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山口市内には
いろんな方面で活躍する子育て支援者さんがたくさんいます

このブログでは
そんな支援者さんをママスタッフが取材し、紹介します

このブログで素敵な支援者さんを知って是非会いにいってください

さらに子育てが楽しくなるかもしれまんせんよ



vol.39 伊藤 美代子さん (前編) [2015年09月10日(Thu)]
昭和60年代、中国・四国地方で女性初の公立中学校長に就任された伊藤美代子先生にお話を伺いました。

「子どもは体ごと自然の中で、そして仲間の中で育っていく」

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〜プロフィール〜
山口市立二島中学校長を最後に定年退職された後、山口県ふれあいテレホン相談員、山口市教育委員、山口県子ども人権専門委員会委員長などを歴任。
現在は、「大人も子どもも育つ」をモットーに、仁保幼稚園サポーターズとして絵本の読み聞かせや、仁保地域の中学校の生徒の健全育成、地域全体で子どもたちを育むコミュニティスクール委員もしておられます。

*40年間の教壇生活について教えてください。

昭和22年に新制中学校ができました。戦争が終わって学校の在り方を模索していた頃です。私は2年目の昭和23年、師範学校を出て教師になりました。先生が足りない時代で、教え子とは5歳しか違わず、一つ上の学級と一緒に卒業式もしました。女らしく装ったことなど稀な、チョークの粉がお化粧代わりの40年間の教壇生活でした。

勤務先は、すべて中学校。最初の赴任先には、家から通える範囲の仁保中学校に希望を出したら叶いました。理想的な音楽教育を思い描いていましたが、社会科と女子体育を受け持つことになりました。しかし保有する免許は、数学と音楽。それから毎日たくさんの本をバッグに入れ、学校と家を往復し、深夜まで勉強する日々でした。

幸い、私は生徒、親、同僚、そして地域の人々に恵まれました。山口市に27年勤務した後、柚野をはじめ、串、川上、二島と、下宿生活も味わい、それぞれの地域の暮らしむきにも触れさせてもらったし、数えきれない多くの懐かしい人に支えられました。特に管理職時代は老人クラブのお年寄りなど、幅広い交流から学ぶことが多かったです。

*勤務された中学校について教えてください。

当時の仁保中学校は、小学校の一角にあり、教室、机、椅子すべて不足し、音楽室は旧作業場の土間にありピアノもありませんでした。初めて出会った生徒は様々で、予科練帰りもあり野性的。学校の周辺は小高い丘で、引き揚げた人たちの開拓地となっていて、昭和天皇もこの地に励ましに来られました。

次に大内中学校、そして大殿中学校、さらに宮野中学校、その後に僻地にうつり、当時の佐波郡徳地の柚野中学校までが教諭として、続いて同じ佐波郡の串中学校では教頭として勤務しました。その後、阿武郡の川上村の川上中学校で、初めて校長として勤務しました。

川上中学校では、冬の三瓶山(島根県)で合宿もしました。生徒たちが手に持ったキャンドルの光がゆらめく天井の下で、迎えた三学期の始業式は幻想的で、卒業生たちは今でも強く印象づけられていると言います。

最後に勤務した二島中学校では、ここが仕上げになると思ったので相当力を入れて頑張りました。生徒一人一人が主役ととらえ、また生徒たちの主体性を学校経営に活かすよう取り組みました。一緒に文化祭を作ったことも記憶に残っています。

*中国・四国地方初の女性校長就任、苦労が多かったことと思います。
国際婦人年(1975年)に開催された世界会議で、目標達成のための10年にわたる「世界行動計画」が採択されました。女性管理職を作ろうという全国的な動き、女性の地位向上への強い要請、そのような流れを受けて、3年目から徐々に女性校長が誕生しました。

私が中四国地方で初めて女性校長に就任した時には、全国でも女性校長はまだ13人しかおらず、中四国ではその後2年間は私一人でした。近隣県は「負けた」という思いだったのか、その後に女性校長が増えました。全国の校長先生の集まりでは、どこを見ても男性ばかり。会合をする施設の男子トイレはすごい行列なのに、女子トイレは並ばずに入れたのは良かったですが、複雑な気持ちでした。

そして、校長に就任した時に、私に関わる人たちみんなが喜んでくれました。教え子たちや友人たち、そして親戚などみんなが「美代子の名前が出ている!」「先生の名前を見ました!」そう言ってとても喜んでくれたことが、私も本当に嬉しかったです。

*全国的に、学校が荒れた時代だったそうですね。

急に日本が経済成長した頃で、中学生のうつ病も多く、どの学校でもいじめや自殺がありました。社会的にも荒れた時代で、何か事件があるとすぐ大きく取り上げられました。あの頃は、朝登校すると窓ガラスが割れていることもあり、掃除しないと危険なので、毎日校長と教頭がごみ取りをしていました。

川上中学校も難しい時期を迎えており、新しい気持ちで女性校長をということもありました。就任前のある日、川上村の教育長と村長に宴席に呼ばれましたが、先方は「こんな小娘で大丈夫か?難しいだろう」との思いからか、最初の一言は「飲めるか?」でした。次に「生徒はもちろん先生たちを把握する力があるか?」と。この宴席が、川上中学校長就任への実質的な面接だったようです。男女平等ではない時代でしたから、どこかに女性の校長をという話が出ていても、なよなよした女性では困ると、器量を見たのでしょう。私の年齢は、当時50代になっていました。

*男性からの嫉妬はありましたか。

セクハラはありました。校長就任後、「ここはいろんな人がいるから、自分の行動に気をつけなさい」と言われたこともあります。飲み会で盃を受けた時に、いきなり不躾な発言をされたこともありました。今まで我慢していたものが破裂した思いで、とっさに盃を相手の顔にぶっかけてしまいました。しかし、宴席は地域との潤滑油の役割もあったのでしょう。飲めて良かったと思います。

そんな環境で、良くやったと自分でも思います。男性には分からない苦労がありましたし、自分がしっかりしないと女性校長があとに続かないというプレッシャーも大きかったです。
当時はそんな時代でしたが、今でも「女がしゃしゃり出て」と聞こえてくることもあります。私が若ければ、頭をゴツンとしてやるところです。今は、10年前に比べても女性校長が格段に増えました。でも小学校と中学校が多くて、高校はまだまだ少ないですね。

*文部省の海外視察はいかがでしたか。

校長に就任した頃、一か月半ほど海外に派遣されました。みな小中高から選抜の先生方で、25人ほどのうち女性は5人程でした。フランス、ドイツ、イタリア、オランダなどヨーロッパに行きました。フランスで、「日本の女性教師は少人数か?」と聞かれ恥ずかしかったのを覚えています。ドイツは、東西分割時なのでとても厳しく、ピストルをもった人が旅人一人一人についていました。国境を渡るとき、バスの下まで確認するほどでしたので緊張しました。東西の違いがとても大きかったのが印象に残っています。後年、ベルリンの壁が崩壊した時、先に行っておいて良かったと思いました。

ドイツ国境に近いアルザス地方コルマール市での四日間も印象深かったです。
ここは、フランスとドイツの間を戦いのたびに領地替えさせられた悲劇の地で、訪問したリセ・カミセの校舎は18世紀の建物がそのまま使われていました。「アルザスの歴史は苦しみの歴史です。それはフランスの悲劇であり、また、我が校の歴史でもあります。それを時代がいかにかわろうと生徒に認識させることが先ず基本。」と仰っていました。
振り返り、日本の我々は形にこだわり過ぎていると反省しました。日本の学校は「一つ、何々、二つ何々・・・」のような学校方針が一般的だったからです。

