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山口市内には
いろんな方面で活躍する子育て支援者さんがたくさんいます

このブログでは
そんな支援者さんをママスタッフが取材し、紹介します

このブログで素敵な支援者さんを知って是非会いにいってください

さらに子育てが楽しくなるかもしれまんせんよ



vol49.高田和宜さん [2017年03月03日(Fri)]
今回は野外活動サポートを積極的にされている高田和宜(たかたかずよし)さんにお話しをうかがいました。

〜自然体験で子どもの自信や意欲を育てたい〜

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〜プロフィール〜
山口県キャンプ協会副理事長。国立山口徳地青少年自然の家運営協議会委員。
県内での野外活動の指導や指導者養成や、子育て支援交流ひろば・子育てサークルの野外活動事業のサポートを主にしている。


●自然との関わりや主に野外活動にこだわって活動されていますが、自然に触れることで子どもにはどんな影響がありますか。

 自分でいろいろ直接体験をして、その中でびっくりマークやはてなマークがいっぱいみつけられるということが、自然体験のメリット。その体験の中での嬉しかったり楽しかったりすることが、今後の自信や意欲につながる。それを幼児期に培うのが大事だと思ってやっています。単に自分が自然の中で遊ぶのが好きってこともあるけど(笑)。

●家庭では、子どもにどう自然体験をさせればいいですか。

 野外に連れ出すことでしょう。室内の平坦な道ばかりでなく、同じ場所でもいいから四季を問わず自然の中に連れ出してほしい。そうすると子ども自らがいろいろ見つけ出します。面白いこととか不思議なこととか。そういう機会は大人が作ってあげてほしい。

●大人が自然体験をしてきてない人が多くて、どうすればいいかわからない人も多いと思うんですが。

 
 だからこそ、親子で自然体験をする場を作っています。子どもにさせたいだけでなく、大人も体験すると、「ああ、こんなに面白かったんだ」「いいなあ」と再発見・再確認できる。子どもが喜んだり、「やったあ」という顔をすると、親たちも「この体験はいいことだったなあ」とわかる。 それを期待して親子で自然を体験するということにこだわっています。また、そういう野外活動では、ほかの家族と何かを一緒にやりますよね。すると家族を比べることで、子どもにとっては刺激になります。他の子どもの存在も、他の親のやっていることもです。自然体験に自信のない親ほど、ほかの家族の力を借りて、イベントに参加すべきです。
 特に年齢が低ければ低いほど親子の自然体験をしてほしいです。ある程度年齢がいったら「子どもだけでいってらっしゃい」ということができますが、むしろその前の段階が大事だと思っているんです。それで「ちょっと2,3歳児にはハードかな」ということもさせています。

●2,3歳児の自然体験は大変さの方が多いということはありませんか。

 子どもが小さいと心配が大きくてなかなか野外活動に踏み切れない親もいると思いますが。ちゃんと準備をして、配慮をすればできます。この前の活動では、きついのぼりがある山登りもしました。1歳の子もいたけど、歩けるところは歩かせました。すると、親が自分の子どもを見直したりする場面もありました。早すぎることはありません。

●こういった活動をし始めたのはいつぐらいからですか

 自分が小学校の子ども会に所属しているころからずっとです。中学生のころは小学生を連れてキャンプに連れて行きました。地域の子ども会で、そういう仕組みがまだありました。そのころの活動を、今も引き続きやっている感じです。大学生の時は仲間と一緒に、近所の子どもたちを集めてキャンプ学校を始めました。
 徳地とかで長期のキャンプなんかもやりました。でも今は野外活動は低迷期なんです。公の場が少なくなってきているので、大きな集まりじゃなく小さいところがこつこつやる時代になってきました。その小さな集まりをやることが大事です。

●今後の活動としてはどんなことをしますか。

 昨年まで山口県立大学の「桜の森アカデミー※」で「遊びの達人」という講座を持っていました。野外で子どもと自然体験をしながら野外活動に必要な知識などを習得する講座です。講座自体がなくなっても、今度個人でもこういうことをやりたいと思っています。もちろん引き続き、子育てサークル・支援団体の野外活動サポートもします。

●お父さんお母さんへのメッセージをお願いします。
 
 子どもたちは自分で「楽しい・面白い」を探していくから、与えたものじゃなくて、自分でやりたいことをみつけてやらせる。それがその子のベースになります。与えたものだけでは、自分から「楽しい・やりたい」をみつける感性が育っていきません。それには自然の中で遊ばせることが効果があります。思っている以上に子どもはいろいろできるから、ダメダメじゃなくて、やらせてほしい。
 「子どもは子どもらしいあそび」って思っているかもしれないけど、冒険的なこと挑戦的なことを子どもたちは欲しています。その可能性を広げていければいい。すぐゲームするとかじゃなくて。それは手間暇かけてめんどうくさいんだけど、子どもも大人も「面倒くさいから楽しい」ということがあります。ホットプレートで焼きそばも作れるけど、火をおこすところからやるといろんなアクシデントがあって面白いってことあるでしょう。 
 予想通りにはならない。でも予想以上のことができる。そういう体験をさせてほしい。


〜取材を終えて〜

 
 個人的なことですが、今まで私には自然体験というものが一番未知で、苦手なことでした。自然体験が大事だったり、面白かったりするのはわかるけど、別にやらなくてもすんでしまって、そのまま大人になってしまったという親でした。
 そんな私でも、子どもと外で遊んでみると、室内で子どもと遊ぶより大人もたくさんの発見があり、楽しめることは日々実感しています。たぶん親になると、それはみんな感じることではないでしょうか。スマホやテレビばかりがいいとは、正直だれも思っていないと思います。
 高田さんの勧める野外活動は、さらに大きな自然を相手にする感じですが、子どもは確かにそういうものを求めていると思います。私みたいな親でも高田さんみたいな方のサポートがあれば心強くチャレンジできそうです。これからも高田さんには頑張っていただきたいですね。


あっとほーむタッフ栗原文佳


※桜の森アカデミー・・・山口県立大学で行われている生涯現役社会を主体的に担う人材や地域リーダーを育成する「共生教育」講座です。

・高田和宜さんの活動予定はこちら
・山口県キャンプ協会

・国立山口徳地青少年自然の家

子育て支援交流広場 ちゃ☆ちゃ☆ちゃ
Posted by あっとほーむ at 15:20 | この記事のURL
vol.48 藤田知美さん [2016年12月05日(Mon)]
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「音楽で育児を楽しく」


今回は、ママバンドの隊長の藤田知美さんをご紹介します。

*プロフィール

藤田知美  山口県下関市出身

夫(ふわっとしてる)・長女(5さい、マイペース)・次女(もうすぐ3さい、しっかり者)・長男(もうすぐ1さい、ニコニコ坊や)

中学、高校とバリバリ吹奏楽に打ち込み、燃え尽きて大学時代は合唱へ。社会人になり、ご縁ありまして下関で再び吹奏楽生活スタート。夫の仕事で山口へ。そして今。ママバンド隊長やってます。

