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2011年06月15日

子どもの気持ちと親の都合

今日は窓から見える緑と
空の青がきれいなコントラストで
すごく気持ちのいい落ち着く日です。

今日は事務局ミーティング
今のサイト状況や情報交換、今後行う企画の打ち合わせなどをしています。

職場の先輩が参考にと本を開いたら、
はらはらっとカードが一枚落ちてきました。

『ほら、これが子どもの気持ちだよの』

「風邪をひいたら
  お母さんと
 ずーーーっと一緒にいられて
   うれしいな!」


『風邪で体はしんどいかもしれないけど、子どもの本心だよね』

ガツンときました。 うちの子のようで・・・

子どもが小さいうちは熱をよくだすんですよね。
そしていきなりぐーんと上がる。

うちの場合、下の子が熱性けいれんを起こすので
少しでも熱を出すと保育園から電話がきます。

そういうときに限って、仕事が詰まってたりすると
心配だけど、「あ−−−」と思いながらも、
ぐったりしたわが子を連れ、病院にいくとそのまま入院のパターン。

小さい手に点滴をする姿をみると
『あ−−−−なんて思って、ごめんね・・・ママって失格』と謝りつつ
小さな病院ベットで添い寝してそばにいると
意外ににこにこ元気だったりする。

「小さいうちは母親でねば、だめだなよの」 うちの実家の母から言われた言葉です。
その通り・・・

入院も何度かしてるうちに、今は愛情補給期間だと、
決めて入院生活も楽しむことにしました。
今だけだしってね。


最近この仕事をして思うことは
とかく子育て支援というと、母親(保育側)の方を重点に置いてしまい
すっかり子どもがどう思っているかなどの「子どもの気持ち」を
おいてけぼりにしちゃいがち

でも、大事なのは子ども自身、子どもが健やかに育つこと
そのための支援・応援であることを忘れちゃいけないなって
思いました。

先輩はそのカードを私の机の前に ぺたっと貼って
『これだよ、この気持ち、大事大事』と言ってます。


あっ先輩、私なんだか熱っぽいので帰ります。
ちがうだろ(つっこみ)
posted by 伊藤和美 at 13:58| Comment(0) | しんみり

2011年04月14日

ココロとカラダ

自分がカーッと怒った時、体があつくなるように
交差点でニアミスぶつかりそうになったとき、血の気がさーっと引くように
大好きな人が目の前で、心臓がどきどきしたり

私たちの感情(ココロ)は、カラダに大きな影響を与えている。

もちろん、カラダの状況が、ココロにも作用してることもあるし

あーココロとカラダってつながってるんだなぁって


今回はラフターヨガネットのメルマガを紹介します。
ちょっと長いので時間のあるとき読んでみてください。

〜引用〜

◆ いのちの種

皆さん、

ゴンジです。

私は、足掛け30年の坐禅の実践者ですが、今回の震災ほど応えたことはありませんでした。 普段の生活の中では、頭の中は空っぽ、良く言えば瞑想状態。直観で閃き、そのまま行動するタイプの人間で平穏な生活を享受してきました。

それが、あの大津波に何もかもが飲み込まれる映像とその後に残された瓦礫の跡を見せ付けられ、それが頭から離れなくなったのです。それに、福島の原子力発電所の爆発事故が追い討ちを掛けました。

首が廻らなくなり、肩が硬直し、腰を曲げられなくなり、食欲がなくなり、寝られなくなるという嘗て経験したことのない体験をしました。どうしようもなく打ちひしがれた自分を体験したのでした。これが、2週間以上続きました。

今、振り返ると、あれはショックでカラダの血の巡りが止まってしまったのだろうと思います。今でも少し首の廻りに後遺症が残っていますが。実際に震災に会われた方々は如何ばかりかとお察しします。

立ち直るきっかけは、1歳半になる孫の無邪気な笑顔を見た時からです。天真爛漫とはこのことを言うのだなと思いました。
苦虫を潰したような爺さんの顔を見ても微笑むのです。両手を上げて抱っこしてと駆け寄って来ます。思わず、あっはっはっは!そうかそうかと抱き上げて、赤ちゃん言葉で、フムフム、ヨカヨカ、ホガホガと言って、ほっぺとほっぺを触れ合ってじゃれ合っていました。これだけで、肩の力が抜け、それを見ていた周りの家族の顔顔に微笑みが浮かんでいました。一瞬にして天国が生れたのです。心の空白に、『いのちの種』が芽生えた瞬間でもありました。

そして、この言葉、「本来無一物」が脳裏に浮かびました。 中国禅宗の六祖慧能(えのう)の言葉です。
本来無一物とは、人間、生まれながらに自分のものというものなど何もない。罪も汚れもない、他人と自分という差別もない。それでいて、全てが自ら備わっているのだよという意味です。

現実には、何故私だけがこんな目に会うのだろうかとか、誰かが誰かを恨んだり憎んだり、不足を言って満たされなければ更に不満が募る世界です。それが、小さなことで満たされている自分にふと気がつくときがあるのですね、そして、人も自分も同じなのだということに。


今回の東日本大震災、これ以上の苦難はないでしょう。どうしたらいいか分らない状態です。
それでも、日本国中、いや、世界中から応援の手が、誰も助けてくれと言われる前から集まっています。救援隊が駆けつけ、食事が運ばれ、暖を取るための機材が運ばれ、避難所が営まれています。

何故でしょうか?黙って見ていられないのです。善意だとか慈悲の心だとか、そんなのでなく、体が自然に動いてしまうのですね。

「本来無一物」、こうした行動が何もないところから生れるのです。心配は要らないのです。人間、お互いに助け合うようになっているのだから。自分の為とか、人の為とか、他人に良く思われようだとか思ってやっている訳ではない。それが本来の人間の姿。今、この大震災を前に、日本人全体がこの事を学んでいるのだと思います。そして、その一部始終を世界中の人々が見ているのです。

21世紀、人を押しのけ自分だけ良ければいいという競争社会、あれも欲しいこれも欲しいという物欲の世界から、生きるのには最小限のものがあればいい、余分な欲に苦しまない、多くの人々と共に幸せを感じる世の中になるのではないだろうか。小鳥も虫も草花も、明日の食べ物に悩んだりはしないのだから。

無邪気な何も求めない「微笑」。これが、全ての救済の『いのちの種』になる事を確信しています。
普段のままでいい、何も頑張らないでいい、今出来る事、それだけでいい。

この震災の復興を願い、ラフターヨガを多くの人に届けたいと真に願っている皆様と
共に笑い、共に学び、共に成長していきたいと思います。

〜引用終わり〜

ゴンジさんはラフターヨガネットの監事さんをしている方で
ラフターヨガもご自分の畑で実践しておられる方です。

私はこのメルマガを読んだとき、

ほんとだ
無邪気な子どもの笑顔にまさるものはないなぁって

笑いはココロを明るくしてくれます。

笑う門には福来る

昔の人はよく言ったものだなぁと感心します。

そして、子どもの笑顔がまた笑顔を呼び楽しくなります。

子どもは笑いが大好きです。

理屈じゃないんですよね。

今夜はちょっと本気でこちょこちょ遊びしてみますか。
posted by 伊藤和美 at 13:20| Comment(0) | しんみり