橋本会長に交代して、なんとなく、オリパラも、開催を前提として動き出した。
多分、無観客か、制限して、開催するな。でも、ボランティア1000人くらい、辞退しているとか、東京都も大変だ。
個人的には、ゴルフと、テニス、見たいから、開催して欲しいが、どうなることやら。
そう言えば、閉会後に、南米の選手役員を町で受け入れることになったらしく、担当課は、コロナ対策も含めて、催し物の準備で、忙しいなあ。
核ゴミ等を受け入れるという町に比べて、めんこい事案だけれど、これをご縁に、交流を進めるとアピールしていた人がいたけど・・・複雑。
南米の○○国は、機構風土、文化の違い、そして、何よりも、治安が悪いらしいので、訪問する人を募っても、いるかなあ。
仮に、訪問団を送るとしたら、引率職員は、苦労するなあ。
秘境ブームだし、冒険、サバイバルととらえれば、いいのか。
オーストラリアやカナダの経験を活かし、ついに、南米まで、目を向ける町・・成功を祈ります。
2021年03月04日
2017年11月10日
中国にジェネリック自然学校定着するか。
トランプ大統領と習近平国家主席の会談の陰に隠れてしまった感がありますが、前後して、北海道の自然学校のレジェンド高木さんや三木さん等が中国での自然学校関係者のワークショップで、これまで、培われた知的財産を、惜しげもなく提供しているようです。
一党独裁の中央主権国家で、多様性に価値を置く、自然学校の理念みたいなものが、どこまで、違和感を持たれず、定着するのか、ある種の限界、いずれは、国家統制が掛かるのではと、邪推しておるのであります。
話は、飛躍しますが、ヨーロッパの先進諸国で、国境沿いの山間部の条件不利益地で、農業や観光を核とした集落を定着させるための財政支援等への国民的合意、子供の時から、自然に親しみ、小さな冒険が、教育の中で、奨励されるのは、国土の安全、防衛上の意味も強く、サバイバルに耐えうる国民を、幼い時から、育てるという意味合いがあると、ドイツの識者から、聞いたことがあります。
屯田兵が開拓した蝦夷地・北海道は、明治政府が、ロシアの南下、北方警備を兼ねての開拓だったわけですが、21世紀、日米地位協定下にあっても、その意義は、変わっておりませんね・・多分。
自然学校の子供向けメニューを見ますと、太平洋と日本海を結ぶ国道等の40kを歩き続けるサバイバル遠足、チャンバラ○○、小班体制で川や、海や、山で、野宿したりと・・・自衛隊訓練の子供バージョンみたいな感じですが、実は、これが、逞しい、生きる力、国土を愛する感性を育てるのです。
国境を境に、中世から現代まで、幾度となく、領土を焼き払われ、命を失い、戦争が絶えなかったヨーロッパの文化の深層には、自らの力で、国土・民族、家族を守るという強い意志があるように思うんですね。決して、軟じゃないと思し、かなり、歴史教訓的かと思うんです。
これ、別に軍国主義復活を礼さんしている訳じゃないんですけど、ワシは保守なんで、健全な愛国心に繋がる愛郷心って、あっても良いかと・・まじ、思ったりしているわけです。
でも、この辺は、日本の教育は、かなり、手法がまちがっていますね。道徳教育を教科、座学で教える。そのために、税金を投入するんですよ。確かに、しつけは大事ですが、応用を、抽象的概念を組み立てる力が弱い低年齢から、知識で詰め込むとは、無茶と言うものです。
やっぱり、自然学校ですよ。ある学年になったら、長期間、フランスの様に、単位入学させる。国は予算付けして、任せて、義務の先生はサポートに回るんですね。
自然学校での体験は、戦後占領国から禁止された地政学の基礎を学ぶようなものです。
天変地異、災害も含めて国難に対して、力を発揮する若者を育てますよ。・・・
自殺願望とか、それに付け込んだ弱いものに対する残虐な行為、若者の自傷行為が増加しているは、自然の厳しさ、恵みに触れあっていないから、小集団で力を合わせ、闘っている経験がないから、危機管理能力も含めて、心の奥の大事なものが、育っていないと思うのですね。・・・知識を高め、クイズ王をたくさん育てても、国土は守れませんよ。長渕じゃないけど、マジ、ヤベイです。
中国でのジエネリック自然学校、初めに、のたまったように、どうなるかわかりません。
でも、活用の仕方では、中華人民軍の入隊養成の道を開くには、一人っ子政策で過保護になりつつある中国において、間接的に一定の効果あると思ったりもします。
日本はどうするのでしょうかね。
一党独裁の中央主権国家で、多様性に価値を置く、自然学校の理念みたいなものが、どこまで、違和感を持たれず、定着するのか、ある種の限界、いずれは、国家統制が掛かるのではと、邪推しておるのであります。
話は、飛躍しますが、ヨーロッパの先進諸国で、国境沿いの山間部の条件不利益地で、農業や観光を核とした集落を定着させるための財政支援等への国民的合意、子供の時から、自然に親しみ、小さな冒険が、教育の中で、奨励されるのは、国土の安全、防衛上の意味も強く、サバイバルに耐えうる国民を、幼い時から、育てるという意味合いがあると、ドイツの識者から、聞いたことがあります。
屯田兵が開拓した蝦夷地・北海道は、明治政府が、ロシアの南下、北方警備を兼ねての開拓だったわけですが、21世紀、日米地位協定下にあっても、その意義は、変わっておりませんね・・多分。
自然学校の子供向けメニューを見ますと、太平洋と日本海を結ぶ国道等の40kを歩き続けるサバイバル遠足、チャンバラ○○、小班体制で川や、海や、山で、野宿したりと・・・自衛隊訓練の子供バージョンみたいな感じですが、実は、これが、逞しい、生きる力、国土を愛する感性を育てるのです。
