CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

脳科学ブログ(教育への架橋)

脳科学の知見を生かし、実践現場との架橋・融合をめざす。仮説・実践・検証により、教育のエビデンスを生みだし、揺るぎなき教育の一端を担いたい。“教育は愛、愛こそ教育” 願いは子どもの幸せである。


貧困と学力・我慢と辛抱 [2021年02月15日(Mon)]
 厳しい自然条件の中」と「我慢と辛抱」を求められる地方が好成績を上げています。
しかし、大学進学率は高くありません。全国学力テスト日本一の秋田県でも大学進学率は高くありません。お金がないからです。貧困のためなのです。奨学金の制度もあるのですが、結局は追いつきません。残念です。

 私も雪国・豪雪地帯と呼ばれる新潟県・南魚沼郡六日町(旧五十沢村)出身なので「貧困」から抜け出すことがどんなに大変かわかっています。今ではみんなが高校に行きますが、60年前ではそうはいきませんでした。

 私は、中学を出て長岡市にあった国立新潟総合職業訓練所 機械科に入りました。倍率12倍、六日町高校よりはるかに難関でした。「2年間で しかも「会社は高校卒業と同程度の扱いをする」との触れ込みでした。優秀な人が沢山いました。長岡工業や新潟明訓高校などに引け目を感じることはありませんでした。
 日立や日本電気や富士通信など大会社にどんどん就職していきました。現場のリーダー養成だったようです。

 私は大会社には行きませんでした。もっともっと勉強したかったのです。中卒からやり直しを選びました。大学に行きたかったのです。ただただ学問をしたかったのです。

 鋳物の街:川口市「キューポラのある街」に就職しました。定時制高校に行くためでした。住み込みの旋盤工となりました。
 8時から5時まで働き、5時半から9時まで授業、終わると帰ってから夕食でした。帰宅が10時を過ぎることもありました。社長の奥様には本当にお世話になりました。

 それからが私の勉強でした。終わると夜中の1時ごろになっていました。睡魔に襲われ、机にうつ伏したまま朝になっていたこともありました。
 工場の裏手には荒川が流れていました。荒川の土手は「身体の休憩・こころの保養・魂の安息」に絶好の場所でした。吉永小百合の「キューポラのある街」の舞台でもありました。

 浪人を経て早稲田大二文に合格しました。そこでは吉永小百合さんもいました。目立つこともなく一般の学生の一人としてふるまっていました。偉いものです。本当に感心しました。

 その年、埼玉大学にも合格しました。特別奨学金があったので、大学は何の苦労もなく卒業できました。本当に有難かったです。助かりました。

 木造部分が工場の寮 両隣は民家

 工場の入り口
IMG_5914.JPG

0015_tatara_02_img13s.jpg

0025_tatara_02_img09s.jpg

0029_tatara_02_img10s.jpg

 埼玉大学蒼玄寮
IMG_6048.JPG

 50年経つと、新築だった寮もボロボロになっていた。、
IMG_6046.JPG

 5棟4号室 ここが私の生活の場、活動の拠点だった。 
IMG_6047.jpg1.jpg



 
コメント
プロフィール

日本財団脳研さんの画像
日本財団脳研
プロフィール
ブログ
カテゴリ
https://blog.canpan.info/brains/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/brains/index2_0.xml
ブックマーク
月別アーカイブ
最新トラックバック
情報肥満 (07/16)