脳科学導入の歴史
脳科学を教育に生かす。これは長い間の懸案であった。これからの人材育成、その中核に脳科学がある。日本の識者がそこに気付いたのが中曽根内閣の時代である。
臨教審会長岡本博士が
「教育の基本は『不易と流行』のバランスにある。教育の不易は、脳科学なのだ」といったのは1985年であった。更に先駆けがあった。
1971年の四六答申、次が1978年大平内閣政策研究グループ報告であった。いずれも時代のニーズを踏まえた優れた提言であった。「教育の不易は脳科学にある」との下地ができた。
世界の動きは激しかった。1990年、ブッシュ大統領は米国上院において「脳の10年」を宣言し、1000億を投入した。脳科学の研究者は1970年500名から2004年には3万5千人になった。欧州も追いかけた。
日本の科学者は焦った。
1993年「第1回脳の世紀シンポジュウム」を開催し、
機運を盛り上げた。
1994年 日本学術会議会長伊藤正男は英国に飛んだ。
状況は急を要した。文科省は「脳科学の推進
について」を発表した。
1995年 天皇・皇后両陛下が理化学研究所を行幸した。
1997年 10月、
理化学研究所はテント張りの中で、脳科学総合
研究センターの開所式を挙行したのである。
1998年 05月
谷垣大臣はMIT(マサッチュセッツ工科大学)
を訪問、
08月
20年間2兆円の国家プロジェクトを発表した。
1999年 米国は第二期「脳の10年」を発表した。
2000年 BSIは「脳科学が築く21世紀」を出版した。
2001年 文科省は「脳科学と教育」プロジェクトを出発さ
せた。
2002年 3月
理研は松本元博士が
「脳科学の設計原理の解明と・・・」講演、
2月
「脳と教育」市民公開講演会を実施した。
一方、同年OECDは国際シンポジェウム
「脳科学と教育科学の融合」をおこなった。
2003年 7月
文科省は
「『脳科学と教育』研究に関する推進方策について」
を発表した。
このように世界は「脳科学と教育」推進にしのぎを
削ったのである。
2004年「情動の科学的解明と教育等の応用に関する検討
会」において座長有馬朗人は「医療分野の脳研究
は進んである。
特別支援児童の研究も進んでいる。本会のねら
いは普通児と言われる大多数の子どもである」と
言われた。
わたしはウームとうなった。いよいよ文科省は
省を挙げて本気になった。しかし、教育現場への
導入はすすまない。難しかった。
もう逡巡は許されない。