国境を境に、中世から現代まで、幾度となく、領土を焼き払われ、命を失い、戦争が絶えなかったヨーロッパの文化の深層には、自らの力で、国土・民族、家族を守るという強い意志があるように思うんですね。決して、軟じゃないと思し、かなり、歴史教訓的かと思うんです。
これ、別に軍国主義復活を礼さんしている訳じゃないんですけど、ワシは保守なんで、健全な愛国心に繋がる愛郷心って、あっても良いかと・・まじ、思ったりしているわけです。
でも、この辺は、日本の教育は、かなり、手法がまちがっていますね。道徳教育を教科、座学で教える。そのために、税金を投入するんですよ。確かに、しつけは大事ですが、応用を、抽象的概念を組み立てる力が弱い低年齢から、知識で詰め込むとは、無茶と言うものです。
やっぱり、自然学校ですよ。ある学年になったら、長期間、フランスの様に、単位入学させる。国は予算付けして、任せて、義務の先生はサポートに回るんですね。
自然学校での体験は、戦後占領国から禁止された地政学の基礎を学ぶようなものです。
天変地異、災害も含めて国難に対して、力を発揮する若者を育てますよ。・・・
自殺願望とか、それに付け込んだ弱いものに対する残虐な行為、若者の自傷行為が増加しているは、自然の厳しさ、恵みに触れあっていないから、小集団で力を合わせ、闘っている経験がないから、危機管理能力も含めて、心の奥の大事なものが、育っていないと思うのですね。・・・知識を高め、クイズ王をたくさん育てても、国土は守れませんよ。長渕じゃないけど、マジ、ヤベイです。
中国でのジエネリック自然学校、初めに、のたまったように、どうなるかわかりません。
でも、活用の仕方では、中華人民軍の入隊養成の道を開くには、一人っ子政策で過保護になりつつある中国において、間接的に一定の効果あると思ったりもします。
日本はどうするのでしょうかね。
2015年08月05日
ウィンドウズ10が始動
8,1から10に無料アップしたけど、まだ、馴染めないなあ。PCで、マウス愛好者の私には、機能拡張されても、メリット見いだせない。
まあ、この暑さで、私のCPUが熱中症気味で、変化への好奇心、学習意欲が、著しく、減退しているのが最大の要因で、・・・そんなこともあって、ブログも、夏休みしてたけど、そろそろ、書きくけこのかきこをします。
まあ、この暑さで、私のCPUが熱中症気味で、変化への好奇心、学習意欲が、著しく、減退しているのが最大の要因で、・・・そんなこともあって、ブログも、夏休みしてたけど、そろそろ、書きくけこのかきこをします。
2015年02月24日
川崎市の中学生殺人死体遺棄事件
川崎市の中学生殺人死体遺棄事件の報道が、数日、続いていますが、学校関係者は、それなりに対応し、まさか殺人事件になるとは思わなかったとコメントしているようですが、あまりにも生徒指導や危機管理に対して、お粗末過ぎます。
11月から部活を欠席し、冬休み明け、一ケ月も不登校なら、休み中、身辺に異常があったと推定し、チームで対応するのが、担任、学級担任、生徒指導担当教諭、管理職の責任です。
特に、六年生の夏に地方から転校しているのですから、良好な生徒関係を築くにはハンディを負っています。担任の女性教諭の経験や指導力はどうだったのか、担任だけに任せていなかったのか、学校経営上の責任もありますし、地域で子供を育てる観点から言えば、教育委員会は、子供を中心に、学校や、家庭をどうサポートしていたのかなど、疑問が湧いてきます。
事件が起きた地区は、人口増加地区で、コミニュテイーが不十分で、隣接地には大人を対象とした遊興施設も多く、風紀上も子供が健全に育つには、理想的な環境ではなかったようです。
被害者の上村遼太君が、六年生の夏まで暮らしたのは、島根県・隠岐(おき)諸島の西ノ島(西ノ島町)です。バスケと釣りが大好きで、周囲を笑わせ、下のきょうだい3人の面倒をよく見み、ムードメーカーで優しくて人気者だったと言います。
その彼が、万引きを拒み、グループから抜け出たいとの意思表示に見せしめのため、集団リンチを受け惨殺されたのです。生前、学校に戻り友達とバスケしたいと言っていたと言います。アザだらけで、殺されるかも知れないととも話していたと言います。SOSのサインは、たくさん出でいましたが、学校関係者には、そのサインの受信能力が欠落していました。何度も電話で連絡を取ったでは済まないと思います。
確かな学力を育てようと、問題解決型学習の工夫や時数の増加、様々な電子情報機器の導入に英語教育や道徳の強化と、教師の人間力向上への投資ではなくて、スキルアップ的な基礎学力の向上や、デジタル的な分析評価等、公立学校を教育教材産業の市場とするような予算の組み方や教育の在り方に、大きな疑問を感じます。
異質なものへの理解や共感、人間関係性を育む葛藤や感動を伴う体験活動や部活動、教師と児童生徒のつながりと信頼醸成等、初等中等の公教育に求めるものは、豊かな心の育ちです。
残念なことに、経済成長を鼓舞する時代を写し、教育の根本が、軽視される方向にあり、現場教師の切実な願いが校長、校長の願いが教育長、教育長の願いが首長に届かず、トップダウンの管理型になっているため、問題は隠ぺいされ、全国的に、児童生徒の問題行動が大きくなって、多発する時代を迎えるでしょう。
テロに屈しない・国民を守る・・それも大事ですが・・・身近なところで、取り返しのつかない少年犯罪が起きないように、しっかり子供たちを、温かく、時には厳しく見守る危機管理システムの充実が喫緊の課題だと思います。危険を察知したら、逃げる、駆け込む、保護する、逃避させる
ネットワークも必要です。まずは、命を守る。 今回の事件は、全国の学校に及ぼす影響は大きいと思います。罪は、罪として、保護者も含め、公的な場での謝罪、制裁も必要だと感じます。
