多くの会社や学校が「仕事納め」になり、街も新しい年を迎える準備で華やいでいます。
そんな中、先般千葉で起きた福祉施設での出来事について、やはりこのブログを読んでくださる皆様と共有したいと、強く感じる記事がありましたので転載させていただきます。
私の息子が通う支援学校からは、年に1回、「いじめに関するアンケート」が配られます。
天邪鬼の私はいつも思います。
“相手は物言えぬ子らだよね。どこまで質問の意味を理解して答えられるのかな?
それに、体に何か痣でも残るようなことがなければ、言葉の暴力も含めて、こどこたちが受けている扱いを親が気付くことは難しいんじゃない?”
って。
そして、ほんの瞬間でも、こどもたちの尊厳が守られていないと感じる場面を経験しています。
だけど、口をつぐんでいる自分もいます。
“言っても変わらない”
“面倒な親だと思われることで、息子にも影響があるのはゴメン”
だから、私には偉そうに言う資格はありません。
だけど、ぜひ読んでみてください。
そして…
私たちのこどもの尊厳が守られる社会の本質を問い続けていただけましたら幸いです。
袖ヶ浦福祉センター養育園利用者への虐待についての考え
僕は千葉県総合支援協議会の権利擁護専門部会の委員をしています。しかしこの事件についての情報はマスコミで発表されている以上には知りません。あとは噂で聞こえてきたことや、人から伝え聴いた情報だけです。したがって、これから書くことは事件の全貌を深く知る立場での考えではないことを断っておきます。
なぜ虐待されていた利用者は、自分が虐待されていた現場に住まわされ続けているのか
事件発覚からそろそろ一カ月になろうとしています。この間、僕がとても気になっていることの一つは、虐待を受けた人たちは、今どうしているのだろうか。と言うことです。
この事件は養育園という入所型施設で起きたことですが、これと同様のことが家庭でおきたら、はたしてどうなるでしょうか。
想像してみましょう。子どもが病院に救急搬送されてきて、その病院で死亡した。警察が検視したところ虐待の疑義が生じて、その子の親に事情聴取。親はその子を含む実子たちへの暴行、虐待を認めた。この場合、当然の事として、暴行されていた子どもたちは保護されるのだろうと思うのです。
しかし養育園から、死亡には至っていないけれど虐待、暴行を受けていた利用者さんたちが保護されたという話は聞きません。どうやら今でもその園で暮らしているようなのです。
なぜ、保護されないのか。この一点をずっと考え続けています。
理由はいろいろ浮かんでくるのですが、どれも理由として成立するものではありません。
いくつか並べてみると・・・。
『養育園そのものが、家庭で虐待を受けたような人達の保護をする場であるから』
制度上はそうなのでしょうが、実態としては虐待をしていた場なのですから保護施設とは言えないだろうと思います。こうした場合には制度上よりも実態を優先して判断すべきでしょうし、虐待された障害児者が保護される施設は他にもあるのですから、この理由に説得力は無いように思えます。
『虐待されていた利用者及び、その保護者が同園にいることを望んでいるから』
現在の障害者福祉の制度は契約ですから、通常なら本人サイドの意向は重視されるものと思います。しかし明らかな暴行が発覚している状態においては、利用者の安全をはかるために、行政は措置としての保護を行うべきだろうと思います。
『養育園を管理、運営する千葉県社会福祉事業団側が、もう暴行は行いませんといっているから』
これはまったく理由にならないだろうと思います。現在は千葉県社会福祉事業団側の内部調査によって、虐待の内容が明らかにされていますが、それが正しい情報なのか、他に何も隠してはいないのか、というようなことはまだ精査されてはいないのです。複数の職員が恒常的に虐待をしていたことと、それについて知っていた他の職員たちが、一人の利用者の死亡という切っ掛けからの発覚があるまで、そのことを黙っていたということは、少なくとも事実のようです。だとしたなら、千葉県社会福祉事業団そのものが丸ごと加害者だとも言えるわけで、さらに警察の捜査が進めば、もっと酷い状況も出てきかねません。その千葉県社会福祉事業団が、もう虐待は行いませんと言ったから、もう大丈夫だろうと判断するというのは、常識としてあり得ないことだろうと思います。
『加害職員は養育園にはもういないから』
