亀石の看板設置と亀石のいわれ [2021年09月07日(Tue)]
2021年9月7日(火) 〜 亀石の看板設置、そして亀石のいわれ 〜
約束の亀石の看板設置終了。ただし、ちょっとだけ位置変更が必要かもしれない。 深山の亀石コースのいわれとなった亀石は、2001(平成13)年3月発行の「旭さんの昔がたり」の第一話に出てくる。伊藤旭(のぼる)さんは当法人理事の伊藤貞悦氏のおじさんで、当時「やまもと民話の会」の会長でしたが、数年前に逝去された。深山鎮魂の鐘の建立に当たって長岡もお目にかかったが、お年(1921年生まれ・91歳)とも思えぬエネルギッシュなお方で、その声の強さに感じ入った記憶がある。当初鎮魂の鐘の建立には反対のお立場でしたが、伊藤貞悦理事や森博子理事と共に説得に当たり、なんとか笑顔で納得していただいたという経緯がある。 さてその亀石とは・・・。詳しくは「旭さんの昔がたり」をご一読いただくとして、大筋は以下の通り。 〜 昔、深山頂上に深山大権現が祀られていたが、多くの人の参拝を容易にするため里におろすことになった(現在の深山神社)。近隣で一番力持ちの牛を選んで木ぞりを引かせて権現様を運ぶ途中、悪路の上、権現様があまりに重いので、さすがの牛もすっかりへこたれてしまい、いくら綱を引っ張っても動かなくなり、最後に「ンモーウ」と唸って姿を消してしまい、気づいた時は丸い大きな石になっていた。石が亀の形に似ていたので亀石と呼ばれるようになった 〜 伊藤貞悦氏によれば、現在深山頂上に祀られている「蚕神(かいこがみ)」が、当時の「深山大権現」の跡の由。 伊藤旭さん(当時91歳) 伊藤旭さんの説得に当たった際の森博子理事 深山大権現跡に建つ蚕神。明治四十四年 「蚕神」 八十八夜講中 と記されている。 現在の深山神社。大震災にも、2月の大地震にも土台石から落ちなかった。参拝すればきっといいことがある。それ証拠に、深山入山時にいつも参拝する長岡にはいつもいいことだらけ。深山鎮魂の鐘の建立が叶ったのも深山神社のお陰と信じている。 |