*ママバンドを始められたきっかけを教えてください。

一般バンドは基本的に夜の練習が多くて、小さな子どもがいると、なかなか参加が難しいのです。仲良しのママさんが、昼間に練習するバンドを立ち上げる!ということで、お手伝いしました。楽器を吹きたいけど場所がなかったママさん、子どもを音楽に触れさせたい、一緒に音楽を味わいたい、楽しみたいママさんはみるみる集まって、ママバンドになりました。


*小さな子供達を連れてのバンド活動は大変だと思いますが、ママバンドだからこその魅力を教えてください。

子どもと一緒にできること!これに尽きると思います。ママの演奏で、子どもが歌って踊れるバンドなんて、こんな素敵なバンドはありません。練習ではママが子どもに熱血指導!本番はママのミスを子どもの可愛さでカバー!持ちつ持たれつなんですー。そして、うちのママバンドは、楽器が吹けなくても参加できます。キッズ隊という仲間を設けていて、子どもと一緒に、歌ったり踊ったり演出をしたりしています。ママバンドオリジナルメンバーです。

*お母さんやお子さん達への関わりについて教えてください。

ママも子どもも無理しないこと。音楽は楽しいもの。無理してやっていても、いいことありません。ママバンドの練習に来ること、演奏をすること、演奏を聴くことで、ママや子どもがリフレッシュできたらなーと思っています。そして、音楽を日常に。散歩しながら歌ったり、歌いながらガミガミ言ったり。親子ゲンカも姉妹ゲンカも、歌を入れるとついつい笑っちゃいます。

*今後どのような展開(発展)を考えていますか?

やっぱり、たくさんの人に聴いてほしい、見てほしい、参加してほしいです。演奏する側も、見る側も元気が出るような、そんな演奏をしたいです。大人になって子育てをしていると、子どもの成長を感じることはあっても、自分自身の成長を感じることは少なくなってくるのではないかと思います。これができた!あれができた!と少しずつ確実に、技術的にも精神的にも。生涯成長していきたいです。ママバンドはメンバーを大募集しておりますので、ぜひ一緒にやりましょう!

*子育て中のお父さんお母さんへメッセージをお願いします。

ありきたりだけど、子育てって楽しいってことを知ってください。考えてください。子どもの失敗、自分の失敗、その時は、キー!!!ってなります。でも、済んでしまえば、プププ…なこと。笑ってみんなに話しちゃいましょう。振り返ると、結果オーライな、楽しい毎日を送ってるなーって実感できるはず。

*取材を終えて

2歳の娘とママバンドをはじめて聞いた時、その直前まで娘は、会場を走り回り言うことを聞かず私は、イライラしていました。どうして!うちの子は、ジッとしてくてないんだろと。
そんな中ママバンドの演奏がはじまりました。すると不思議!はじめて見るママバンドの曲に娘は、夢中になりました。
2か月の赤ちゃんをスリングに入れて歌っているママや赤ちゃんをおんぶして演奏してるママ
バンボに赤ちゃんを座らせたり膝に座らせ演奏してるママなど大変そうだけれど・・・みんな楽しそうで、自然と私も笑顔になりました。
藤田さんも小さな二人の子どもさんを連れて演奏されていました。とても楽しそうで、うちの子が、キッズ隊でもないのに前のキッズ隊の中に入っていきました。その時もダメではなく!どうぞみんな楽しみましょうっと優しく言ってくださいました。
育児を楽しまれている素敵なママだと思いました。
ママバンドを聞かれた事ない方が、まずはママバンドの演奏を聞かれてみてください。きっと幸せな気分になれると思いますよ。


*ママバンド情報

近日出演予定
お父さんもおいでよミュージック
子育て支援メッセ

ママバンドへのお問い合わせ
supermamaband@yahoo.co.jp

あっとほーむ取材スタッフ じゅん

Posted by あっとほーむ at 14:11 | この記事のURL
vol.47 番屋珠美さん [2016年11月17日(Thu)]
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「子ども達から元気をもらっています」


番屋珠美(ばんや たまみ)  福岡県福岡市出身  
夫・長女(小6)・長男(小3)・次男(年長)・義父・義母・カツオ(猫7才・オス)と共に暮らす。
総合商社勤務(九州の展示会を担当)、バッグの販売経験を経て、主婦になりました。

*今のお仕事(子育て支援)を始められたきっかけを教えてください。

次男が産まれた頃、在住する仁保に「つどいの広場 いっぽ仁保さんぽ」がオープンすることを聞きました。「子どもを遊ばせながら、友達も作れて、さらに子育ての支援もできる!!」これは参加しなくてはと思い、スタッフ募集に手を挙げました。

*地元・福岡から山口・仁保への転居は、環境の変化がとても大きかったと思います。

仁保へ転居する直前まで仕事をしていたので、初の主婦業、初の転居、初の妊婦・・・と初めてづくしで環境に馴染めず、マタニティブルーも重なり2か月後には実家に一時帰省しました。
寂しい気持ちは内に秘めずに素直に言葉に出し、環境や気分を変えてみると気が楽になりました。

*今のお仕事について、具体的に教えてください。

現在は、広場の運営面の手伝いを中心にしています。具体的には、月に一度のスタッフ会議の運営や改善事項を検討します。
今年4月からはご縁があって、仁保の母子保健推進員(母推)と仁保協育ネット(通称・仁保くすのきネット)のコーディネーターも担当しています。
母推といっぽ仁保さんぽでは、幼稚園入園前までの子ども達と接しています。
協育ネットでは、幼稚園・保育園・小学校・中学校に通う子ども達と接しているので、仁保に住む0才から15才までの子どもたちに元気をもらっています。

*つどいの広場に来られる、お母さん達との関わりについて教えてください。

開館当初は、自分の子育て体験を話しましたが、子育ては十人十色。
今はまずお母さんの話を「聞くこと」を心がけています。
  
*お子さん達との関わりについて教えてください。

来館いただいたお子さん達には「程良い距離感と同じ高さでにっこり」の気持ちで接するようにしています。
我が子には、「長女は見守りながら任せる、長男と次男は至近距離で口出しする」ことが多いですが、最近は手伝いなど自発的に動いてくれるので大助かりです。
  
*転勤族のお母さん、そして子育て中のお父さん、お母さんへメッセージをお願いします。

私は母推さんの行事に参加することで、子どもと同世代のママさん達に出会い、世間話や子どものことを話すことで周りがやっと見えてきた気がします。
山口には、子ども達やママさん達に出会える「つどいの広場」や「サークル」、「幼稚園などの未就園児クラス」がたくさんあります。保健センターや交流センターから情報を得て、門をくぐってみてください。居心地良い場所や仲間が皆さんを待っています。

これからも、仁保に来られた方が「ホッとできる場所」「安心して子育てできるのは仁保」を目指して、地域の皆さんと一緒に進んでいきたいと思います。いっぽの古民家でゆったりした時間を年齢層豊かなスタッフと一緒に過ごして、心の洗濯をしませんか。
仁保でまっちょりますよ〜。

