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2つの強制収容所の話 そのA  [2012年07月11日(Wed)]
←@からのつづき(^▽^)

前述の日系人収容所よりさらに酷い環境だったといわれる
チャモロ人収容所の歴史がグアムにはあります。


第二次世界大戦中、グアムではアメリカ軍の攻撃に備え、
島の住人チャモロ人が日本軍に強制的に移動収容された史実があります。

もちろん市民を戦争に巻き込まない為でもありましたが、
一刻を争う大移動は、一方的で強引に死者や負傷者を出しながら行われたそうです。
地元では「死の行進」と言われています。

島民2万人の内の1万8千人が強制収容されたマネガン収容所は、
住居も食料配給もないような酷い環境だったそうです。


先週の土曜日には、ジョナのその場所で地元慰霊祭があり、
日本からもグアム大使はじめ岡山からの使節団、日本人学校教師と
そのご子息さんら他出席されたそうです。

グアムでは高齢で僅かになってしまったサバイバーが出席し、
「許す事で心の平和にたどり着いた。」と語ったそうです。




《彼らの手記や当時の写真を集めた "Real People. Real Stories." が
アデラップの 【The Latte of Freedom ラッテ・オブ・フリーダム】 にて、
今月いっぱい展示されます。Websiteはコチラ http://guamwarsurvivorstory.com/



終戦間際追い詰められた日本軍統治の環境下で、
現地の人達が一部奇行に走った日本兵に虐げられた史実は一つではありません。


戦後日本は平和憲法のお陰で戦争をしない事を選択し、
今ではグアムの自然やリゾートを楽しめるようになりました。


ただし、ここグアムに関しては、
戦後統治国家のアメリカがサンフランシスコ条約における2国間協定で
米国属領地域のグアム、キスカ、アッツ (現地住人被害があったのはグアムだけ)に対する
賠償放棄をした為、日本は賠償義務免除されている事を忘れる訳にはいきません。

(他のマリアナ諸島の島々に対しては18億円の準賠償(経済技術協力)を行いました。)
 

【注:日本軍隊によって占領され、日本国によって損害を与えられた地域に対する
戦後補償支払総額は1兆362億5711万円 国立国会図書館外交防衛課資料より
....敗戦国のみに賠償責任を課す事に対する疑問は、今も世界で問われている問題のひとつです。日本が失ったものは計り知れません。グアムでは2万人の日本兵が無くなっています。】


この為、サバイバー達への補償や土地の返還は対米国家の問題へ転化していますが、
68年たった今も解決していません。


現在のグアムでは多くの若者たちがアフガニスタンに出向き
命を落としたり、傷病したりしています。


さらには、沖縄からの米軍移転問題が、
住民の生活や、自然、土地、文化遺跡を脅かしているのです。



グアムは略奪国家の都合に振り回され続けてきました。
お互いを認め合い、共に島を愛しみ、共に歩む事を模索できれば、違ったかもしれません。



このような史実や現実を感じて、
戦争という状況が沢山の悲劇を生みだす事を忘れずに、
歴史から学び、今を見つめ、未来について考える事が出来る。
グアムはそんな側面をもつ島なのだと思います。





今後の慰霊祭

Tinta cave and Faha cave massacre site visits: 8 a.m., July 15

Fena massacre memorial: 9 a.m., July 19

Asan Bay overlook memorial commemoration: 9 a.m., July 20

第45次(第6回)戦没者合同慰霊祭”マリヤ観音フェスティバル2012“
ジーゴ慰霊平和公苑 10月中旬




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Posted by ANDRE・あんどれ at 13:59 | 歴史文化 His+Cul | この記事のURL | コメント(0)

2つの強制収容所の話 その@  [2012年07月10日(Tue)]
もう夏ですね〜。
今日は第二次世界大戦中の2つの収容所についてお話させて下さい。


昨夜、アメリカのグラミー賞受賞ロックバンド『リンキンパーク』が
ZEROで取り上げられていました。

『音楽を通して世界の地域の問題や災害などを救済する』
そんな彼らの慈善活動は各地で多大な貢献をしてきました。

ハイチやインドネシアの地震に続き、東日本大震災の被災地にも、
昨年ロスでのB’zとの支援ライブで、ランドセル5000個と収益金の35万ドルを寄付、
その後の義援金も、4000万円を超えるそうです。
LINKIN PARK 2005年設立 慈善活動団体【Music for relief】
http://www.musicforrelief.org/main/


中心的メンバーの一人マイクシノダは日系三世で日本に思い入れが深いそうです。

今回の放送では紹介されていませんでしたが、彼のお祖父さんは、
第二次世界大戦中のアメリカは国内日系人を敵とみなし、
12万にものぼる彼らを強制収容しましたが、その被験者の一人です。

彼がサイドプロジェクトとして
お祖父さんの体験を歌った『Kenji』という曲があります。





アメリカでは小学校から、第二次世界大戦を勉強する際、
戦時下に犯してしまった負の部分としてこの強制収容所の事を必ず習います。

その時期に学校で配られるSCHOLASTIC推薦図書オーダーでも
必ずと言っていいほど関連本が紹介されます。

(アメリカ政府は戦後40年、当時の失政を認め謝罪し、補償と教育基金の設立をしました。)
「日系アメリカ人強制収容所の概要」JAPANESE AMERICAN NATIONAL MUSEUM
http://www.janm.org/jpn/nrc_jp/accmass_jp.html


あまり日本の学校でそのような勉強はしませんが、
2010年の年末のTBS特別ドラマ
【99年の愛〜JAPANESE AMERICANS】
で橋田壽賀子が彼らの歴史を描き話題を呼びました。
http://www.tbs.co.jp/japanese-americans/index-j.html


長くなってしまいましたが、ここからグアムと日本の話になります。

前述の日系人収容所よりさらに酷い環境だったといわれる
チャモロ人収容所の歴史がグアムにはあります。


Aへつづく(^−^)→



↓日系人強制収容所についての参考図書





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Posted by ANDRE・あんどれ at 13:51 | 歴史文化 His+Cul | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

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