JR高輪ゲートウェイ駅周辺再開発事業地区(東京都港区)から鉄道開業当時の遠浅の海上に線路敷設用に築かれたされた築堤跡が埋蔵文化財発掘調査で確認されました.https://www.tokyo-np.co.jp/article/69843築堤は,当時周辺陸地に海軍施設などがあることから海上ルートを取らざるを得なかったことから築かれたもので,
現田町駅から品川駅付近までの約2.7km,幅約6.4mの規模,両側面には護岸用として石垣が葺かれていたとのことです.
その状況は,
開業時の写真や絵で見ることができます.
なお、現横浜駅付近でも同様の海上築堤が構築されていました。
その後,明治末から昭和初期にかけての周辺埋め立てにともないその姿は見られなくなりました.
開業初期の品川駅(駅の右側(南方)には遠浅の海が広がっている)
三代広重筆浮世絵『東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図』1871年
三代広重筆浮世絵『横浜海上蒸気車鉄道之図』1871年調査の詳細確認はしていませんが,新聞等の情報によれば,
築堤跡は品川駅と高輪ゲートウェイ駅の2箇所で,工事中に発見され,
今年の8月から埋蔵文化財調査をおこなっているとのことです.
調査では,
四角い石を積んだ法面や船で築堤を通り抜けるための水路跡等が検出されています.
なお調査地区は,今年3月時点での港区埋蔵文化財包蔵地分布図では「遺跡」として登録はされていませんが,
最新版の東京都遺跡地図では,「港区No.208遺跡(高輪築堤跡)」[種別:鉄道築堤]として登録がなされていることから,
工事発見にともない,遺跡登録を経て調査をおこなったことがわかります.
https://www.city.minato.tokyo.jp/bunkazai/documents/minato_bunkazai_map_202003.pdfhttps://tokyo-iseki.metro.tokyo.lg.jp/map.html#mainこのような状況で埋蔵文化財調査をおこなったことは,
行政の真摯な対応による結果だと思います.
高輪築堤跡は「海上」に築かれたもので,基礎は「海中」に構築されています.
現在は陸上にありますが,かつては海上(海中)にあった「水中文化遺産」です.同様の例としては,高輪築堤跡の前面の東京湾に構築された海上台場としての
品川台場(6基が完成し,第四・第七は未完成.現存する第三・第六台場は国史跡)があります.
築堤跡と同じく水深数メートルの海底に基礎が構築されています.
品川台場は,高輪築堤跡構築に先立つ幕末につくられたものですので,
その技術は高輪築堤跡にも生かされたことと考えられます.
さらにその技術は.明治〜大正期に築かれた
東京湾海堡(第一〜三・海中砲台)にも受け継がられたことでしょう.
とくに,水深30mを超える地区につくられた第三海堡築造にともなう土木技術は,
当時世界からも注目され,
日本の海洋土木技術力の高さをしめすものでした.
品川駅周辺と高輪築堤跡・品川台場 1880年このように高輪築堤跡からは,近代日本の土木技術力(とくに海洋土木技術力)がどのように発展していくのかを再検討できるデーターが得られる可能性があり,
今後の調査の進展・成果分析が期待されます.また,新聞記事には「遺構の保存や工事の遅れなど,再開発への影響は避けられそうにない」ともあります.
先人の技術を次世代に語り継ぐためにも保存と開発が上手いかたちで,進むことを希望したいと思います.