10数年前、市街地商店街の空き地に、軽食サービスと足湯を複合した街中施設を作る計画が提案された。
自噴ならいざしらず、沸かし湯なら、燃料高騰した際、ストップせざるを得ないとの判断から
当時の企画者に、断念してもらった。今思えば、良かったと思っている。
先日、将来人口統計が示されたように、縮小社会を迎え、社会資本の維持、更新もままらない時代が目の前に迫っている。
子育て世代の減少から、本町においても、都市からの交流人口は、減少するだろう。
レストラン併設の自然体験交流宿泊施設は、国や道のモデル補助金を原資に、建設された。
当時は、研修施設で無ければ、制度に載らない。制約の中で民間ホテルに近い形にしたいと、備品や装飾に工夫した。会計検査の時には、研修施設らしく整え、ビクビクして、臨んだことを思い出す。

シンポジウムやフォーラム、色々な研修を誘致した。町長をトップに、行政が営業マンとなり、黒子支援して、稼働率を上げたが、最近は、そんな話も聞かない。
建設してから、15年くらいたった時に、渡り廊下でつなぐ小ホールを増築した。
トイレと、床暖設備をしたものだったが、この増設部分は、やがて、経営の足を引っ張るので、断念するよう内部で反対をしたが、その予想は、的中してしまった。

増設前の施設は、多目的機能を設けたが、利用目的によって、会場準備に手間取り、公社に使い勝手が悪いと、評判が良くなっかったのだ。
この手の宿泊施設は、一定の稼働率を維持できなければ、人件費、燃料費高止まりする時代に、維持することは、困難となる。
町では、廃止を検討しているようだが、半数を超えるビジネス客が、市街地の旅館に戻るとは限らない。お風呂や、周辺の静けさ、ちょっと前までの良心的な食事に満足してきたからであり、ちょっと安直な分析だと思う。
まあ、自然体験する児童生徒のための宿泊施設と謳っても、維持して行くのは困難で、より、アウトドアアに特化したキャンプ場の拡充が必要との提案もわかる。
しかし、温泉の横の林に、湯別の湯の様に、戸建ての施設をつくる構想は、大丈夫なの?という気がする。
新幹線開通する5年後、本州から、自然を求めて観光客を見込めば、現在の場所で、食事に、そこそこ、こだわりがあり、プライバシーの確保されたプチ上質のバス付シングルルーム中心のミニホテルの様な宿が、求められると思う。
温泉には送迎、食事は、離れたチェーンファミレスでどうぞだったら、私なら、2度と利用しないだろうなあと思う。わざわざ訪れる楽しみに、ご当地ならではの食文化が大事だと思う。
なんか、面倒くさいこと、民間に丸投げ体質になっているけれど、民間にマネされた町づくりだっただけに、悲しいなあ。
ニセコのように、スキー等で集客できない場合、地方の宿泊業にとって、フルシーズンの営業には、無理がある。
歴史的・文化的・防災的価値はあるが、それを参酌しても、維持費がかかりすぎる。
ただ、防災上の緊急避難施設やサ公住としては、転用できる。最低限の維持管理してはどうかなとも思ったりもする。
まあ、想定された30年前と、周辺環境の激変に応じて、だらだらの現状維持は良くない。
民間譲渡や、廃止に向けて、やむを得ないとも考える。
それと、歌才側周辺の管理釣り場は、良しとして、バンガローは、トイレ。浴槽の排水浄化対策と、給水設備、経費かかると思うよ。
アンモニア窒素5PPMにして、流さないと、ヤマメは、遡上しない。大変だよ。
とにかく、増築とかは、維持費がかかるし、投資回収できない。機能性重視すると、既存の風景を壊し、集客を落とす。
アーリーアメリカンではなくて、ヨーロッパ風なテイストにこだわって欲しいなあ。
とにかく、頑張って、ミッションが異なる会社の、もっともらしい提案に惑わされないように。それだけは頼みます。