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馬船峠の崩落 [2017年12月11日(Mon)]
2017年12月5日(火)-2- 〜 馬船峠の崩落 〜

大雨の降る度に、何度も道の崩落を繰り返してきた馬船峠だが、10月の台風通過に伴う大雨で、また崩れているとの情報を得て、深山から足を延ばしてみた。武蔵村山市から帰省なさった深山大好きガールの松島さんが一緒。鷹討山の頂上から見た眺望が最初の画像。そして表示板。
2017-12-05 (24)-2鷹討山より.jpg
2017-12-05 (27)-2.jpg

鷹討山の南側の下り坂には、真新しく階段状に足場が掘られている。つい先日、深山を愛する会の望月さんが、小さい鍬を持って登るのに出会った。きっと彼が手を入れてくれたに違いない。有難うございました。
2017-12-05 (25)-2.jpg

尾根道伝いにさらに南下、カオルの見晴し台を過ぎて二股に分かれる。標示板に従って進路を右に取る。
2017-12-05 (29)カオルの見晴し台より-2.jpg
2017-12-05 (34)-2.jpg

しばらくして西側に視界が開ける。伊具を歩く会(角田市)の人たちが、ここに愛称を付して看板を設置してくれた。その名を《金津展望台》という。この人たちと連絡を取って協力体制を敷くことも、この尾根道の保全に欠かせないものとなるだろう。手を抜けば、山路はたちまちブッシュに閉ざされて視界ゼロとなる。
2017-12-05 (36)-2.jpg

深山頂上から歩くことほぼ30数分でこの馬船峠に下り立つ。最後はかなりの急斜面で、かつて山本さんが張ってくれたロープが今も役立っているが、ロープはあとわずか延長した方がよさそうだ。
2017-12-05 (40)馬船峠におり立つ-2.jpg

峠路に下りたってすぐの反対側には、2つの看板が立つ。近年立てられた《大沢山登山口》。そして《疣石(いぼいし)山を経て高瀬峠へ》。この奥をず〜っと小斎峠までの道のりを、いずれご紹介する時が来ると思うが、来年80を迎える長岡に、果たして余力があるかどうか、甚だ心もとない。
2017-12-05 (41)-2.jpg

さて、やっと下り立った馬船峠・・・東は山元町浅生原山王地区の東街道に端を発し、山間を蛇行し、西は角田市の内町地区に至る。大震災の前あたりには、まれに車が通り抜けることもあった。しかし、今年9月に訪れたときにはすでに草ぼうぼう。胸の高さ辺りまで伸びたツリフネソウも、たっぷり花をつけて行く手にはびこっていて、草刈りなどの世話をしてくれる人もいなくなったことを示していた。
直ぐ下の写真は角田側にわずかに下った辺り。この先もかつて大きな崩落があって、復旧には何年もかかっていた経緯がある。今回も無傷では済まなかったと思うが、時間の都合上ここで山元側に戻る。
2017-12-05 (42)-2角田側へ.jpg

これが山元側最初の写真。路の輪郭が極めてあいまいになっている。
2017-12-05 (44)山元町側-2.jpg

そして最初の崩落現場。すでに車の通れる道幅はない。
2017-12-05 (45)-2.jpg

これは見慣れた光景でほっとする。あまり変わったとは思えない。
2017-12-05 (46)-2.jpg

第2の崩落現場。かなり大規模に崩れている。かつて何度か、山元町はここの復旧に力を注いできた。その際の石垣なども、今回また虚しく押し流された。
2017-12-05 (51)-2.jpg
2017-12-05 (52)-2.jpg
2017-12-05 (49)-2.jpg

第3の崩落現場。ブッシュに覆われて確認しにくい分、危険度が増す。
2017-12-05 (54)-2.jpg

第4の崩落現場。ここも規模が大きい。土石と倒木が完全に行く手を塞いでいて、敢えて山側を渡る際も、イバラの棘に責められて難儀する。かなり危険が伴う。絶対お勧めしない。この先で、山元町側から入ったマウンテンバイクが引き返したと思われる跡があった。
2017-12-05 (64)-2.jpg
2017-12-05 (66)-2.jpg

多分最後と思われる崩落現場を後にして、カオルの見晴しコースの内側全体が、10年ほど前に大規模伐採された際に、重機の進入路として拓かれた作業道路の跡地に到着するも、背丈以上に伸びたススキやセイタカアワダチソウにはばばれて、当時の様子がうかがえない。捨て去られた小型の廃車だけがあの頃のままだ。この車、後部座席の窓とリアウインドウが、内側から紫外線除けのシールで目隠しされていて、運転席と助手席以外の空間には目が届かない。しかもロックされている。一度は警察のチェックが必要だろうと思う。犯罪に絡んでいないとは言い切れないだろうから。 
2017-12-05 (69)-2捨て去られた廃車.jpg

捨て去られた廃車地点を手掛かりに、雑草をかき分けながら重機の進入路跡を北へ登りつき、振り返ればこの光景。遥かに見えるのは、山元町坂元の磯浜あたりの沖合だろうか。眺望改善の望まれるスポットのひとつだ。
2017-12-05 (71)-2.jpg

同地点は、《カオルの見晴らしコース》の最下部の合流地点に当たる。画面左上方向がカオルの見晴しコース。左を選べば谷あいのコースとなるが、最近の様子を知らない。今日はここを真後ろに見て、カオルの見晴し台真東に当たる稜線をたどって下山する。 
2017-12-05 (72)カオルの見晴しコースをおりて-2.jpg

これがその稜線の点描。数年前までは、西側(画面左側)にカオルの見晴し台がすっきりと見渡せたのだが、今では天然更新で伸びた木々に阻まれて視界が塞がれている。
2017-12-05 (73)-2.jpg

途中の急な下り坂を避けながら、やっとたどり着いたたかうちコース。金色に輝くチドリノキを見てホッとする。
2017-12-05 (77)-2.jpg


  〜 追記 〜
さて今回ご紹介した馬船峠について、山元町教育委員会の編纂になる「山元町 ふるさと地名考」にこんな記載があります。長文でもないので、原文のまま、そっくりご紹介します。初版が平成6年、第3刷が平成12年に出ています。少年の森でも取扱っていますので、興味ある方はお求めください。

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    浅生原地区 十三、馬船峠 
 浅生原の山王地区に馬船峠がある。往古より、伊具郡の金津に通ずる峻(きび)しい峠である。
 一説によると浅生原の人々の先祖は金津よりの移住者が多いというが、この峠が人々の従来(長岡㊟:往来の誤植と思われる)に関りがあったのであろう。
 当時の馬船峠の地形は浅生原側に船切沢、船切山という二つの沢と山は峻い獣道で人を寄せつけなかった。一方、金津側も山が険しく急坂をつくっていた。また山道が途中で切れたり、岩石が行く手を阻むという難所があった。唯一、中腹に大滝があり、金津の古社、高魂神社に参詣する人の浄めの滝であったという。このように険しい山地であったので金津への往復は船切沢まで船で行き、そこで馬に乗りかえた。馬の背に揺られて金津まで行ったのである。こうして馬と船で山地を超える道、何時の頃からか誰言うとなく「馬船峠」と言われるようになった。
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特に地元出身ではない長岡にとっては、多少理解に苦しむ記述も見受けられるのですが、折があれば、地元の古老にでも、もっと詳しく伺いたいものと考えています。