加害職員とされる人たちは辞めさせられたりで、もう養育園にはいないから大丈夫というのも、納得できる理由ではありません。一つは、まだ全貌が明らかになっているわけではないので、他にも隠れている加害職員がいないとはいえないのですから。でも、それよりももっと考えなければならないのは、暴行を受けていた利用者の心の問題です。たとえ暴行していた職員が園を辞めたとしても、それを見ていて助けなかった職員たちは残っているのです。自分が暴行を受けていたとして想像してみてください。自分が殴られている時に、それを見て見ぬふりをして通りすぎる他の職員たち。助けてくれ、という視線を送った時に目を反らした職員たちと一緒に、今後どうして心穏やかに暮らして行けると考えるのでしょうか。暴行した職員はいなくなっても、自分が殴られた部屋や、もしも箒で叩かれることがあったとしたならその自分を叩いた箒がそこにある環境の中で、相変わらず暮らさなければならないということを、どうして行政は強要するのでしょうか。虐待からの直接の保護ではないにしても、自分が暴行を受けた記憶が刻み込まれている環境から保護することは、虐待からその人を守る行為の一つであるのだろうと考えます。
等々、いろいろな理由を考えてみたのですが、どうしても納得できる理由が見つからないのです。
虐待されていた人たちが、事件発覚後もその虐待現場を離れることが許されないという状況が異常であることに、まず僕らは気がつくべきではないでしょうか。
強度行動障害は養育園へ、という迷信
なぜ、虐待を受けていた利用者が保護されないのか。
ゲットーに閉じ込められて虐待をされていた人たちに対して、「ナチスはやっつけたからもう虐待されることはありません。安心してそこで暮らし続けてください」というに等しいことが、なぜ障害を持つ人たちに対しては平然と行われているのか。
理由を考え続けていて、最後に一つの理由が残りました。何人かの人に尋ねてみても、みんながこの理由をあげたのです。おそらくこれが、虐待を受けていた利用者を保護しない理由なのだろうと推測されます。
『虐待を受けていた人たちは強度行動障害と言われる、対応の難しい人たちだ。そして養育園は強度行動障害に対応する、一種特別な施設なのだ。だから他の施設に保護するよりも、本人のためにはこのまま養育園にいることが幸せなのだ』
「本人のために・・・」などと言われると、一瞬そうなのか、と納得してしまいそうになりますが、この理由にも根拠はまったくありません。
これが理由として成立するためには、虐待されていた利用者たちが、他の施設では対応が不可能な人たちであるということの論理的な説明が必要になります。しかしそんなものは欠片もありません。あるのは、この説明のほころびばかりなのです。
まず、強度行動障害であるということが、他の施設での対応が難しいほどの困難者であるということは正しい認識なのでしょうか。本当に強度行動障害と言われる人たちと真剣に向き合って時間を過ごした経験のある人なら、この嘘に気がつくはずです。
たとえば僕は、四半世紀にわたって「ばおばぶ」を行っています。そこでは多くの障害を持つ人たちをお預かりしてきました。特に初期の頃は、まだ今のような生活支援が福祉制度には薄く、障害者の面倒は家族がみるものだという迷信が蔓延っていました。そんな時代だったので、今で言うところの強度行動障害の人などは、施設での支援を断られる事も多く、集中的に「ばおばぶ」に集まってきていました。やがて強度行動障害と言われる人たちへの支援に対して補助金めいたものが出るようになって、施設も対応をするようになっていき、今はそうした人たちの「ばおばぶ」利用は大分減ってきています。ここ2、3年、いくつかの入所型の施設を見学に行く機会がありました。その先々で強度行動障害です、と説明される人たちを見るのですが、その中にはむかし「ばおばぶ」にきていた人たちが何人もいるのです。つまり今まで「ばおばぶ」は強度行動障害の人たちと関わってきていると言えます。この経験をふまえて言うと、強度行動障害者について一般的な障害福祉施設では対応できないというようなことはない、そう断言できます。さらに付け加えるなら、強度行動障害と一口に括っても、実際には一人ひとり異なるので、逆に他の施設の方が合っているような場合も想定できます。
強度行動障害だからといって対応が出来ないというような考えは、一種の迷信に近い思い込みに過ぎないのです。
虐待を受けていた利用者の氏名等についてはプライバシーの観点から明かされていないのですが、いったい誰が、彼らについて他の施設では対応が困難だと判断したのでしょうか。もし虐待を行った施設の関係者(職員だったとしたならその人自身が虐待について見て見ぬふりをしていた可能性があるわけですが)がその判断、もしくは判断をくだす行政に助言をしていたのだとしたなら、それは滑稽極まりない話です。事件の加害者の立場にあるかもしれない人たちが、被害者の有り様について判断、助言をするなどということが常識として通るはずがありません。
いいですか、これが問題なのです。いったいなぜ、彼らは強度行動障害という理由で保護をされないのか。
保護したくても保護先の施設が無いという理屈も考えられます。もちろん、それも論理が破綻していることなのですが。