*取材を終えて

私も関西からの転勤族なので、地元を遠く離れて、子育てをする大変さを痛感する日々を経験しました。それでも、子どものため、家族のため、そして地域のために奮闘される番屋さんのお話を伺って、とても頼もしく、心強く感じると共に、暖かく励まされる思いです。
どこに住むことになろうとも、新たな場所で様々な工夫を重ねていくことで、思いがけない出会いと経験、そして忘れがたい思い出が積み重なっていく。そう信じて私もまた、これからも山口での暮らしに向き合っていきたいと思います。

*「つどいの広場 いっぽ仁保さんぽ」のブログはこちら→https://blog.canpan.info/niho/

あっとほーむ情報スタッフ セイタ
Posted by あっとほーむ at 19:31 | この記事のURL
vol.46 澄川絵里奈さん [2016年09月14日(Wed)]
今回は、健康運動指導士としてご活躍の澄川絵里奈さんにお話を伺いました。

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「ママの笑顔は子供の笑顔」

澄川絵里奈(すみかわ えりな)
山口県山口市出身・夫と3歳(年小)・1歳の男の子の4人家族

専門学校卒業後、スポーツクラブに就職
スポーツクラブでの経験を活かしフリーランスに転向
山口市を中心に健康講座、介護予防講座などの講師を担当
現在では自身の経験を踏まえ、女性やママの体づくりの講座や自宅サロンで活動中

*今のお仕事を始められたきっかけを教えてください
もともと運動が好きだった私ですが、大好きな祖母が体を思うように動かせなくなり、「自分の体がもっと動けばいいのに…」と話してくれたのがきっかけです。
多くの人を運動を通して笑顔にしたい!と思い、インストラクターの道を選びました。

その後自分自身、女性としてのライフイベントである「結婚・妊娠・出産・育児」を経験。その中で自分自身の経験や体の不調を訴える女性やママが多いことを知り、女性の体づくりを応援し笑顔で毎日を過ごす女性が増えたらいいなと思いました。

*「健康運動指導士」とは、どのようなお仕事ですか?
健康になりたい方や、様々な体の不調や疾患がある方々に対して、安全で効果的な運動を提案・指導する健康づくりの専門家です。

*産前・産後のお母さん達との関わりについて教えてください。
現在は産後のママがメインですが、産後の体の変化や不調に悩むママたちに、骨盤周りの筋肉を整えるエクササイズ、肩こりや腰痛を改善する体操、日常気をつけたい姿勢・赤ちゃんのお世話の話などの教室や、ママが笑顔になるようなイベントを企画したりしています。

*産後、体型の変化の悩みを抱える女性は少なくないと思います。アドバイスをお願いします。
まずは「自分の体に目を向ける」ことから意識してみましょう。
例えば、子どもを抱っこしている時の姿勢や座っている時の姿勢はどうでしょうか?
その日頃の姿勢のクセは、体型変化や体の不調にも繋がります。
少しお腹に意識を入れて座ったり、生活するだけでも体に変化が出てくると思います。
そして、いつも頑張っている体を褒めること、そして整えることも大切です。
まずはママ自身が自分の体を大切にすることで、子どもたちや家族にも笑顔が広がると思っています。

*二人のお子さんとの生活について教えてください。
毎日やんちゃ盛りの子どもたちに振り回されていますが、「今しかないこの時を楽しむ」ことをモットーにしています。
遊ぶ時は一緒に全力で遊んだり、絵本も一緒に楽しんだり、お料理もしてみたり。子どもがしてみたい!と思うことは一緒に見守りながら楽しむようにしています。
もちろん腹が立ったり、感情的になることもありますが、素直に思いを伝えてハグすることも大切にしています。子どもと一緒に私も日々成長していければいいなと思います。

*今後は、どのような展開を考えていますか?
産後のママだけでなく、自分の体を好きになる女性や健康的に美しくなりたい女性たちを増やしていきたいと思っています。
そして自分の体を自分で健康に出来る女性たちを増やすべく、「健康教育」にも力を入れていきたいと考えています。

*子育て中のお母さん、お父さんへメッセージをお願いします。
私自身まだまだ子どもと一緒に成長しているママです。
そんな私がメッセージというのも恐縮なのですが、子どもたちと一緒に過ごしている中で、子どもたちから学ぶことも多く、子どもたちに教えてもらうことの方が多い気がします。
子育てに正解はなく、他のママや子どもと比べてしまうこともあると思います。私も何度も不安になり悩んだこともありました。
その度に主人と一緒になって考え、「目の前の子どもに向き合うこと・信じること」だけを考えてきました。実際、当時悩んでいたことは多くのママたちが悩んできたことだったり、子どもたちがいろんな経験をすることで成長するものなのだなと思うこともあります。
子育ては一人でするものでもなく、周りと一緒に行うものなのだと実感します。
毎日あっという間に過ぎる中で、「子どもとどう過ごすか」が子どもの将来にも、そして親である私たち自身への大切な時間だと思っています。
いつか成長して自分たちの手から離れる子どもたちです、お互い今しかないこのかけがえのない時間を楽しんで過ごしましょう。
ママが笑顔で過ごす事、それが子どもたちの笑顔にも繋がると思います。
その為にも自分たちの体を大切にすることも必要です。
ママの体づくりを通して、そのお手伝いが出来れば嬉しいです。

*今後の活動予定などについては、澄川さんのブログをご覧ください。
http://ameblo.jp/eriwahaha/

あっとほーむ取材スタッフ セイタ
Posted by あっとほーむ at 06:33 | この記事のURL
vol.45 米屋麻香さん [2016年06月19日(Sun)]
今回は、助産師の米屋麻香さんにお話を伺いました。

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「お母さんになる人を育てるお仕事」

〜プロフィール〜
米屋 麻香(こめや あさか)
山口県出身
助産師

●普段はどのような活動をされていますか?
からだにやさしい料理教室やヨガ教室、授乳中の方のおっぱいマッサージ・リラクゼーションなどを出張で行っています。

●今のお仕事を始められたきっかけを教えてください。
学校を卒業後、総合病院に勤めましたが病院の決められたスタイルでの出産に、主役がママではなく病院であるとを感じました。心の奥にママの力になりたいと言う気持ちがあり、数年後、個人の助産院に転職しました。そこでは、横向きや下向き、水中など、ママが自分のスタイルで自由に赤ちゃんを産むことができました。私は黒子の様にお手伝いでき、とてもやりがいを感じました。
その後、他の助産院でも経験を積みましたが、自分の理想とする助産をしたくなり独立を決意しました。

●もともと、なぜ助産師になろうと思ったのですか?
将来の職業は人を相手に、女性が働き続けられる仕事が良いと思っていました。
眼科へ行ったときに出会った看護師さんがきっかけで看護学校へ入ろうと決めました。
看護学校へ進学後、内科・外科などいろいろな科へ行き実習しましたが、最後に習った産科の実習がとても気に入りました。内科や外科では患者さんと同じ病気になったことがないため、病気を患っている人の気持ちに寄り添えませんでしたが、産科では女性として身体のメカニズムで納得できる部分がありました。出産を見ていると、いかに文明が進んでも人間も動物だなぁと気づき、魅力を感じました。