現在は、予算削減のためでしょうか、このような視察はやっていないようです。教育は目に見えず、すぐに効果が期待できるものではないので勿体ないと思います。

*著書「チョークの口紅」について教えてください。

校長として最後の任務の頃、朝日新聞に連載したものをまとめた本です。二島中学校時代に集大成として出版しました。同じく二島中学校の生徒の保護者が表紙を、水墨画の挿絵は友人が描いてくれました。前書きは宮野中の教え子たち、印刷も教え子、さらに外野席の教え子たちがあれこれ注文をつけて、とうとう写真まで出すハメになりましたが、大勢の方の支えで出来上がりました。心から感謝しています。

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後編につづく



Posted by あっとほーむ at 12:10 | この記事のURL
vol.38 嘉村 則男さん [2015年07月28日(Tue)]
農林水産省 教育ファーム指定
NPO法人やまぐち里山環境プロジェクト 代表 嘉村則男さんにお話を伺いました。

〜プロフィール〜
山口市仁保の農家に生まれ、北海道にて長く農業及び畜産に携わり続けてきた。
平成6年に仁保に戻ってからは、水田・肉牛繁殖農家としての家業の傍ら、クラインガルテン大富「農家楽(のうからく)」で子ども体験倶楽部等、農業体験の場を数多く提供している。

NPO法人やまぐち里山環境プロジェクトの代表
(財)都市農産漁村交流活性化機構 認定コーディネーター・認定インストラクター
(財)やまぐち県民活動支援センター 県民活動アドバイザー
ニッポン食育ネット 食と農の応援団員
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○今の活動を始めるに至った経緯を教えて下さい
平成5年に起きた「平成の大冷害」を体験したことで、農業・農村・食の大切さに気付き、同時に農業体験や自然体験が子ども達の成長を育むことを身をもって知り、里山の持つ多面的な機能を多くの人に体験していただきたいと考えていました。
そして仁保に戻って4〜5年、有機農業の為、水田で合鴨農法を行っていましたら、ちょくちょくと、
子どもや子連れのお母さん達が見に来るようになったのです。水田の鴨の働きなど、農業や動物や命について話すうちに、人が集まって来ました。

○里山を通して子ども達にどんな経験をしてもらいたいですか?
子どもの頃、勉強ができなくて学校の先生には怒られても、家の畑仕事を手伝っていると近所のおじさんおばさんが褒めてくれました。嬉しかった記憶も、そういう時のものが多いですね。
学校でも家庭でもない、ちょっと褒めてくれる存在が今の子どもたちにも必要だと思うんです。

褒められた経験や達成感の積み重ねが、子どもに「乗り越えられる力」をつけるので、自然に親しんだ子は、まっすぐ育ってくれると思っています。
子ども達には、里山の豊かな自然とそこに住む人たちと接することでさらに五感を磨き、物事に対する興味や関心を深めてほしいと考えています。

○活動はどのようにされていますか?
里山はいろいろな遊び方ができますので、企画が必要な場合はまず、来られる方の希望を訊きます。
畑の他に、山登りや川遊び、料理や工作、0歳児向けのプールも作ります。
その時々にある野菜や自然を使ったイベントを考えるのは得意なので、どの季節に、何歳の子向けでと言われてもアイデアは出てきますよ。

ただ自然が相手ですから、そういつも思う通りにはいきません。
明日は子ども達の収穫日だぞ、という時にサルやイノシシに食べられてしまったりして、予定の体験をさせてあげられない時が一番つらいです。
収穫するはずだった畑で食べ跡の前に動物の写真を並べ、どの動物が食べたでしょうクイズにした事もあります。苦肉の策でしたが引率の先生には感心していただけて、ほっとしましたよ。
他にも当日いきなり土砂降りになった事もあります。大変な目にあったのだから次は来ないなと思っていたら、今年もよろしくと来てくれたりする。うれしいですね。

○どんな思いで活動をされていますか?
農家は一般の人からは遠い存在です。毎日食べているけれど、その食べ物がどうやって作られているか知らない人もたくさんいるでしょう。
そんな農家と消費者の心を近づける活動をしたいと思っています。
レクリエーション気分で来てくれて、農家の奥の深さに気付いてくれる人が少しでもいてくれればいいなと思うのです。

日本でも最近は顔の見える販売が増えてきましたが、例えば中国では、食の安全を求め、富裕層の人は週末になると車で農家まで農作物を買い付けに行くんですよ。
そこでは買うだけでなく、一緒に宴会などで楽しんだりする。その消費者と農家の交流の呼び名が「農家楽」というんです。それが気に入って、家の名前に付けました。

農家から見ると、田舎に人がたくさん来れば、元気がもらえる。
来る人にもきっと得られるものがあると信じるので、少しでも本物に近い体験を、安全に楽しく提供したいと考えています。

○子育て中のお父さん・お母さんにメッセージをお願いします。
自然とのふれあいは小さいうちに、「親がいかにやらせるか」が大事です。
我が子にはまだ早いと思っていても、ここに来て、他の親がどうやってさせているのかを是非見て下さい。
お父さん・お母さん同士も、自然とコミュニケーションが多くなり共に成長できると信じます。
里山での体験は、子ども達の体力や知力、協調性や生きる力を育んでくれますよ。

〜取材を終えて〜
子育てについてはすでに成人した子ども2人の事しか分からないけれど、と言いながらも、多くの子どもを相手にしてきた経験はかなりのもののようです。
仁保の自然と人を愛し、その楽しさを子ども達にも分かりやすく伝えて下さいます。

スタッフの方は10名位おられ、皆それぞれ仕事も家庭もあるなかで、特に夏は忙しいのに本当に
良くやってくださっているそうです。詳しく尋ねると、「幼稚園の活動で来ていた利用者の方が、OBになって、手伝いに来てくださったりするんですよ」とのお答えでした。
だんだんと、周りに人が集まって来る方のようです。
なんと嘉村さんを慕ってこの地区への移住者まで出たほどだとか。
嘉村さんの優しいお人柄ならなるほどと、お話を伺いながら感じました。



NPO法人やまぐち里山環境プロジェクトは
個人でも団体でも利用可能です。
利用方法はHPをご覧ください。(http://www.o-tomi.com/
また、子育てひろば「いっぽ仁保さんぽ」によるイベントもあります。


あっとほーむ取材スタッフ かねごん

Posted by あっとほーむ at 21:44 | この記事のURL
vol.37 阿東出張子育てひろば現地スタッフ [2015年05月31日(Sun)]
      
〜今こそひろばをつくりたい〜



山口市にはいわゆる「子育てひろば」が各地域に25か所あります。しかし阿東地域には子育てひろばがありませんでした。
そこで2014年からNPO法人あっとが「出張」するという形で、子育てひろばが阿東にも不定期に開催されました。今年度はいよいよ現地スタッフを迎えてのひろば開催の運びとなりました。今回はその現地スタッフの方たちにお話を伺いました。

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〜プロフィール〜
(左上から)
かわいい伊藤美祐紀(みゆきさん)
現地スタッフ代表。
小2と年長の男の子、年少の女の子、3人のママ。
好きなものはEXILE。趣味はアロマ。