二度と理不尽なこのような事件が起きないように、上村君の死を、無駄にしないためにも・・・・・ 合掌。
[]
2014年11月11日
ゆとり教育の成果が出始めている
男子テニスの年間成績上位八人による最終決定戦、ATPワールドツアー・ファイナルツアーが、ロンドンで、九日に開幕した。アジア出身のプレイヤーで、初めて選ばれ、それ自体が名誉なことなのに、錦織圭は、なんと、昨年の夏のウィンブルドンで優勝し、一度も勝ったことのないマリーを、二セット連取して、退けた。
その前日には、上海で行われたフィギュアスケート男子グランプリ(GP)シリーズ第3戦のフリー直前練習で、ソチの金メダリスト羽生は、あろうことか、中国選手と激突、顔から出血し、リンクに、しばし、倒れたままだったが、頭に包帯を巻く等、応急処置をした後、棄権せずに滑りきり、二位になった。(将来を考えると棄権すべきだった)
作シーズンの話になるけれど、PGAに乗り込んだ松山英樹は、準メジャーと言われるザ・メモリアルトーナメントでプレーオフを制して、米国ツアー初優勝を果たしている。
日ハムの大谷は、投手と野手の二刀流を貫き、二年目にして、エースの風格が漂い、メジャーへの階段を、確実に、上っている。
男子だけでは、ない。女子バレー、水泳、レスリング、ゴルフ等、多くのスポーツにおいて、十代後半から二十代前半の若手プレイヤーが、世界を舞台に挑戦し、その台頭・活躍が著しい。彼ら、彼女らのインタビューを聞いていて感心するのは、客観的に自分の力、戦いを分析できていいて、自分自身に対する評価軸が確立されているところである。そして、それを自分の言葉で、表現できる力も備わっているところである。もちろん、サポートしてくれているコーチやスポンサー、家族、ファン等への感謝も忘れない。仮に、結果が芳しくなくても、その実体験から課題を発見し、次の戦いには、克服に向けた取り組みの成果を出したいという強い意志を公言してはばからない。これらの、態度は、ここ数年の大きな変化だと思う。それ以前の年代には、男性に照れがあったり、シャイであったり、課題と正対することを避けるきらいがあったように感じるが・・それが見当たらない。
振り返れば、同様な態度を、教育行政の現場に携わっていた頃に、幾度となく見受けることがあった。それは、地元の中学校で行われる総合学習の発表会であり、地域に内在する(まちづくり、環境、自然、食、人物等)課題から、グルーブごとに、テーマを選び、現場に出向き、調査や聞き取りをして、比較考察し、仮説を導き出す・・・発表は、パワーポイントやビデオで、まとめられていて、なかなか驚嘆・感動ものであった。私自身も、情報発信をする機会のスキルとして、参考にもなった。道内の中学校では、例のない無い「広島世界遺産研修」も総合学習の形態であったが、小学校の段階で、総合学習の基礎が定着し、充実をみるにつれ、中学校では、年を追うごとに洗練されていった。
活躍する若手アスリートは、引き継いだDNAに組み込まれた潜在能力、育った環境、出会った指導者やコーチ、ライバル等に恵まれたこともあったと思うが、私は、平成12年から始まった学校完全五日制とその中で、各学校がゆとりのある教育活動を展開し「生きる力」の育成に努めた、もろもろの成果が、発現しはじめたと見ている。 生きる力の理念は、平成八年に中央教育審議会から、「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」という諮問に対する第1次答申の中で、打ち出されたものだ。未来を拓くこれからの子供達に、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力を。また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性を。たくましく生きるための健康や体力を。変化の激しいこれからの社会を[生きる力]と称することとして、バランスよく育くんでいくことが重要であると・・・・これを受けて、総合的な学習の時間等が創設され、総意と工夫を活かし、地域の教育資源を活用しながら、開かれた特色ある学校づくりが進められてきた。
生きる力の育成には、実は、リスクが内在していた。それは、カギとなる総合学習・(問題解決学習)には、学校のみならず家庭や地域社会に本物の生きた教材(興味・関心・意欲・感動を与える)を提供できる仕組(熟成時間・学校外組織・人的資源・学習施設・学校の裁量で使える財源)と、教師側に、多くの引き出しと、コーディネート、コーチングの素養とスキルが要求されたのである。後者は、実践と研修によって、改善されていくが、家庭や地域の教育力としてくくられる前者は、正直、できる地域と、出来ない地域がある。
北欧のように、国策として、文化として、家庭や地域の教育力が健全に維持されているのと異なり、日本は、不十分な状態で、地域や家庭に、義務教育の分権として、一部が委ねられた。理想は、すばらしかったが、そもそもが、ゆとりがゆるみになる危険性を抱えていた。幸い、我が町は、教育委員会が先頭にたって、学校・家庭・社会教育関係者と融合・役割分担しながら、そのステムづくりに成功したが、大都市を中心にして、その危惧は、現実のものとなったのだろう。
国は、学力低下論をマスコミを利用しつつ、世論を形成し、ゆとり教育の修正を図りはじめ、幾度か指導要領の改訂を行い、中央集権的な教育に戻そうという流れも、台頭してている。
学校や教師の中には、座学中心、学校の中だけで、完結する教育の方が楽だし、学校の特色を競うよりも、一律に国に管理されている方が楽だという風潮もないわけではない。
