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2013年08月25日

地域を創る


今年のお祭りは、あいにくのグズついた空模様で
関係者一同を随分ヤキモキさせていましたが
何とか宵宮祭終了までお天気が持ちこたえてくれて
良かった、良かった わーい(嬉しい顔)

朝日のお祭りに対し、ずっと変わらない想いで関わっています。

自分の子供達が小さかった頃には、子供のため。
その子供達が育って、またその想いを繋ぐ。

小さな小さな、1500人ほどの地域だけど
自分たち手作りで、ここまで紡いでくることができたのです。


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少しづつ、仲間が増えました。
今年は、朝日生まれのアマチュア劇団「一歩座」の旗揚げ公演もありました。
佐藤医院も、みんなで朝日のお祭りを盛り立てよう、という気概の元で
一緒に参加しているつもりです。
どこかで、誰かが何かやっている。自分は関係ない‥ではなく、
あさひのことは、何らかの形で誰もが繋がっている。
そんな想いを端的に実感できるのが、お祭りの良いところだと思います。
この想いが、別の場面でも多くの人と共有できるようになりたい。
そう思っています。

2013年03月28日

幸せな地域U


まだ、社協に入って間もない頃
今よりももっと、自分の考えを
表現する力もなかったものですが。

当時の「ふれあい広場」の行く末について
たどたどしいいながらも
思うところを語ろうとする私を
ある人からは
「あんた 甘いわ〜」と
一笑に付されてしまいました。

その時は、その反応に反論する術も言葉も
持ち合わせてはいませんでしたが
あの頃思ったことと、今思うところは
基本的に変わってはいないのだと思います。

「甘い」と一笑に付して、片付けた先に
あったものは何だったのよ?と
問いたい思いは、横に置いておくとして。

夢や理想を思い描くことが
嘲笑されるべき甘い考えだとは思いません。

夢や理想を掲げすぎるあまり
現状認識をできないまま
夢だけを追い求める勘違いは
戒められて当然としても。

こんな風な世の中は嫌だ。
こんな風な世の中がいいな。
そんな理想を思い描いて
実現するための力をつけるのが
「大人になる」ということであるべきです。


‥書いていて気がついたのですが
こうしてみると
私ってかなり根に持つタイプなのではありませんか?
もう ん(?)十年も前に言われたことを
忘れもせずに覚えている‥こっわぁ〜!!自分(笑)


2013年03月27日

表出について

インターネットのなかった時代。
エッセイのような個人的な感情表現は
表現者として成功した者だけが、許される行為だったように思う。
創造された小説が多くの読者をひきつけることができた時、
その作者の生の声も聞いてみたい、と思われて初めて
エッセイを発表するような行為が許されていたような気がする。
今、HPよりも手軽に
誰もが自分の思いを公の場に提供する術を得て
時として、人は自分が表現者になったような
錯覚を起こしてしまうこともある。

人は誰でも、自分の思いを聞いてもらいたいという欲求がある。
しかしながら人は、自分で思うほど
自分に関心を持ってくれるわけではないこともまた事実。
自分がつまらないからとか、価値のない人間だからとか
そんなこととは全く関係なく、
他人にとっての自分なんてそんなもの。

敬愛する鴻上尚史氏のエッセイ。
     〜『真実の言葉はいつも短い』〜

サイトに溢れ出る、さまざまな種類のことばについて〜
「表出」とはそうすることによって
本人にカタルシス(浄化作用)が起こること。
相手が理解したかどうか、
相手に感動を与えたかどうかは問題ではない。
書くことで、自分が満足したかどうかが基準となる。
「表現」とは
相手に理解させ、相手を感動させ、動かしたかどうかが
基準となる。
望ましいのは、表出と表現が一致すること‥
(言いたいことの全てが詰まっている‥
 全部を引用するわけにはいかないから
 良かったら一度読んでみて下さい) 

人が表出する術を得て
加速度的に自分を救う方法を増やしたことは
喜ばしいことだ。
アクセスランキング上位のブログとか
素直にすごいなぁ‥とかは思うけれど
それに惑わされて
より多くのアクセスを増やすことに
重点をおくようになるとしたら
本来の自分自身の方向を忘れてしまいかねないから
ここでちょっと立ち止まり、確認作業。