かわいい瀬川直子(直子さん、直ちゃんなど)
小2と年少の女の子、年長の男の子、3人のママ。
好きなものはチョコレートとB'z。体を動かすこと。

(右上から)
かわいい福江妙(たえさん)
年長と1才の男の子、2人のママ。
趣味は物作り。情報・広報担当。

かわいい古市裕美(ひろちゃん)
小5と小1の男の子、年少の女の子、3人のママ。
好きなものはSEKAI NO OWARI。趣味はバレーボール。

かわいい梅田 智美(梅ちゃん)
小4と5歳の女の子、3歳の男の子、3人のママ。
好きなことは美味しいものを食べること。趣味はバレーボールとパン作り。





●どれくらいの頻度で開催される予定ですか。
奇数月の第3金曜日です。

●阿東に子育てひろばが必要だと思ったきっかけはなんですか。
阿東には、公園などがなくて、ここに行けば子育てママさんに会えるという場所がありません。子育て中は、ちょっと人とおしゃべりするだけで、気分転換になって、またがんばれることもあります。阿東に子育てひろばを作って、これから阿東で子育てをする人たちの憩いの場所、情報交換の場所にしたいと思いました。(伊藤)

●みなさんにもきいてみました。どうしてひろばのスタッフになろうと思ったのですか。
・私が長男を出産した頃、誰かに話を聞いて欲しい、でもどこへ行ったらいいのかわからない…とさまよったことがあり、もし同じような悩みがある方がいたら、その方の力になりたくて…。(伊藤)
・自分も子育て中の数年間たくさんの人にお世話になったので、何か私でも役に立つことがあれば…と思って。(瀬川)
・自分が利用する立場の時に、そういう場所が欲しかった。地元に貢献したくて。(福江)
・自分自身が1人目の子供の時、若くして産んだのもあり、子どものことを相談する人がいなかったため、話を聞いてあげれる側になれればいいなと思って。(古市)
・1人目を出産した後、『こういう場があればいいのにな』と思っていたのですが、今回 阿東でも出来るという事でスタッフとして参加したいと思いました。(梅田)


●どんなひろばにしたいですか

・色んな方が気軽に集まることができて、ふれあうことができる場所。(伊藤)
・気軽に、行ってみようかな♪と思える場所。(瀬川・古市)
・子ども達はもちろん、お母さんも楽しめる場所になればいいな。(福江)
・子ども同士で遊ぶ時間があったり、お母さんにもちょっと一息ついて気分転換してもらえるような場所にしたいです。(梅田)


●子育て中のみなさんにメッセージをお願いします。
・子育ての悩み、誰かにちょっと話を聞いてもらうだけでもスッキリすることもありますよ。ひろばに、ちょっと来てみませんか?(伊藤)
・毎日家事に育児に大変ですよね、時々頑張っている自分をほめてあげてください。大変な時は過ぎてしまえばあっという間です。私は子育てが少し落ち着いた今、過ぎた時間がいとおしいです。子どもとベッタリの時間を楽しんでください。(瀬川)
・意外と悩みや心配事は他のお母さん達も一緒だったりします。1人で悩まず、こういう場所でお話ししてみると少しでもスッキリできるかもしれません。(福江)
・子どものことについて、悩み事があるのは当たり前なので、些細なことでも、話しましょう!!(古市)
・1人で頑張り過ぎず 自分のペースで子どもさんとの時間を楽しんで下さい。
またひろばで会えるのを楽しみにしてます。(梅田)

〜取材を終えて〜
みなさん口をそろえて「1人目を産むときにこんな場所がほしかった」とおっしゃいます。
今は2人、3人のお子さんを持つベテランのママたちですが、最初の子育てはそれぞれに大変だったのだと思います。地域の支えが少ない中、それを乗り越えてこられたのは本当にすごいことです。
自分がどんなに大変でも、時期がすぎれば忘れてしまうものですが、この5人のお母さんからは「次の世代のママたちを支えたい」という熱い想いが感じられます。
私も何度かお会いしましたが、本当にみなさん優しく、明るく、素敵なママたちです。
子育てひろばの要はおもちゃより広さより「ひと」だと思います。ぜひ、現地スタッフのみなさんには頑張ってほしいと思います。




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(5月15日に開催されたひろばの様子)

〜出張子育てひろばの開催予定〜

今後の日程・場所:2015年7/17(地福保育園)、 9/18 (阿東保健センター)、
         11/20(阿東保健センター) 、 1/15(阿東保健センター)、
          3/18(阿東保健センター)
時間:10時〜14時
※阿東地域で子育て中の方はふるってご参加ください♪

ブログ:阿東 子育て出張ひろば 山口市


問い合わせ先:特定非営利活動法人あっと
пF083−921−0428
メール:tote2@c-able.ne.jp
主催:山口市健康福祉部こども家庭課

あっとほーむ取材スタッフ  あやか
Posted by あっとほーむ at 10:24 | この記事のURL
Vol.36  今村 方子さん [2015年03月04日(Wed)]
今回は、カルチャーどうもん親子リトミック主宰をされている今村方子先生にお話を伺いました。


〜自分も楽しみながら子どもの成長を楽しむ〜

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○「 親子リトミック(in 山口) 」では、どんなリトミックをされていますか?  
第2・第3・第4水曜日にカルチャーどうもんでリトミック教室をしています。
子どもたちの好きな手あそび、音あそび、えほん、身体表現など、ナマ音楽の環境の中でこころと身体を開放して自分のペースでおもいっきりあそべるところです。

○このリトミックをここで始めたきっかけを教えて下さい。
1990年NHK山口放送局が、NHK文化センター山口(現在の山口市熊野町ニューメディアプラザ内)を設置した時に開室を誘われました。

○リトミックを通じて子育てに関わってきて「今村先生が感じたこと」を教えて下さい
やはり、人は人の間で育つということです。リトミックがグループ学習を条件とする理由がわかります。人は元々学びあえる資質をもっていますが、それをつなぐのも切るのも大人なのだということを肝に銘じておきたいですね。

○子ども達にどんなふうに育ってほしいですか?
自分の感じたことや考えたことが素直に表現できるこどもたちに育ってほしい。そのための大人の環境づくりが大いに必要です。

○子育て中のお母さん・お父さんへメッセージをお願いします。
子どもは本来小さい大人ではありません。大人とは全く違う生き物としての存在から「ヒト」になり「ひと」になり「人」になります。ゆっくり腰を据えてこどもとつきあいましょう。

〜取材を終えて〜
山口や下関で、執筆活動やさまざまなご活動されている今村先生に取材させて頂くという事で、緊張しましたが、今村先生は、明るく笑顔が素敵で、子育ての悩みも忘れ元気をくださるような先生で、私も元気をもらいました。
親子リトミックは、ママも子どもも先生もみんなで楽しみながら、からだを動かし音を感じる事ができる場所でした。
子どもは、大人も一緒になって楽しむ事で、自然と[○○しようね]ではなく自分からマネしたくなるリトミックでした。

