ただいま〜
[2015年05月06日(Wed)]
長いGWをいただきました。
前半は息子と沖縄へ。
(特活)ぺあ・さぽーとの山城さんたちとのご縁をいただいたことで、本当に楽しかったです。
息子は「海」を充分に堪能しました。
ゆっくりと流れる時間の中、
息子との付き合い方にもまた新たな発見と課題に気づいたり。
佳い時間をいただきました。
人と人とが繋いで下さったご縁が、今回の旅を豊かなものにして下さいました。
本当に有難く「感謝」しかありません。
私から「次に繋ぐ」ことも意識しています。
そして昨日・今日は名古屋の「草の根ささえあいプロジェクト(草P)」のワークショップへ。
テーマを知った時から、私はこの一年の息子の生活をお伝えしながら、知的障害のある自閉症の青年であっても、私たち健常者が「当たり前」に叶っていることを、彼らにも「当たり前」に叶うことの意味を問いかけてみたいと思い、話題提供をさせていただきました。
そして、このワークショップを紹介してくれたカイパパさんが、以下のようにまとめてくれました。
----------------------------------------------------
今日明日と、草の根ささえあいプロジェクト主催のOSTワークショップに参加しています。テーマは、「よりどころ〜ホームを探す・創る」。
今日は2つのラウンドがあり、わたしがひとつめに参加したのは「障がいのある人が選べる『ホーム』」について。
ふつうのマンションに、ルームシェアしてくれる人と一緒に暮らす自閉症の青年の暮らし。本人が望み、実現できているが、お金が膨大にかかる。本人の障害者年金や工賃ではとても払えない。親が持ち出しで何とかしている──。
お話を聴いていて、「障害者がそんな暮らしをすることは贅沢だ!」という声が、ずっとこだましていました。行政も、地域も、もしかしたら支援者も、そう叫んでいるんじゃないかな……。いやいや、親の立場にいる人も、ともすればわたし自身も……。
これは一体何なんだろう?
障がいのある人の「身の程を知った暮らし・ホーム」の「相場観」みたいなものが世にはあって、そこにじぶんの感覚も合わせてしまっている。
だけど、障がいがあっても、子どもの間、親と一緒に暮らしていた暮らしと「同レベル」を望むことが高望みすぎるのだろうか? 実現できない絵空事なのだろうか? そういう決め付けのほうがおかしい。
おかしいことはおかしいと言い続けて、変えていかなきゃいけない。そう、勇気ある先輩お母さんの目を見て、思いました。
-----------------------------------------------------
「贅沢」とか「身の程」と向き合っていくことは、これからも大きな課題かもしれません。
私にとっての「当たり前」の暮らしが、息子にも「当たり前」に叶い、そして、息子だけではなく、そんな暮らしを願うすべての人たちが叶う世の中を目指し続けて行くんでしょうね。
「贅沢」や「身の丈」という概念も整理しながら、これからも「想い」と「現実」を発信し続けていこうと思います。
その先にきっと「未来は創られる」と信じていきたいというアタシは「青い」ですかね?
単に諦めが悪いんですけど…
近頃ブログが滞りがち。
実はFace BOOKの方が発信が楽になっています。
この7泊8日のことも、そう大したことではないけれど、もう少し詳しく知ってみたいと思われたらアクセスしてみていただければと思います。
https://www.facebook.com/adusa.ito
前半は息子と沖縄へ。
(特活)ぺあ・さぽーとの山城さんたちとのご縁をいただいたことで、本当に楽しかったです。
息子は「海」を充分に堪能しました。
ゆっくりと流れる時間の中、
息子との付き合い方にもまた新たな発見と課題に気づいたり。
佳い時間をいただきました。
人と人とが繋いで下さったご縁が、今回の旅を豊かなものにして下さいました。
本当に有難く「感謝」しかありません。
私から「次に繋ぐ」ことも意識しています。
そして昨日・今日は名古屋の「草の根ささえあいプロジェクト(草P)」のワークショップへ。
テーマを知った時から、私はこの一年の息子の生活をお伝えしながら、知的障害のある自閉症の青年であっても、私たち健常者が「当たり前」に叶っていることを、彼らにも「当たり前」に叶うことの意味を問いかけてみたいと思い、話題提供をさせていただきました。
そして、このワークショップを紹介してくれたカイパパさんが、以下のようにまとめてくれました。
----------------------------------------------------
今日明日と、草の根ささえあいプロジェクト主催のOSTワークショップに参加しています。テーマは、「よりどころ〜ホームを探す・創る」。
今日は2つのラウンドがあり、わたしがひとつめに参加したのは「障がいのある人が選べる『ホーム』」について。
ふつうのマンションに、ルームシェアしてくれる人と一緒に暮らす自閉症の青年の暮らし。本人が望み、実現できているが、お金が膨大にかかる。本人の障害者年金や工賃ではとても払えない。親が持ち出しで何とかしている──。
お話を聴いていて、「障害者がそんな暮らしをすることは贅沢だ!」という声が、ずっとこだましていました。行政も、地域も、もしかしたら支援者も、そう叫んでいるんじゃないかな……。いやいや、親の立場にいる人も、ともすればわたし自身も……。
これは一体何なんだろう?
障がいのある人の「身の程を知った暮らし・ホーム」の「相場観」みたいなものが世にはあって、そこにじぶんの感覚も合わせてしまっている。
だけど、障がいがあっても、子どもの間、親と一緒に暮らしていた暮らしと「同レベル」を望むことが高望みすぎるのだろうか? 実現できない絵空事なのだろうか? そういう決め付けのほうがおかしい。
おかしいことはおかしいと言い続けて、変えていかなきゃいけない。そう、勇気ある先輩お母さんの目を見て、思いました。
-----------------------------------------------------
「贅沢」とか「身の程」と向き合っていくことは、これからも大きな課題かもしれません。
私にとっての「当たり前」の暮らしが、息子にも「当たり前」に叶い、そして、息子だけではなく、そんな暮らしを願うすべての人たちが叶う世の中を目指し続けて行くんでしょうね。
「贅沢」や「身の丈」という概念も整理しながら、これからも「想い」と「現実」を発信し続けていこうと思います。
その先にきっと「未来は創られる」と信じていきたいというアタシは「青い」ですかね?
単に諦めが悪いんですけど…
近頃ブログが滞りがち。
実はFace BOOKの方が発信が楽になっています。
この7泊8日のことも、そう大したことではないけれど、もう少し詳しく知ってみたいと思われたらアクセスしてみていただければと思います。
https://www.facebook.com/adusa.ito
【今日の感慨の最新記事】