地方教育行政の要である地方教育委員会も、その存在意義を問われて、政治介入しやすい環境づくりに向けた制度改正の中で、国や都道府県教育委員会、首長部局の顔色ばかりを見て、萎縮しているようにも見える。
ゆとりの中で、生きる力を育む、理念、手法は、間違ってはいない。その成果は、確実に出始めているのだが、ゆるみも、当然のごとく出て、地域や家庭教育力格差に比例し、生きる力の格差が拡大していることが問題となってしまった。
だからと言って、クローバル化が進む今日、共生と競争が混在する国際社会の中で、逞しく生きていく資質を身につけるには、全国一律の画一した詰め込み教育には、戻せない。教育基本法のしばりからして、税を投入している公教育の宿命として、最大公約数の成果を求めざるを得ないとすれば、ゆるみのある地域・学校には、土曜学校等、学校を開放し、外部講師や塾講師を招へいし、自主的な活動として、軽スポーツ体験や補修等、地域や家庭の教育力の不足分を補うことの財政支援の拡充と地域に根差した補完システム化が今以上に求められるのではないだろうか。
小学校低学年の35人学級を40人に戻し、教員定数を削減し、財政改革するという財務官僚は、財界の期待にも沿う、生きる力の理念に、とうてい理解をしているとは思えない。そして、教育は未來への投資であることも理解していない。生きる力は、難解で数値に置き換えられない理念なので、本質を理解することは、若手官僚にはそもそも無理なのかもしれないが。・・・
今、思いつく幾つかの提案は、同じような結果が出ることがわかっている全国学力テストを・・しばらく休むこと。
座学で教え込む形だけの道徳教育を見直し、修学旅行や宿泊旅行では、都市部の子供たちは、農村や漁村で、農村の子供たちは、都市部に、宿泊体験の機会を義務付け、命にふれあえる感動体験や、自然の恐さにも触れ、危機管理能力を培うことなど、教師も含めて、手間暇かけて、汗水たらした教育活動を取り入れることではないか。
官僚は、ITCをはじめ、流行を取り入れた教育産業のアイデアを予算化することには長けているが、真の教育現場での体験が少ないため、血となり肉となる政策が少ない。
このことは、都市の知的集積産業を活性化するが、地方や、現場の教師は、困惑・疲弊する一方である。
地方再生が話題となっているが、教育からの再生手法は、フランスに参考例がある。国がやる気があれば、本当に、教育から面白いことができるのだが。・・・
その前日には、上海で行われたフィギュアスケート男子グランプリ(GP)シリーズ第3戦のフリー直前練習で、ソチの金メダリスト羽生は、あろうことか、中国選手と激突、顔から出血し、リンクに、しばし、倒れたままだったが、頭に包帯を巻く等、応急処置をした後、棄権せずに滑りきり、二位になった。(将来を考えると棄権すべきだった)
作シーズンの話になるけれど、PGAに乗り込んだ松山英樹は、準メジャーと言われるザ・メモリアルトーナメントでプレーオフを制して、米国ツアー初優勝を果たしている。
日ハムの大谷は、投手と野手の二刀流を貫き、二年目にして、エースの風格が漂い、メジャーへの階段を、確実に、上っている。
男子だけでは、ない。女子バレー、水泳、レスリング、ゴルフ等、多くのスポーツにおいて、十代後半から二十代前半の若手プレイヤーが、世界を舞台に挑戦し、その台頭・活躍が著しい。彼ら、彼女らのインタビューを聞いていて感心するのは、客観的に自分の力、戦いを分析できていいて、自分自身に対する評価軸が確立されているところである。そして、それを自分の言葉で、表現できる力も備わっているところである。もちろん、サポートしてくれているコーチやスポンサー、家族、ファン等への感謝も忘れない。仮に、結果が芳しくなくても、その実体験から課題を発見し、次の戦いには、克服に向けた取り組みの成果を出したいという強い意志を公言してはばからない。これらの、態度は、ここ数年の大きな変化だと思う。それ以前の年代には、男性に照れがあったり、シャイであったり、課題と正対することを避けるきらいがあったように感じるが・・それが見当たらない。
振り返れば、同様な態度を、教育行政の現場に携わっていた頃に、幾度となく見受けることがあった。それは、地元の中学校で行われる総合学習の発表会であり、地域に内在する(まちづくり、環境、自然、食、人物等)課題から、グルーブごとに、テーマを選び、現場に出向き、調査や聞き取りをして、比較考察し、仮説を導き出す・・・発表は、パワーポイントやビデオで、まとめられていて、なかなか驚嘆・感動ものであった。私自身も、情報発信をする機会のスキルとして、参考にもなった。道内の中学校では、例のない無い「広島世界遺産研修」も総合学習の形態であったが、小学校の段階で、総合学習の基礎が定着し、充実をみるにつれ、中学校では、年を追うごとに洗練されていった。
活躍する若手アスリートは、引き継いだDNAに組み込まれた潜在能力、育った環境、出会った指導者やコーチ、ライバル等に恵まれたこともあったと思うが、私は、平成12年から始まった学校完全五日制とその中で、各学校がゆとりのある教育活動を展開し「生きる力」の育成に努めた、もろもろの成果が、発現しはじめたと見ている。 生きる力の理念は、平成八年に中央教育審議会から、「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」という諮問に対する第1次答申の中で、打ち出されたものだ。未来を拓くこれからの子供達に、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力を。また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性を。たくましく生きるための健康や体力を。変化の激しいこれからの社会を[生きる力]と称することとして、バランスよく育くんでいくことが重要であると・・・・これを受けて、総合的な学習の時間等が創設され、総意と工夫を活かし、地域の教育資源を活用しながら、開かれた特色ある学校づくりが進められてきた。