今回私は0〜1歳クラスと2〜3歳クラスの両方を体験させて頂きました。
一歳の娘は、落ち着きなく常に動き回るタイプで、みんなの邪魔ばかりするので、一人のママに謝ると…[大丈夫ですよ。今村先生は、どんな子どもさんも楽しませてくださいますよ]とやさしく声をかけて頂きました。子ども達の個性を大事にしつつ
みんなが楽しみピアノなどの生の演奏でリズムにのる事ができるのも今村先生が、子ども達と一緒にめいっぱい遊んでくださるからだと思いました。

今村先生が、理事長をされているNPO法人子ども・子育ちネットが運営されている「ふくふくこども館」にも行ってきたので、「こどもとおでかけ」の方で紹介しています。


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〜プロフィール〜
国立音楽大学 教育音楽学科リトミック専攻卒業後、
山口芸術短期大学 教授就任。
現在は、梅光学院大学特任教授とNPO法人子ども・子育ちネット理事長、
さらにカルチャーどうもん親子リトミック主宰、またほっとさろん西門前てとてとが実施する山口市子育て支援者養成講座でも講座をもたれているなど、幅広くご活躍中です。
山口市ご出身ですが、現在は、山口市と下関市それぞれに拠点を置いておられます。
家族は、旦那様と猫のももちゃんです。


〜活動のお知らせ〜
NPO法人下関子ども・子育ちネットの活動として、下関市次世代育成支援拠点施設ふくふくこども館のさまざまの企画もしています。
現在『ふくっこ大学「子育ち講座」』開催中。残り4回(2/28)、5回(3/7)分の5回目を担当しています(詳細はふくふくこども館HP)。

育ちのすぽっと・親子リトミック
第2・第3・第4水曜日
0〜1歳半 10時〜10時45分  1歳半〜3歳 11時〜11時45分
音楽を聞き、自由に体で表現することで豊かな感性を育みます。


あっとほーむ取材スタッフ じゅん










Posted by あっとほーむ at 10:06 | この記事のURL
vol.35 塩見輝久さん [2015年01月18日(Sun)]
おもちゃの修理を通して、物の大切さを伝え続けるボランティア、塩見輝久さんをご紹介します。

物への興味を子どもにも、大人にも


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〜おもちゃの病院〜
「やまぐちエコ倶楽部」主催による、壊れた子どものおもちゃを修理する活動で、月1回、山口市リサイクルプラザで開催されています。
7名のドクターの他、運営はすべてボランティアの手で行われています。

○どうしておもちゃドクターになられたのですか?
私は若い頃から俗に言う「ラジオ少年」でした。
元々機械いじりや電子工作が好きだったんですね。
公務員として勤めたリサイクルプラザを退職後、同館で月1回開かれる「おもちゃの病院」のドクターになりました。
他のメンバーも経歴はさまざまですが、趣味仲間が自然と集まってきました。
得意分野の違いは多少ありますが、腕は皆良いですよ。

○ボランティア歴はどれくらいでしょうか?
10年くらいです。
1か月に10件程度修理を続け、直したおもちゃの数はそろそろ3000個になります。
やはり難しい修理には経験やノウハウが必要になってきます。
さわってみないと分からないものもありますからね。
最近のおもちゃは壊れると修理の手段や部品が無い物が増えています。
それでも病院に来たおもちゃの75%以上は直っていますよ。

○修理ができないというとゲーム機などでしょうね。やはり昔と今で、子ども達のおもちゃ事情は違いますか?
昔はおもちゃ屋なんて近くには無かったものですが、
今ではあふれるようにおもちゃがありますね。
近年、お下がりを使う姿をあまり見なくなったように感じています。
「皆で使う物」から「個人の物」に変わって来たという印象です。
それでも、愛着のある物は大事にしているお子さんもたくさんおられます。

○おもちゃを直すことで、子どもたちに変化はありますか?

それは、来た時と帰る時の目の色が違うんですよ。
直ったおもちゃを抱きかかえて喜ぶお子さんを見る時が、やはり一番嬉しいですね。
持ち込まれたおもちゃは基本的に、お子さんの目の前で分解・修理しますので、
おもちゃの構造に興味を持ってもらえるようになるとも感じます。

○お父さん・お母さんにメッセージをお願いします
壊れたらすぐにあきらめるのでなくて、まずはお父さん・お母さんが「直してみよう」と思ってみてほしいですね。得手不得手はあるでしょうが、「どこが壊れているかな」「自分で直せるかな」と考えていくと、ワクワクしてくるかもしれませんよ。直せなかったら、私たちの所へ来ればいいですから。

〜取材を終えて〜
最後のメッセージをもらったとき、表情がキラキラしていて、本当に「直す」ことは「楽しい」を伝えたかったのだなと感じました。
文系な私は、電池を替える・ボンドでつける以外にやったことがありませんが、
子どもの喜ぶ顔が自分で見られるなら、やってみようかな、思うようになりました。子どもにも「お父さん・お母さんすご〜い!!」って言ってもらえるかもしれませんしね。

取材の日はクリスマス前で、サンタクロースやトナカイのおもちゃが多く持ち込まれていました。他の季節はあまり季節色は無いそうですが、日本中の子育て家族がおもちゃの事を考える時期だったのでしょうね。


【おもちゃの病院】
山口市リサイクルプラザ TEL 083-927-7122
http://www.c-able.ne.jp/~ymgplaza/
Posted by あっとほーむ at 22:09 | この記事のURL
vol.34 大来静枝さん [2014年11月01日(Sat)]
今回は、こどもステーション山口の託児スタッフ、視覚および身体障害者のボランティア、さらに童話も出版されるなど、多彩な表情をお持ちの大来静枝さんにお話を伺いました。

「たくさんの親子とふれあって」


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*簡単にプロフィールを教えてください。

独身の頃は、県庁に勤めていましたが、結婚後に夫の転勤で県外に移り住みました。その後、また転勤で山口に戻り、再び県庁の出先機関に勤務しました。数年後、知り合いから声が掛かり中堅ゼネコンの山口営業所に転職しました。官と民の違いが面白く、気付けば17年も勤務しました。(ソチオリンピック男子団体スキージャンプで銀メダルを獲得した葛西紀明選手も同社所属の縁が!サイン入りのテレホンカードを今も大切にされているそうです。)
職種が変わるごとに様々なことを学び経験しました。もう歳だからとか自信がなくても一歩踏み出してみると、そこから開けてくることがたくさんあることに気がつきました。

*今のお仕事を始めたきっかけを教えてください。

こどもステーション山口に所属したことがひとつのきっかけになりました。
ある日、YCAM(山口情報芸術センター)で叔母と食事をしていた時、託児室がオープンするからスタッフにと声を掛けていただきました。若い頃に幼児教育を学んだ経験があったので、喜んで託児スタッフを引き受けました。

*YCAMの託児室や仁保の子育て広場との関わり、ボランティアのことなど教えてください。

YCAMの託児室は、開設当初から関わっています。かれこれ11年の間にたくさんの親子とふれあいました、当時預かったお子さんも今では小学生です。
当時は託児を外注するシステムがまだ一般的ではなく、しかもYCAMのような大きな施設かつ常駐なので、スタッフはみんな毎日試行錯誤しながら必死でした。最近では、市内小学校のPTAの託児や、県立美術館の託児も交代で担当しています。こどもステーション山口の託児が、認められてきたのかなと思います。
若いスタッフと接することも多いです。口で教えるのではなく、見て覚えてもらいお手本になるように心がけています。
また、定住する仁保に、子育てつどいの広場「いっぽ 仁保 さんぽ」が出来た時には、山口県初、女性の中学校長を務められた伊藤美代子先生(仁保在住) に声を掛けていただき、生まれ育った地区へ恩返しの思いでスタッフとして参加しました。仁保幼稚園にもボランティアで行くことがあります。
この他、山口中央図書館のアイメイトに所属して、視覚障害者に対面朗読をしています。また、糸米にある身体障害者施設(なでしこ園) では紙芝居などのボランティアをしています。独身の頃に仕事の関係で、防府養護学校での生徒との出会いがあり、いつかボランティアをしたいと思っていました。実現できて嬉しいです。

