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「飯岡公園」の遊び場活動から見えてきたこと [2013年12月30日(Mon)]
毎週土曜日の「冒険遊び場活動」・・・

さまざまな思い出と共に、なぜここまで自分がやらなきゃいけないと思ったのか、それからこの遊び場が子ども社会を良い方向へ変えていくと信じてきた根拠など、言葉にすることはとても難しいことですが、それでも、言葉にしないと伝わらないことが多いから・・・

頑張って書いてみました(^_^;)

でも、まだ思いが言葉に繋がっていない・・・(-_-;)

っと思いつつアップしました!!


≪飯岡公園での冒険遊び場活動の概要≫
・平成18年8月〜平成24年6月、約6年間(合計回数241回)開催
・場所:愛媛県松山市にある「飯岡公園」
・対象者:遊びたい子どもならだれでもOK(ほとんど地域の子どもたちでした)
・いつ来て、いつ帰っても良い!
・持って行った材料:かなづち、のこぎり、端材、テープ類、ペン類、ダンボール、紐、ロープ、畳屋さんから頂いた敷物、手作りの台車2台など
・遊び場の状況:参加者は少ない時20人、多い時100人ぐらい、雨でも寒くても、遊びたい子はやってくる、暑い時、寒い時は少なく、春と秋が多い



≪遊びの種類≫
ボール遊び、おままごと、木工広場、ダンボール遊び、隠れ家作り、木登り、砂場遊び、水遊び、剣作り、竹馬、廃材遊び、鬼ごっこ、かくれんぼ、缶けり、なわとび、ロープ遊び、モラル啓発遊び、実験遊び、開発遊び、感染遊び、おえかき、らくがき、台車で競争遊び、戦いごっこ、おしゃべり、大人社会の模倣遊び、悩み相談、火で遊ぶ(期間限定)

※これら単一的な遊びと、いろいろな遊びが同時に発生する遊びがあります。例えば台車の上に隠れ家を作り、それを戦車にし、戦いごっこが起こり、そこで剣を作り始めるとか、おままごとでお店屋さんが始まり、その為の看板を木工で作り、シチュエーションは大人の居酒屋という大人社会の模倣遊びをして遊ぶ場合など、さまざまな遊びが展開されました。


≪冒険遊び場の遊び発生の動機付け≫
 子どもが「やってみたい」と自ら能動的に行動を起こし、遊びが始まっていくプロセスの第一段階として、大人がどのような動機付けを心掛けることが大切なのかという部分で、この冒険遊び場では下記の7点を心掛けてきました。
@ イベント的ではないこと
A 継続的に(毎週1回又は月2回活動)
B 大人が先頭で遊びを誘導しない
C ほしいものは子ども自ら自分で探す
D 自分がやりたいことは基本的に自分の責任で
E ちょっと危険、ちょっとワクワクがある遊び場
F 見守る大人(プレイワーカー)がいること



≪冒険遊び場の中での発達支援≫
 遊び場内での具体的な事例を元に、子どもたちにどのような支援をしてきたのか、またどうして子どもが自分の足で歩ける距離にある遊び場が必要なのかについて、書いてみました。

@心の支援
・ストレス発散
 遊び場に来ると、とにかく走り回る子、戦いごっこをつづける子など、元気に遊びまわる子どもが多かったように思います。その背景にはやはり学校、塾、スポーツクラブなど、自由に遊ぶ時間が少ないという問題が、子どもたちの何気ない会話からも感じ取れました。特に学童保育に通う3年間(3年生まで預かってくれるので)土曜日に外で遊んでいない子どもたちは、その期間が終了と同時に遊び場に多く来ていました。

<事例1>
 木工広場で木を使って剣を作る子が毎年現れるのですが、最初はゲームに出てくるような大きくてかっこよくて、色も鮮やかなものを作ろうとします。しかし、戦ってみて気づくのですが、そうした剣は使いづらいし、すぐ壊れる。そこで、シンプルで、軽く、使いやすくて、それでいてかっこいいものへと、どんどん進化していきました。