その場合には、まず何よりも、少なくとも県内のすべての入所型の施設を行政の担当者が訪れて、事情を説明し、保護としての措置入所(ショートスティでもかまわないのです)が可能かどうかを打診することが必要でしょう。かりに保護が必要な利用者の一人ひとりについて熟知した人物が他の施設での保護が不可能と判断したのだとしても、その人物は他の施設の状況をすべて知っているわけではないのでしょうから、それは正確な判断とは言えません。そしてどうやら、一つひとつの施設に打診するという作業をした形跡はないのです。そうした努力をしないまま「強度行動障害者は難しい→一般の施設では無理→養育園にいるのが本人のため」というような判断になったと推測されます。これはもはや論理や正義ではなく、面倒なことを避ける方向で思い込んだ結果だとしか思えないのです。
他の施設を使えない理由が、強度行動障害への補助金の問題だったり、あるいは定員の問題だったとしても、それらはもともと県立の施設である養育園を、虐待事件を起こした千葉県社会福祉事業団に指定管理に出した千葉県が本気になれば解決できる問題です。
さらに言うなら、保護先は入所施設に限らないのです。これは虐待事件ですから、被害者の保護という公的責任を考えた場合、そこら辺に暮らす一般の人たちの家に緊急避難させるということは無理でしょう。しかしグループホームやケアホームという制度上にある施設であれば、保護させることは可能です。実際のところ、家庭での虐待があった場合の緊急受け入れ先として、グループホームやケアホームは数えられているのですから。そして特に千葉県の場合には、どんなに障害の重い人でもグループホーム等で暮らせるようにと障害者計画で謳い、そのための施策も打っているのです。ですから、千葉県が強度行動障害を理由に、虐待を受けた人の保護先からグループホーム等を外すことはあり得ないことなのです。
しかし、虐待を受けた利用者は、どこにも保護されていないという現実。
このことはもう、理性の働きでは証明できない行為です。考えることを停止し、あるいは考えないようにして、最初から「強度行動障害の人は養育園」という暗黙の決まり事ありきで、思い込んでいることにすぎないのです。
千葉県内に多くの障害者施設がありながらも、強度行動障害者については養育園だとみんなが思い込み、それを不思議に思わないようにしているこの構図は、実は現在の障害者の置かれている差別の構造と、まったく同じなのです。「福祉のことは行政の仕事だ」とか「障害者は福祉の専門家に任せておけばいい」みたいな国民全体に蔓延している差別の空気と同じものが、差別内差別のように障害福祉の中で起こっているのです。「強度行動障害者のことは養育園に任せておけばいい」と。
障害者の暮らす場としてこの地域社会が想定されていないように、強度行動障害者の暮らす場として一般的な障害福祉施設は想定されていないのです。
そしてこのことは、何もなかった地域社会に福祉施設や制度が充実していくことで起きてきた差別であり、福祉制度の中に強度行動障害者のための支援が進んできたために生じた差別なのです。
今回の事件が明るみに出てから、多くの人が、他の施設でも同じようなことは起きているに違いない、と言っています。この同じようなこと、という言葉の定義にもよりますが、僕は同じようなことが他の施設でも起こっているかどうかについては懐疑的です。単に虐待が、ということであれば他の施設でも起きているような想像ができます。しかし養育園には養育園ならではの特別な闇があると思うのです。
養育園と他の施設との関係は、一昔前の障害福祉施設と地域社会の関係に似ています。一昔前の障害福祉施設では、今では考えられないような、それこそ命の危険にも繋がるような虐待が行われていました。そのころの虐待の姿に、養育園の虐待の姿が重なるのです。それはつまり他に行き場の無い人たちに対して行われた虐待だということです。その虐待は、障害の重さを理由としているのではなく、他に行き先が無いというその人たちの、社会から、あるいは一般の福祉施設から棄てられた度合いによる虐待なのです。他に行き場が無い利用者だということが、職員の頭と心の中からその利用者の人間性を薄めさせていくのです。
暴行をすれば、嫌になって他の施設に移っていく人に対する虐待ではなく、どんなに暴行をしても他に行くところが無い人に対する虐待はどんどんエスカレートしていきます。他に行き場のない人の方が、人間としての価値が低いような、人間性が希薄なような錯覚が、職員を残忍にさせていくのです。
こうした古い時代の障害福祉施設での虐待は、地域移行が進む現在は無くなりつつあると思います。虐待されたなら他に行くぞ、という権利と自由の獲得が、障害者の人間性を回復させているからです。職員は目の前に立つ利用者が人間としての尊厳に溢れていたなら、虐待などできないのです。