*出版された童話について教えてください。

最初の作品は、姪とケガをした子ダヌキの交流を描いた「あゆみちゃんとケンちゃん」です。私と同じ誕生日に生まれた姪のために、記念に童話を作りました。28年後、姪の結婚のお祝いに童話を絵本にして出版したら、とても喜んでくれました。

2冊目は、33年前、娘の遠足の日に起きたことを題材にした「魔法のかさ」です。
娘のお友達に、お母さんのいない女の子がいました。遠足のお弁当は近くのお店で買ったパンと聞き、私は急いで娘と同じおかずを詰めたお弁当を持たせました。後ろ姿を見送ると、ピンクと赤のリュックサックも嬉しそうに揺れていました。お母さんは星になっていつも見守ってくれているのよ、との想いが童話になりました。
私が幼い頃、秋田在住の叔母が「秋田ぶき」の苗を持ってきてくれたので、雨が降ると大きな葉を傘にして遊びました。童話「魔法のかさ」には幼い頃の記憶も重なります。
この本の出版は、平成23年3月11日に起きた東日本大震災がきっかけです。宮城県で九死に一生を得たお友達に童話の話をすると、是非絵本にしてほしいと言われました。つたない童話も絵本にすると、震災で保護者を亡くした遺児たちも読んでくれるだろうかとの想いで、この絵本が小さな希望の光になりますようにと願いを込め、震災から1年後に発行しました。

*こども達に、どんな風に育ってほしいですか。

のびのびと型にはまらず成長され、個性を伸ばしてあげてほしいと願います。
活発なお子さんも、もの静かなお子さんも、それぞれに長所がたくさんあります。
金子みすずさんの詩 「みんなちがって みんないい」 そのとおりだと思います。

*子育て中のお母さん、お父さんへのメッセージをお願いします。

私自身も、主人の転勤で仙台、福岡など県外で暮らした経験があります。
転勤族ならではの悩みを抱えるお母さん達の思いもよく分かります。

ある日、転勤族で育児に悩みを抱えたお母さんと出会いました。
「いっぽ 仁保 さんぽ」を紹介すると、自然が豊かでのどかな仁保が気に入られ、常連さんになり、講座や行事にも楽しんで参加されました。そして昨秋、県外に転勤が決まり、いっぽでささやかなお別れ会を催しました。彼女は、「山口に転勤で来て山口で出産しました。見知らぬ土地で育児疲れと不安で悩んでいました。いっぽに遊びに行くようになって子育てが楽しくなりました。楽しい思い出がたくさんできて感謝しています。みなさんありがとうございました。」と言って別れを惜しみ転勤されました。
いつの日か、成長したお子さんを連れて遊びに来られる日を楽しみにしています。

転勤族の皆さん、全国に子育て支援広場が開設されています。
ひきこもらず、勇気を持って広場の扉をたたいて下さい。
子育てに悩んでいたのは、自分だけではなかったと気付くはずです。
お母さんもお父さんも、一緒に子育て支援広場で遊んで、子育てを楽しんで下さいね。

*取材を終えて

初めてYCAMの託児室でお会いした時、なんと優しい笑顔をされる方だろうと、自然に心が暖まった記憶があります。当時まだ一歳半の息子も、大来さんにすぐに懐き、楽しそうに遊んでいました。
その後、何気なく訪れた仁保の子育て広場で、偶然再会してから、折に触れ私や息子にも暖かく接して下さり、優しく声を掛けていただくうちに、私の中にあった山口県への心の距離が少しずつ縮まっていくのが分かりました。
私も転勤族なので、定住できないゆえの悩みや寂しさを感じたことがあります。大来さんの、同じ転勤族としての経験から来る穏やかな笑顔と優しさに、心が癒される方も少なくないと思います。お忙しい方なのでなかなか会えないかも知れませんが、YCAMまたは「いっぽ仁保さんぽ」に、大来さんの笑顔を探しに行ってみてくださいね。

〜プロフィール〜

名前 大来 静枝(おおらい しずえ)
住所 山口市仁保在住

山口市仁保に生まれ育ち、結婚後は夫の転勤に伴い県外に移り住む。その後、仁保に戻り定住。
嘉村礒多顕彰会理事も勤めながら、これまでに2冊の童話「あゆみちゃんとけんちゃん」「魔法のかさ」を出版されました。
実家は、鎌倉時代に創建された源久寺総代を代々担い、境内の大賀ハスの花が咲く季節には多くの
鑑賞客が訪れます。

*YCAM(山口情報芸術センター)託児案内は こちら
*いっぽ仁保さんぽのブログはこちら


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vol.33 渡邉洋子さん [2014年09月01日(Mon)]
今回は山口市市民活動支援センターさぽらんてセンター長、渡邉洋子さんにお話を伺いました。

〜女性の視点で山口市をいいまちにしていきたい〜

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〜プロフィール〜
 山口市嘉川在住。3人の子どもの一番下の23歳の娘と2人暮らし。他に犬のラムと猫のミー。。。主人は8年前からあの世に単身赴任中でちょっとさびしい・・・
※特定非営利活動法人山口せわやきネットワーク 理事
※山口市市民活動支援センター「さぽらんて」 設置当初から職員として14年目 
 3年前よりセンター長


●そもそも今の仕事をされたきっかけはなんですか。
山口市が実施した人材養成講座「まちづくり達人養成塾」(1998年頃、毎月1回2年に渡り開催)に参加しました。そこで仲間に出会い団体を立ち上げ、山口市からまちづくりや市民活動団体の実態調査の事業を受託しました。その時の実体調査にてとてとの前身、「Teku2」に協力してもらったことが、今に至る大きなきっかけになりました。子育てママとの連携なくして今の私はありません。(詳細は、「ええやん新聞」9号4pをご覧ください!)

