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脳科学ブログ(教育への架橋)

脳科学の知見を生かし、実践現場との架橋・融合をめざす。仮説・実践・検証により、教育のエビデンスを生みだし、揺るぎなき教育の一端を担いたい。“教育は愛、愛こそ教育” 願いは子どもの幸せである。


ウソをつくな。“武士の魂”を取り戻せ。 [2013年11月08日(Fri)]
ホテルの食材偽装、よくもここまでウソをつけるものだ。盗
むな。ウソをつくな。卑怯なことはするな。「ウソは泥棒の
始まり」「ウソをつくな。ウソをついてら舌を抜くぞ」「武
士なら腹を切れ」とまで言われて育ったものだ。“武士の魂”
はどこへいった。牧民官の気概はどこへいった。愛国・愛民
の心はどこへいった。
日本の統治者・指導者達よ。「政府」「財界」「東電」のみ
なさん、見本を見せてほしい。
下記、武田邦彦の訴えを紹介する。

1 最近、政治的な理由によって「1年1ミリにこだわるな」
 という表現が使われるようになっている。これはまともな
 日本語とは言えない。詐欺に類するトリックだ。注意が必
 要だ。理由は次にまとめられる。
  @ 被曝の限度は「国民が我慢できる限度」で決まってい
   る。
  A 日本では「原発の被曝で、1年8000人以下の犠牲
   者まで我慢しよう」と国民が覚悟している。
  B それを「被曝量」という物理的数字に直すと「1年1
   ミリシーベルト」ということで、国民的合意は「1年
   8000人以下なら我慢しよう」ということであり、
   「1ミリシーベルト」で合意しているのではない。
  C この合意を知らない人もいるけれど、日本政府はこれ
   まで「国民の合意手続(国会や大臣や政治家の了解、
   官庁の決定、公聴会、通達、法令など)」で決定して
   きた。
2 このように政府が主導して決めてきたことだから、国民が
 「1年1ミリを緩めてくれ」といい、政府が「規則を見直
  す」というならわかるが、政府や議員が「1年1ミリに
  こだわる」というのは日本語としては適切な使い方では
  ない。自ら決めて自らが国民の合意を得てきたものを自
  分で「こだわるのはおかしい」ということ自体が「おか
  しい」からだ。
3 一昔前は、このような場合の歯止めになったのは新聞記者
 だった。彼らには報道としてのプライドがあり、「正し
 い日本語、正しい単語」に固執したものだ。その頃だっ
 たらいくら自民党が「こだわる」といっても「それは使
 い方が違うのではないか」と記事を書いただろう。
4 今や日本を代表する読売新聞がその社説で「1年1ミリに
 こだわるのか」と書いた。読売新聞は「1年8000人で
 は少なすぎる。犠牲者はもっと多くてもよい」と書くだけ
 の度胸がなかった。つまり「自分が正しいと思うことを書
 かない新聞」ということになる。
5「自分が正しい」と思うことを書けない新聞というのは存
  在価値があるのだろうか? 人は何をよりどころにして
  毎日を送っているのかというと、「自ら正しいと思うこ
  とを言い、それをするために生きている」のだ。
6 ところで、交通事故死が1年5000人だから、原発も8
 000人までなら我慢する(致命的ガンと重篤な遺伝的障
 害)ということになっているが、交通事故の原因となる自
 動車は代わりのものがないので、5000人も多いけれど
 やむを得ないと思っている人が多いと思うが、原発はかわ
 りに火力を使えばよいのだから、1年1ミリも被曝するな
 らやめておいたほうがよい。
7 科学技術は人に不幸を強いるものではない。被曝と健康の
 関係がもっとはっきりしてくるか、あるいは1年0.1ミ
 リぐらいになる時代まで原子力の科学者は待とうといって
 ほしい。自分が開発した技術で大勢の人が犠牲になる可能
 性のあることを専門家がやってはいけないと思う。
8 現在、政府や新聞が言っているのは「外部被曝」だけだが、
 法令的には「外部被曝+内部被曝」だからさらに高くなる。 
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