 このような感じで、作ることに興味のある子どもはどんどん難しいものを作ろうとし、中には1本の木を細工して剣を作る子どももいました。そして自分が作ったお気に入りの剣はどんなに壊れかけていても、見た目が悪くても、とても大切にしていました。

<事例2>
 夏が近づくと、毎年、水鉄砲遊びが始まります。当初は助成金を利用し、水鉄砲を購入し、子どもたちに貸していましたが、大事に扱わない子が多いのですぐ壊れてしまう。そこで3年目ぐらいからはペットボトルを用意して、各自で水鉄砲を作成して遊ぶようにしました。

 今の子はそうした廃材を利用した遊びをあまりやらないせいか、最初はだれも遊ぼうとしませんでした。でも、誰かが始めると、一気に遊びが感染し、ほとんどの子どもたちが水遊びを始めていました。

 その中でも、参加したくない子もいて、その子にも水をかけてしまうことがありました。参加したくない子がそのことで怒りだし、ちょっとケンカのようなことがあったり、水鉄砲をもっている子を追いかけまわしたりしながら、最終的には「水鉄砲をもっていない子には水をかけてはいけない」というルールが成立していました。その年から、知らない間にこのルールが子どもたちの中に浸透していきました。

 ルールというのは大人が作るものという概念が今は当たり前のようになっていますが、子どもは自分たちでその環境に応じたルールを作ることができるし、それがないとみんなで仲良く遊べないことも知っています。そして、自分たちで作ったルールは大人が何も言わなくてもちゃんと守ることができるし、守らない子には子ども同士で話し合いもします。

・おしゃべり
 話に来る子は女の子が多くて、とにかく学校のこと、家のこと、友達のこと、今ほしいもののこと、恋の話、性のことなど話はつきません。

 そんな子どもたちの中には、お昼ご飯を食べていない子や小さな兄弟を連れて遊びに来る子もいました。中には虐待を受けているのではないかと思われる子もいました。子ども自身はそのようなことは言わないですが、一緒に遊ぶ中で、行動や言動から感じ取ることができました。

 それから「いじめ」問題も子どもと一緒に遊ぶ中で見えてきたことでした。

 そしてスタッフが一番心配だと感じていたことは、親や先生、地域にも信頼できる大人がいなくて、外でも遊ばない、ずっと家の中という子どもたちです。外でストレス発散したり、言いたいことが言える子はまだ良い方だと思います。特定の子以外とは関わらないとか、誰とも関わらず部屋で一人で過ごす子どもたちが増えているということです。見えないからわからないけど、そういう子どもたちの問題も考えていかないといけないように思います。

・声なき心の叫びを受け止める
<事例3>
 その当時(平成23年)深夜のテレビで流れていた「魔法少女まどかマギカ」という物語の絵を毎週遊び場に来るたびに書いていた女の子がいました。前は明るかったのに最近ちょっと暗い表情が多くなり、毎回その絵を描くようになりました。でもどうしてなのかわからなかった。

 その当時彼女のお母さんが体調が悪い事は知っていたのですが・・・

 ある日の遊び場終了まじかに彼女が遊びに来て、「サッカーいっしょにやって」というので、それで夕日が沈むのを見ながらサッカーをしてたら彼女が・・・
「お母さんが心配するから、お母さんが眠っているときに遊び場来たんだ。」
「お母さんだいぶんよくなった?」って聞いたら
「お母さんもう死んじゃうかもしれない。」って言うわけです。
 私、もうそれ以上聞けなかった。
・・・でも大丈夫です。彼女のお母さんは必死でがんばって今元気になってるので。