生きる力の育成には、実は、リスクが内在していた。それは、カギとなる総合学習・(問題解決学習)には、学校のみならず家庭や地域社会に本物の生きた教材(興味・関心・意欲・感動を与える)を提供できる仕組(熟成時間・学校外組織・人的資源・学習施設・学校の裁量で使える財源)と、教師側に、多くの引き出しと、コーディネート、コーチングの素養とスキルが要求されたのである。後者は、実践と研修によって、改善されていくが、家庭や地域の教育力としてくくられる前者は、正直、できる地域と、出来ない地域がある。
北欧のように、国策として、文化として、家庭や地域の教育力が健全に維持されているのと異なり、日本は、不十分な状態で、地域や家庭に、義務教育の分権として、一部が委ねられた。理想は、すばらしかったが、そもそもが、ゆとりがゆるみになる危険性を抱えていた。幸い、我が町は、教育委員会が先頭にたって、学校・家庭・社会教育関係者と融合・役割分担しながら、そのステムづくりに成功したが、大都市を中心にして、その危惧は、現実のものとなったのだろう。
国は、学力低下論をマスコミを利用しつつ、世論を形成し、ゆとり教育の修正を図りはじめ、幾度か指導要領の改訂を行い、中央集権的な教育に戻そうという流れも、台頭してている。
学校や教師の中には、座学中心、学校の中だけで、完結する教育の方が楽だし、学校の特色を競うよりも、一律に国に管理されている方が楽だという風潮もないわけではない。
地方教育行政の要である地方教育委員会も、その存在意義を問われて、政治介入しやすい環境づくりに向けた制度改正の中で、国や都道府県教育委員会、首長部局の顔色ばかりを見て、萎縮しているようにも見える。
ゆとりの中で、生きる力を育む、理念、手法は、間違ってはいない。その成果は、確実に出始めているのだが、ゆるみも、当然のごとく出て、地域や家庭教育力格差に比例し、生きる力の格差が拡大していることが問題となってしまった。
だからと言って、クローバル化が進む今日、共生と競争が混在する国際社会の中で、逞しく生きていく資質を身につけるには、全国一律の画一した詰め込み教育には、戻せない。教育基本法のしばりからして、税を投入している公教育の宿命として、最大公約数の成果を求めざるを得ないとすれば、ゆるみのある地域・学校には、土曜学校等、学校を開放し、外部講師や塾講師を招へいし、自主的な活動として、軽スポーツ体験や補修等、地域や家庭の教育力の不足分を補うことの財政支援の拡充と地域に根差した補完システム化が今以上に求められるのではないだろうか。
小学校低学年の35人学級を40人に戻し、教員定数を削減し、財政改革するという財務官僚は、財界の期待にも沿う、生きる力の理念に、とうてい理解をしているとは思えない。そして、教育は未來への投資であることも理解していない。生きる力は、難解で数値に置き換えられない理念なので、本質を理解することは、若手官僚にはそもそも無理なのかもしれないが。・・・
今、思いつく幾つかの提案は、同じような結果が出ることがわかっている全国学力テストを・・しばらく休むこと。
座学で教え込む形だけの道徳教育を見直し、修学旅行や宿泊旅行では、都市部の子供たちは、農村や漁村で、農村の子供たちは、都市部に、宿泊体験の機会を義務付け、命にふれあえる感動体験や、自然の恐さにも触れ、危機管理能力を培うことなど、教師も含めて、手間暇かけて、汗水たらした教育活動を取り入れることではないか。
官僚は、ITCをはじめ、流行を取り入れた教育産業のアイデアを予算化することには長けているが、真の教育現場での体験が少ないため、血となり肉となる政策が少ない。
このことは、都市の知的集積産業を活性化するが、地方や、現場の教師は、困惑・疲弊する一方である。
地方再生が話題となっているが、教育からの再生手法は、フランスに参考例がある。国がやる気があれば、本当に、教育から面白いことができるのだが。・・・
2014年04月09日
入学式を終えた・・晴れ姿はとてもさわやか
今週に入って、小学校から高校の入学式が続いています。
目新しいお洋服で正装した小学一年生のちびっこたちが、ご両親とお祝いのお返しを持って
ご挨拶に来てくれました。
ついこないだまで、自転車に補助車を付けて、お母さんに支えてもらっていたのが嘘のようです。
小学校入学は、お父さんもお母さんも、格別の喜び、つい笑みがこぼれて・・・いつもながら・・こちらも幸せな気持ちになります。
高校生になると、もう、背丈も、お母さん、お父さんに近く、幼い頃の面影はありませんが、
「登下校の際に、我が家のグミをみんなで食べるのが楽しかった・・・」と言ってくれて・・
ほろりとします。
学校という社会に巣立ち・・新しい出会い・・自分探しの旅が始まります。・・
夢と希望に満ちた未來が拓かれますように。
目新しいお洋服で正装した小学一年生のちびっこたちが、ご両親とお祝いのお返しを持って
ご挨拶に来てくれました。
ついこないだまで、自転車に補助車を付けて、お母さんに支えてもらっていたのが嘘のようです。
小学校入学は、お父さんもお母さんも、格別の喜び、つい笑みがこぼれて・・・いつもながら・・こちらも幸せな気持ちになります。