ブログを開設しようと思ったのは、
はっきりと自分の思いを確認するため。
自分がどういう過程を経て
そう考えるに至ったかを確認するための行為。
もしくは、何年もの時を経て、
日々変化するにも関わらず、変わることなく
根底に流れる本質的なものなのだと知った思い。
「思い」の表出は、時に
独り善がりの自己満足にもなってしまう。
人の目に触れるところに発表することによって
自分自身はこう思っている人間なのだと
しっかりと覚悟をする行為でもある。
全くの独り言、自己満足でいいなら
ブログは書かない、もちろん。
昔ながらの日記でも書いて、鍵をかけておけばいい。
偶然であれ、自分の言葉に目を留め
立ち止まり、腰を下ろして
私の言葉に耳を傾け
「ふぅん‥ キミはこんなことを思っているんだ‥」と
関心を持ってくれる人がいるのだとしたら、
それは素直に嬉しい。それは事実。
だからこそ、
ちゃんとしようと言う気にもなれるというもの 

星の数ほどもあるブログの中で
偶然にも閲覧、共感してもらえることなんて
きっと、奇跡に近い出会いなのかもしれない。
全ての言葉に耳を傾け、目を通し
その上で、自分を選んでもらえるなんて有り得ない。
ならば、出会うことができた事実にだけ目を向けて
出会えた奇跡に感謝しよう。
「一期一会」だね。「縁」だよね。

インターネットの功罪は
やはり使う人それぞれの
英知を養う以外には方法がないのだろう。
車社会がもたらす公害や事故をわかってはいても
もう、車のない社会に人々が戻れないのと同じように。



2013年03月23日

おとなな言い方


むかぁし なんかのテレビドラマの中であったセリフ。
(はっきり覚えてるわけではないので、ニュアンスで)
「私、あの人きらぁい!○○さんもそうでしょ!?」
「‥うん‥私は別に‥。嫌いじゃないよ」
「嫌いじゃない‥!?ふぅ〜ん‥おっとなねぇ〜」

確かに、大人になるということは
「好き」と「嫌い」を
はっきり言わなくなることかもしれないな。
そして、その態度がこどもからは
偽善的に見えて、反発を誘うんだよね。
子供の世界って言うのは、
「好き」か「嫌い」かの二者択一でできている。
だから「好き」なものはストレートに「善い」ものと
認識してしまうし
「嫌い」なものは、闇雲に「悪い」と
決めつけてしまいがち。
だけど、大人になると
自分の「好き」なものが必ずしも「善い」ものとは限らないし
「嫌い」なものが確かに「悪い」わけではないことも知っている。
大人の世界は
「好き」と「嫌い」を横軸に
「善い」と「悪い」が縦軸の
座標軸でできている。
だから
「嫌い」なものが「悪い」とは言い切れないし
「善い」ものだけを自分が「好き」なわけではない。
だから
「あんまり好きじゃない」
「別に嫌いじゃないよ」
なんていう新しいことばを身につける。
それは、誤魔化しているのではなく
(そういう場合もあるけれど)
本当に、そうとしか言いようがない場合だってある、という事だ。

私の中のこどもの部分は
(こんなヤツ、だいっ嫌い)なんだけど
(そうやって反省してる姿は別に嫌いじゃないよ)
と思うのも、結構本心だったりする。
(だからと言って「嫌いじゃない」が「好き」に
 変わるわけじゃないけどね)
「嫌い」と言い切らないで
「あんまり好きじゃない」と変換する場合。
自分にとっての「嫌い」が
そのことに対する絶対的評価ではないことを
知っているから。
(よい面だって確かにあるのだろう。
だけどそれだからといって、私は好きにはなれない)
ただ、物分りよさげに
こんなことばっかりしていると
時々無性に
「好きだわーい(嬉しい顔)」とか「嫌いだちっ(怒った顔)」とか
はっきり言ってしまいたくなるのかもしれないね‥
そんなに単純じゃない、なんてこと斟酌せずに。 

ちなみに、私が思うに
大人になってからの方が
自分が何が「好き」で
何が「嫌い」なのかを
はっきりわかるようになってきた気がする。
口にしなくなったのは、何が好きで、何が嫌いか
わからなくなってるからじゃなくて
言って済む問題じゃないから
言わなくなってるだけのことで
実は、子供のときのような「好き」と「嫌い」はむしろ
子供のとき以上に
自分で自覚している気がする。

