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2013年03月20日

バイブル


比べるのは
昨日と
今日と
明日の じぶん
〜『ブッタとシッタカブッタ』〜

どうしようもなく凹んだとき
繰り返し、繰り返し
根気強く私を癒してくれた
大切なバイブルです。

「世界で一つだけの花 」じゃないけれど
ナンバーワンじゃなくて、オンリーワンをめざせばいいと
わかってはいても、ついついまわりと自分を比べて
落ち込んだり、卑下したり、やっかんだり
とかく人間は、思い通りには生きられないから
苦しくって、あがいたりしちゃうんですよね。

私じゃなくあの人だったら
きっと、もっと、うまくできるんだろうと
年齢を比べて、人柄を比べて、 キャリアを比べては
能力の違いに落ち込んでいた日々。
自分が、ちっぽけで、役立たずで、
お情けだけで存在しているように思えて、
でも「そんなことないよ」と
言ってもらいたいばっかりに、人に愚痴る自分は許せなく。

だから
昨日より今日、今日より明日、自分が成長すれば良いだけだと
落ち込むたびに言い聞かせていた シッタカブッタのことばたち。

でもそうは言っても
言うは易し、行うは難しで、
私にはできそうにないことを軽がるこなし
人々の信頼を集め、一目置かれ、
ほしい能力を一身に集めているように見える人と
ついつい自分と引き比べては
妬みとひがみと自己嫌悪で、ぐちゃぐちゃに苛まれていた日々。

比べるのは
昨日と
今日と
明日の じぶん

人が3年もあれば、すっかりベテランの風情でできることが
私は10年かからなければできないのだということを
私ははっきり、自分に認めてやらなければいけない。
逆にいえば、10年かければ
自分にだってできるようになるのだからと。
人と比べて3年で努力を止めて、いじけている場合ではないのだと。

「誰かの役に立ちたい」とは、
人間誰しも、心の奥底では思っている真実だと思います。
誰だってみんな
「居てもいいよ」ではなくて
「居てほしい」と思われたいのではないでしょうか。

何をやらせてみても頼りなく
誰かの助けを借りて、やっと生かされている自分が
いやでいやでたまりませんでした。

いつかは自分も、誰かの役に立つ人間になりたい。
自分でこなすことはもちろん、ひいては人に
教え導くことのできる頼もしい人間になるのが
私の理想でした。

強烈なカリスマ性を発揮して
あっという間に人々の求心力となって
鮮やかに何かを成し遂げてしまうような人が
心から羨ましいと思ったものでした。

でも、人と自分の3年を
比べることをやめてから
私は、いつしか
誰かのようになりたいと思わなくても
いいのだと思うようになりました。

私は自分ができないからこそ
できる人を、心からすごいと思える。
できないことで苦しんでいる人の気持ちも
ちゃんと理解することができる。
もしも私が
何でもこなせるスーパーウーマンだったら
地道な協働活動の推進など
ばかばかしくてやっていられなかったかもしれません。
自慢してどうするんだ、という感じですが(笑) 
私が自分でできることは、本当に本当に数少ないです。
人の助けを借りてやっとそれらしく
社会生活を送っていると言っても過言ではありません。
できないことの方が多い、という自覚が
私の強みであると、今では思っています。

強烈な求心力で
人々を引っぱることはできないかもしれませんが
「助けて!あなたが必要なの」と
言い続けられるということが
活動においての
私のやり方なのだと思うようになりました。

私が自分でできなくても
「しょうがねぇなぁ〜 やってやるよ」と
人が思ってくれれば、それでいいんじゃないかと思います。
それは、
オレが(私が)居なくても、何とかなってるじゃん?!と思うより
ずっと、ずっと嬉しい感情ではないかと思うのです。

私が、やってあげられなくても
人にそう思わせることができる、ということで
充分私も
人の役に立っている、と思えるようになりました。

だから
私のしなければならないことは
こうであったらいいのに、という
理想をもち続けることなのだと思います。
こうしたいのにできないから力を貸してください、と
はっきりと言い続けることなのだと思います。