高校生になると、もう、背丈も、お母さん、お父さんに近く、幼い頃の面影はありませんが、
「登下校の際に、我が家のグミをみんなで食べるのが楽しかった・・・」と言ってくれて・・
ほろりとします。
学校という社会に巣立ち・・新しい出会い・・自分探しの旅が始まります。・・
夢と希望に満ちた未來が拓かれますように。
2014年04月02日
新しいブログ先は使い勝手が悪く・・戻ります。
本日、引越しをしてみましたが、全てに使い勝手が悪くストレスがたまります。
CANPANブログは、優れています。
引き続き、アップします。お騒がせしました。
CANPANブログは、優れています。
引き続き、アップします。お騒がせしました。
2014年03月19日
B2タイプはかっこが悪い
昨年の秋から、ハマっている4スタンス理論で、自己チェックすると、自分は、B2タイプに属することがわかった。
プロゴルファーで言うと、ジャンボ尾崎や池田勇太、横峯さくら等・・・数が少ない個性的なスイングをするプレイヤーの皆さんと同じ。
下半身から始動するが、特に膝が前に出て、猫背気味で、右足を軸に一度・・沈み込んで打つ・・なんか我流で正統派には見えない。
それに比べて、タイガーやアダムスコット・・石川遼・・世界の主流になっている選手のスイングはなんて華麗なんだろう。
無謀にも・正統派に近づきたくて・・・見よう見まねで・・改造に改造を重ねた結果が・・指の慢性的な腱鞘炎や頸椎の痛みに、指のしびれにつながっていたようだ。
石川遼はA1タイプ。手のパワーポイント、体幹の使い方、体重のかけ方等はB2タイプと真逆。
グリップやクラブも、タイプによって違うらしく、市販されているクラブの多くは、美しいスイングをするAタイプ向けに生産されている。
ゴルフを始めた頃、感覚でスイングをしていた。今よりもまちがいなく、練習場のネットを直撃していた。ところが、経験を重ね、色々な情報に惑わされ、頭でっかちになり・綺麗なスイングをするプレイヤーに近づこうとすればするほど・・飛距離は落ちた。 最後はギアやボールのせいにして、お金もかけた。
随分・・遠回りしたものだ。
今、全てを変えている。見てくれは・・悪いのだが・・体がすごく気持ちよいのだ。
4スタンス理論・・・全てのスポーツに当てはまる気がする。野球や陸上・・子供のスポーツを指導する指導者の皆さんには、だまされたと思って・・覗いてみるのも・・如何かとと思う。

プロゴルファーで言うと、ジャンボ尾崎や池田勇太、横峯さくら等・・・数が少ない個性的なスイングをするプレイヤーの皆さんと同じ。
下半身から始動するが、特に膝が前に出て、猫背気味で、右足を軸に一度・・沈み込んで打つ・・なんか我流で正統派には見えない。
それに比べて、タイガーやアダムスコット・・石川遼・・世界の主流になっている選手のスイングはなんて華麗なんだろう。
無謀にも・正統派に近づきたくて・・・見よう見まねで・・改造に改造を重ねた結果が・・指の慢性的な腱鞘炎や頸椎の痛みに、指のしびれにつながっていたようだ。
石川遼はA1タイプ。手のパワーポイント、体幹の使い方、体重のかけ方等はB2タイプと真逆。
グリップやクラブも、タイプによって違うらしく、市販されているクラブの多くは、美しいスイングをするAタイプ向けに生産されている。
ゴルフを始めた頃、感覚でスイングをしていた。今よりもまちがいなく、練習場のネットを直撃していた。ところが、経験を重ね、色々な情報に惑わされ、頭でっかちになり・綺麗なスイングをするプレイヤーに近づこうとすればするほど・・飛距離は落ちた。 最後はギアやボールのせいにして、お金もかけた。
随分・・遠回りしたものだ。
今、全てを変えている。見てくれは・・悪いのだが・・体がすごく気持ちよいのだ。
4スタンス理論・・・全てのスポーツに当てはまる気がする。野球や陸上・・子供のスポーツを指導する指導者の皆さんには、だまされたと思って・・覗いてみるのも・・如何かとと思う。
2014年02月20日
現政権の失政となる教育委員会改革
教育委員会改革が、迷走して、とうとう教育長の任期が二年となりそうな雲行きだ。
100歩譲って、委員長との兼職は、ありだと思うが・・・二年評価とは教育行政のトップリーダーである教育長職を愚弄している。
国際化、情報化、科学が高度に発達し、人・物・資金・情報が一瞬にして、国境を超え、国内では格差社会が進行し、家庭や地域の教育力が低下するなど、全ての課題が、混在して、教育環境、とりわけ公教育の現場に、押し寄せている。
いじめの対応を理由に、首長部局に教育行政の権限を移せば、改善されるというのは、本質を知らない一部マスコミを扇動した政治家の幻想である。
いじめの背景には、多種多様の要因があるが、高収入の保護者が通学させる私立幼稚園から大学を見ると、大きな事件が発生していないことがわかる。
貧困の連鎖と家庭の教育力の欠如、とりわけ、適切な愛情の欠落と未来への希望を抱けない環境が、最も、大きな要因と思う。
中学で発生する生徒の問題行動の芽は、すでに、幼児期に生まれ、小学校高学年で、成長し、中学の一二年で、顕著になる。
思春期の情緒不安定と重なり、成長のエネルギーをプラスに転化し、支援するのは、学校の教育力、教師の頑張りだけでは、本当に難しい。
子供を健全に育むには、家庭、学校、地域社会の教育力が複合されて、作用することが望ましいが、地域によっては構造的に家庭や地域社会の教育力が、極端に低いところがある。
その分を、学校が補う例もある。朝食まで学校給食でというふうに・これもどうかと思うが・・朝食抜きの子供が三割いるとなれば・やらないよりはましか???
