あれから12年、 追悼の鐘鳴りやまず [2023年03月12日(Sun)]
2023年3月11日(土) 〜 あれから12年、追悼の鐘鳴りやまず 〜
企画した催事ではなかったが、この季節、これ以上望みようもないほどの好天に恵まれ、把握できただけでも100名を優に超える人々が汗を流して深山頂上を訪れ、大震災から12年(13回忌)の追悼のため鎮魂の鐘を鳴らした。「3.11 追悼の鐘を鳴らそう」と殴り書きした垂れ幕の取付け直後の10時半、居合わせた10数人の訪問者と共に一分間の黙祷を捧げたが、既に下山していた人も少なくなかったので、もう少し早目の準備が必要だったと反省させられる。 ― 山の仲間日下教雄氏の助勢を受けて下げた垂れ幕 ー ― この日の訪問記念カードは今年の初日の出の写真が主体。結構喜んでいただけたが、準備したのは50枚。一家族一枚限定でお渡ししたが11時を待たずに底をつき反省材料となった ー ー 風は穏やかだが、スギ花粉や黄砂のせいか蔵王山が霞む ー ー 次々と鐘を鳴らす訪問者 ー ー 名取市からお出での朱凛ちゃんのご家族。お母さんにおんぶされて1歳前から登っている。もう小学1年生か2年生。絵がとっても上手で、きょうもスケッチに余念がない ー ー 深山ノートに残された朱凛ちゃんのスケッチ。まとめ方が驚くほどうまい ー ー このたびも真っ先に水戸市から馳せ参じてくれた渡辺さんご夫妻とそのメッセージ ー ー こちらは外国からの訪問者。フランス出身と中国出身のお二人で東北大の留学生。まだ日本語は苦手という。長岡の片言英語で何とか意思疎通が図れた。きょうは山下駅下車、みちのく潮風トレイル亘理・山元ルートのトレッキング中で、これから四方山へ向かう。促してメッセージを残していただいたが、フランス語と中国語。当方からお伝えした”大震災から12年の追悼の日”という意味を含むという以外は皆目わからない。どなたか翻訳を! ー ー 来合わせた当法人の橋理事が何組かの写真撮影を手助けしたが、これはその傍から無断撮影したもの ー ー これより午後の撮影。海風が肌に染み始めた ー ー 当法人の監事小野寺さんはトレランのいでたち。これからジャガイモ畑へ急ぐとか ー ー 午後の日差しを受けて鎮魂の鐘も垂れ幕もすっきりと浮かび上がる ー ー 頂上で終日つきあってくれた長岡の妻・歳子(としこ83歳)。合間を見てのフキノトウ採り。天ぷらとして今夜の晩酌のつまみとなる見込み ー ー 顔なじみもちらほらと。午後2時46分が近づく。最後の黙祷の動画が欲しい。スマホをお渡しして町内の横山さん(写真中央のうしろ姿)にお願いする。彼女は写真の名手だ ー ー 鐘を鳴らして黙祷。下方からは町が鳴らすサイレンが聞こえる。午後2時46分丁度の映像。横山さんに託した動画から静止画像を一枚取り出したもの。画面右端の男性は、長岡にとっては嬉しいサプライズ。山元町山寺区の区長樋口太一氏。旧山下駅跡の慰霊碑「大地の塔」での追悼を早めに済ませ、額に汗して駆けつけてくれた。動画はこちらから。下から町で鳴らすサイレンも聞こえてきます ー ー 山元町中央部の映像。◎印が旧山下駅跡に立つ慰霊碑「大地の塔」の位置。町ではこの日を「山元町鎮魂の日」と名付け、この「大地の塔」で追悼式を行い献花を受付けるが、今は随時献花の形式をとる ー ー こちら震災遺構の旧中浜小学校の位置を示すもの。今日は無料開放と聞く。黄色いハンカチが掲げられているはずだが、ここからは確認できない ー ー 忙しさにかまけて何日か登らないでいる間に、山はいつしか春花のシーズンになり、キクザキイチゲが咲き、カタクリも小さな小さな花芽を出し始めていた ー |