 あとからこの「魔法少女まどかマギカ」のあらすじを知って、もしかしたらって思うことがあったんですが・・・

 願いを叶えた代償として「魔法少女」となり、人知れず人類の敵と戦うことになった少女たちに降りかかる過酷な運命というストーリーなんですが・・・

 もしかして、あの絵は彼女自身が魔法少女になってもいいからお母さんを助けたいって思う心の叫びだったんじゃないかって・・・

 地域で毎週子どもと関わっていると、こういうことにいろいろ出会う機会があるんです。

Aいじめ問題
 活動を始めたころは「いじめ問題」の本筋は見えていませんでした。
今、中学校2年生の子どもたちが小学校1年生の頃、遊び場を始めたんですが、その子達が小学校4年生になる頃、私たちも少ずつ子どもたちから信頼されるようになり、子どもたちの本音の部分が見えてくるようになってきたと思います。

<事例4>ストレス発散のためのいじめ
 いじめというよりケンカを吹っかけて、それに乗ってきた子どもたちに暴力をふるうことでストレスを解消するという感じでした。例えば、素敵なダンボールの家を作っている子がいるとして、その子の家をワザと壊し、相手が怒ってくるのを見て、他の子どもが足を引っ掛け、転んだところで、「馬鹿じゃないの!」など暴言を吐き、泣きながら叩きに来る子どもに暴力をふるう。どうしていじわるをするのかこちらが問いただすと、「あっちからやってきたんじゃん。」と自分たちがしてきたことに嘘をつく。傾向としては集団で行う。いつも同じ集団で行動。ギャングエイジ的ではあるが、必ずリーダーがいる。リーダーにはそむけないように見える。いじめの対象はその集団内の子どもをターゲットにする時もある。

 しかし、彼らの心の叫びを読み取るとすれば、私たちの前であえてそれを行うということは、案外さみしいということで、自分たちの存在を分かってほしいという訴えなのかもしれません。それに、こちらの対応次第では更正の可能性もあります。

 そう考えると、地域にも学校にも信頼できる大人がいなくて、自分たちのことを分かってくれるのは、そうした同じ経験をもつ年上の危ない大人(高校生〜20歳ぐらい)のみだと思いこんでしまった子どもたちにはだれも手を差し伸べることができません。

 ネット社会では、そうした大人と関わることはとても簡単なことです。

 子どもたちは危ない大人の言動に影響を受けやすく、見えないところでいじめがエスカレートする可能性が高いのではないか?また見えないから恐ろしいということが言えるかもしれません。そんな子どもたちを増やさないためにも、地域の子どもたちとの関わりを大切にする必要があると考えています。

<事例5>日常普通に起きているいじめ
 Mちゃんは低学年の頃からいじめられていました。と言ってもそれは大人から見てで、子どもたちはみんなおそらくそれがいじめであるとは思っていなかったと思います。「きもいんだよ」「死んで」など、とにかく一緒に遊んでいる女の子からも言われていました。それでもMちゃんは気丈でそんな言葉には負けずにいじめる子と一緒に遊ぶタイプでした。言われたら言い返すことができる子でもあったからです。しかし、日々そう言われ続けてくると、それはいじめではなく日常になってしまう。そのことを誰もいけないことと感じることもなくなることが恐ろしかったりもしました。

 このような日常のいじめからのがれる為に子どもたちは「普通」にしていることを心掛けます。個性的な子、同調性のない子、それから発達障害を抱えている子などはいじめの対象になりやすいのです。

 スポーツができることと成績が良いというのはあまりいじめの対象にはなりません。

 それ以外の才能を発揮すると「普通」ではないKY(空気が読めない)となるらしいのです。

 遊び場には毎週遊びを開発するk君という子がいました。k君は創造力が他の子どもよりもずば抜けているのですが、人に合わせるということが苦手で、学校では1人でいることが多い子どもでした。そのため学校ではやはりいじめにあっていました。それでも、遊び場で、すごいものを開発し続けているから、子どもたちも「すごいお兄ちゃん」というイメージで見ていて、尊敬している子もいました。k君にとって学校は決して楽しいとは言えないけど、夢があるから頑張って今、学校へ行っています。

 k君はいじめる子どもたちとは遊びません。だから同年代で仲間はなかなかできません。でもこちらが見る限りでは、そのことで彼は悩んではいないようでした。

<事例6>ターゲットが変化するいじめ
 子どもの遊びグループというのは、毎日遊んでいるから仲が良いと表面的に見えても必ずしもそうとは限りません。ある日こっそり、「実を言うと、私あの子嫌いなんだよね〜。でも毎日誘ってくるから、仕方なく遊んでるんだよね〜だってあの子○○なんだもん!だから嫌いなんだけど、今日も遊ばないといけない。」みたいな会話を打ち明けてくる子がいます。