●お仕事をする上で大切にしていることを教えてください。
お産に立ち会うときは、「自分が産んだ!」と思えるように出産をお手伝いしたいと心がけていました。自分で産んだという自信が子育てにおいてとても大切になりますし、その自信が赤ちゃんを信じる力になるからです。
助産師の仕事というのは、単に赤ちゃんを取り上げるのではなく、産む力、育てる力を引き出すことで、お母さんになる人を育てることだと思います。
事情によって自力でお産できなくても、授乳を通じて赤ちゃんへの愛情がどんどん深まりますし、自信を取り戻すことができるチャンスになりますので、できるだけ母乳で育てられるようにマッサージを行っています。

●これから赤ちゃんを産むお母さんへ一言お願いします。
安産には努力が必要です。
それまでの食生活や普段の生活が関わってきますので、毎日を大事に生きることがとても重要です。
妊娠中の身体作りは、お産だけでなく、産後1か月+αに役立ちますので頑張ってください。
出産が豊かな経験になりますように。



〜取材を終えて〜
子どもを授かるまで出産について考える機会がなく、また出産後は子育てに追われる毎日でした。
今回の取材を終えて改めて自分の出産について振り返ると、米屋さんの仰っている通り、あの痛い、苦しい、出産を乗り越えたことで自分に自信がついたと感じます。私の場合、赤ちゃんがお腹の中にいる間は実感がなく、むしろ母親になることが怖かったことを覚えています。しかし、自分のお腹を痛めて出てきた子どもはとても愛おしく、授乳を重ねることによって自分が子どもの命を守っている・これからも守っていくんだという意識がでてきて、育児を通して人間的に成長できたと改めて気づきました。
初めての出産は右も左も全く分かりませんでしたが、妊婦健診から産後のケアまで助産師さんにご指導頂き、とても心強く頼りになりました。出産を通して人を育てる、とても素敵なお仕事だと思いました。

米屋さんは、てとてとの身体測定・育児相談「うちの子サイズスペシャル」にいらしていただいております。次回のスペシャルは10月19日(水)になります。相談したいことがある方もない方も、ぜひ気軽に遊びに来てください。詳細はこちら


あっとほーむ取材スタッフ ちえ
Posted by あっとほーむ at 18:42 | この記事のURL
vol.44 小林洋子さん (アンカーマネジメント講師) [2016年05月31日(Tue)]

「思いを上手に伝えるために」


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*プロフィール

小林洋子(こばやし ようこ)大分県出身
夫、小2の娘、年長の娘の4人家族。アンガーマネジメント講師。

*今のお仕事を始められたきっかけを教えてください。

放送局のアナウンサーをしていた頃、事件のニュースの度に「どうしてこんな事件が起こるのだろう」と思っていました。当時は独身だった事もあり、今より漠然と考えていたと思いますが、その後、子育てをしていく中で、安心して暮らせる社会が必要だと思うようになりました。同時に、自分も子育てでイライラすることが増えていたので、子どものためにも自分が変わらなければと思っていました。
「暮らしやすい社会」で「子どもをたくましく育てたい」と思っていた時にアンガーマネジメントを知り、これなら私の二つの思いに繋がるものを見つけられそうだと思ったのがきっかけです。

*「アンガーマネジメント」とは、どのようなものですか?

1970年代後半にアメリカで誕生した「怒りの感情をコントロールする」ための心理教育プログラムです。欧米では企業やスポーツ界、小学校での教育などに広く取り入れられています。日本でも近年、企業や文部科学省などが注目しています。
具体的には、イラッとした時にどう対処するのか、怒りにくくなるためにはどのように考えたらいいのかなどを身につけ、怒りで後悔しないようになるためのトレーニングです。
「怒っていいこと」と「怒る必要のないこと」を自分の中で明確にできれば、「あの時、こんなこと言わなきゃよかった」や「あの時、もっとこの気持ちを伝えておけばよかった」といった後悔をしなくなり、自分の感情に責任を持てるようになります。

*二人のお子さんとの関わりの変化について教えてください。

以前は感情的に怒ってしまう事が多かったのですが、今はきちんと自分の思いを伝えるようにしています。すると、子どもも感情的にならずに、私の言う事を理解してくれるようになりました。寝る前には、布団の中で、今日楽しかった事、嬉しかった事、誰にありがとうを言いたい、などを話してから寝るようにしています。

*つい、子どもに怒り過ぎてしまう経験をお持ちの方は多いと思います。そして子どもの寝顔を見ながら反省する毎日・・・そんな悩めるお母さん方にアドバイスをいただけますか?

私もまだ子育て中で、試行錯誤の日々です。ただ、イラッとして感情的に怒ってしまうと後悔します。まずは一呼吸おいて、「なぜ良くないのか」という理由を冷静に伝える努力をしていく事が必要かなと思います。小さなお子さんはすぐに行動に移せないかもしれませんが、伝え続ける事で理解していくようなります。また、子どもに自分の理想を求めないようにしたら気持ちが楽になりました。
以前の私は、大切に育てたい、自立した大人になってほしいという思いで、結局は自分の気持ちを子どもに押し付けていました。一生懸命になればなるほど、その点に気づきにくくなりますよね。子どもの気持ちを尊重するという事は、わかっているつもりだったけど、できていなかったのです。子どもだからできない時もあるし、眠い時など何を言っても通用しない事もある、そういう状況もあるのだと受け入れるだけで自分の気持ちは随分変わってきます。今では寝顔に謝ることはなくなりました(笑)。ただ、相手が嫌がる事をした時やルールを守れない時などはきちんと怒るようにしています。

*アンガーマネジメントは、何歳からできますか?

自分や相手の気持ちを理解できる5歳頃からできます。楽しいワークを通して、子どもたちにイライラなどの怒りの感情について理解してもらうキッズ向けのプログラムもあります。

*キッズ向けのプログラムについて教えてください。

何かの出来事で怒った時に、どんな気持ちだったのか、どうして欲しかったのかという事に気づいてもらえるような内容になっています。楽しく学べるように、風船やビンゴゲームで「怒り」の感情を理解できる工夫をしています。学校や地域で広められるといいなと思います。子どもたちが自分の感情に向き合えるようになり、適切なコミュニケーションができるようになると学校や地域社会、クラブ活動なども益々活性化していくと考えています。

*今後は、どのような展開を考えていますか?