●山口市をどのようなまちにしたいと思われますか。
そりゃもう、女性によるまちづくりやNPOで地域を支えている山口市です!
子どもたちが絡む社会の事件や問題を自分のことのように感じながらも、言い表せない胸の痛みを抱えている女性たちは多いと思います。女性は子育てを通じて、親とは別の個性を持った子どもを自分の目の届く限られた空間、親の価値観だけで育てることは無理だということは身をもって感じています。そして自分たちの子どもが豊かに育つためには、地域社会を暮らしやすく、笑顔あふれるものにしていくことからだと、動き始めつながっているお母さんたちがいます。
それがNPO法人「あっと」であったり、「あっと」から派生した子育てサークルたちであったりするのではないでしょうか。
今の社会は、男性目線(競争、管理のしくみ)で男性が作っていった社会だと思うのです。
男性的な「合理主義を支える競争や責任追及の視点」ではなく、女性の「身近な生活を大切にする視点」、「近所や学校などの地域密着の視点」、「人のつながりを大切にする視点」などを社会にもっと反映していけるようになると、多様な価値観の受け入れや信頼関係のある社会となり、生きにくさを感じる人も少なくなるのではないでしょうか。

●そういう社会にしていくためには、どうすればよいと思いますか?
NPOを支援している私の使命は、社会を支える市民組織をつくることです。
先日文部科学省が発表した学校基本調査の中で、国全体の中学生においては、37人に1人が不登校、山口県においても39人に1人が不登校、30日以上の長期欠席者になると28人に1人(山口県)という実態が発表されました。国や県、市などが行う不登校の対策はどうも効を奏してないようです。これは一例ですが、これからは、地域社会の課題を放っておけないと思っている市民が、行政ではできない柔軟な考えと行動力で、公共を支える時代になります。その市民組織が地域社会に定着し寄附が集まるようにしていきたいと思っているのです。
ワークシェアなど多様な働き方を取り入れ、ゆるやかで人間性のある組織風土を持ち、効率的で、生産活動に関わる人が多い。そんな仕組みを作って、山口のまちをよい循環にし、活性化したい・・・と願っています。どこにも、見本、手本はないのですが、女性の柔軟な発想と、それに賛同してくれる人が増えていけば、必ずできると思っています。私の中では、子育てママのエンパワメントをミッションとしている「あっと」は、ゆっくりでも確実な市民社会をもたらす山口の宝物です。

●長く活動されていますが、お子さんが小さいとき、家庭との両立で大変だったことはありますか。
「さぽらんて」は、夜7時まで開いているので、帰ってから瞬間芸で食事を作ってました。下の娘が小学校高学年の時から、毎日ご飯は炊いてくれてました。土日もどちらか勤務なので、今思うと子どもたちは勝手に育ってくれた感じです。とにかく毎日一生懸命、体力勝負だったのを覚えています。

●仕事や家庭で何か悩んだ時、壁にぶつかった時、どんな風に乗り切りますか。
基本的に楽観的なのであまり覚えていませんが、仕事についてはNPOの理事であり、今はセンター長でもあるのでごまかしたり、逃げるわけにはいきません。その事柄にしっかりと向き合い道を探します。おかげさまでたくさんの人が周りにいるのでいつも助けられています。あまりにも理不尽な時は車の中で大声を出していました・・・(今はありませんよ)。今一緒に住んでいる娘も、不登校や高校、専門中退などいろいろありましたが、面倒くさいと思いながらも、信じることが親の仕事だと思い換え、寄り添うように心がけてきました。今考えるとその娘から教えられたことが多いと感じます。
結局、人生のあらゆることは、自分の器を広げるために与えられていることなんだと思います。生きることはそういうことなんだと。
こんな価値観になれたのも、主人が逝ったときに、その事実を受け入れるために読んだ、たくさんの人間の死に関する本。ちょうど「千の風になって」という歌が流行っていたころです。なんとなく、今では生きることは、受け入れることであり、祈ること。そして、自分自身の絶対的価値観を磨き、葛藤のない自分をつくることのような気がします。まだまだなんですが・・・

●子育て中のお父さんやお母さんにメッセージをお願いします。
みなさんは、思う通りにいかない子育てを日々工夫しながらこなしていることと思います。その中で自分の器が広がっているのを感じているのではないでしょうか。どうぞ、ありのままの子どもを受け入れて、頑張りすぎないで、子どもとの節度のある距離感を持つこのバランス感覚を磨いてください。私は、ちょっとバランスをくずした時期があって、育児ノイローゼのようになってしまったので・・・。
喜怒哀楽は全て大切な感情ですから、おさえこまないで。でも笑顔が出なくなった時、愚痴っぽくなって自己中心になってしまった時は、疲れている時。健康一番ですから早めにリフレッシュすることを忘れないでくださいね。
 


〜取材を終えて〜
とっても素敵な笑顔の渡邉さん。初対面からとても人をリラックスさせることのできる雰囲気を持った方だな、と思いました。
「あっと」をはじめとした、NPO法人を全力で応援してくださるのがわかって、背中を後押しされたような感じがしました。母として、女性として、大変なこともありますが、だからこそわかったことや学んだこともたくさんあります。誰だって子どものために、住みよいまちにしたいはず!一人ひとりが、その力を何か形にすれば、なにか出来そうな気がしますよね。
「微力だけど無力じゃない」とは長崎の核兵器廃絶を訴えた高校生の言葉ですが。。。
まちづくりにも言えるのではないでしょうか。

さぽらんてのHPはこちら



Posted by あっとほーむ at 00:00 | この記事のURL
vol.32 大黒みづえさん [2014年06月19日(Thu)]
今回は、NPO法人『絵本で子育て』センターの大黒みづえさんにお話を伺いました。

世界に羽ばたく子どもたちを育てる


大黒さん.JPG


○今のお仕事を始めたきっかけを教えて下さい。
泣き虫だった我が子は、現在26歳になりました。彼女が3歳くらいから絵本の読み聞かせをしていましたが、「絵本は生きる力になる」と言われてもなんとなく半信半疑でした。その我が子が、高校で留学し、帰国した時に「お母さん、絵本で育った子は自殺なんかしないと思うよ。世界観が広いから悩んだり、辛いことがあっても乗り越えられるんよ。絵本は生きる力になる!小さい子に絵本を読んであげてね」と繰り返し私に言い、また大学進学の為にカナダへ旅立ちました。その後彼女はカナダで文学を学び、先日カナダへ行ったときも本屋へ一緒に行き、絵本を二人で楽しみました。絵本を幼い頃から読んでもらった本人が、「絵本は生きる力になる」というのだから間違いないと思い、改めて絵本の勉強をしようと思い、絵本講師の資格を取りました。


○子育て支援に携われて感じることや、思うことを教えて下さい。
なかなか我が子を認めてあげられない、そしてお母さん自身が満たされてない方が多いですね。子育ての情報も多すぎて、迷ってる方が多いですね。
昔に比べ、今はいろんな物が豊富にあって、使っていいかどうか考えなくてはいけない、選ばなければいけない難しさがあります。

○子ども達にどんなふうに育ってほしいですか?
今からの子どもたちはたくましくないと生きていけないと思います。社会は、世界はますます厳しくなります。でも子どもたちは残念ながら弱くなっています。
幼い頃にたくさんの物語にふれ、心が感動するような体験をたくさんして欲しい。自然の移り変わりにも目を向け、春に咲く花の美しさを見たり、土に触ったりしながら、物語に出てくるものを実際に体験することで物語の本当の意味が定着すると思います。
たくましい子どもに、そして世界に目を向ける、子どもに育って欲しいですね。「世界に羽ばたく子どもたちを育てる」というのが私のビジョンです。

○子育て中のお母さん・お父さんへメッセージをお願いします。
福音館書店の元の会長 松井直さんが「私は15年間の読み聞かせを通して人として教えるべきことをすべて教えました」といわれました。お母さん、お父さんの仕事は子どもにしっかり愛情を伝える事、そして人として大切なことは何かということを伝えることだと思います。子育てはながーい道のりです。あまり気負わずに楽しんでください。