 これは大人社会にもあります。例えば、団地内でお母さんたちが毎日仲良くおしゃべりしたり、ランチに誘われて日々一緒に行動している人たち。こちらから見ると、とっても仲が良いように思いますが、実を言うとその毎日が苦痛なのに、その本音を言えないという人がいます。そしてその苦痛を逃れた後、もう地域の誰とも仲良くならないことを選択して、地域と関わらないようにする人も増えてきています。

 信頼する仲間を作るには基本お互いが本音で語っていく必要があります。お互いが本音で話をすると、納得できない問題や、時にはケンカになることだってあります。でも、そうした経験を子どもの頃からしていない人も多いのではないでしょうか。表面的な付き合いでいい。煩わしい事は避けたい今の社会を反映しているのかもしれません。でも、そうした喜怒哀楽がないと、「本当の信頼できる仲間」というのはできないし、そうした「めんどくさい」「煩わしい」事を避ける傾向が、子ども社会にも表れているのではないでしょうか。だから表面的に仲のいいグループでもそれは「信頼関係」により築かれた仲間ではないことが多いので、崩れやすいと言えるのだと思います。

 ターゲットが変化するいじめの構造はいたって簡単です。

 例えばA子とB子はとても仲良しで、毎日2人で遊んでいます。学校では同じクラスの違うグループにも属しています。その中のC子がこっそりB子に「A子ってさ、変じゃない!体悪いから毎回体育やらないけど、毎日外で走ってるし、ぜんぜん体悪そうじゃないじゃん。この前私A子に○○貸したら壊して平気で返してくるんだよ!あの子嘘つきだから付き合わない方がいいよ!」と陰口を言うと、知らない間にそれが浸透して、グループ全員でA子を無視し始め、そして仲がいいと思われたB子も一緒に無視を始める。

 この陰口がまた違う子にターゲットが変われば、その子が無視されたりいじめられたりするわけで・・・。

 もし本当の親友だったら、その真意をA子に聞くだろうし、壊したものだって「謝った方がいいよ」って助言をするだろうけど、そうはならないからいじめに繋がるわけです。

 親がちゃんとした信頼関係を築くノウハウを身につけていて、そのことを子どもに小さい頃から伝えている家庭の子どもはそうした事は起こさない。でも反対に「ターゲット」にはされやすい。

 そして、いじめの引き金を引く子は心がさみしい子が多いように思いました。その子の家庭環境、地域の大人の関わりがそうした行動に走らせてしまっているようにも見えました。これは私の見解ではありますが、そうした子どもが少しでも少なくなっていくことが、「いじめ」問題のもしかしたら特効薬かもしれないと思っています。

いじめが大きな社会問題になる時・・・

 なぜ、「いじめ」が助長されるのか。

 それは、学校の中、学年の中、クラスの中の上下関係がはっきりして、上に立つものが「ストレス発散のためのいじめ」を正当化してしまい、他に逆らう者がいない、又は逆らうことでターゲットにされてしまう負のスパイラルがおきて、どんどん助長されていくからではないかと感じています。