子どもたちがアンガーマネジメントをできるようになるには、教える方(親、先生など)が必要です。「アンガーマネジメントキッズインストラクター養成講座」を随時開講していますので、多くの方がインストラクターになって子どもたちへ伝えていってほしいと思っています。

*子育て中のお母さん、お父さんへメッセージをお願いします。

家庭に育児に仕事に日々忙しく過ごしていることと思います。私は、子どもが幼稚園に通い始めるまでは、1日が40時間あればいいのに…と、よく思っていました。今でももっと向き合ってあげたいと思いながらも、できない事も沢山あります。しかし成長するにつれ、学校や友達から学んでくる事が増え、親がいないところでは自分で判断して成長しているなと思う事も増えてきました。
子ども同士のトラブルもありますが、成長段階だと思い、子どもを信じて温かく見守る事も必要です。そんな時に、自分の気持ち、相手の気持ちを理解できるようにサポートしてあげられると、子どもなりに経験を通して前向きに進めることを学べるのかなと思っています。私もまだまだ育児真っ只中ですので、どの選択がいいのか迷う事は沢山ありますが、良くない結果であってもそれを次に活かせるように心がけています。親も子も完璧である必要はなく、今ある環境をどう受け止めるかで状況は変わってくると思います。アンガーマネジメントがそのヒントになり、お父さんやお母さんの心が少しでも軽くなれば幸いです。

*詳しくは、小林さんのHP「coco-emi(ここえみ)」をご覧ください。
http://coco-emi.com/coco-emi



Posted by あっとほーむ at 08:32 | この記事のURL
vol.43 村木充子さん [2016年03月19日(Sat)]
重症心身障害児施設や知的障害児通園施設、発達支援センターで保育士・介護福祉士として長年お勤めになり、退職されたのち、自作の遊びと学びのプログラムで子どもたちと遊んで下さっている、子どもたちが大好きなボランティア、村木充子さんをご紹介します。

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「生きるエネルギーをもらっているの」



●子どもと関わるお仕事につかれた経緯を教えてください。

私は子どもの頃は実はすごくナイーブだったんです。
今では信じられないと言われますけど、いつも不安だらけで。
それでも小さい子のことが好きで、よく近所の子たちとは遊んでいました。
高校生になって、幼稚園の先生を進路として選び、ピアノの練習など、準備もしておりました。
ところが3年のとき、近くにできるはずだった幼稚園の計画が撤回され、大きな挫折を経験します。

それから紆余曲折はありながらも、病院で医療事務の仕事につきましたが、
小さい時病弱で、長生きできないと勝手に思っていた私が、成人してまだ生きている自分に驚き、
遅まきながら自分の人生を見直すことになりました。
その頃、散歩中になんとなく導かれるようにして入ったカソリックの教会で、1人の日本人神父様と出会い、聖書について学ぶことになりました。
神父様に「あなたは何をしたいのですか?」と訊いていただけて夢を思い出し、洗礼を受けないまま1年後、紹介してもらった岡山の専門学校に入学、保育士を目指すことになりました。

●障害児施設でのことを教えてもらえますか。

学校併設で人手の足りなかった重症心身障害児施設の「4分の3職員」(今でいう短時間勤務のようなもの)という立場で寮生活をしながら2年間働き、学びました。
そこは最重度のお子さんたちが生活をする場で、それこそ食事をするだけでも命がけの日々でした。皆が必死に生き、そして生きることを楽しんでいました。
その時出会った子どもさん達や保護者の方から、生きることの本当の意味を学び、保育園の保育士ではなく、”自分の居場所はここだ”と思いました。

17年勤務ののち異動になり、通園型の発達支援施設で定年を迎えました。
異動は大変辛かったですが、ある60代のお母様が、ご自分の病気の為に在宅だった40代の娘さんの入所を余儀なくされた時に、「私が子育てをしていた時代は、今みたいに通う施設もなく、話す人や助けてくれる人もなく、偏見の目で見られることが多くて辛かったのよ。若いお母様方を助けてあげてね」と言ってくださり、頑張らなくてはと思えるようになりました。
就学前のお子さんの療育は大変でしたが、お母さん方と協力して、その子らしさが育つように配慮・工夫を致しました。お子さんたちが徐々に生活する力を付け、巣立って行かれる姿を見て嬉しく思い、そして多くのことを学ばせていただきました。お母さん方も仲間や理解ある専門家を見つけて、卒園後もお子さんと共にたくましく成長され、園庭開放の時などに会いに来て下さることもあり、とても嬉しかったです。

定年後も残って欲しいと言われたので少し延長もしましたけれど、
山口に住もうと決めていたので、体力のあるうちにと思って、退職しました。

2010年に山口に引っ越して来て、しばらくの頃だったと思います。
商店街を歩いていて、西門前のほっとさろんてとてとを覗いたら、「どうぞ」って言ってもらえたので入ってみたのがボランティアの始まりです。

そこで一人の障害をもつ女の子と出会いました。
その子の通っていた発達支援センター愛にご縁がつながり、またしばらくお仕事をさせてもらい、2014年に退職しました。


●長年支援に関わってこられて、どのような事を思われますか?

私が感じたのは、お母さんの差がかなりある、ということです。
今迄出会ったお母さん方は多様で、その時の制度や支援を葛藤がありながらも受け入れ受ける人、行く所がなくてしかたなく受ける人、積極的に受けて問題提起され、よりよい制度や体制・支援を目指される人、色々な状態の方がいらしゃいました。
それぞれのお母さんの背景にはお父さんがいて、さらには家庭の事情もある。そこを理解しながらチームでお母さんもお子さんも支えることが重要だと気づかせていただきました。

昭和54年の養護学校義務化で、最重度の障害をもちそれまで就学猶予・免除という形で学校に行けなかったお子さんたちが、年齢超過していても学校に行けるようになったのです。あのときは本当に良かったと思いました。
それでも少数のお子さんは行くことができませんでしたが、その理由がなんなのかは私には分かりませんでした。義務教育を受けたお子さんは高等部にも入ることができたので、施設の中だけでなく充実した学校生活を送ることができ、生活に張りがあったように思います。
行けなくて辛い思いをした子のお母さん方はその時代時代、お子さんの権利を法律や制度に組み入れるよういろいろな運動をされてきました。
現在、障害をもつ子を守る法律や施設などの基盤が整っているのは、自分の時には間に合わなくても、せめて次の世代のためにと、お母さん方が運動されて来た成果なのです。本当に頭が下がります。


●年齢も発達もまるで違う子どもたちを見て来られたわけですよね。どうやって勉強されましたか?

特別な障害児教育を受けたわけではありません。
それでも同僚と研修会にはたくさん参加し、ミーティングもたくさんしました。そしていつも行き詰ったときは本を開きました。家の本棚は専門書ばかりですよ。
お子さんは1人1人みんなちがう、接し方が同じでいいはずがない。
常に疑問を持って、行事や毎日の朝の会だって、それは何のためにやっているんだったか?等、いつも考えるようにしておりました。


●村木さんは子どもたちにどのように接するようにしていますか?

