皆働社会 日本理化学工業見学その2
[2012年10月20日(Sat)]
おはようございます。
仙台はお天気のよい週末を迎えております。
ぶれいん・ゆに〜くすでは、この週末、横浜から先生をお招きして療育の自立課題の勉強をします。
ブログを読んでくださる方、ありがとうございます。
お仕事をされている方に質問です。
出勤のために家を出るときの気持ちってどんな感じでしょう。
今日は、ちらりとそんな事を意識しながら、お付き合いいただければと思います。
今回、日本理化学工業さんを見学させていただき、大山会長から伺ったお話の中でも、皆働社会という考え方に、とても大きく夢が膨らみました。
国が障害者の最低賃金を補償し、中小企業で障害者を雇用するという制度です。
中小企業のもつ職人文化は、個々の人に対応する職人文化をもっている。
中小企業が力をつけることは、大企業や日本の経済全体にもプラスになる。
働くという喜びを持つことなく、施設に入るしかなかった人たちが地域で自立した生活を送ることができる。
彼らが地域で生活することにより、地域経済も潤う。
WINWINの素晴らしい制度です。
今回見学会にお邪魔して、お話を伺うための食堂に案内されて最初に目に留まったのが、従業員の方たちがそれぞれの目標を書いたものが掲示されているコーナーでした。ブログで紹介されている方がいらしたので、ネットで拝見していました。
実物を拝見して思ったのが、
「皆さん、結構お歳がいっている。」ということ。
工場を見学したとき、若そうなイケメンの従業員の方に
「何年目ですか。」と伺ったら
「14年目です。」というお返事。
実際は、私の声は工場の騒音の中では届かず、隣にいたこれまたイケメン好きの親分が声を張って聞いてくれたのですが、親分と私はイケメン君からお互いに視線をはずし顔を見あわせて
「長いね。」
とハモッテしまいました。
障害者雇用のきっかけとなったのは、養護学校の先生から生徒の就職を頼まれたことがきっかけだそうです。雇うことは難しいけれど働く経験として2週間の実習を受け入れたところ、一生懸命働く姿に、社員の方たちが心を動かされ、当時専務だった会長に、自分達が面倒をみるから就職をさせてやって欲しいと頼み込まれたのが今から50年前。
その時に入社された方が、今も働いておられます。
私は、新卒で入った会社に3年半勤めました。いわゆるOLというやつです。
バブル景気の終わりの頃でした。
初出勤の日に上司から
「結婚されたらどうされますか。」
と聞かれました。笑顔で
「家庭に入りたいと思います。」
と答えました。
「わが社でもそれをお薦めしています。」
上司も笑顔で答えます。
当時の王道の問答でした。
「結婚して早くこの会社を辞めたい。」
そんなことばかりを考えて多くの時間を過ごしていました。
だって私はいつまでもここで働くことはできないのだもの。
大して役にたつ仕事をしている訳でもないのに、しがみつく事はできない。
会社員という身分でも、心はちっとも安定できませんでした。
皆働社会
そんな制度ができたら日本はもっと良くなる。
机上では多くの人が思うでしょう。
制度ができた上で、かなうこと。
会社に必要とされているという実感。
社会に役立てているという実感。
人を育てて次世代につなげているという実感。
人の営みの中で生きているという実感。
役割をもって生まれ、生き、終えて旅立つ。
障害のある人も経営者も、家族も、だから社会が、活きる。
そんな世の中がかなうのだと、心がふるえました。
見学会のあと、大山会長と秘書の真里さんが私たちのために時間を作ってくださいました。
大山会長は、ドリームプランプレゼンテーションで伊藤が叶えたい夢を応援すると何度もおっしゃってくださいました。
大山会長とお会いする事ができて、私たちの夢がぐっと立体的になっていく感覚を味わいました。
真里さんから素敵なカードとプレゼントを頂いて帰って来ました。
可愛いボードとイーゼル、キットパスのセット。
あまり上手ではありませんが、これに描く第一号は私よ!とワクワクと描きました。
心意気が伝わったのか、好評です。
イーゼルの向こうには、ドリプラのパートナーの南雲明彦さんからの贈り物。
Schaleの開所式にも駆けつけてくださいました。
夢に向かって、進む。
応援してくださる方たちがいる。
