こんにちは。伊藤です。
私自身が書くのは本当に久しぶりになってしまいました。
ご心配なく「元気」です!
昨年12月からはこの法人も5期目を迎え、また「Schaleおおまち」は前の法人から無償譲渡をいただくまえの運営期間も含めて2月末で丸五年になりました。
いろ〜〜〜んなことがありました。
感謝の足りなさを自覚し新たなスタートを切り、スタッフが丁寧に利用してくださるご本人たちやそのご家族に向き合ってくれて…12から14人のスタッフを抱える組織になりました。
4月からは宮城野区のNPOプラザさん1階のレストランスペースの委託も受けました。
「からだ想い・こころ想い」で地道にファンを増やしてきた「Cafe Schaleおおまち」のブランチです。
直前まで受託されていた「シャロームの会」さんが丁寧に運営をしてくださっていたおかげで、日に40〜50人の来客がある繁盛店になっていた場所を引き継ぎます。
「ランチ難民」の多い宮城野の地で、三年間の期限付きですが役割を果たしていけたら幸せです。
そして、3月12日から大きな大きな挑戦を始めています。
「クラウンドファンディング」ってご存知ですか?
ウィキペディアには
「不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す、群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語である。ソーシャルファンディングとも呼ばれる。」
とあります。
簡単に言い換えれば「広く世の中の人々に、自分たちの行っている行動や事業の価値を伝え、寄付や投資をしてもらう」仕組みとも言えるでしょうか。
私は、亡くなった加藤哲夫さんから、「市民活動とはなんぞや?」ということを教えていただき、今でも非営利型の法人を続けています。
加藤さんは
「市民自らが自分たちの手で自分たちの課題に取組み、うねりある社会変革を起こす」それが市民活動であるということを良く仰っていました。
自閉症の息子を授かったことで、それまで私が「当たり前」だと思って何気なく叶っていた日常のことが、息子たちには全然当たり前にならない現実に、ただ待っていたのでは世の中は変わらないこと。
「あったらいいな」と思う仕組みは自分たちで創り上げていかない限り、「何も変わらない」のだ観念した時「自分がやる」と決めたのです。
とは言え、典Bで超わがままだし、協調性はないし、共感力も乏しいし…裸の王様のように独りよがりでジタバタしていた時期も長く続きました。
この間、多くの人を傷つけることもありました。
それでも「志」を共にする親としての当事者性のある方々や、他人ごとではあるけれど、社会的に弱い立場の人たちに観て見ぬ振りが出来ない方々が集ってくれて、今日・ここまで、何とか続けることが出来ました。
ふと思ったんです。
だけど、これまでって、やっぱり既に「理解ある」人たちの支えが大きかったこと。
この先の「うねり」を巻き起こすのは、そんな「わかってる」人たちだけの力では足りないこと。
私たちの子どものことも、親の葛藤も、そんなことにまるで縁のなかった方々に「動き出す」きっかけになるか働きかけをしなくちゃ、いつまで経っても「未来を創る」ことなんて叶い難いんだって…
で、決心したんです。
震災以降起業家支援で活躍してくださっている一般社団法人MAKOTOさんの運営されている「チャレンジ・スター」に挑戦して、こどもたちの未来のために事業化を考えているプロジェクト
【マムズデリカでオフィスランチと社会を変えるプロジェクト】への審判を仰ごうと。
これまで社会起業家としていろんな方や組織の応援をいただいてきたけど、それは「裸の王様」で終わるのか、「価値ある」事業として感動を呼び、共感の「ポチッ」としていただく行動に人を動かすことが出来るのか。
覚悟をしてノミネートです。
見ず知らずの方々にも「お願い」するのってシンドイことです。
クラウドファンディングって、刻々と状況がネット上に公開されるので、心臓に良くありません。
何より
❝成立しなかったらカッコ悪い…❞
今まではそんな風に自分にブロック掛けて身を守ってきました。
それもこれもぜ〜んぶかなぐり捨てて。
ダメだったら自分の力が足りないってこと。
まだまだ応援へと導く状況を創れていないってこと。
それ以上失うものなんてないですものね。
もちろん成立したら、「こういう社会的事業に共感して応援してくださる方が世の中にはたくさんいる」という事実は、きっとたくさんの親御さんたちには嬉しいことだし、こどもたちの未来を諦めない励みになると思うから。