まずそのお子さんが好きなことや興味を持つものを探していきます。
興味を持てそうなことをやって見せて「すごい!」と思って近づいてきてくれたら、
一緒に遊んで、遊びや学びの幅を徐々に広げてあげるようにしています。

集団になったときには、座る位置も考えますよ。このお子さんはどのくらい待てるかな、順番はどうしようかな、と考えながら進めています。お子さんを理解して配慮することが大切だと思っています。
遊びだって工夫します。皆で遊ばせたら、できるお子さんも満足、難しいお子さんも満足させるようにしてあげたいのです。
私との関係で何かに気づき、それを他のお子さんに向けてみるようになる。
後に幼稚園や保育園などの集団に入ったときに生かされていると願っています。

多くのお子さん達に出会い、1人として同じ人はいないことに気づかされました。
皆さんそれぞれに自分の正解・自分らしさを持っておられます。近づくときは無理強いせずにお子さんの世界におじゃまさせていただき、受けとめられた上で私に気づいてもらいながら、関係を作っていくようにしています。

一番大切なことは、お子さんが安心感を持つことだと思っていますので、
その時々で気をつけているのは、そのお子さんが何を感じて、どう受けとり行動されているのだろうと考えることです。お子さんの思いを大切にしたいと思っています。


●村木さんの子どもへの接し方はものすごくエネルギーを使うように思います。

お子さんは希望ですもの。
一番に私が楽しんでいるので、生きるエネルギーをもらっているのは私の方なんですよ。

町で偶然出会ったお子さんが声をかけてくれ、「お母さん、村木さんいるよ」って言ってくれるのがうれしいですね。
私は山口市に来てまだ5年ですけれど、ここに根付いていいんだよって、受け入れてもらえている気がするのです。


●子育て中のお母さんへメッセージをお願いします。

どの本にも書いてあるけれど、正しい子育てなんてない。
自分が大切にしたいことは何かをしっかり考えて、
今のお母さんができることを精いっぱいして下さい。

迷うのも、悩むのも良いと思います。
誰だって10人も20人も育てた経験があるわけじゃない。
私も一人目の子どもでしたから、ずいぶん神経質に育てられたと思います。

今のお母さんはてとてとのような所で、他のお母さんを見て、
自分を客観的に見ることができていると思います。

決して他のお子さんと比べないで下さいね!
お子さんの成長過程は1人1人皆さん違うことを頭において、ご自分のお子さんとしっかり向き合い、変化を楽しんで下さい。
お子さんが楽しんだことに気付いて、共感してあげてください。
できたことを褒めるのも良いですが、「やったね」と言ってあげた方がもっとお子さんは喜ぶと思います。
評価されるのではなく、「お母さんが分かってくれる」という意識を持てるお子さんは
自信を持てるようになります。
今を一緒に楽しんで過ごしていただきたいと思います。

どうしても比べてしまって気になるなら、一番言いやすい人に相談して下さい。
相談された人は、それが個人差への配慮だけでは対応が難しいと感じたら、
是非、専門の窓口につないであげてほしいです。


〜取材を終えて〜
本当にたくさんの子どもたちと接し、1人1人に必要な事を常に考えて経験と技術を積み上げて来られた方と感じました。退職された今も新しい情報を取り入れ、学び続けておられる姿勢にはただただ驚くしかありませんでした。
村木さんが来られると、子どもたちが次々と集まります。
子どもとの短い時間を限りなく濃密に過ごされるため、
村木さんの所作を見ているとまるでジェットコースターのよう。
絶え間なく気を配り、話しかけをされています。
いつてとてとに遊びに来て下さるかは村木さん次第ですが、
もし、運よく村木さんに出会えたら、多彩な遊びの内容だけではなく、
是非子どもとの対話を見てほしいと思います。

Posted by あっとほーむ at 01:02 | この記事のURL
vol 42.中村佳恵さん [2016年01月11日(Mon)]
今回は“ぶどうの木”−山口市子どもと読書ネットワーク−代表の中村佳恵さんにお話をうかがいました。

〜子どもが子ども時代を楽しめるように本でサポートしたい〜



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〜プロフィール〜
“ぶどうの木”−山口市子どもと読書ネットワーク−代表。
大殿小学校やさくらんぼクラブなど、様々な場所で絵本の読み聞かせボランティアをしている。また、ストーリーテリングの会や、山口市立中央図書館友の会に所属するなど、本に関わる活動に幅広く参加。
1963年、山口市生まれ。大学進学後しばらく山口を離れていたが、長女が3歳の時、再び山口市民に。家族は夫、長女(23歳)、次女(17歳)。専業主婦。

〇主に絵本の読み聞かせをしていらっしゃいますが、何年くらい活動されてますか。
長女が幼稚園に通い始めたころに始めたので、約20年です。

〇読み聞かせをするきっかけはなんでしたか。 
私自身、本が好きなので。子どもが生まれたとき「この子と一緒に、もう一度子どもの本を楽しもう」と思ったのがきっかけです。

〇児童文学作家であり絵本の翻訳家でもある石井桃子さんの大ファンでいらっしゃいますよね。石井さんに関する造詣の深さは研究者なみと伺っていますが、石井桃子さんの作品の魅力はなんだと思われますか。 
子どもに対して、誠実に、手抜きすることなくお仕事をされている姿勢に魅かれます。ご自身の訳された作品が本になった後でも、読み返して納得のいかない部分は何度も手を入れられています。編集者泣かせだったそうですよ。

〇たくさんの本を読まれてきて、難しいとはおもいますが、おすすめの絵本、もしくは一番好きな絵本があれば教えてください。 
おすすめと言えるかどうかわかりませんが、子どものときに読んでとても印象に残っているのは、宮沢賢治の『オッペルと象』です。毎月幼稚園でもらっていた絵本の中の1冊でした。ペーパーバックだったので、残念ながら実物は手元にありません。幼稚園児が読むにはとても重い内容ですが、だからこそ印象に残っているのかもしれませんね。

〇親が子どもに絵本を選ぶときのアドバイスをいただけますか。
 まずは、長く読み継がれた本を一緒に楽しんでみられるといいと思います。

〇今子育て中のお父さん、お母さんにメッセージをお願いします。
お子さんの誕生日のプレゼントに、本を一冊選んでみませんか?その時お子さんが好きだった本とか、興味を持っているものが出てくる本だとか、その年話題になった本だとか。本のどこかに「○才の○○ちゃんへ」というメッセージを入れておくと、10年、20年たってから、「ああ、あの頃こういうものが好きだったなぁ」と親子で思い出すことができると思います。残念ながら私自身はこのことを思いつくのが遅くて、自分の子にはできていませんが・・・。
それと、石井桃子さんが「おとなになってから 老人になってから あなたを支えてくれるのは子ども時代の『あなた』です。」と言っておられます。
子どもたちが子ども時代をしっかり楽しめるように、みんなでサポートしていきたいですね。

〜取材を終えて〜
私が中村さんを初めて知ったのは、山口県立大学構内にあるさくらんぼ館での読み聞かせに、2歳の娘を連れて行ったときでした。深い、引き込まれるような声。ゆっくりとした、聞きやすいテンポ。読み聞かせというものに、技術や才能があるとしたら、こういうことだ、と初めて感じたのでした。
その後、「絵本と児童書を楽しむ会」(月1回さくらんぼ館で行われている会)でお会いするようにもなったのですが、絵本に対する造詣の深さにびっくり!どんな絵本でも、知っているし、作家のことや、その作品の背景までよくご存じなのです。だからこそ、あんなふうに読み聞かせができるのだなあ、と思います。どこかで中村さんの読み聞かせに出会ったら、ぜひその時間をお子さんと堪能してください。

