2024年3月11日(月) 〜 あれから13年の追悼 〜 冒頭の動画は午後2時46分、町で鳴らすサイレンに合わせて黙祷を捧げた時のもの あの大惨事の日から既に13年の月日が流れた。いまだご遺体さえ見つからず、気持ちのやり場のないご遺族もおられる。祈ろう。黙祷を捧げよう。そして
能登半島地震の犠牲者へも祈りを捧げよう。その思いを込めて、
深山鎮魂の鐘へは二本の垂れ幕を掲げた。一本は昨年同様
「3.11追悼の鐘を鳴らそう」。そしてもう一本は
「能登半島へ祈りを」。
きょうは平日。昨年ほどの訪問者は望めないと考えていたが、なんと、その予想は見事に外れた。深山鎮魂の鐘は、朝から
福島市からの団体さんを含め多くの祈りの人で賑わい、鐘の音の止む暇さえなかった。
写真は、垂れ幕の準備も整わぬ間に訪れ始めた追悼目的のハイカーの皆さん 早々に多賀城市から訪れた女性の方は「今日ばかりはここに来るべきと考えて来た」と話してくれたが、後刻気づいたら、深山ノートにこんなメッセージを残してくれていた。残念ながらご本人の写真はない 以後の写真の多くは福島市からお出での皆さん。長岡の指の擦り傷に気づいて、優しくキズバンを貼ってくれた女性もいて感激! 午前10時、こちらが最初のショット。垂れ幕取付作業中。画面右は
砂金副理事長。左のシルエットは昨日初対面の
山口さん(74)。
山元町在住で、しかも長岡夫婦の同郷(
山形県小国町)出身という。昨日突然長岡宅を訪れてくれたせいで、早速荷役やら取付作業やらを押し付けられてしまった。山口さん、申し訳ありません。そして本当にありがとうございました。
画面左から山口さん・長岡歳子・砂金副理事長
午後2時46分に合わせて訪れてくれる人はほぼ無かろうとの予想に反して、
水戸市からの渡辺さん・地元
山寺区の樋口区長はじめ、木曜の会の数名、そして数年前にNHKの取材に惜しみなく協力してくれた岩沼市の鈴木さん、同じく亘理町の安住さんも加わった。
写真は冒頭の動画の一部。町のサイレンと呼応して鳴らした鎮魂の鐘の音をバックに、居合わせた人々と共に捧げた黙祷の場面
記念撮影