夢をかなえるため、青空の下、心も軽く出勤です。
みき
仙台はお天気のよい週末を迎えております。
ぶれいん・ゆに〜くすでは、この週末、横浜から先生をお招きして療育の自立課題の勉強をします。
ブログを読んでくださる方、ありがとうございます。
お仕事をされている方に質問です。
出勤のために家を出るときの気持ちってどんな感じでしょう。
今日は、ちらりとそんな事を意識しながら、お付き合いいただければと思います。
今回、日本理化学工業さんを見学させていただき、大山会長から伺ったお話の中でも、皆働社会という考え方に、とても大きく夢が膨らみました。
国が障害者の最低賃金を補償し、中小企業で障害者を雇用するという制度です。
中小企業のもつ職人文化は、個々の人に対応する職人文化をもっている。
中小企業が力をつけることは、大企業や日本の経済全体にもプラスになる。
働くという喜びを持つことなく、施設に入るしかなかった人たちが地域で自立した生活を送ることができる。
彼らが地域で生活することにより、地域経済も潤う。
WINWINの素晴らしい制度です。
今回見学会にお邪魔して、お話を伺うための食堂に案内されて最初に目に留まったのが、従業員の方たちがそれぞれの目標を書いたものが掲示されているコーナーでした。ブログで紹介されている方がいらしたので、ネットで拝見していました。
実物を拝見して思ったのが、
「皆さん、結構お歳がいっている。」ということ。
工場を見学したとき、若そうなイケメンの従業員の方に
「何年目ですか。」と伺ったら
「14年目です。」というお返事。
実際は、私の声は工場の騒音の中では届かず、隣にいたこれまたイケメン好きの親分が声を張って聞いてくれたのですが、親分と私はイケメン君からお互いに視線をはずし顔を見あわせて
「長いね。」
とハモッテしまいました。
障害者雇用のきっかけとなったのは、養護学校の先生から生徒の就職を頼まれたことがきっかけだそうです。雇うことは難しいけれど働く経験として2週間の実習を受け入れたところ、一生懸命働く姿に、社員の方たちが心を動かされ、当時専務だった会長に、自分達が面倒をみるから就職をさせてやって欲しいと頼み込まれたのが今から50年前。
その時に入社された方が、今も働いておられます。
私は、新卒で入った会社に3年半勤めました。いわゆるOLというやつです。
バブル景気の終わりの頃でした。
初出勤の日に上司から
「結婚されたらどうされますか。」
と聞かれました。笑顔で
「家庭に入りたいと思います。」
と答えました。
「わが社でもそれをお薦めしています。」
上司も笑顔で答えます。
当時の王道の問答でした。
「結婚して早くこの会社を辞めたい。」
そんなことばかりを考えて多くの時間を過ごしていました。
だって私はいつまでもここで働くことはできないのだもの。
大して役にたつ仕事をしている訳でもないのに、しがみつく事はできない。
会社員という身分でも、心はちっとも安定できませんでした。
皆働社会
そんな制度ができたら日本はもっと良くなる。
机上では多くの人が思うでしょう。
制度ができた上で、かなうこと。
会社に必要とされているという実感。
社会に役立てているという実感。
人を育てて次世代につなげているという実感。
人の営みの中で生きているという実感。
役割をもって生まれ、生き、終えて旅立つ。
障害のある人も経営者も、家族も、だから社会が、活きる。
そんな世の中がかなうのだと、心がふるえました。
見学会のあと、大山会長と秘書の真里さんが私たちのために時間を作ってくださいました。
大山会長は、ドリームプランプレゼンテーションで伊藤が叶えたい夢を応援すると何度もおっしゃってくださいました。
大山会長とお会いする事ができて、私たちの夢がぐっと立体的になっていく感覚を味わいました。
真里さんから素敵なカードとプレゼントを頂いて帰って来ました。
可愛いボードとイーゼル、キットパスのセット。
あまり上手ではありませんが、これに描く第一号は私よ!とワクワクと描きました。
心意気が伝わったのか、好評です。
イーゼルの向こうには、ドリプラのパートナーの南雲明彦さんからの贈り物。
Schaleの開所式にも駆けつけてくださいました。
夢に向かって、進む。
応援してくださる方たちがいる。
夢をかなえるため、青空の下、心も軽く出勤です。
みき