○取材を終えて
笑顔が素敵で、声も明るくやさしく、聞いている子ども達も本に夢中でした。私は、4か月の娘を連れて行きましたが、終始しっかり聞いていました。
これまで、私は子どもが「本を読んで」っと持ってくるから読む程度でしたが、取材をさせて頂き本の読み聞かせを通じて子ども達の豊かな心を育てる事や言葉の大切さもわかりました。現代日本語の授業もはじまってる県もあるくらい言葉が貧困になってきています。たくさん子どもに本を読んであげる事で、言葉も豊富になり愛情も伝わるんだなと思いました。
大黒さんは、本の紹介もホームページでされているので、ご興味のある方は、是非参考にされてください。






〜プロフィール〜

名 前   大黒 みづえ
住 所 山口県山口市在住
誕生日 11月20日(さそり座)
好きなこと 小説を読むこと、特にミステリー。珈琲が大好き。
お料理も好きで、栗原はるみさんの雑誌をよく読みます。
今興味があること 環境問題、アフリカの文化などにも興味があります。

山口県光市生まれ、広島育ち。 広島修道大学心理学卒業。
結婚後夫の転勤に伴い、山口県に移住。

子どもの頃から、英語に興味があり、海外の方との交流が大好きで、我が子が2才の時にラボ・パーティーのラボ・テューターになりました。
ラボでは、今までにたくさんのの子どもと関わり、留学やホームステイに送りだしてきました。
子育てを通して学んだ経験、絵本の素晴らしさを皆さんに伝えたいと思い、絵本講師の資格もとりました。
(2011年NPO法人「絵本で子育て」センター絵本講師取得)
書店や、子育てサークルなどで絵本講師も行っています。


スケジュールは「ココペリー山口」のホームページをご覧ください。
Posted by あっとほーむ at 11:46 | この記事のURL
vol.31 monte bocca [2014年06月15日(Sun)]
今回は、『山口の豊かな自然を感じながら、子どもと一緒だからこそ楽しめること』をテーマに、発足したばかりの市民団体monte boccaモンテボッカの皆さんにお話を伺いました。

こどもといっしょに 山口もっと好きになる・・


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〜プロフィール〜
「山口だからこそできることを、子どもと一緒だからこそできることを、楽しみたい」。てとてとの「これからママ交流(KM3)」という事業で偶然出会った5人が、共通してもっていたこの想い。ほかのひとたちとも共有したい!と、2014年3月に団体として正式に活動を開始。いただきます部、自然あそび部、畑部、表現あそび部、布おむつ部、情報部の6部門を立ち上げ、日々活動中。


かわいいメンバー紹介

写真左上から順に、眞柳麻奈さん〈代表〉、黒田由希子さん、中村聖子さん、山地良子さん、鬼木愛さん。
全員が小さな子どもをもつママさんです。


かわいい設立のきっかけとこれまでの活動は?

「山口っていいよね!」という話から始まりました。メンバーには転勤で都市部から引っ越してきた人も多いんです。だからよけいに、手を伸ばせば届くところに自然があることの価値を、重くとらえることができるのかもしれません。

「こんなに素晴らしいところに住んでいるのだから、子どもをのびのび自然の中で育てたいな」って共通意識がベースにあったものの、「乳幼児連れで参加できる自然体験イベントってないよね…」、「うん、よし、自分たちでやろうよ!」っていう(笑)最初は勢いだけのスタートでした。

スタートから3ヵ月ぐらいは、メンバーだけで出かけたり、自主保育をしたりして、内輪で地道 に活動していました。そこから、活動資金を得るのに助成金を申請しよう!そのためにまず市民団体として登録をしなきゃ!せっかくだから地域のママたちにも声をかけて繋がろうよ!…と、話が次々と進んでいったんです。

今は小規模なイベントを月に数回行い、まずは私たちの活動内容や想いを広く知ってもらうことに力を入れています。


かわいい自然の中で子どもを遊ばせたい、というところから、畑やさまざまな分野に活動が広がっていますね。

そうなんです。「遊び」と「くらし」「生活」って密接に繋がっているので、どうせなら包括的にやろうと。外遊びサークルという既存の枠に収まるのもつまらないなと思っています。合言葉は「Let's5感」(笑)


かわいいblogやfacebookなどでこまめに情報発信されていますよね。反響はいかがですか?

本格的に情報発信を始めて2ヵ月経ちますが、じわじわと手応えを感じています。Webを見た方が口コミで広げてくださったり、monte boccaに興味がある方をご紹介いただいたり。face to faceで新しい方に出会えるのはやりがいのひとつですね。

一方で今後の課題も見えてきました。イベントへの反響は予想以上に多くて嬉しいのですが、その後に繋がっていきにくいというところ。参加者が「お客様」になってしまう形を私たちは望んでいないんです。もっとボーダーレスにやりたいと思っていて、一緒に何かをつくり上げていく過程で「築ける」&「気づける」、「何か」にすごく期待しています。参加していただく方に私たちの想いをきちんと伝えきれていないところもあるので、メンバー側のスキルアップも必要ですね。


かわいい今までにない活動団体として、今後が楽しみなmonte boccaさんですが、今後の展望についてお聞かせください。

地道に、無理のないペースで活動を続けていくのが一番です。そしてこの度、山口きらめき財団のスタートアップ助成金をいただくことができたので、山口市や広く県内に目を向けた活動というのも意識したいです。ただ楽しいことをするだけではなく、布おむつの話やママたちの隠れたポテンシャルを発掘して社会に還元するような、社会的波及効果のあることにも力を入れていかれるようになったらいいなと思います。

そういう意味でも、先ほども申し上げたような、参加者自身にもやりたいことを提案してもらったりできるような、自主参加型のオープンな集まりにしていくのが理想です。そのためには、 私たちが、参加者のママたちのニーズを汲み上げられるダンボのような耳と、「それいいね、すぐやろう!」って言えるようなフットワークの軽さを大切にしていきます。

私たち自身も、monte boccaのこれからがとても楽しみなんです。色々な方々との出逢いとご縁を大切にして、影響も受けながら、自然に形が変わっていくことを素直に受け入れていきたいです。今後のmonte boccaを楽しみに見守ってくださいね。


かわいい最後に、子育て中のお父さん・お母さんに一言ずつメッセージをお願いします。

中村:親子でたくさんの自然にふれて、たくさんお出かけしてね!
鬼木:気軽に参加してみてくださいね!
眞柳:山口を一緒に味わい尽くしましょう!
山地:子育て中の今だからできる事を一緒に楽しみましょう!
黒田:いろんな人たちとつながって、一人ではなくみんなで、子育て楽しみましょう♪


〜取材を終えて〜

異口同音に「やりたい事がたくさんあってね」とおっしゃっていた皆さん。
全員が子持ち。いろいろな活動をしていて、とても忙しそうにしながらも、
「楽しい事は一緒にやろうよ!出会いに乗ってみたら、世界が広がるかもしれない」と
仲間内で楽しむだけでなく、皆を誘ってくれています。
「あなたもやりたい事を、叶えることができるんだよ」と言われているような気がしました。

この日は小鯖の畑にお芋の苗植えをする活動も見せて頂きました。
子ども達は思い思いに遊び、大人も楽しそうに苗を植えています。
時折、キジの鳴き声が聞こえ、自然をいっぱい感じる事ができました。

畑はクマサキ洋ランのオーナーさんが貸して下さっているという事で、
この日も子ども達が遊べるよう、水路の水を溜めて下さっていましたよ。
助力をしてくれる人がいたり、活動場所がたくさん提供されていたりという姿からも、
monte boccaが本当に多くのひとに好かれている様子が伺えました。

