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脳科学ブログ(教育への架橋)

脳科学の知見を生かし、実践現場との架橋・融合をめざす。仮説・実践・検証により、教育のエビデンスを生みだし、揺るぎなき教育の一端を担いたい。“教育は愛、愛こそ教育” 願いは子どもの幸せである。


八海山で遭難 [2021年03月20日(Sat)]
八海山で消防団員が遭難、救助された。良かった。

 我が家・津久野から見た八海山
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 隣の部落・岩崎山から見た八海山
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 遭難現場
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 尾根の200メートル下で発見、意識のない状態で見つかり救助された。
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 消防団の野営訓練中だったという。
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 夏場の八海山ロープウェー
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坂戸山:カタクリの花々 [2021年03月06日(Sat)]
 坂戸山には、カタクリの群生があちこちにあります。
 山道付近にも群生地があり、ごく自然にみることができます。
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 カタクリは春一番の花です。
 雪に埋もれた冬が過ぎ、やっと春がやってきた時、
 真っ先に村人の心を和ますのが、雪の中で咲く “ マンサク ”
   、次いで “ ふきのとう ”、終いは雪がほぼ消えた後の “ カタクリ ” なのです。
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 ピシッと花弁を立てたカタクリの花です。
   なかなか凛々しいです。
 ヘナヘナしていたら、厳しい自然の中では生息できません。
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 ほとんどの人は心配ありませんが、
 中には可愛さ余って持ち帰ろうとする人もいます。
 村人は決してしません。
 うまく生育できないことをしっているからです。
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 カタクリ保存会のメンバーが日頃から面倒を見ています。
 有難いことです。
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故郷の山、坂戸山 [2021年03月06日(Sat)]
 六日町から見た坂戸山と坂戸橋 
 坂戸山の麓には上杉謙信配下の出城があった。
 武家屋敷もあった。
 手前には魚野川が流れ、城を守る防御線の役割を果たしていた。
 山頂には実城があった。

 山の裏側が私の生まれた村・坂井である。
 表の部落は坂戸、裏の部落は坂井であった。
 坂戸山は大人にとっては “ 生活の場 ” 
   子どものとっては “ 遊び場 ” であった。
  子どもの頃は山登りに、山菜取りにとよく登ったものである。、
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 山頂から上田村方面を見た農村のすがた154033.jpg

 山頂から六日町方面を見た町のすがた20496_raw.jpg

  山の中腹から八海山を望む。
 手前にはナデシコの花が咲いている。26_m.jpg

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故郷の村、五十沢で遊ぶ [2021年03月05日(Fri)]
  五十沢村、永松発電所の貯水池まで登り、見晴らし台で一服した。
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 さあ、これから五十沢渓谷に向かうぞ! 目の前は岩山、大変だぞ・・・
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  見下ろせば後続のグループも 一休みしているらしい。
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  山頂はかなり険しい岩場のようだ。
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   麓の林では、山開きの「安全祈願祭」が行われていた。
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  同じ村でも、五十沢渓谷から村里に近づくと山々の様子も穏やかになる。ぜんまいやわらび、木の芽など山の幸を生み出していく。
 坂戸山とその山麓は上杉謙信の出城、景勝の居城があった。
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故郷の村、五十沢渓谷の写真 [2021年02月27日(Sat)]
 故郷の村、五十沢渓谷の写真です。ご覧ください。
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 谷底の水のたまりは夢のようにきれいでした。
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金城山の姿
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 山頂付近の岩場
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 鬼のつらの滝 きれいな水でした。
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 不動滝です。
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 渓谷の山々です。とにかくきれいでした。
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  谷底には 深い水たまりがありました。
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五十沢村の名木 [2021年02月25日(Thu)]
五十沢村には名木が数多くありました。豊かな自然と風土に育まれた木々でした。
風雪に耐えつつ生き残り、村人に愛されるようになったのです。

私たちのこころに与えた影響は大きかったのでしょう。

同級生の広田君は裁判官になり、
長君と大津茂君は新幹線の運転手になり、
小宮山君は消防官になり、忠雄君は板前さんに、私は先生になりました。

それぞれが自分に合った真っ直ぐな職業についていきました。
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 我が家の玄関から八海山が見えました。本当に懐かしい山です。
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五十沢村の現今 [2021年02月24日(Wed)]
 五十沢村 三国川ダム 蕨野・清水瀬などの集落は湖の下に沈んだ。寂しい限りであった。
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 記念碑「三国川ダム」
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八海山ロープウェーから南魚沼郡が一望できる。
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冬になるとどの山麓もスキー場に様変わりする。東京近辺から多くのスキー客がやってくる。農家は民宿宿になりお客様を迎える。IMG_9820.jpgIMG_9820.jpg
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五十沢温泉は湯質が良く人気があるようだ。
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部屋は広く、ゆったりとつろげる。
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雪国の生活・幼少期の思い出 [2021年02月21日(Sun)]
雪に埋もれた村でも、子供たちは元気に育っていきました。

 私は、昭和20年(終・敗戦の年)の生まれです。
日本中が、「食うや食わずの生活」をしていました。みんなが貧しかったのです。  

 しかし、我が家は農家であり、田んぼも少ないながらもありました。山も畑もありました。食い物に困ることはありませんでした。麦の入ったご飯を食べた記憶はありません。

 物貰いさんが来ると母はお米を与えていました。盲目の瞽女ごぜ)さんがきても親切にあげていました。

 私の家は托鉢のお坊さんが宿泊する家でもありました。葉書が来るとその日を楽しみに待ちました。村の外れまで出迎えるのが私の仕事でもありました。楽しみでもありました。

 お湯を沸かし、たらいに入れ、玄関先で足を洗ってから家に入ってもらいました。家に入ると仏壇の前に座りお経をあげて下さいました。

 夕食が終わると囲炉裏を囲んで色々なお話をしてくださいました。地方地方の地理や歴史、風土や習慣の違いなど、それはそれは楽しい話ばかりでした。

 お坊様の名前は「藤井 健蜂(けんぼう)さん」でした。60年たっても70年たっても忘れられません。

雪国・五十沢村の農家 [2021年02月20日(Sat)]
雪国・五十沢村の農家です。豪雪にも耐えられるように頑丈に作られています。100年も150年も持つ造りになっています。どこの家も同じような造りでした。屋根はかやぶきでした。大量の茅が必要でした。「ふき替え」は村総出の大仕事でした。
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雪国の生活 [2021年02月19日(Fri)]
雪国の生活は並大抵ではありませんでした。一階の屋根と通路が同じ高さになります。家は雪に埋もれてしまいます。最近ではこんなに積もることはありません。温暖化のせいでしょうか。
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すっぽり雪に埋まってしまいます。雪の下に家がある状態です。
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そのままでは玄関に入れません。雪道・雪穴をほって玄関につなげます。
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電柱も大方埋まり、電線をよけたり避けたりしながら通ります。
危険極まりないことです。
雪の重みで電線が切れることもあり、村中が停電になります。 
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