 遊び場の中でもそれは起きたことがあります。そのリーダーは人をいじめることでしか遊べないように思えました。私たちもいろいろ関わってはいましたが、毎回私たちを困らせることで喜びを感じている様でした。そのリーダーには、もっと「いじめ」を喜びとする先輩が何人かいて、その人たちが子どもたちを誘発しているのではないかと感じていました。そうなると、その子に関わる全ての子が「いじめ」を喜びとするグループへと変化してしまいます。遊び場という地域では、そうした子に関わりたくない子は、もう遊び場には来ないということを選択できます。でも、学校では毎日逃れることができません。「いじめ」を喜びと捉えられなくても、そのクラスで「普通」を演じるには「いじめ」を喜びと演じきるしかない。それがどうしてもできない子は「学校へ行かない」という選択肢もあります。でも、学校へ行かないということ自体「普通」でなはないわけで、それを選択することも勇気がいることなのです。

 こうした「いじめ」が子ども社会では日々静かに起きています。先生の前、親の前では良い子を演じ、裏で誰かをいじめるという裏表をもつ子どももいます。だから、学校で調査してもなかなか見えないのも仕方がないかもしれません。それにこの問題は今に始まったことではありません。私が子どもの頃から起きていることです。

 私も毎日いじめられていました。体格が大きい事で「デブ」「ぶた」「百貫デブ」と言われない日はありませんでした。「きたない」「くさい」と言われている友人も何人かいました。私は言われたら言い返す、負けるものかと意気込んで日々男の子たちと戦っていたので、そのことで自分が強くなれた部分もあると思うタイプでした。でも、「きたない」「くさい」と言われ続け、クラスの子から無視され続けた友人は反抗することなく静かにクラスで過ごしていました。そういう子の方が多かったように思います。そしてその後の友人たちの運命はその時から決まっていたかのように、幸せには程遠い生き方を今もしています。その姿を見ていると、やはり静かないじめを見過ごすことはできないと私は感じています。

 地域によって、時代によっても「いじめ」の問題は変化しています。学校の先生の体罰と同じで、昔は問題にならなかったことが今は問題になったりもしています。せっかくこういう問題が大きくとり立たされているのであれば、根本解決をしていく方向で考えていくべきではないでしょうか。

 いじめが社会問題になる時は「自殺」や「殺人」が起きた時です。でもそうならない為の前段階の予防が何より今必要なのではないかと思っています。

B人と人をつなぐ支援
・異年齢との関わり
 遊び場に来る子は年齢や性別関係なく遊びます。

 最初は同じ年代の同じクラスの子としか遊ばない子どもたちも、毎週来ていると、いろいろな関わりが生まれ、そこから異年齢の関わりが増えてきます。以前、公園横の水路にヘビがやってきた時は、子どもたち全員で盛り上がっていました。勇気のある男の子がヘビをなんとか捕まえようと必死になって、それを他の子どもたちがじっと見つめている。

 それから子どもたちの多様性を認めることができる場でもあります。学校では目立たない子や、発達障害を持つ子でも、その子なりの遊びを見つけ、そして仲間を増やして遊ぶ姿が毎週見られました。さまざまな遊びを開発する子や、低学年に優しく接して一緒に遊んでくれる子、自分のペースで黙々と遊ぶ子など、学校では自分自身を出せないけど、遊び場では出せるという子もいました。

・地域との関わり
 地域の遊び場にはいろいろな大人やお兄ちゃんがやってきます。子どもはお兄ちゃん、お姉ちゃんが大好きです。高校生ぐらいの子がスタッフにいると、毎回走り回って遊んでいます。そして、いっぱいおしゃべりをします。ちょっと年上の先輩から聞いてみたいことが子どもたちにはいっぱいあるようです。

 その反面、大人となると警戒します。でも、相手が毎週一緒に遊んでくれることがわかると、少しずつ信頼関係を築いていきます。

 しかし、地域とのつながりが希薄になり、恐ろしい事件が増えてきたこともあり、こうした子どもと遊んでくれる地域の大人やお兄ちゃんは「不審者」と判断されることも多くなっています。私たちが遊び場で関わってきた人でもそう判断されて、不審者情報に載ったことがありました。

