長いタイトルですが…
[2013年12月20日(Fri)]
私には、全国に数人「ASD48」なんて名づけている、障害のある子を持つ素敵なお母さんたちの仲間がいます。
先日愛知の「むそう」を見学させていただくにあたって、尽力くださっが永田尚子さんが、ご自身のお子さんの自立に向けた日々を知らせてくださいました。
わが家でも、来年4月に向けて、今「外」へ出してみようかと模索中。
本人の望む「専門学校(みたいな雰囲気の事業所)」と、暮らしの場をセットで探すのはなかなか大変です。
3月中に決まるのかな…と不安もよぎりますが、まぁ、最悪(?)の選択肢もすでに計画の中には入っています。
いつかは親とは離れて暮らすことになるわが子との親離れ・子離れのタイミングは、本当に戦略と方略の両方が必要なのだと痛感する日々。
永田さんの想いが胸に響きます。
(以下転載)
「グループホームという名でも、そこに至るプロセスによっては、入所と変わらなかったりして・・・.」
なんて、長いタイトルですが…。
長女がグループホームを利用し始めて、一か月が過ぎた。
前にもFBで書いていたけれど、帰ってきたときの我が家は、淡々としていていつもと変わらない。
変わったことは、彼女の持ち物が少しずつ、ホームに移動していることぐらい。
こんな風に少しずつ、ホームの部屋は彼女仕様に、好きなものに囲まれて、
暮らしやすくなっていくんだなあと思う。
去年の五月に認知症の母が腰を痛め、その介護のために、長女は緊急でショートに行くことになった。
元々、うちの場合はグループホームを早く利用させたいという親の思いもあり、
たまたまグループホームのお試し用の部屋が空いていたので、
そのまま、お試しからグループホームの利用もありかなと考えていた。
着替えのこともあり、母のことも一息ついたので、長女を迎えに行った。
彼女は家に帰りたそうだった。
グループホーム利用に向けて、それからも月に一回ずつぐらいショートを利用した。
そのたびに、いろいろ彼女が好きそうな物を持たせようとしたが、
着替えと洗面用具しか持っていかなかった。
そのうちショート先でいろいろなことが起きた。
そして、ショートに行かなくなった。
「おかあさんが用事で遅くなると一人で困るでしょ?」と聞く。
「だいじょうぶ!ひとりで・・・。」と言う。
ひとりで、生のソーセージやキュウリやトマトをいれた加熱してない味噌汁を作り、
帰ってきた私に、よそおってくれた。
真っ暗な中で、大きな声で歌を歌っていた。
おバカな私はようやく気が付いた。
彼女は、私の都合でショートに行くぐらいなら、お家でひとりで頑張りたかったのだ。
いくら帰りが遅くても、高校生の次女を人に預けたりはしない。
知的に障害があるとはいえ、彼女はお姉さんなのだ。お姉さんのプライドがあるのだ。
長女は人が大好きだから、お泊りは嫌いじゃない。
でも、ショートにしても、グループホームにしても、
親の都合だったり、親の想いだけだったら、NOなんだ。
あくまで、彼女が主体でなきゃダメなんだと思った。
たとえ、形態がグループホームであっても、
たとえば本人のために一生懸命考えても、
親と事業者だけで話し合って準備してしまえば、
それは彼女にとっては自分事ではない。
彼女の中に、自分のことを尊重してもらったという思いがあって、
自分事として感じられるようなプロセスをたどって、
ようやくホームはホームとして受け入れられるんだろう。
彼女が生きてきた22年を知ろうとしてくれ、
今の彼女を尊重し、一緒に生きていこうとしてくれるスタッフに巡り合え、
彼女は最重度の知的障害がありながら、
山あり谷ありの人生を、当たり前に暮らしていくんだろうなあ・・・。
お母さんも、自分の人生、精一杯頑張りますね。
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でも、すごくうれしいです。ありがとうございました。