こどものときって
自分の本当にスキなものキライなもの
実はよくわかってなくて
周りに惑わされて、目移りして、影響されて‥w
思えば怒涛のように、不安定な精神状態だったなぁ‥
あ〜疲れる あせあせ(飛び散る汗)

あのしんどさから卒業できるんだからw
おとなになるってのも、悪くないもんだよ。 

晴れ

2013年02月02日

自己責任・自助努力 まだ まだ まだ

まだ尾を引いています。

ある友人と、図らずも口論になってしまった。

総論賛成・各論反対のように
各々の考えは、100人いれば100通りあって。
全面的に一緒、などと言うことはあり得ない。

それでも、それを踏まえた上で
「人が自分とは違う」という前提を尊重した上で
各々の考えを自由に語り合え、接点のもてる部分で
お互いが協力することでの相乗効果を体感できる
そんな機会づくり(土壌づくり)が基本テーマの場所で
これでは意味がないとは思いながらも
ついつい相手を打ち負かす議論口論になってしまって。

けして望んでいたのはそんなことではないのに。

それを調整する役目を担いたくて
自分はここにいるのに。

ぐるぐると
反省と自己嫌悪の繰り返しの中で
まだ、
気持ちを切り替えて、前に進むことが出来ないでいます。

何が尾を引いているのだろう‥と
自分なりに考えてみる。

「あんたのやろうとしていることが、さっぱり見えない。」
(そうだろう。それが当然です。
それが見える方策こそを、日々模索している途中なのだから)

「みんなの意見を聞いて、それでどうしたいの?」
「自分の考えはないの?いろいろ聞いた上で、最終的に判断するのが
 代表でしょ?判断の基準となる、自分の考えってないの?」

‘あ、こりゃ典型的なトップダウンチームの組織構造の思考回路
なのだな、とこの時点で気づけていたら、少しは距離を置いて状
況を静観できたかもしれないな‥’

(みんなが自分で出した意見を、自分の力で解決していく意欲を
持つようになって貰いたいんです)

「言い出しっぺに責任持たされるなら、長くは続けられないよ」
みんなそれぞれ本業があって、それでも‘なんとかしたい’
って気持ちがあるから
集まっているんであって

(いや、だから。その気持ちを持続可能な状態にするためにはどうしたら
いいかを、一緒に考えていきましょうよ、と。)

「それはそっちが考えることであって、これ以上まだ責任を持たされるん
だったら、やってることを否定されるんだったら、もう止めさして貰うわ」

(いや、そうは言ってなくて‥って、私の言い方が、そう問責口調に
聞こえるのだな、と、この時点でとらえ直しができれば良かったんだな)

(何が課題で「もう出来ないわ」となってしまうのか、その要因を探りま
しょうよ、と。
その要因は何かを明らかにして、その要因は解消できるものなのか、
解消できたとすれば、また続けられると言うことなのか、そこまで
段階を踏んで考えていきましょうよ、と)

(そこまで考える「意欲」を持続するにはどうしたらいいか?
話をすることで、話を聞くことで、この「問い」を解決したい。
それが私のしたいこと。
ぶっちゃけ、出てきたアイディアのどれを採用したいかとか、
そんなことじゃない。
強いて言えば、アイディアが形になるまでの「成功体験」を
みんなに積み重ねていってほしくて、自分はココに居るんだ)

(そんなことが何故したいのか?とまで問われると、それを伝えるには
まだまだ時間が要るw)

「あんたの言っていることは漠然としすぎて、余計伝わりにくいわ。」
「あんたの書いた物も読んだ。
 それでも、何が書いてあるか、さっぱりわからん。」と

けっこう、これがキツかったのかな‥?

そうか‥読んでも伝わらないのか‥

自分じゃ、しゃべりが苦手な分、書くことで想いを表現することに
少なからず自信を持っていたというか、
なけなしの考えを、何とか表現することが出来る手段が
唯一「書くこと」だと思ってた部分があるから
それがいっこうに伝わってもいなかったことに
少なからずショックだったのかもしれないな‥

もちろん、文章でなら人に伝わる物が書ける、などと
思っている訳じゃない。

ただ、書くことによって、何より自分自身が、
考えを整理できるし、それでいてもしかしたら、
じっくりと繰り返して読むことで、
拙いながらも私の言わんとすることを、くみ取ってくれる人も
中には居るかもしれない。