文科省が熱心な学力テストで・・・・生活習慣と学力が連動していると・・あたりまえの結果を公表しているが・・学校や行政が家庭の生活習慣の改善をアナウンスしても、改善して欲しい家庭ほど・・耳を閉ざしている・・そのような環境でしかたない面もあるが・・だから困っているのだ。
いじめや生徒の問題行動は、プライバシーや人権に深く関わり、生徒や保護者にとっても反省と成長の機会としなければならないことから、担任や保護者、校長、教頭、教育長等、数人の専門チームによって、内密に行われなければならない。
教育現場を知る・・高い専門能力と豊富な実践経験が不可欠なのだ。
確かに、免許を有しても指導力不足の教員もいるだろうが、子供が好きで、天職と言われる熱血先生が圧倒的に多い。その情熱を束ね・・育て・・奮闘させる校長・・そして管理では無くてサポートする教育委員会・・があってはじめて、真の教育が成立する。
行政の体質で、現場の教師や子供の目線を持たない政策が多い。いたずらに調査、調査と現場や地方教育委員会に統計資料を作るレポートを求めるが・・今の政策では・・モチベーションを高める方向に向かってはいない。
義務教育の市場化をささやく教育産業や机上の研究でそれを支える大学教授陣の意見に従い、無批判的に、教材や教具がどんどん用意されるが、百聞は一見に如かず・・本物の教材にどうめぐり合わせるかだと思う。
私の経験では、荒れた学校を建てなおすのに様々な手法を駆使しても最低で五年を要する。
地方教育行政のリーダーたる教育長が、二年評価であれば、長期の展望をもって、使命を達成できない。教育困難地域の学校がこのことにより一層荒れ、取り返しのつかないことを危惧する。
大事なのは、物では無くて人・・人材なのだ。やる気のある教育長とやるきのある校長、教職員、事務局職員を揃えて、学校の教育力を高める特色ある教育行政政策の充実と財政支援を怠らないこと。
そして、家庭の教育力を高めるため、成熟した市民を信頼し、協働型の雇用環境の充実をもっと強化すべきだと思う。
100歩譲って、委員長との兼職は、ありだと思うが・・・二年評価とは教育行政のトップリーダーである教育長職を愚弄している。
国際化、情報化、科学が高度に発達し、人・物・資金・情報が一瞬にして、国境を超え、国内では格差社会が進行し、家庭や地域の教育力が低下するなど、全ての課題が、混在して、教育環境、とりわけ公教育の現場に、押し寄せている。
いじめの対応を理由に、首長部局に教育行政の権限を移せば、改善されるというのは、本質を知らない一部マスコミを扇動した政治家の幻想である。
いじめの背景には、多種多様の要因があるが、高収入の保護者が通学させる私立幼稚園から大学を見ると、大きな事件が発生していないことがわかる。
貧困の連鎖と家庭の教育力の欠如、とりわけ、適切な愛情の欠落と未来への希望を抱けない環境が、最も、大きな要因と思う。
中学で発生する生徒の問題行動の芽は、すでに、幼児期に生まれ、小学校高学年で、成長し、中学の一二年で、顕著になる。
思春期の情緒不安定と重なり、成長のエネルギーをプラスに転化し、支援するのは、学校の教育力、教師の頑張りだけでは、本当に難しい。
子供を健全に育むには、家庭、学校、地域社会の教育力が複合されて、作用することが望ましいが、地域によっては構造的に家庭や地域社会の教育力が、極端に低いところがある。
その分を、学校が補う例もある。朝食まで学校給食でというふうに・これもどうかと思うが・・朝食抜きの子供が三割いるとなれば・やらないよりはましか???
文科省が熱心な学力テストで・・・・生活習慣と学力が連動していると・・あたりまえの結果を公表しているが・・学校や行政が家庭の生活習慣の改善をアナウンスしても、改善して欲しい家庭ほど・・耳を閉ざしている・・そのような環境でしかたない面もあるが・・だから困っているのだ。
いじめや生徒の問題行動は、プライバシーや人権に深く関わり、生徒や保護者にとっても反省と成長の機会としなければならないことから、担任や保護者、校長、教頭、教育長等、数人の専門チームによって、内密に行われなければならない。
教育現場を知る・・高い専門能力と豊富な実践経験が不可欠なのだ。
確かに、免許を有しても指導力不足の教員もいるだろうが、子供が好きで、天職と言われる熱血先生が圧倒的に多い。その情熱を束ね・・育て・・奮闘させる校長・・そして管理では無くてサポートする教育委員会・・があってはじめて、真の教育が成立する。
行政の体質で、現場の教師や子供の目線を持たない政策が多い。いたずらに調査、調査と現場や地方教育委員会に統計資料を作るレポートを求めるが・・今の政策では・・モチベーションを高める方向に向かってはいない。
義務教育の市場化をささやく教育産業や机上の研究でそれを支える大学教授陣の意見に従い、無批判的に、教材や教具がどんどん用意されるが、百聞は一見に如かず・・本物の教材にどうめぐり合わせるかだと思う。
私の経験では、荒れた学校を建てなおすのに様々な手法を駆使しても最低で五年を要する。
地方教育行政のリーダーたる教育長が、二年評価であれば、長期の展望をもって、使命を達成できない。教育困難地域の学校がこのことにより一層荒れ、取り返しのつかないことを危惧する。
大事なのは、物では無くて人・・人材なのだ。やる気のある教育長とやるきのある校長、教職員、事務局職員を揃えて、学校の教育力を高める特色ある教育行政政策の充実と財政支援を怠らないこと。
そして、家庭の教育力を高めるため、成熟した市民を信頼し、協働型の雇用環境の充実をもっと強化すべきだと思う。
2014年02月14日
・教育委員会改革から飛躍した持論
教育行政は、本当に、外から見たら良くわからないシステム。
戦前は、内務省が所管、市町村長の下で、行われていたが・・戦後、GHQによって、レーマンコントロールといって、素人の非常勤公務員による合議制の執行機関として、生まれ変わった。
教育委員長は代表であるが、権限は、あくまで・・合議体の教育委員会となる。
教育長は、専門的助言や職員の服務監督権は有していたが・・実態は・・責任者だ。
