ブナ北限の里づくり構想の真の狙いは、グローバルな観点を持ちながら、ローカルにこだわり、地域循環型の経済・社会・文化の創造を目指す、今次のサスティナブルな地域社会をめざす社会実験的であった。しかし、30年以上前に、このような理念を掲げても、周囲からは、とうてい、気ちがい扱いされるのがおちで、理解されるとは思っていなかったので、それらは、封印し、平易な、アジェンダ的目標を掲げることによって、構想、計画を整理し、官民挙げて、柔軟性をもって、推進が図られて来た。
構想を立てるにあたり、時代を先取りしていた国内の自治体の中で、東京以南、西日本の地域づくりを学び、海外では、米国では無く、ドイツやイギリス等、ヨーロッパの考え方を取り入れた。
十勝とは対局で、地形的に、生態的に、歴史的に、アメリカでは無いなという判断だからである。
西日本を挙げたが、例外として、青森・秋田間の白神山地のブナ林を伐採し、広域林道をとの計画に反対する運動や、知床の森保護運動については、その意義と背景を調査した。
大分県の平松知事の一村一品運動は。地場に拘った安全安心な特産物が、新しい価値をもって、人気があるという事を教えてくれたが、扱う範囲は、狭かった。
ドイツで始まっていた、「都市と農村の結婚」農村回帰の地域づくりを、衰退する旅館業の二世が、独自にアレンジして、農村リゾート化し、国内有数の観光地にしたのが、湯布院だ。
彼らが、学んだドイツ等には、後に、平成二年頃から、10年強、本町の若手町職員や、民間人を派遣した。彼らは、後に、ブナ里構想のプレイヤーの一員として、色々な種を蒔いて、今日の基礎を築いたと思う。
私は、何度か、海外に行くことを勧められた。飛行機が苦手だとの理由で断ったが、本当の理由は一人でも多く、構想の狙いの理解者が増えることを期待してのことだった。
柳川は、町内を縦横に走る掘割で、有名な観光地だけれど、高度成長期の頃は、どぶ川となり、
埋め立てられ、駐車場になる計画だった。それを住民運動で、阻止したのが、当時の水道係長、 自分の首をかけて、上司を飛び越え、町長に、計画凍結の暴挙に出たが、熱意と科学的説得が町民に伝わり、保護され、現在に至っている。柳川には、とうとう、行けなかったが、その係長さんが主幹として、小樽運河埋め立て反対シンポジウムの基調講演でいらしていて、直接会話を交わすことができた。物腰が、穏やかで、勇敢な戦士には見受けられなかったことに驚いた。柳川には、行政の使命を教えてもらった。
綾町は、照葉樹林の町を宣言した町で、ブナ北限の里が、広葉樹林の代表、ブナ帯文化の町となることから、直接、役所に問い合わせして、地域づくりの資料を送っていただいた。
当時は、ホームページも無く、過疎地の先進地事例集から探して、電話や手紙でアポした。
北海道ということからか、わざわざということで、気軽に、重要内部資料を送ってくれた。
同じ過疎地の悩みを共有する自治体の協力関係は、今より、断然、強かったように思う。
綾町は、照葉樹林を借景して、日本一高い、つり橋が有名だが、先進的だったのは、有機農業の町を宣言し、独自の施肥計画で、認証し、ブランドを確立ししていることであった。
その綾基準は、農水省をも唸らせたし、多分、オーガニックの先頭を走っていたと思う、もう、35年前からである。
オーガニック農業の実現は、若くして他界した、佐々木理さんの強い願いだった。この分野では、先駆けで、薫陶を受けたが、

二人で、其々の立場で、企んだが、行政内部の反対派とJAの強固な反対で、実を結ばなかった。

収入が安定して見込める種子馬鈴薯の生産地であるが故の高い壁であるが、除草剤や、殺虫剤の量と、散布回数は、食用馬鈴薯の比では無い。まして、今後、ドローン等による散布が常態化すれば、非農家への人体の影響だけが、拡大し、この関係が、科学的に明らかになれば、大きな政治問題になる。
多くの子供から高齢者まで、春から秋にかけて、地域によって、濃淡はあっても、曝露している可能性は高い。
https://www.1971joaa.org/%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%A8%E5%81%A5%E5%BA%B7/ 規模拡大に伴って、 畑作農家の農業生産法人化が進んでいるが、環境保全に対する企業責任についても、真摯に向かわなければならない時代がそう遅くない時期に来るだろう。
何故なら、福祉医療セクター、交流人口に関わるセクター、教育に関わるセクター等に関係する人達が、家族を含めると、8割以上に達し、交流人口を含めると、癒しや健康をもたらす環境(地下水・大気)の健全性が、日本一であることが望ましいからである。
多分、現状を調査し、町民投票したならば、私の肌感覚では、

改善を求める声が、多数を占めると思う。
これからの首長には、タブーをタブーとせず、若くして、改革する気概のある方が求められる。そうと思うのは、私だけではないだろうと思いたい。