 「不審者」と「不審者ではない人」の判断は、いつも地域でいろいろな大人と関わっていればなんとなくわかります。

 私の自宅のお隣に80歳になるNさんというおばあちゃんがいます。そのおばあちゃんは毎日畑仕事をして、いまでも毎日地域を散歩しているのでいろいろなことを知っています。そして以前私の家の前に精神障害のおじさんが住んでいたんですが、その人は我が家の前で大きな声で怒鳴ったり、毎日自転車に乗って他の家の干し柿を盗んだり、家も汚くて我が家もどうしたものか悩んでいました。そのことをおばあちゃんに相談すると、「あの人はね40歳ぐらいまでは普通の生活してたんだけど、事故で精神的におかしくなって、奥さんいたんだけど離婚して、今は一人で暮らしとる。でも、声出したり、人の家の干し柿盗んだりはするけど、そう悪さはせんよ。あの人の兄弟の一番上の姉さんが面倒みてて、前は病院にも行ってたけどね。」というんです。

 もしかして昔の人って、みんなおばあちゃんみたいに地域の人のこといろいろ知っている人が多かったのかもな〜って思うんです。今の人はこうした変なおじさんがいると、とにかく避けようとして、その人のことを知ろうとしない。

 でも、地域で共に生きていかなきゃいけないし、世の中いろいろな人がいることが普通なわけで、「多様性を認める」ということは、おばあちゃんみたいに地域のことを知ろうとするところから始まるんじゃないかと思うんです。

 それから冒険遊び場にも毎週60歳ぐらいのおばさんが遊びに来ていたんですが、この人も精神障害がある人でした。見た目には全く分からないのですが、子どものものと自分のものの判断ができない時や、やたら子どもに注意するんだけど、その注意の仕方が少し変だったりしていました。でも、こちらがそのことに気づけば対応する方法はいろいろあり、そのおばさんが遊び場に来ることで癒されるのであれば、それも地域の人との大切な関わりだと思えるようになりました。 

・子どもの可能性を引き出す支援
 y君は毎週さまざまなものを開発していました。

 てこの原理を利用したり、自転車の動力を利用したりして物を作り、重たいものを落として何かをつぶすという物を開発したり、モンキーロープを作ってみたり。その中でも、今も子どもたちがひそかにやっている遊びがあります。空き缶を自転車の後部タイヤに挟んでバイクの音を出す遊びなんですが、タイヤは早く悪くなりますが、こうした遊びに子どもたちは感染していきます。

 そして、自分たちも何か作りたいと思うようになります。子どもの可能性を引き出すのはこうした子ども同士の感染ではないかと思っています。
 
 遊び場横の川での釣りごっこも、子どもたちの人気の遊びとなりました。

 竹と紐で各々竿を作り、毎週みんな釣りごっこをしていました。でも魚なんて釣れないんです。えさも土の中からミミズを捕まえたり、葉っぱを餌にしてみたり、それで2時間でも3時間でも遊び続けてるのが不思議だったけど、どうしたら釣れるのかとか、この川汚いからみんなでゴミ拾いしようと言い出したり、藻が釣れたのにワカメが釣れたっていって、他の子がみんなそれを必死で釣りだす。

 そこから本当の釣りにはまっていく子もいれば、竿作りからものづくりにはまっていく子もいるわけです。

 ボール遊びもそうでした。

 遊び場の中で、ボール遊びのブームっていうのが何回かあって、その時は、毎週ボール遊びがはじまって1時間でも2時間でも続くんです。やらない時は全くやらない。

 遊び場休止の1年前ぐらいから、なぜかサッカーがブームになって、みんなでその公園なりのルールを作って、ず〜とサッカーやってた時があるんです。暑いのに全く休憩せずに没頭している。すごいエネルギー感じました。でも、その後、結局みんなどこかのサッカークラブに入るんですけどね!これも時代の流れですね。

