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vol.43 村木充子さん [2016年03月19日(Sat)]
重症心身障害児施設や知的障害児通園施設、発達支援センターで保育士・介護福祉士として長年お勤めになり、退職されたのち、自作の遊びと学びのプログラムで子どもたちと遊んで下さっている、子どもたちが大好きなボランティア、村木充子さんをご紹介します。

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「生きるエネルギーをもらっているの」



●子どもと関わるお仕事につかれた経緯を教えてください。

私は子どもの頃は実はすごくナイーブだったんです。
今では信じられないと言われますけど、いつも不安だらけで。
それでも小さい子のことが好きで、よく近所の子たちとは遊んでいました。
高校生になって、幼稚園の先生を進路として選び、ピアノの練習など、準備もしておりました。
ところが3年のとき、近くにできるはずだった幼稚園の計画が撤回され、大きな挫折を経験します。

それから紆余曲折はありながらも、病院で医療事務の仕事につきましたが、
小さい時病弱で、長生きできないと勝手に思っていた私が、成人してまだ生きている自分に驚き、
遅まきながら自分の人生を見直すことになりました。
その頃、散歩中になんとなく導かれるようにして入ったカソリックの教会で、1人の日本人神父様と出会い、聖書について学ぶことになりました。
神父様に「あなたは何をしたいのですか?」と訊いていただけて夢を思い出し、洗礼を受けないまま1年後、紹介してもらった岡山の専門学校に入学、保育士を目指すことになりました。

●障害児施設でのことを教えてもらえますか。

学校併設で人手の足りなかった重症心身障害児施設の「4分の3職員」(今でいう短時間勤務のようなもの)という立場で寮生活をしながら2年間働き、学びました。
そこは最重度のお子さんたちが生活をする場で、それこそ食事をするだけでも命がけの日々でした。皆が必死に生き、そして生きることを楽しんでいました。
その時出会った子どもさん達や保護者の方から、生きることの本当の意味を学び、保育園の保育士ではなく、”自分の居場所はここだ”と思いました。

17年勤務ののち異動になり、通園型の発達支援施設で定年を迎えました。
異動は大変辛かったですが、ある60代のお母様が、ご自分の病気の為に在宅だった40代の娘さんの入所を余儀なくされた時に、「私が子育てをしていた時代は、今みたいに通う施設もなく、話す人や助けてくれる人もなく、偏見の目で見られることが多くて辛かったのよ。若いお母様方を助けてあげてね」と言ってくださり、頑張らなくてはと思えるようになりました。
就学前のお子さんの療育は大変でしたが、お母さん方と協力して、その子らしさが育つように配慮・工夫を致しました。お子さんたちが徐々に生活する力を付け、巣立って行かれる姿を見て嬉しく思い、そして多くのことを学ばせていただきました。お母さん方も仲間や理解ある専門家を見つけて、卒園後もお子さんと共にたくましく成長され、園庭開放の時などに会いに来て下さることもあり、とても嬉しかったです。

定年後も残って欲しいと言われたので少し延長もしましたけれど、
山口に住もうと決めていたので、体力のあるうちにと思って、退職しました。

2010年に山口に引っ越して来て、しばらくの頃だったと思います。
商店街を歩いていて、西門前のほっとさろんてとてとを覗いたら、「どうぞ」って言ってもらえたので入ってみたのがボランティアの始まりです。

そこで一人の障害をもつ女の子と出会いました。
その子の通っていた発達支援センター愛にご縁がつながり、またしばらくお仕事をさせてもらい、2014年に退職しました。


●長年支援に関わってこられて、どのような事を思われますか?

私が感じたのは、お母さんの差がかなりある、ということです。
今迄出会ったお母さん方は多様で、その時の制度や支援を葛藤がありながらも受け入れ受ける人、行く所がなくてしかたなく受ける人、積極的に受けて問題提起され、よりよい制度や体制・支援を目指される人、色々な状態の方がいらしゃいました。
それぞれのお母さんの背景にはお父さんがいて、さらには家庭の事情もある。そこを理解しながらチームでお母さんもお子さんも支えることが重要だと気づかせていただきました。

昭和54年の養護学校義務化で、最重度の障害をもちそれまで就学猶予・免除という形で学校に行けなかったお子さんたちが、年齢超過していても学校に行けるようになったのです。あのときは本当に良かったと思いました。
それでも少数のお子さんは行くことができませんでしたが、その理由がなんなのかは私には分かりませんでした。義務教育を受けたお子さんは高等部にも入ることができたので、施設の中だけでなく充実した学校生活を送ることができ、生活に張りがあったように思います。
行けなくて辛い思いをした子のお母さん方はその時代時代、お子さんの権利を法律や制度に組み入れるよういろいろな運動をされてきました。
現在、障害をもつ子を守る法律や施設などの基盤が整っているのは、自分の時には間に合わなくても、せめて次の世代のためにと、お母さん方が運動されて来た成果なのです。本当に頭が下がります。


●年齢も発達もまるで違う子どもたちを見て来られたわけですよね。どうやって勉強されましたか?