学校火災等の事故があった際には、服務監督責任で、懲戒処分されていたし、委員長が謝罪することは無かった。
今回、このレーマンコントロールは、残った。形骸化していると言う批判があるが、異業種の有識者が教育委員として教育に携わると・・懐の広い意見交換がなされるし・伝承されることも多々ある。
学校現場しか知らない教育長にとっては、心強いし、・・地域社会とのバランスがとりやいすから・・また・関係する職員も、年代のことなった世代と触れ合うことは、人間的に成長する機会となる。
風通しの良い活性化する行政組織を維持するには、多様な意見を持つ有識者を・・行政の中に参画させることが大切なんだ。 特に、学校を地域の教育力で支援する場合は、教育委員は何かと力になってくれる。 なんでも、すぐ成果を数字で求める時代だけれど、・・・数字は、一部を語っているだけだからね。
数字に表れない所作の積み重ねが・・教育やまちづくり行政だと思う。
早くに頭角を現す世界もあり、もてはやされるけれど、30才をすぎて、どう社会に貢献できる人間になるか・・それが・・一つの尺度。・
教育会にも、教育村があって、産官学の連携は強い。特に税金を大量に投入する公教育は大人の都合で色々いじくりまわすことが多い。そのたびに、現場は、子供と向き合う時間が減ったりして・・
今、オリンピックやスポーツの世界で活躍している若者は・・学ぶ力もあるし、自分を客観的に見つめる・・体験から課題を発見し、解決しようと努力する・・これは、生きる力・・ゆとり教育の結果だと思う。
北欧をモデルとした先の教育改革は、失敗したと、揺り戻しされたが・・どっこい・・今その成果が散見される。
成熟したヨーロッパの国々を参考として、富の蓄積を至上命題とした経済成長を卒業し、都市と農村の共生した循環型の社会・緑の経済の改革がまさに問われているのではないだろうか。
北海道は、そういう意味では、その可能性にあふれているし、将来、ふるさとを巣立つ子供たちが、その担い手となるように、意識して町独自の教育改革を進めてきたつもりだ。
画一性は、変化に弱い。日本は南北に、垂直に、国土の自然環境が多様だ。その多様性の豊かさや恵みに気付く教育が展開されることが、ある意味国際的感覚を育てる基礎になる。
自然は優しくもあり、凶暴にもなる。その変化に対応する能力は、社会の変化にしなやかに対応できる人間を育てる。
アベノミックスの第三の成長戦略に、ベネッセのような学習塾が北海道に、とりわけブナ北限の里に、環境教育を中心とした寄宿制度の中高一貫校を設置する場合、財政支援や規制緩和、税の免除等を行うのはどうだろうか。地元の自然学校には、講師として、参画できる有能な人材が豊富だ。
座学中心で育ったリーダーは、地球規模の変動に、弱い。国土強靭化の前に、国を背負う若手官僚の強靭化が不可欠だと思うが。
戦前は、内務省が所管、市町村長の下で、行われていたが・・戦後、GHQによって、レーマンコントロールといって、素人の非常勤公務員による合議制の執行機関として、生まれ変わった。
教育委員長は代表であるが、権限は、あくまで・・合議体の教育委員会となる。
教育長は、専門的助言や職員の服務監督権は有していたが・・実態は・・責任者だ。
学校火災等の事故があった際には、服務監督責任で、懲戒処分されていたし、委員長が謝罪することは無かった。
今回、このレーマンコントロールは、残った。形骸化していると言う批判があるが、異業種の有識者が教育委員として教育に携わると・・懐の広い意見交換がなされるし・伝承されることも多々ある。
学校現場しか知らない教育長にとっては、心強いし、・・地域社会とのバランスがとりやいすから・・また・関係する職員も、年代のことなった世代と触れ合うことは、人間的に成長する機会となる。
風通しの良い活性化する行政組織を維持するには、多様な意見を持つ有識者を・・行政の中に参画させることが大切なんだ。 特に、学校を地域の教育力で支援する場合は、教育委員は何かと力になってくれる。 なんでも、すぐ成果を数字で求める時代だけれど、・・・数字は、一部を語っているだけだからね。
数字に表れない所作の積み重ねが・・教育やまちづくり行政だと思う。
早くに頭角を現す世界もあり、もてはやされるけれど、30才をすぎて、どう社会に貢献できる人間になるか・・それが・・一つの尺度。・
教育会にも、教育村があって、産官学の連携は強い。特に税金を大量に投入する公教育は大人の都合で色々いじくりまわすことが多い。そのたびに、現場は、子供と向き合う時間が減ったりして・・
今、オリンピックやスポーツの世界で活躍している若者は・・学ぶ力もあるし、自分を客観的に見つめる・・体験から課題を発見し、解決しようと努力する・・これは、生きる力・・ゆとり教育の結果だと思う。
北欧をモデルとした先の教育改革は、失敗したと、揺り戻しされたが・・どっこい・・今その成果が散見される。
成熟したヨーロッパの国々を参考として、富の蓄積を至上命題とした経済成長を卒業し、都市と農村の共生した循環型の社会・緑の経済の改革がまさに問われているのではないだろうか。
北海道は、そういう意味では、その可能性にあふれているし、将来、ふるさとを巣立つ子供たちが、その担い手となるように、意識して町独自の教育改革を進めてきたつもりだ。
画一性は、変化に弱い。日本は南北に、垂直に、国土の自然環境が多様だ。その多様性の豊かさや恵みに気付く教育が展開されることが、ある意味国際的感覚を育てる基礎になる。
自然は優しくもあり、凶暴にもなる。その変化に対応する能力は、社会の変化にしなやかに対応できる人間を育てる。
アベノミックスの第三の成長戦略に、ベネッセのような学習塾が北海道に、とりわけブナ北限の里に、環境教育を中心とした寄宿制度の中高一貫校を設置する場合、財政支援や規制緩和、税の免除等を行うのはどうだろうか。地元の自然学校には、講師として、参画できる有能な人材が豊富だ。
座学中心で育ったリーダーは、地球規模の変動に、弱い。国土強靭化の前に、国を背負う若手官僚の強靭化が不可欠だと思うが。