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虹の夢

生き難さを抱えている人たちの幸せな未来を願っている「お節介おばさん」の徒然日記です。

自閉症/発達障害のある方など生き難さを抱えスペシャル・ニーズを持つ方々の「未来を創りたい」…そんな大きな夢を叶えるために、「楽しく・嬉しく・明るい」情報発信をしていきます。

2020年度「放課後等デイサービス 評価アンケート」の結果を2021.2.19の記事に掲載しています。
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「集団」を考える [2014年04月10日(Thu)]
今朝早く、関西で支援者をしておられる方のブログでの投稿記事を拝見して、Blogでだけ繋がっている方とも『共有』したいな…と。

私たち「ぶれいん・ゆに〜くす」は。「独り」は決してダメなことではないことを、そして「キミは独りじゃない」ことを、丁寧に伝え続けていきたいと思っています。
(以下「lessorの日記」より転載)
■子どもにとって集団ってそんなによいものだろうか。 01:34 子どもにとって集団ってそんなによいものだろうか。を含むブックマーク 子どもにとって集団ってそんなによいものだろうか。
 公園で子どもたちと全力の鬼ごっこをする。もちろん仕事で。

 もう何年も続けてきているのだが、自分が主に関わっているのは特定の支援が必要な子どもである。年月が経つにつれて、周囲の環境は変わる。特に「お友だち」の顔ぶれは変わっていく。

 公園でいっしょに遊んでいる子どもたちの中に「発達の気になる子」は他にもいて、うまくいけばみんなが正しく人との関わり方を学べる場になる反面、下手をすると互いに傷つけたり傷つけられたりするコミュニケーションが加速していく。

 低学年のうちは同級生の集団でうまいぐあいにやれていたが、多くの子どもは年齢があがってくると公園では遊ばなくなる。自分の印象では、年齢があがってきたのに公園で遊び続けている子どもの中に「気になる子」は多い。発達の凸凹が見られることもあるし、家庭環境の問題が垣間見えることもある。

 「気になる高学年」と「その他たくさんの低学年」が交わるようになってきたのは最近だ。「気になる高学年」は社会性にいろいろと課題を抱えていて、同級生と遊ぶのが次第に難しくなってきているし、そもそも同級生を公園であまり見かけない。結果として低学年たちの中に加わり、その中で年長者として子どもたち集団を牽引していきはじめた。低学年たちも先輩に従う。両者のコミュニケーションのレベルに大差はない。

 「気になる子」をうまく導いていくのが仕事であるとも言える自分は、これまで「気になる子」が自分との間で好ましくないコミュニケーションを図ってきたときに、それを修正してこられていた。周囲の子どもへの悪い波及効果も生じてはこなかった。むしろ周囲も含めて集団での遊び方を正しく学ぶことに役立てていたと思う。

 ところが、ここにきて「気になる子」もうまく導けないばかりか、周囲の子どもたちまでもみんなで悪い方向へと加速していく場面が生じ始めた。

 自分と一対一で関わるときの「気になる子」は、いくらかコミュニケーションの理解や伝達に不器用さのある子どもである。少しばかりの配慮によって、相互の誤解はとける。

 同級生と関わるときの「気になる子」は、普段から様々な場面で非難されたり、馬鹿にされたり、拒否されたりしているので、大人をよりどころにしようとする。大人が間に入って「通訳」を買って出ることで両者に橋を架けられる。

 では、下級生集団といっしょになるとどうか。

 下級生は上級生の言うことを聞かねばならないと思っている。もう少し時間が経つと「なんだか言ってることがいろいろおかしい」と思い始めるのだろうが、今はまだそう思えていない。「気になる子」から遊び方の指示を出されて、それに従う。

 上級生としての「気になる子」は、先輩として自分の意のままに動く子どもたちといっしょに遊べて楽しい。それにとどまらず、顔見知りで普段なら一目おいた存在である自分におかしなちょっかいを出し始める。勝手にカバンをあけるとか、帽子を脱がすとか、ポケットに落ち葉を詰めてくるとか、まあそんなようなことである。自分と一対一のときにそんな行動をしかけてきても、すぐに消せる。それらは本当のところ「大して面白くない」からである。

 しかし、今回は違う。その子の行動を見守っている下級生がたくさんいて、爆笑してくれる。集団になった子どもたちは大人に「やってはいけないこと」をする先輩に大はしゃぎだ。盛り上がる場に自信をつけた「気になる子」はますます行動を加速させていく。普段ならば、こちらが無反応を貫きとおせば静かにおさまっていくものが、なかなか終わらない。

 もちろん一喝すれば済むのである。しかし、日常から注意や叱責ばかり受けている子どもたちに対して、自分たちは安易に同じ方法をとるまいといつも考えている。だから、少し手こずることになった。誰かが大人との望ましいコミュニケーションを学べたとも言い難く、公園を離れても、なんだかすっきりしない。

 つくづく思う。「集団」って、そんなよいものであろうか、と。

 自法人でやっている発達が凸凹した子ども向けの療育も、当初は「小集団」の中で自信を深めてもらうことを志向していたのだけれど、月日を重ねるにつれて、どんどんスタッフと一対一で行う「個別」療育が増えている。

 集団の中で学ぶには適切なモデルが集団内部にいたり、そのモデルを真似られる力をもっていたりしなければならない。にも関わらず、どんな子どもも無条件に「集団」に投げ込むことが評価されて、それが社会的な包摂の象徴であるかのように言われる。「保育所に入れれば、できるようになる」「子どもたちどうしで刺激を受けて、できるようになる」なんてことも言われる。しかし、集団の中に入ることで得られるものと失われるものの両方がバランスよく列挙されることはない。集団に入る「前段階」があるのではないか、と強く疑われることもない。とりわけ明確に「障害」と呼びにくいような「発達の凸凹」においては。

 ああ、学校の先生はこうやって大声で子どもたちを叱りつけるようになっていくのかもしれないと想像を膨らませる上では勉強になった。いや、一対一でも多くの先生は叱りつけている気がするけど。

Posted by 伊藤 あづさ at 13:06 | Autism awareness | この記事のURL | コメント(0)
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