DSC01082.JPG

活動の様子

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あっとほーむ取材スタッフ かねごん


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Posted by あっとほーむ at 01:26 | この記事のURL
vol.30 河村律子さん [2014年03月25日(Tue)]
今回は山口市市民活動支援センターさぽらんての広報紙『ええやん新聞』の市民広報記者の河村律子さんにお話を伺いました。

「母でも妻でもない“私”を活かせる場所を」


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〜プロフィール〜
山口市出身。1歳、3歳、5歳の3人の子育てをしながら、いろいろな市民活動団体にて活躍中。
ええやん新聞市民広報記者、さぽらんて非常勤スタッフ、すこやか育ち隊メンバー。
【所属団体】山口県青年国際交流機構、すこやか育ち隊≪HPはこちら→≫、山口連歌の会。


●いろいろな市民活動団体で活躍されていますが、市民活動に関わるようになったきっかけを教えてください。

会社勤めをしていた20代、「なんとなくものたりないな」「何をめざしているのかわからないな」と思っていた頃、国際交流関連のボランティアを始めました。その後「世界青年の船」という国際交流活動に参加し、今思えば、その時にもNPOやNGOといったことにふれていたんです。そんな中、何気なく申し込んだまちづくりの講座で、市から委託を受けて「やこねっと(山口コミュニティーネットワーク)」というまちづくり情報の発信事業をしているNPOの編集者と出会いました。その頃に聞くようになった「まちづくり」という言葉が、無条件に何かおもしろそう!って思ったんです。ちょうどそこの事業がスタッフの入れ替えのタイミングだったこともあり、仕事を辞めてスタッフとして就職しました。


●NPOが就職先ということがあり得るんですね。私の勝手な先入観ですが、NPO=ボランティア、と思っていました。

そうそう、あり得るんです(笑)NPOという組織でお仕事をして、そんな高給とかではないですが、きちんとお給料をいただいていました。

当時「やこねっと」がさぽらんての一画を間借りしていたので、さぽらんてのイベント等のお手伝いをする機会もありました。「やこねっと」の後も、他のNPO団体の職員をしたり、仕事の合間にアートふる山口のボランティアスタッフをしたりしました。結婚出産で一時期仕事から離れていましたが、またさぽらんてから声をかけていただき、今は「ええやん新聞」の市民広報記者をさせていただいています。


●「ええやん新聞」はどんな新聞ですか。

「ええやん新聞」の記者3人とさぽらんての担当職員さん1人の全員が現役ママです。新聞を通して、「生活する中で気づいた不便なことや問題点を、自ら変えようと活動している人たちがいるんですよ」「あなたも一緒にできますよ」「家族のことを家族だけで背負わなくていいんですよ」「自分が困ったときに市民活動の手を借りるという方法もありますよ」などのメッセージを、子育て中のお母さんたちに伝えたいですね。

今月発行の第9号では、さまざまなジャンルで活躍している女性4人の座談会をはじめ、女性が活躍している活動を特集しています。座談会では家庭や仕事と市民活動の兼ね合い(バランス)などについて話してもらっています。

働きにでる余裕はないけど社会とのつながりをもちたい、とか、家庭や子どものこと以外に何か始めてみたいというお母さんたちに、市民活動という分野にちょっとでも興味をもってもらいたいという願いをこめました。

同じような思いの人と集まって、具体的に行動することで、身近なところで「おかしい」「不便」と思ったことを変えていけたり、新しいことを作っていけるのが市民活動です。母でも妻でもない“私”として、したいことがあるって大切なことじゃないでしょうか。自分の興味や特技を活かせて、社会との関わりがもてる活動として市民活動という選択肢もありますよ、ということを知ってほしいですね。


●3人のお子さんを育てながら活動を続けるのは大変だったのではないでしょうか。

第1子を出産して、第3子の妊娠直前までは専業主婦をしていました。結婚するまでに企業やNPOでよく働いたので、今度は家のことをちゃんとしよう、主婦業をするのも好きだなーと思っていたんです。ただ、その間も友人たちからいろいろと情報が入ってきていましたし、イベントやてとてとに顔を出したりもしていました。国際交流の活動等も関わり続けていたし、在宅でてとてとの冊子づくりのお手伝いもさせてもらったりもしていて、市民活動とはずっと細くつながっていたんですね。でも、やはり独身の時とは身軽さが違って、行動範囲も時間も限られる。だから、新しく気付くこともあったし、自分で工夫して時間を作ったり、関わり方を変化させることができるとも感じました。

市民活動で楽しいのは、みんなで「何をやりたい?」って話をしながらやっていけることなんだと思います。専業主婦が楽しいという方も、ばりばりとお仕事をされる方も、いろんなお母さんがいますよね。家庭を一番にしながらできる範囲で社会とつながりたい私に、市民活動というのはしっくりくるんです。


●子育て中のお父さん、お母さんにメッセージをお願いします。

家庭も、子育ても、仕事も大事にしながら、さらに自分自身がいかせる場所があるとより良いんじゃないかなと思います。市民活動という分野に、その可能性があるかもしれません。お父さんもお母さんも、職場や家庭以外でも自分がやるべきことがあると思うと、少し人生が楽しくなると思いますよ。それと「親」になったから気付く、社会の問題点などもあると思うんです。

市民活動といっても、スタート地点は「家族が大事」。家族の生きているまちや子どもたちの未来を、できるだけ良いものにしていきたいですよね。そういう活動に自分も関われるって良いと思いませんか。それに、そういう親の姿を子どもに見せること自体が子どもにもいい影響を与えるんじゃないかな、という期待もしています。

ちょっとでも社会に疑問をもったり、おかしいなと思ったり、自分も勉強したいな、関わりたいなと思った方は、さぽらんてをのぞいてみてください。いろんな団体さんが、身近に感じられると思いますよ。


〜取材を終えて〜
3人のお子さんを育てながら活動をされているときいて、バリバリのキャリアウーマンのような方を想像していましたが、実際お会いした河村さんは、ほんわかと話しやすい空気の方でした。

はずかしながらつい最近まで、「市民活動」って何か特別な思想のある方たちがする特別な活動だと思っていた私。
ましてやそこで「働く」なんて考えたこともありませんでした。
市民活動は特別なことじゃない。
会社勤めでもなく、家庭にとじこもるのでもない、第3の選択肢としての市民活動。

取材の後半、河村さんが笑顔でおっしゃいました。
「あなたがあっとほーむの取材スタッフとしてこうして取材をして記事を書くこと、それも市民活動なのかもね」。
あっとやてとてとで出会ったひとたちが頭に浮かんで、この1年の間にあっとを通して経験したこと考えたことがぶわーっと頭をめぐって、なるほど!と不思議なほどスッキリした瞬間でした。




〜『ええやん新聞』〜
さぽらんてが年2回発行している広報紙。住みよいまちづくりに向けて、身近なところから関心をもち、行動していく市民が増えることを目的としており、市民広報記者が主体となって編集発行しています。現在子育て中の市民3名が「広報記者」となり活躍中です。
3月25日に第9号を発行予定。市内の全幼稚園、小中学校にて配布。

〜さぽらんて〜
正式名称、山口市市民活動支援センターさぽらんて≪HPはこちら→≫。
Posted by あっとほーむ at 09:00 | この記事のURL