虐待ができるということ。しかもそれが残忍であり、恒常的であり、場合によっては死に至るほどにエスカレートするということの根底には、対象者の人間としての尊厳が失われているという状況があるのでしょう。つまりそれが、虐待をされても、暴行を受けても他の場所に保護されることの無い養育園に暮らす強度行動障害者の置かれている状況なのです。
他の障害福祉施設の場合とは異なって、一昔前のどこにも行き場が無いという尊厳の失われた状態が続く養育園においては、虐待を行った職員や管理職へのペナルティを科したとしても本質的な解決にはならないだろうと思います。さらに組織を変革させたとしても同様です。もちろん、そうしたことは必要だし、仮に効果がゼロだったとしても、行うべきです。しかし本当にこうした虐待を無くしたいと考えるならば、何よりも大切なことは、養育園に暮らすすべての利用者について、強度行動障害であったとしても、人間としての尊厳を取り戻させることです。尊厳に満ちあふれた人間として、職員の前に立たせることです。職員の殴ろうとする拳や、日頃のストレスをぶつけるような汚い罵る言葉を止めるのは、目の前に立つ利用者が胸を張って立つ、権利と自由を獲得した人間であるということなのです。
そのためにもっとも有効であり、必要なことが、つまり強度行動障害であったとしても養育園を出て行くことができる自由の回復。すなわちそれは施設職員や管理者、行政など、福祉に関わるすべての人たちが、「強度行動障害者は養育園だ」という無知蒙昧を棄てることなのだろうと思います。そしてそれは、当然のことながらすべての日本人が、強度行動障害であったとしても、自分の住む社会に、暮らす街に、この家庭に迎え入れることに繋がるのですが。
養育園における虐待を無くすために必要なこと
養育園での、古典的な狂気に支配された虐待を防ぐために、最初にやらなければならないこと。それは虐待の被害者でありながら保護されない人たちを、保護すること。つまり彼らの人間としての尊厳を取り戻させるということです。職員への研修や「障害者の人権を大切にしましょう」みたいな言葉によるものではなく、その人たちが養育園から出て行くことができる人であることを実践して証明すること。
養育園て虐待された人たちを本気で護りたいと考える人たちが、彼らに「君は行き場の無い人ではないんだ、僕のところに来てくれ」と叫び、それを実践すること。このことをおいて他に、彼らの人間としての尊厳を回復させる手段は無いと思います。
有志で裁判でも起こせば、保護という手続きをとらなくても彼らを養育園から出して、支援者が自分の家に住まわせることだって可能だろうと思います。しかしそれには時間がかかります。かといって無理やり連れてくることは、違法な行為にもなりかねません。もっとも早く、スムーズに彼らを虐待された場から立ち去ることができる自由な人とする方法は、やはり行政による保護なのでしょう。
そのためにできること。入所施設でもグループホームでも、あるいは個人でもかまいません。本気で彼らを護りたいと思っているのなら、彼らが尊厳を持つ人間であることを意地でも証明したいと願っているのなら、「私の施設を保護先として使ってください」「僕のグループホームで、一人だったら受け入れ可能です」「私の家に来させてください」ということを、行政の担当課に対して、そして広く社会全体に対して表明することです。
もちろん、それによって本当に保護されることがベストです。しかし仮に保護がされなかったとしても、彼らが行き場のない人だという嘘を暴いて、国民全体の思い込みを覆す力にはなっていくはずです。
繰り返します。
加害職員や、管理者を糾弾することを否定するわけではありません。千葉県社会福祉事業団を指定管理から外したり、法人組織の根本的な改革をしたりということも意味がないとは思いません。しかし、それだけでは根本的な解決にはならないのです。かりに虐待が無くなったとしても、養育園から出られない人たちという尊厳の失われた暮らしは続くのです。虐待が無くなったとしても、差別は残る。それで本当にいいのでしょうか。
職員や組織へのペナルティだけではなく、「もうひとつ」が必要なのです。
支援者が行うべきことは、職員にちゃんとした対応をさせたり、行政にちゃんと監督義務を行使させたりというような「誰々に何々をさせる」という運動だけではないのです。支援者自身が直接「私はこれをする」という行為の実践が必要であり、それがこの事件においては「私のところに来てください」ということなのだと、僕は考えます。
亡くなった利用者の方のご冥福をお祈りしています。
そして、願っています。
一日も早く、虐待を受けていた人たちが、それを助けもせずに見て見ぬふりをしていた職員たちから離れられるように。
虐待をされた現場である部屋や建物の中で眠りにつかなければならない夜が少しでも早く無くなるように。
自分を叩いた箒で部屋の掃除をさせられる屈辱と悲しみから解放されるように。