「リターン」と呼ばれる御礼も一生懸命考えました。
応援していただいた方に直接お目にかかってお礼を伝えたいと「会食」付のもあります。
はい。
❝何様?❞
って怒られそう。
でも、お目にかかってお礼を言って、そこに集ってくださった方々が新しい出会いも出来たら、それも一つの「役割」かなって…
すっごいプレッシャーを感じています。
それでも日々の事業運営に手を抜くことは出来ません。
それが私の「役割」だから。
突然復活したブログ書込みです。
「伝えたい」ことばかりですが、最後に
今回の挑戦に当たって、震災復興でご縁をいただいた日本財団先遣隊のお一人川崎克寛さんが寄せてくださったメッセージを添えます。
どうか私たちの子どもの未来創生の一歩が踏み出せますように。
よろしくお願いいたします。
2011年3月。
桜満開の四国からまだ春というにはほど遠い東北へ、居ても立ってもいられず入った。
つなプロという団体に所属し、毎日朝早くから夜遅くまで自衛隊や消防の車に紛れ
仙台から石巻にかけて、原型を留めない街の様相を確かめ、避難所を巡回し状況把握に務めていた。
のちに大規模な避難所巡回アセスメントを実施するための先遣隊としての任務だった。
その頃の両市では完全にインフラは絶たれ、一切の商品がコンビニエンスストアから消えていた。
そんな中で口にするものといえば、四国から持ってきていた携行食くらいだった。
20代の若者を中心に集められた組織ではあったが連日の任務に体力・気力ともに疲弊し
それでも誰もが自らの意志で活動を止めることはなかった。
当時外から入ってきた私たちは、この事態に臨んで自分たちに何ができるかを問い
できることを精一杯にしようと励んでいたが
動けば動くほどに、言葉を失い自分達の無力さを感じていた。
気持ちだけで動いていた。
その気持ちすら壊れそうになったのは、連日目の当たりにする光景のせいばかりではなかった。
ある夜
いつものように重い身体を引きずるように宿舎に戻ってきたとき、
そこには山のように盛られた稲荷寿司と温かいスープが用意されていた。
あるスタッフが、『地元の方からのご厚意ですから食べてください』…と。
その言葉も終わらないうちに気がつけば両手に稲荷寿司を持って頬張っていた。
ひとしきり無言でいくつかの稲荷寿司を胃の中に押し込み、
カップに入ったスープで喉のつまりを解したとき、何故か涙が出てきたのを覚えている。

その夜はそのまま寝袋に入り身体を休めた。
現地に来て初めてぐっすりと深く眠ることができた。
翌朝、誰からの差し入れかと聞いたら『あの方です』と指し示された手のひらの向こうに
炊飯器を手にした女性の姿があった。
伊藤あづささんとの出会いでした。
以降…伊藤さんは私たちが拠点としていた仙台に物流が戻るまでの間
ご自身の状況を顧みることなく見知らぬ私たちのために毎日毎日、食事を届けて下さいました。
被災した地元の方からあの状況下であれほどのご厚意をいただいたことは
“飢えていた”私たちの心身を癒し勇気づけ現場へ向かう足取りを強いものにした。
あの震災から5年。
既に東北を離れた今でもあのときの稲荷寿司を頬張ったときの感触は鮮明に覚えている。
思い出すたび、いつしか社会の中での今の自分自身のあり方や価値観を意識するようになった。
その指標は今なお
当時の志のままに仙台で活動を続けておられる伊藤さんの背中にある。
彼女を中心に集ったメンバーの方々が積み重ねてきたものが大きな輪郭を帯びてきた。
今、新しい挑戦を始めようとしていると聞いた。
Schaleという舞台で
生きにくさを抱える人たちが、食を通じて幸せを運び、
社会に尽くすことで自らを立てていくための仕組みを創造するという。
自立のための第一歩は自分一人では生きていけないことを知り、
身を立て、自身の存在価値を創りだすということは周囲の役に立つこと以外に無いことを
改めてその背中で教えていただいた。
伊藤さんをはじめとするschaleの新たな挑戦は、
これまでのマイナスをゼロにするということに力点を置いた、
必然的に支援する側とされる側という視点とは質を異にする、
一歩踏み込んで新しい未来を創造するもの。
新たな挑戦に踏み出すことを決意した方々の意識がさらに進化し、
新しい東北、日本が生まれる契機にしなければならない。
そのことこそが犠牲になった方々への今を生きている私たちの責任であると思わずにいられない。