そんな想いもあって、自分の発する言葉に署名する。

例え拙かろうと、間違っていようと
自分が発した言葉であると、責任を持つために。

だったら、これくらいのことで
凹んでいても仕方がないな。

伝わらなかったら、伝わるためにはどうしたらいいか?を
次に考えれば良いだけのこと。

まだ、途中。





2010年06月10日

つぃったーU

少しでも時間があるなら
片付けちまえばいいコトは山ほどあるけど
今日はとっても手がけられそうにありましぇん 汗

やりたくないときに
無理してやってみたって
ろくなコトにはならないよね‥なんて‥w

最近見つけた、お気に入りフレーズ←勝手に解釈

「倦まず弛まず(うまずたゆまず)やる、ってのは
休み休みやる、ってことなんだ」

ついったー

今 はやりのツイッター‥ではないけれど
まとまりにもならない心のつぶやきを
日々吐き出したくなるときはあるw

ただブログよりもさらに手軽なツイッターでさえ
いざ書き留める暇さえありゃしない‥困った
‥っていうのはきっと、心の余裕の問題なんだろうけど‥

なんせ、日々の業務記録さえ手をつけられずに
たまる一方の日々 落ち込み

だれか、私の脳内に浮かんだ言葉を
瞬時に拾い出して文字に起こしてくれないかなぁ‥w 走る


2010年04月13日

始動間近

新年度もあれよあれよという間に中旬となり
汗
始動開始はまだまだ先のことだと
ボケぼけしている場合じゃなくなってきました。走る
おりしも、今日の雨でもって、さらに雪解けが加速することでしょう。

当初、雪解けを先取りして4月中に始動しようと
意気込んでいたハズなんでしたね…

冬の間、屋根の落雪で
横塀の一部が倒壊するという一騒動があったり…
ちょっぴり問題を先送りしている間に
本当に、本当に
いよいよ、今年度の始動開始は
カウントダウンが始まっちゃっていますね。
気持ちを引き締めて、開始モードに切り替えなくちゃ びっくり


全くのワタクシゴトながら
本日はワタクシの
ん…十回目のお誕生日であります ウインク
毎年この日は、可能な限り
勝手にバースデイ休暇と称して
自分に自由時間をプレゼントしていますドキドキ大
(まるで、普段全く自由のない人間のような言いぐさだと、一部ヒハンの声もありますがw) 

この自由時間に
医院の玄関先の雪かきを…という気も
ないわけではなかったのですが
放っておいても雪解けは間近だし
結局、始動開始は来週以降に先延ばしして
今日はきっちり、自分用の自由時間といたしました リボン

なので、さぁ来週からが
いよいよ始動モードとしましょうか ダッシュ


2010年01月17日

雑感

全然関係ないことですが告白しますw

私はイトイシゲサト氏が大好きななんですな。

彼の思考・物言い・感じ方…いちいち共感しては
あったかい気持ちになっています。

日々の日課は
パソコンの電源を入れ
『ほぼ日刊イトイ新聞』の
「今日のダーリン」を読むことから
始まると言っても過言ではないかと‥w

そんなわけで
今日は
糸井氏が絶賛していた
「アバター」を観に行ってきちゃいました。笑顔

彼が、面白いというなら
私が面白いと思うのも
まぁ間違いはないだろうとw

…感想は…

まぁ、
CGすごくて
娯楽作品として
充分に楽しい作品でした。

感動とか、心に残るとか
そういったこととは関係なしに。

レビューは苦手なので
未見の方の
全然参考にはなりませんが 足跡





2010年01月09日

日々是煩日(ヒビコレハンジツ)

年も明け
みなさんほぼ平常通りの生活のリズムを
取り戻しつつあるところでしょうか

それにしても、連日の雪…雪雪雪

ほんの少し、雪かきのまねごとをしているに過ぎない私でも
その作業にしんどさに、へたばってしまいます 汗

つくづく、日々の生活の快適さが
どれほど、どこかの誰かの支えによって
成り立っているのかを思い知る今日この頃でございます。

除雪をしてくれる皆さん、ありがとう。
貯まった雪を、排雪してくれる皆さん、ありがとう ハート


このところ、日々の生業が忙しすぎて
心の余裕がありません 悲しい
何かを書こうとすると
頭が真っ白になって働きません ZZZ

決して、決して…
更新できないことの言い訳ではないのですが…w

バーンアウトしないためにも
上手にスイッチを切り替える術を
なんとか見つけなければ… 注意