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出稼ぎ移民、グアム島へ[2014年08月25日(Mon)]

ハッファデイ!
今日は江戸末期の日本人とグアムのお話です。


江戸幕府の海外渡航禁止令が解け、明治元年(1868年)、
海外出稼ぎ人達がまず向かったのがグアム島だったのは
ご存知ですか?

約二週間後に出航したハワイ労働移民の記述は多くありますが、
実は一番手がグアム島です。


横浜の外国商社2社の斡旋によって3年の雇用契約で
新興生活を夢見て各地より横浜に集まっていた42名
(うち2名女性)が雇われ、4月の半ば
当時スペイン領だったグアム島へと向かいます。

この時の日本は幕末の混乱期でもあり、
スペインとの和親条約は締結前で、
維新政府の許可なしの渡航でした。

契約賃金は、月額、洋銀4枚 半額預かり後払い
出航時は日本の通貨主権も整っておらず、洋銀は有利で、
洋銀4枚は天保小判3枚と同等交換できた事を考えると、
リスクを踏まえても魅力的な雇用契約だったのかもしれません。

mexican_silver_dollar.jpeg

航行期間38日を経てアガニャへ入港、
スペイン統治の長 フランシスコ モスコソ イ ララ
(任期1866-1871年)に引き渡されます。

仕事の内容は、始めの2年は移民全員で協力し
タンタノという荒野を農耕開拓。
その後、方々に分かれて
現地住民と一緒に農耕に従事したとされています。


方々に分かれてからはタロモページロ
という世話人の下、働きますが、
彼の扱いは、現地住民に対して同様に
日本人移民にも酷いものでした。

3年3カ月目、過酷な扱いに耐えきれず、
一同で、イ ララに指揮者の変更を求めましたが、
聞き入れてもらえないどころか、
契約期間が過ぎていた事と、
現地住民も仕事を憶えた事から、
契約解除を申し渡されます。


未払い賃金は支払われず、
帰国の船の用意も無視された移民達は、
自分達でアガニャに入港する船に
その都度嘆願交渉するしかありませんでした。

丁度、知事の交代時期が重なった事も、
帰国の交渉を難しくさせた要因のひとつかもしれません。


帰国の船を待つ間、移民達は食う事を原住民に
頼らざる得ない状況で、南方の二つの村に分かれて
お世話になっていた様です。
さぞありがたかった事でしょう。

およそ8カ月後、第1陣4名がやっと英国船に乗り帰国。
これにより、グアムに渡航していた日本人がいた事と
まだ取り残されている人達の存在を、
政府が知る事になります。


その後10カ月で残りの移民が帰国を果たしましたが、
維新政府のその後の移民政策や対応に
少なからず影響を与えたと言われています。

明治維新とともに始まった南方出稼ぎ史は
波乱の幕開けだったと言えます。


特記;
渡島航海中の死亡者3名
グアム従事期間中死亡者7名
病気による渡島途中の下船者(ボニナス島)夫婦2名

42名中グアム島に辿り着いた人数37名
記録によると日本へ帰国した人数26名
グアム滞在中の死亡者と他国への渡航者の数 不明

出稼ぎ移民の歴史の扉を開いた42名の先人達に敬意をこめて。

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Posted by ANDRE・あんどれ at 14:45 | 歴史文化 His+Cul | この記事のURL | コメント(1)

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コメント
あんどれさん
貴重な歴史のお話、とても興味深いですね!

あの、昨日、偶然、
お隣のCNMIで使われている教科書を見ていたら、
サイパン島への日本人農民の移住の記録を見つけたので、
こちらにシェアさせてください。


時は、モスコソ・イララ知事より一つ前の
デラ・コート知事の時代です。

1865年、
39人の中国人農民が
農業移民としてグアム島へ誘致されたそうなのですが、
(知事のプロポーサルでは、なんと中国人5000人誘致という計画!)

ほぼ同時に、
日本人農民のグループ(人数不明)もまた
農業移民としてサイパン島に移住した、とあります。

彼らは、日本には帰らなかったらしく、
サイパン島でそのまま島の人たちと結婚して
コミュニティに溶け込んでいったそうです。

(帰国しなかったから、日本側では把握できなかったんですね。。。)

Posted by:Grass-Roots  at 2014年09月22日(Mon) 09:53

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