特別な障害児教育を受けたわけではありません。
それでも同僚と研修会にはたくさん参加し、ミーティングもたくさんしました。そしていつも行き詰ったときは本を開きました。家の本棚は専門書ばかりですよ。
お子さんは1人1人みんなちがう、接し方が同じでいいはずがない。
常に疑問を持って、行事や毎日の朝の会だって、それは何のためにやっているんだったか?等、いつも考えるようにしておりました。


●村木さんは子どもたちにどのように接するようにしていますか?

まずそのお子さんが好きなことや興味を持つものを探していきます。
興味を持てそうなことをやって見せて「すごい!」と思って近づいてきてくれたら、
一緒に遊んで、遊びや学びの幅を徐々に広げてあげるようにしています。

集団になったときには、座る位置も考えますよ。このお子さんはどのくらい待てるかな、順番はどうしようかな、と考えながら進めています。お子さんを理解して配慮することが大切だと思っています。
遊びだって工夫します。皆で遊ばせたら、できるお子さんも満足、難しいお子さんも満足させるようにしてあげたいのです。
私との関係で何かに気づき、それを他のお子さんに向けてみるようになる。
後に幼稚園や保育園などの集団に入ったときに生かされていると願っています。

多くのお子さん達に出会い、1人として同じ人はいないことに気づかされました。
皆さんそれぞれに自分の正解・自分らしさを持っておられます。近づくときは無理強いせずにお子さんの世界におじゃまさせていただき、受けとめられた上で私に気づいてもらいながら、関係を作っていくようにしています。

一番大切なことは、お子さんが安心感を持つことだと思っていますので、
その時々で気をつけているのは、そのお子さんが何を感じて、どう受けとり行動されているのだろうと考えることです。お子さんの思いを大切にしたいと思っています。


●村木さんの子どもへの接し方はものすごくエネルギーを使うように思います。

お子さんは希望ですもの。
一番に私が楽しんでいるので、生きるエネルギーをもらっているのは私の方なんですよ。

町で偶然出会ったお子さんが声をかけてくれ、「お母さん、村木さんいるよ」って言ってくれるのがうれしいですね。
私は山口市に来てまだ5年ですけれど、ここに根付いていいんだよって、受け入れてもらえている気がするのです。


●子育て中のお母さんへメッセージをお願いします。

どの本にも書いてあるけれど、正しい子育てなんてない。
自分が大切にしたいことは何かをしっかり考えて、
今のお母さんができることを精いっぱいして下さい。

迷うのも、悩むのも良いと思います。
誰だって10人も20人も育てた経験があるわけじゃない。
私も一人目の子どもでしたから、ずいぶん神経質に育てられたと思います。

今のお母さんはてとてとのような所で、他のお母さんを見て、
自分を客観的に見ることができていると思います。

決して他のお子さんと比べないで下さいね!
お子さんの成長過程は1人1人皆さん違うことを頭において、ご自分のお子さんとしっかり向き合い、変化を楽しんで下さい。
お子さんが楽しんだことに気付いて、共感してあげてください。
できたことを褒めるのも良いですが、「やったね」と言ってあげた方がもっとお子さんは喜ぶと思います。
評価されるのではなく、「お母さんが分かってくれる」という意識を持てるお子さんは
自信を持てるようになります。
今を一緒に楽しんで過ごしていただきたいと思います。

どうしても比べてしまって気になるなら、一番言いやすい人に相談して下さい。
相談された人は、それが個人差への配慮だけでは対応が難しいと感じたら、
是非、専門の窓口につないであげてほしいです。


〜取材を終えて〜
本当にたくさんの子どもたちと接し、1人1人に必要な事を常に考えて経験と技術を積み上げて来られた方と感じました。退職された今も新しい情報を取り入れ、学び続けておられる姿勢にはただただ驚くしかありませんでした。
村木さんが来られると、子どもたちが次々と集まります。
子どもとの短い時間を限りなく濃密に過ごされるため、
村木さんの所作を見ているとまるでジェットコースターのよう。
絶え間なく気を配り、話しかけをされています。
いつてとてとに遊びに来て下さるかは村木さん次第ですが、
もし、運よく村木さんに出会えたら、多彩な遊びの内容だけではなく、
是非子どもとの対話を見てほしいと思います。

Posted by あっとほーむ at 01:02 | この記事のURL