※〜"ぶどうの木"ー山口市子どもと読書ネットワークー〜
山口市内にある、絵本の読み聞かせなどを行っている団体のネットワーク。
お話し会で取り上げてよかった本や、活動での悩み等の情報交換をしている。
その他、各団体の活動の報告を中心とした情報誌「ぶどうの木だより」の発行(年二回)や「絵本と児童書を楽しむ会」(毎月第二木曜日、「さくらんぼクラブ」と共催)も開催。
「楽しむ会」では、みんなで同じ本を読んで感想や意見を述べ合ったり、一人の発表者がテーマを決めて発表する。

※さくらんぼクラブ
山口県立大学構内にある地域文庫。平成9年山口県立大学附属幼稚園の閉園後、園内絵本図書館「さくらんぼ館」にあった2000冊以上の絵本をもう一度利用しようと、結成された。
絵本・児童書・紙芝居の貸出、週1回のさくらんぼ館でのおはなし会、月1回のおおどのおはなし会、年6回の図書だより「さくらんぼまにあU」発行、月1回の勉強会「絵本・児童書を楽しむ会」、月1回おはなし会に使う小道具作成「おはなしグッズ作り」、読み聞かせボランティアへの支援として無料でパネルシアターや備品の貸し出しなど行っている。










Posted by あっとほーむ at 21:45 | この記事のURL
vol.41 中野厚志さん [2015年11月18日(Wed)]
今回は、山口市阿知須のこども家庭支援センター清光の相談支援員 中野厚志さんにお話を伺いました。

〜続けていれば、いつか誰かに伝わる〜

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〜プロフィール〜
 和歌山大教育学部卒業後、民間教育機関を経て、1998年に社会福祉法人清光園に児童指導員として就職。幼児、小規模グループホームなどを担当し、約12年間勤務。2010年3月に、こども家庭支援センター清光へ異動した。親子体験型の「こども元気塾」を主宰する。


●「こども家庭支援センター 清光」は、どんなところですか?
県内に4カ所ある「児童家庭支援センター」の一つとして、山口市阿知須の清光園に付置されています。
児童福祉法第44条の2に基づき、専門的な知識や技術を必要とする相談にも応じることのできる施設として、スタッフは児童相談所などの関係機関と連携して、24時間相談を受け付けています。緊急な場合の短期利用サービスとして、病気・出張・出産・冠婚葬祭・息抜きなどの理由で、保護者が一時的に家庭での子どもの養育が困難なとき、お子さまをお預かりして養育のお手伝いをしています。
同時に、地域に開かれた場として誰でも参加できる「座談会」や「リトミック教室」や「こども元気塾(親子体験型教室)」など、子育て支援活動にも力を入れています。

●今のお仕事につかれた経緯を教えてください
養護施設に12年間勤務しました。その中で、養護施設で過ごす子ども達が、入所する前に支援が受けられていたら、と考えることがたびたびあり、外に働きかけたいと考えていました。何か自分にできる支援があるのではないかと、在宅支援に力を入れたいと思いました。

●オレンジリボン運動(児童虐待防止運動)に力を入れられている中野さんのおもいをおきかせください
毎年厚労省による虐待防止啓発は実施されるものの、虐待の事件は後を絶たず、危機感を感じています。啓発月間にこだわらず、「出来ること」は、いつからでもやらないといけないと思います。
子ども虐待防止運動を支援するため、シンボルのオレンジリボンをデザインした自動販売機を設置しています。今月は、産婦人科の先生と中学校で、「生と性そして死〜恋愛も子育ても、生きていくのも覚悟をもって!〜」という性教育をしました。
少しでも早い気づきで、一人でも多く、事前に防ぎたいというおもいです。

●育児スキルトレーニングの講座について教えてください
アメリカで開発された「被虐待児の保護者支援」プログラムがもとになっています。子どもの問題行動に対して、怒鳴りつけたり手をあげたりする強制的なしつけでは親子関係が悪くなり、さらに言うことを聞かなくなるという悪循環を招きます。そこで、「肯定的なしつけのスキルを保護者が身につけること」で、問題行動を減らすというのが狙いです。
イライラしたときは、子どもと勝負しない。いったん距離を置いて頭を冷やす。子どもにわかりやすい伝え方を「意識的に練習する」と慣れてきます。



●お母さん達とどういう風にお仕事に関わられているか教えて頂けますか?
「敷居の低い、来やすい所、気安いところ」であると感じてほしいとおもっています。月に一度の座談会や読み聞かせ、季節ごとのイベントなど、お母さん達が気軽に遊びに来られる機会を設けるようにしています。

●子ども達にどんなふうに育ってほしいですか
小さなころのコンプレックスというのは、誰にでもあると思います。まわりの人に比べたら、自分のことをできないと考えてしまうかもしれないけれど、自分のできること、光るところをみつけてほしいと思います。どの子ども達にもキッカケやチャンスがあることを知ってほしいです。チャレンジすることで自分で自分を変えられることを知ってほしいです。


●子育て中のお母さん・お父さんへメッセージをお願いします。
子育てはいろいろありますが、なんでも抱え込まないようにというのが希望です。誰かは、自分のことを求めている。こたえてくれる人は必ずいます。

〜取材を終えて〜
子ども二人を連れての取材で、子ども達は、部屋中乗り物で走り回ったり大騒ぎでしたが、笑顔で優しく子ども達におもちゃを出してくださったり、子どもが楽しくなるようにして気遣ってくださいました。私がお邪魔した日は、お芋を焼かれて皆さんと食べられたようで、焼き芋のとってもいい香りがしていました。
地域の方と密着した施設で、気軽に遊びに行ける場所です。
中野さんは、「つながりを広げることで、未来を担う子ども達へ虐待の起こらない社会をつくっていきたい。そのお手伝いができたら有難い」と話してらっしゃいました。


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利用方法など詳しくは、HPをご覧ください。
http://s-seikouen.com/

あっとほーむ取材スタッフ じゅん

Posted by あっとほーむ at 20:46 | この記事のURL
vol.40 伊藤 美代子さん (後編) [2015年09月10日(Thu)]
*現在は地域の活動に尽力されているとうかがいました。

戦時中に助かった命への恩返しという気持ちで、子どもに命の大切さを伝え、子どもの命を守る活動を仁保幼稚園でしています。自称「おしかけサポーター」だった肩書も、今では「仁保幼稚園サポーターズ」というチーム名になり協力してもらえる仲間も増えました。

幼稚園の近隣環境の整備や、「大人も子どもも育つ」をモットーに、絵本の読み聞かせ運動をしています。これは、おじいちゃんもおばあちゃんも家族全員が同じ時間に本を読み、小さい子どもには本を読み聞かせて、家族団らんで本に親しみ、家族みんなで楽しく学ぼうという活動です。

また、地域を挙げて子どもたちの成長を見守るために、現在は幼稚園に限らず、仁保の子どもは地域で育てるという共通認識のもと、小・中学校それぞれの校長先生を中心に、地域の人や学校や外部(県立大の生徒など)も巻き込んだ、コミュニティスクールが運営されています。学校・家庭・地域のそれぞれの役割を再確認し、連携を強化する取り組みを目指しています。
ただ、私はもう歳なので、いつ足を抜けようかと機会をうかがっています(笑)