 それからすごいものを発明した子がいたんです。

 だれでも木に登れるキットなんです。

 釘で木に板を打ち付けてるだけなんですが、はしごみたいになってるんですね。私たちが気づかない間に木の前に行列ができていて、登る順番を子どもたちが待ってたんです。こんなの簡単って思うかもしれないけど、それが意外と思いつかない。子どもって、遊んでいる間に、「こんなのあったらいいな〜」と思うようになって、それである日、ひらめいちゃったりすることがあるんです。そうすると、もうその子は本当にうれしそうです。

 自分がやってみたいって思うものが、自分の力で作り上げることができて、それをみんなが「すっげ〜!」て、言ってくれたり、利用してくれることに、満足感を得るんだと思うんです。

 今の子どもたちの日常にそうしたことって少ないじゃないですか。

 すべてプログラミングされたおもちゃで遊ぶとか、安全な遊具で遊ぶとかでしょ!

 自分はできる!とか、がんばれる!という自尊心は、そういう経験の中から育つんじゃないかと思うんです。

C社会モラルを伝える支援
 今の子どもたちは学校で地球環境のことも習っているし、社会でやっていい事と悪い事もしっかり習っているので、ほとんどの子はみんなルールをちゃんと守ります。大人の私たちが見ていても、先生の言うことを絶対視しすぎていると心配になるタイプの子もいるぐらいです。

 しかし、公園でのゴミ問題を考える時、必ず子どものモラルが問題になります。

 ゴミを捨てるのは子どもという感覚の人が多いように思います。

 でも私たちが見ている限りは弁当の空やお酒の瓶、ビールの空き缶など、ほとんどのゴミの所有者は大人です。ゴミを放置する親のもとで育った子どもは同じことをしますが、ほとんどの子は公園のルール、学校のルールをちゃんと守ろうとしています。

 公園の中にたばこをポイ捨てしていることとか、ごみが田んぼに落ちていることとかに怒りを感じだす子がいます。それで、私に相談してくるんですが、私はその子どものしたいことを応援することしかしないんです。例えばゴミが拾いたいと言えば、ゴミ袋を用意して一緒に拾うとか、看板作りたいと言えば材料用意するとか・・・。

 それがまた他の子にも感染して、どうしたらいいか子ども同士で真剣に考えだしたりするんです。

 このこと自体が実を言うと子どもたちにとっては「遊び」になってるんですね。

 大人だったら地域を奇麗にすること自体、堅苦しい話と捉えがちだけど、子どもはそれを楽しく進めることができるんです。

 ある時、遊び場の水飲み場の排水溝が砂で埋まって水が流れないことがあったんですね。それで、ヒロさんが、排水溝を掃除し始めたら、子どもがよってきて、一緒にやりたいっていうから、排水溝の泥を子どもたちみんながスコップですくって捨てる作業を始めたんです。みんな必死にやるんです。それが楽しいらしいんです。遊び場終了になって溝掃除も終了にしたら、「来週もやる?」って聞いてくるわけです。

 不思議なんだけどこれも子どもにとっては「遊び」なんですよね。

「社会のモラル」、「道徳」を子どもに教えないといけないと文部科学省とかが言ってますが、大人がもっとちゃんとしないとやっても意味がないような気もします。

 教室の中で、「道徳」を子どもに教えるのも大切かも知れないけど、もっといろいろな経験の中から学びとれる活動の方が子どもの心に染み込んでいくんじゃないでしょうか。遊び場活動をやってきて思うのはこうしたモラルも子どもは「遊び」の中から感じ取り、理解することができるということでした。悪いことをした時はその場でその子に叱り、よい行いをした子にはその場でちゃんとほめ、一人一人の多様性を認めながら可能性を信じ、地域で子どもたちを育んでいけば、非常識な行動をする子どもたちというのは少なくなっていくのではないかと思っています。

※これは平成25年12月15日に私が講演した内容を元にして原稿を書いています。
第5回「発達支援について考える」
『学童期の遊びと発達支援について』
主催:NPO自立サポートネットゆう

タグ:飯岡公園
Posted by 山本良子 at 14:20
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