「自立」と「愛着」のはざまで
[2014年05月06日(Tue)]
GWも終わります。
今年は本当に仕事を一切しない5日間でした。
明日からはモードを切り替えて、しっかりと目の前にことと丁寧に向かい合わなきゃと。
さて、息子の「プチ独り立ち」から早24日。そのうち10日くらいはなんやかんやと息子の元を訪れては、「お世話」をしてしまいました。
今回もヘルプの手が足らず来てみたものの。
息子が冷たい…
お母さんはどうしても「独り」になる時間が長いことが気がかりで、スタッフにも迷惑をかけながら飛んで来ているというのに、全然嬉しそうじゃないし、ルームメイトのお兄さんもお友達が遊びにいらしているので帰りが遅くなる時には「一緒に京都のホテルに泊まろうよ」と声をかけても「独りでいます」と言われるし…
プッツン(♯`∧´)
お母さんは「心配」なのに。
半日以上「独り」になる意味は解んないんだよね…そう思いながらも、「愛着」を示してくれないことにイライラ。
「一人でお風呂の支度出来ないでしょう⁈」
「明日の朝ごはんはどうするの⁈」
ハイ(^^;;
グダグダ言ってしまいました。
結局この六日間は「小さな親切、余計なお世話」だったんだな〜って。
私の方が息子の心を読み取れず「心配」を言い訳に先回りしてガチャガチャやってみただけ。
「踏ん切り」を求められているのは私でした。
カイパパさんが
「考えてみると、大学生になって下宿を始めて、親のことをうっとおしく思い、連絡もしてこないとか、よくある自立の過程ですよね。お二人にとって、大きな意味のあるGWでしたね(^^)。」
ってコメントを下さって
❝そうそう。プンプンしちゃったけど、普通に青年期の「自立」の準備をしてるんだよね〜❞って、気持ちを建て直しました。
(単純)
あるお母さんは
「通常の子育てより何倍も手のかかる大変な時間を過ごしてきて、ハイさよなら…なんて、そう簡単に切り替えられませんよね!
何がベストか、きれいごとは解りきってる。
でも立場になってみないと、ねぇ〜」
って。それも一理ありますね。
「愛着」表現が難しいわが子の「自立」を心から喜ぶためには、もう少し修業が必要なようです。
今年は本当に仕事を一切しない5日間でした。
明日からはモードを切り替えて、しっかりと目の前にことと丁寧に向かい合わなきゃと。
さて、息子の「プチ独り立ち」から早24日。そのうち10日くらいはなんやかんやと息子の元を訪れては、「お世話」をしてしまいました。
今回もヘルプの手が足らず来てみたものの。
息子が冷たい…
お母さんはどうしても「独り」になる時間が長いことが気がかりで、スタッフにも迷惑をかけながら飛んで来ているというのに、全然嬉しそうじゃないし、ルームメイトのお兄さんもお友達が遊びにいらしているので帰りが遅くなる時には「一緒に京都のホテルに泊まろうよ」と声をかけても「独りでいます」と言われるし…
プッツン(♯`∧´)
お母さんは「心配」なのに。
半日以上「独り」になる意味は解んないんだよね…そう思いながらも、「愛着」を示してくれないことにイライラ。
「一人でお風呂の支度出来ないでしょう⁈」
「明日の朝ごはんはどうするの⁈」
ハイ(^^;;
グダグダ言ってしまいました。
結局この六日間は「小さな親切、余計なお世話」だったんだな〜って。
私の方が息子の心を読み取れず「心配」を言い訳に先回りしてガチャガチャやってみただけ。
「踏ん切り」を求められているのは私でした。
カイパパさんが
「考えてみると、大学生になって下宿を始めて、親のことをうっとおしく思い、連絡もしてこないとか、よくある自立の過程ですよね。お二人にとって、大きな意味のあるGWでしたね(^^)。」
ってコメントを下さって
❝そうそう。プンプンしちゃったけど、普通に青年期の「自立」の準備をしてるんだよね〜❞って、気持ちを建て直しました。
(単純)
あるお母さんは
「通常の子育てより何倍も手のかかる大変な時間を過ごしてきて、ハイさよなら…なんて、そう簡単に切り替えられませんよね!
何がベストか、きれいごとは解りきってる。
でも立場になってみないと、ねぇ〜」
って。それも一理ありますね。
「愛着」表現が難しいわが子の「自立」を心から喜ぶためには、もう少し修業が必要なようです。