*86歳で世界一周の船旅に出られたそうですね。

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昨年秋から今年の春まで、ピースボートに初めて乗り、南半球の世界一周の旅をしました。アフリカ、南アメリカ、南極などを訪れ、世界各地の人々と交流することができました。

思えば、最初の船旅は九州への旅で1週間くらい、大内中学校の教え子が船長を務める船に乗りました。彼は、5年制の大島商船に入社して、最初はノルウェーに行き叩き上げで経験を積み副船長になった後、帰国して飛鳥の初代外国航路の船長になったのです。中学3年の頃には、将来の夢を描き、非常に計画的に将来を考え、真っ直ぐに進んでいった生徒です。彼は今も日本郵船に勤務しています。
また、オーストラリアに1か月くらい行ったのが初めての長旅です。道中、オーストラリアの地図が逆さまになっているのを見て面白かったです。教えられるところがたくさんあります。一つの視点から物事を見ずに、いろんな視点から見たり考えたりすることが大切です。船旅をするようになってから、地球儀を自宅に置いています、何かの参考になるだろうと、小さい子どもたちが遊びに来たら見せています。

今回は、104日間と長旅でしたが行って良かったです。山口から参加というと、首相批判をされることもありましたが、とてもいい勉強になりました。参加者の中には戦争遺族の方もいて、私も海へ塩を撒いたりしました。私の父は、海軍の軍人でしたが70歳過ぎまで生きました。体が丈夫ではなく呉の鎮守府に勤務していたので戦死していません。しかし、宇部の叔父は、商船の関係で輸送船に乗り、ガダルカナルで戦死しました。すべて海に沈み遺骨も残らなかったそうです。私が船好きなのは、父親譲りの体質かもしれませんね。

それに、毎回参加者同士が意気投合して結婚するケースがあるらしく、私ももっと早く乗っておけば良かった!惜しいことをしたと悔やんでいます(笑)。

*現在の子ども達を、どのようにご覧になりますか。

今の子どもは、子どもらしくないと思います。昔は、大人社会の中で子どもも成長できましたが、今は大人と同じように暮らしている現状が非常に心配です。自分で考え悩み、いろんなことを体験して失敗したり、喜んだり、そういうことが子どもの世界からだんだん無くなっています。その原因は、社会が豊かなになり、物がすぐ手に入るようになったこともありますが、やはりスマホの登場も一因だと思います。

今までは、長い休みには課題を与えられて図書館が子どもでいっぱいでしたが、今ではガラガラで閑古鳥が鳴いています。スマホではすぐ大抵何でも出てきますが、図書館に行く過程を調べるだけでも生きていくのに必要な知識が育っていきます。まず行くのにバスで行くか何で行くか。親の自家用車でもいいけど、私がもし親ならバスの時間や料金を調べてごらんと言うことで、親子の会話の時間にもつながります。今はそんな親子の会話の時間が減ってきている上に、スマホの登場でますます減っています。

生きる力を育むための、こどものための生活が急速に減ってきているのです。かくれんぼ一つするにも、どこに隠れようかとキョロキョロして考えることができますが、今はかくれんぼもしない。スマホを出してゲームをしたり、家族の会話も減って、言葉の力も減って、機械的な人間になってしまうのではと懸念しています。

*子どもが起こす事件も続いています。

子どものときは体ごと自然の中で、そして仲間の中で育っていくのが、人間としての子どもの姿です。情緒的なこと、きれいな景色を見て感動するのが心の中の肥やしになります。命を大事にするなんて、何も言葉で言わなくても、お互いに自然に大事にできるのです。

しかし現在は、思いやりや内面の広さが培われず、無くなっていくのが、命を粗末にすることにつながっていると思います。死んでいる姿を見たいなどと事件を起こす子どもたちの背景と同じです。何かにつけて日常の中での子供らしさが取り上げられている現状に、大人はもっと気づく必要があります。

*子育て中のお母さん、お父さんへのメッセージをお願いします。

まず、夫婦が仲良くして下さい。そして、子どもの変化を見過ごさないこと。
監視するのではなく、それとなく何げなく、いろんな角度から子どもの話を一生懸命聞いてあげてください。夫婦の会話も、時には子どもがいるときにした方がいいです。子どもの本音はどこかに必ず出てきます。親子の会話をすることで、子どもたちは家族のつながりや心の通いを感じます。そうやって、お互いの思いをそれとなく知っておくことが大切です。

子どもは、どうしても何かにつけて悪い方にとって、敏感に想像を膨らませてしまい、反抗する時があります。中学時代は特に。親子でも欠点などを軽はずみに口にするべきではありません。子どもの年齢とともに、いろいろあると思いますが、本当に一人の大事な人間ととらえていたら、難しくても、親の姿勢は必ず伝わります。親子の心を通わせる瞬間はあえて作っていいのです。子どもがそっぽを向いていると感じた時には、後ろから抱きしめて「あんたが大好き」と伝えること、照れも乗り越えて、体を張ることが大切です。親子にもドラマがあるほうがいい、あんまりやると見抜かれますが(笑)。

*取材を終えて

中国四国地方で初の女性校長を務められた方と聞き、ものすごく緊張してお話を伺いました。しかし、ご本人は、なんとも柔らかい笑顔で茶目っ気たっぷりに、これまでの人生についてお話して下さいました。教え子が皆我が子であると、生涯を独身で通してこられた背景には、きっと様々なことがあったと思いますが、海外への船旅に出れば参加者との出会いに期待されるなど、乙女の可愛らしさは今なお健在!伊藤先生が、本当にたくさんの教え子の皆さんから慕われてやまない理由が分かる気がしました。

また、これまで講演会などを通してご自身が10代の頃に体験された悲惨な戦争の姿を話してこられました。伊藤先生は、学徒動員として派遣先の富山から山口に帰校命令を受けた際、昭和20年8月7日に広島市内で電車が不通となり下車を余儀なくされました。
原爆投下の翌日の広島の街は、ことごとく破壊され、あちこちから聞こえるうめき声と生死不明の人々で足の踏み場もないほどの修羅場を前に、照り付ける太陽の下、火傷するほどの灼熱地獄の中を這うように山口へと進んだ苦しさがトラウマになり、今でも体調が悪く熱が出たりすると、その時のことが思い出されてうなされるそうです。しかし、人間の強欲が生んだ原爆や戦争のむごさを伝えなければ、死んでも死にきれない、その強い思いが止むことはないそうです。

温和かつチャーミングな表情の奥には、多感な世代と正面から向き合って生きてこられた誠実さと優しさ、そして悲惨な戦争への強い憤りと伝え続けることへの責任感を感じずにはいられませんでした。

私は主人の転勤に伴い、山口に越してきましたが、このような貴重なお話を伺うことができた幸運に心から感謝したいと思います。



*今回は、ご本人へのインタビューに加え、著書「チョークの口紅」また「心人〜それぞれの人生行路」(株式会社ミヤザキ発行、健康人Vol.6)からも引用させていただきました。


Posted by あっとほーむ at 12:12 | この記事のURL
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