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脳科学ブログ(教育への架橋)

脳科学の知見を生かし、実践現場との架橋・融合をめざす。仮説・実践・検証により、教育のエビデンスを生みだし、揺るぎなき教育の一端を担いたい。“教育は愛、愛こそ教育” 願いは子どもの幸せである。


武士道をいきた人々ー青山士ー [2014年04月27日(Sun)]
富岡製紙場が世界文化遺産に登録される見通しとなった。
有り難い。富岡製糸場と荒川放水路、2つとも大きな国家
事業であった。何ができたか。誰がやったのか。後の歩み
はどうだったか。殖産興業の典型的な例となる。調べれば
調べるほど考えさせられる。

「外国人の、外国人による、外国人のための事業」と「日本
人の、日本人による、日本人のための事業」はおのずと違っ
てくる。最初は英米仏の教授たちがリードした。しかし、そ
の後を誰が引き継ぐか。日本の土木事業は「武士道に生きる
日本人たち」が担ってきた。その一人が青山士であった。

明治13年9月23日静岡県磐田市に生まれ,明治36年7月東京
帝大土木工学科を卒業、ただちに当時東大の主任教授であっ
た広井勇博士の紹介状を携えて渡米,やがて明治36年から再
開のパナマ運河工事に参加,日本人としてただ一人,この世紀
の大事業に土木技師として加わり,青春の情熱を優けること
7年半,明治45年1月,同工事が約80%,ほぼ完成の段階で帰国
した。
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青山のねがいは「私は この世を 私が生まれたときよりも、
よりよくして残したい」であった。
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帰国すると内務省に奉職.明治43(1910)年に大洪水が起こり、
東京は甚大な被害を被った。その後に計画された荒川放水路
工事を完成させた。

パナマ運河の経験と最先端技術を生かしたのである。旧岩淵
水門は近代化産業遺産として今もそのまま残っている。昭和
2年から同6年までは信濃川大河津分水工事をも完成させた。
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青山の家は代々続く素封家であった。仁徳のある祖父の影響
を強く受けて育ったという。
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人生は出会い、出会いとチョイスである。師匠と友である。
多感な青春時代、誰と出会うか。青山の周りは優秀な学徒に
囲まれていた。「人生如何にいくべきか」に真正面から取り
組んだ。
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金か?名誉か?それとも遊興か?彼らは「勇ましく高尚な生
涯」を選んだ。武士道に生きる道であった。いずれも困難な
道であった。開拓者の歩みであった。しかし、それぞれの分
野でかけがいのない仕事をしていった。青山士の生涯は日本
土木事業の礎石となった。
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4月26日 荒川知水資料館で清水弘幸氏の講演「パナマ運河
開通100周年アラボラ講座~パナマ運河と荒川放水路の軌跡
~を聞いた。写真はその時のものである。
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