このような考えに至るまでには
途方もない年月が
かかったような気がします。笑
頭ではわかっていても苦しくて
なまじわかっているだけに
考え通りのこころになれない自分に
また 苦しんだりもしたものでした。

それでも いつか
こうして穏やかに思えるときが来る。
年をとる、っていいものだな、と
つくづ思います。
強がりや、負け惜しみではなく。
こうした「時」の恩恵を受けられるのは
とことん悩んだ末だからこそ、とも。
そして 思えばこんなにも
悩みたいだけ悩んでいられたというのも
ひとつの恩恵なのだと知りました。

自分だけが頑張ってる訳じゃない。

もがいて、あがいている自分のまま
許されて、受け入れられて、そこにいた、という事実。

…なんだかオリコウサンなことばかり言っている‥?

私は特に、何かの宗教を
拠り所にしているわけではないけれど
行きつく答えが、宗教がかってしまうのは
それが、全ての教えに共通する
根本的な真実だからなのかもしれませんね。

もしも今
ぐちゃぐちゃに悩んで
苦しんでいる若い人がいるなら
言ってあげたい。
ぐちゃぐちゃに悩んでもいいんだよ。
むしろその時、その過程を
とことん経験することによってしか
時を経て「自分との和解」は、
やって来ないのかもしれないから。

いいだけ悩んで下さい。
もしも許されるのなら(大抵は許されているのです)。
そして心のどこかで、信じていて下さい。
いつか必ず、
そのトンネルから抜け出ている時がくることを。




posted by tsukada at 15:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 一日一語

2008年07月06日

すきなことば4

〜ある研修会での講演内容〜

あるボランティアの集まりの中で
一人のお年寄りが代表して、声高らかに提言した。
「人さまの迷惑にならないよう、それを心がけ、日々生活しています」
大多数の高齢者の意見として、賛同の拍手があがった。

しかし、ある女子中学生が
おずおずと、反対意見を述べた。
「人は生きている以上、意識しないうちにも
必ずどこかで人に迷惑をかけて生きています」

「大切なのは、迷惑をかけても、それを許し合える関係を
いかに築いていけるか、なのではないでしょうか‥」


先ほどの賛同以上の、拍手喝采を浴びたのは、言うまでもありません。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

藤井 英規 氏(あるいは 旭川まちづくりボランティアセンター)の
定番エピソードでもあって
聴いたことのある人も大勢いると思います。

社会的な動物である人間が
この社会で生きている中で
「本当にそうだよなぁ‥」と思う言葉の一つです。

たまに思い起こしては、原点に還ることばです。

posted by tsukada at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 一日一語

2008年07月02日

すきなことば3

ごめんなさいで済んだら
警察は要らないからね‥

「おれはそうは思わない。
 ごめんなさいの気持ちがあれば
 警察は要らないことが
 世の中にはたくさんある、って
 父ちゃんが言ってた!」

『東京下町殺人暮色‥(宮部みゆき)』
posted by tsukada at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 一日一語

2008年06月25日

すきなことば2



    自分の感受性くらい

                           茨木のりこ

        ぱさぱさに乾いてゆく心を
        ひとのせいにはするな
        みずから水やりを怠っておいて

        気難しくなってきたのを
        友人のせいにはするな
        しなやかさを失ったのはどちらなのか

        苛立つのを
        近親のせいにするな
        なにもかも下手だったのはわたくし

        初心消えかかるのを
        暮らしのせいにはするな
        そもそもが ひよわな志にすぎなかった

        駄目なことの一切を
        時代のせいにはするな
        わずかに光る尊厳の放棄

        自分の感受性ぐらい
        自分で守れ
        ばかものよ



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ウツウツ・モンモンとしていたときに
この詩に出会って

がつーん!! と
ヤられました 太陽
posted by tsukada at 18:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 一日一語

2008年06月24日

すきなことば

思い描いた理想の自分と、今の自分を比較して落ち込むのはやめなさい。

理想とか夢とかっていうのは、
思い浮かべて楽しい気持ちになるためにあるもんで、
落ち込むためにあるもんじゃない。


〜『無理な恋愛』 By 立木 正午 (堺 正章)〜
posted by tsukada at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 一日一語