イラストと文章のバランスにも気を配らなくてはならないんですよ」と粟野さん。
イラストと文章を照らし合わせながら、テキストを練り直していく テキストには、著作権の切れている童話や昔話などを使うことが多いが、適当な話がなかなか見つからないのが悩みだ。
「英語の多読だと、話題になった海外ドラマのダイジェスト版など、タイムリーでみんなが楽しめる内容のものがテキストになるんです。でも日本語の場合、著作権や版権の問題が複雑なので、話題のドラマや現代小説などはテキストになりにくいんです」(粟野さん)
「日本語多読研究会」がテキストとして制作したお話は、『レベル別日本語多読ライブラリー』に収録されたものもあわせて、現在その数は62話、つまり62冊分だ。今後さらに100冊まで増やすのが目標だそうで、「創作したお話を提供してくれる方や、イラストをボランティアで描いていただける方をいつでも募集しています」と粟野さんが話す通り、人手はいくらあっても足りないほど忙しいようだ。
さらに広がる活動範囲
これまで「日本語多読研究会」は、日本語多読のテキストづくり以外にも、日本語学校などで実際に多読授業を実践してきた。さらに最近は活動範囲を広げ、新宿区の施設を借りて毎週1回、外国人の人たちにテキストを読む機会を提供している。
日本語多読授業のひとコマ。一人ひとりがレベルに応じて、好きな本を楽しみながらどんどん読み進めていく ほかにも日本語教師に「英語多読」を体験してもらうことで、「日本語多読」の重要さを理解してもらうワークショップ(英語多読体験講座)や、希望者を集めてテキストづくりのワークショップも行っている。
日本語教師を対象とした「英語多読体験講座」のワークショップ。「多読」の重要性を実感してもらっている 「もっと『多読』がポピュラーになって、日本語多読のテキストが増えるといいんですけれど」と粟野さん。自分たちの母国語として身近でありながら、日本語を勉強する人たちのことをあまり考えたことはなかったが、こうやってコツコツとテキストを作っている人たちの姿に間近に触れ、頭が下がる思いがした。
(※1)創作、名作のリライト、伝記、映画のノベライズなどいろいろな内容がある。