被災地を訪問して2日目。
まず最初に
気仙沼コンベンション協会を訪問。震災後愛媛に避難していた人がココで働いているという情報を得て、ぜひお会いしてお話を聞きたいと思い訪問した。
市内を車で走らすと、被災の爪痕はほとんど消えている。だから、こちら側が知ろうとしないと、来ただけでは何もわからずに観光することになるかもしれない。

観光協会の人もそれは感じているようだった。
昔、民家が立ち並んでいたところも今は更地になり、そこに雑草が生い茂り、以前の面影がすっかり消えているところも結構あるようだった。
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観光協会の人によると、以前の気仙沼のこと震災時のことを知りたいならば、語り部が一緒に回ってくれるツアーも企画できるということであった。
被災当時のことや復興時のことを知りたいならば
「リアス・アーク美術館」で現在常設で展示している
「東日本大震災の記憶と津波の災害史」を見に行ってほしいとということで、私も見学に行った。
それから、コンベンション協会のすぐ横にある
「気仙沼 海の市 シャークミュージアム」もおすすめということであった。
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↑愛媛の人に伝えたいことを書いてもらい、写真をパチリ!
愛媛の人ができる復興支援の一つが「被災地を旅行して、現地のことを知ること」だと思う。
テレビで見る被災地と、現場で感じた問題は違っていた。
見ないとわからないし、地元の人と話さないとわからないことが多いと感じた。
それから、車で20分ほど走り、気仙沼の大谷海岸近くにある「気仙沼あそーびーばー」の鈴木美和子さんを訪問した。
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今回の旅を一緒に企画した「愛媛から被災地を応援しよう会」の野口さんは震災後、テレビで避難所を映し出す映像の中で、鈴木さんを見つけ、この人を応援したいと決め、そこから今まで支援を続けている。
私は、日本冒険遊び場づくり協会の立場から、東北の子どもたちを支援するために、「あそーびーばー」が、がんばっている姿をネットなどで見てきて、ぜひ一度行ってみたいと思っていた。それが今回実現した(^^)/
鈴木さんは予想どおり、前向きで元気で素敵な女性だった。
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地域の人たちもこの場所を応援しているのがいいな〜と感じた。
本来の「地域のあるべき姿」を感じた。
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それから遊びに来る子どもたちも元気で生き生きしてるるように感じた。
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この遊び場は年齢を問わず、いろいろな人が遊びに来る理想の場所だと感じた。
あそびーばーは始まった当初は、地域の子どもたちが心をいやすためにのびのびと遊べる場所を作ろうということで始まっている。その活動の中で、地域のお年寄りが子どもの姿を見に来たり、お手伝いをしてくれたりとどんどんかかわってくれるようになり、今では地域の人が率先していろいろとお手伝いもしてくれるのだという。
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こうした地域の人の力による復興の姿とは裏腹に、解決できない見えない問題や、国の支援の在り方への疑問が今、ひしひしと湧き上がっているようにも感じた。
国号45号、海岸線を走ると、大きな重機や工事作業員のための仮設社宅がたくさん点在し、いたるところで住宅地のかさ上げ作業と海岸線に防波堤を作る作業が行われていた。
住宅地のかさ上げは7m。
防波堤は9m。
そのための土は、近くの山を削り運び込まれていた。
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被災地では、災害公営住宅の建設や、集団で移転する高台の造成が遅れていて、気仙沼市のHPによると現在も、計90団地 3,466戸(うちグループホーム型仮設住宅 1団地18戸)が今も仮設住宅で生活している。
小学校や中学校の運動場にも、いまだに仮設住宅が建っている。
市営住宅も今年になってやっと100世帯分が建っただけだという。
雇用問題も深刻で、震災前、ココの主要産業は漁業だったけど、いまだに海岸線の漁業にかかわる工場は復旧していないために、みんな違う仕事についているという。
公共事業としてはとてもたくさんの仕事があるにもかかわらず、資格や免許がないと雇ってもらえなかったりという問題もあるらしい。
いろいろと地域の人にお話を聞いていると、大手の建設会社に復興のためのお金は流れているのに、地元にはあまり流れていないように感じてならなかった。